こんにちは侍ままんです。
誰もが、人生で一度は思うこと。
「外国語がペラペラになりたい。」
我が家の娘たちもご多分にもれず、「もしお父さんがアメリカ人だったら今ごろなんの苦労もなく英語がペラペラだったのに。
」とか、ため息をついております。

だがしかし、ちょっと待て。
あんたら、良く考えてごらんよ。

なんの苦労もなく身につけたであろう唯一の言語【日本語】
本当にペラペラですか?
日々君たちが、私に報告してくる学校での出来事。ほとんどが「何言ってるか良く分かりません
」ってものばっかりよ。

ムカついた、まじキモい、ウケた、笑ったなどなど、、、感情表現一辺倒で、状況なんか全く伝わりませんから。
で、結局何が起こったの??

そしてこの現象、決して子どもに限ったことではありません。
お恥ずかしながら、40の手習いよろしく近年初めて「会社」で働き始めた私。職場で日々耳にするのは「君の説明が悪いよぉ」「話が通じてないじゃない」「ちょっと何言ってるか分かんない」「もっとまとめてから報告して下さい」などなど、、、。
会社でなされている叱責のほとんどが、「日本語ができていない」ってことに対するものであることに、気が付きました。
もう、会社といえども毎日が国語の授業みたいなの。「主語はなに?」「あれとかこれじゃ分かりません」「で?何が言いたいの?」
これねえ。
一流企業にお勤めのハイスペックな方がどうなのか、知る由もありませんが、、、確かに日本人なのに「日本語」ができないって問題ですよね。業務以前に意思疎通が出来ない、ということですから。
意思が伝わらなければ仕事になりませんよ。
でも実際、他人に分かるように説明するって、ものすごく難しいことだと思います。
そして、世の中の揉め事のほとんどは「言葉が通じていない」ことによって、引き起こされていると言っても過言ではないでしょう。
つまり日本人であったとしても「ちゃんと日本語が出来てる人」というのは、そんなにいないのかも知れないですよね。
それで外国語がペラペラな人というのは、やっぱり日本語もペラペラなんだと思うわけです。
結局、言語というのはただの「道具」に過ぎなくて、戦うときに剣を使うのか弓を使うのかそういうことであり、最も重要なのは「使い手」のそもそもの腕前。
英語がペラペラだったらカッコいいなあ、というのは分かりますが、冷静に考えたら、日本語でうまく説明出来ないものを、英語なら饒舌に説明できるって発想はオカシイですからね。
というわけで、外国語のペラペラ願望があるのであれば、地味なようですが平行して日本語をペラペラに使いこなせる練習が必須だろうな、と痛感する今日この頃です。
とにかく親子関係も夫婦関係も、すべての人間関係が、言葉さえうまく使えればそこまでこじれることはないように思えますが、、、いやしかし、言葉があるからこそ!人間はもめるんだろうなとも思うわけで。

警察犬とかを見ていると「言葉」なんかなくても、ちゃんと指示は伝わるようですし、動物の世界に戦争がないのは悪口が言えないからなんじゃないかと思ってみたり。
唯一、人間だけが操る「言葉」。
実に奥が深いです。
