こんにちは侍ままんです。



今日から『麒麟がくる』を見始めました。
『西郷どん』『花子とアン』『おっさんずラブ』『JINー仁ー』と来ての『麒麟〜』。



まず、ずっと麒麟が「くる」んだか「きた」んだかイマイチ定かでなかったのですが、百聞は一見に如かず、ようやく分かりましたよ。

戦乱の世にあって、麒麟は平和をもたらす生き物だという。ゆえに、麒麟に来て欲しいと願う主人公の願望と、これが麒麟が来るに至るまでの物語であるという意味を込めて、麒麟は『くる』んですね。すでにきちゃったら、物語は始まりませんから。(笑)




さて、タイトルの謎は解けました。
ところが、次に私を惑わすのは「時代設定」。
会話の中に「将軍様」ってのが出てくるのですが、、、いかんせん、、、ついこの間まで「西郷どん」と「JIN」を見ておりましたので、、、将軍様って徳川じゃないの???将軍様が京にいるってどゆことだっけ??滝汗

全く頭がついて行けておりません。

おまけに医者が出て来て、戦で負傷した兵の介抱をしている様子は、私にはもはや「JIN」にしか見えず。
「早くペニシリンを投与して!えーん」画面の中に仁先生と咲様を探している自分がいるのです。


そうかと思えば、おもむろに「おっさん」が出てきて、若い光秀に「ニヤリ」。
あれ?これっておっさんの恋、始まっちゃった感じ???
言われてみれば、どことなく「好みのタイプ」よね?光秀くん。




というように、つまり侍ままん。
ただいま、頭の中が大混乱中でありんす。真顔



更には、大正・昭和を描いた『花子とアン』でしたが、武家のお屋敷を見れば、戦国時代の方が驚くほど良い生活をしています。
西郷どんの生家も武家とは言え、貧しい暮らしでしたが、大正時代の花子の実家はそれに劣らず貧しかった。



そう考えると、時代が進めば生活は豊かになるはずだと思っている私の常識は、見当違いということになり、ますますいつの時代の話なんだかさっぱり分からなくなるのです。


ついでに言葉の点で「西郷どん」では、終始薩摩ことばが交わされていて、「JIN」では坂本龍馬が土佐弁で強烈なセリフを吐いておりました。「花子とアン」でも田舎暮らしを印象付けるために、故郷の人はみな甲府弁を使っていました。
つまり、方言が使われると「古臭い」イメージが生まれ、時代背景が飲み込みやすくなります。


ところが『麒麟がくる』は設定が戦国時代なのに、言葉はみなさん現代標準語。
衣装も非常に美しい仕立てのものばかりなので、古臭さがありません。


そういうわけで、今の私には明智十兵衛は実は未来から来た脳外科医で、後を追って来た黒澤部長と戦国時代で恋に落ちる話、に見えてしまうのです。ゲロー



もう何が何だか分からねえよお。えーん



いや、落ち着け!!
まだ『麒麟がくる』見始めたばかりです。
これから戦国時代に馴染めるように、頑張りたいと思います。



しかし気分だけでも、タイムスリップするって大変なんですね。アセアセ



拝啓

仁先生、田村心さんナメてました。
ごめんなさい。
尊敬致します。ショック

敬具