こんにちは、侍ままんです。
年末ころからしばし、転居すること、転校すること、進学すること。
生活するフィールドを変更するという、それらに対して自分なりに色々と想いをめぐらせておりました。
思えば、私自身が高校に上がるタイミングで
引っ越しを経験しました。
それまでは、転校する子や、転校してきた子を見ては、たいそう不憫に思っていましたし、万が一にも自分が転校することなど考えたくもないほどに、転校というものに恐れを抱いておりました。
ところがいざ転居となったときに思ったのは『引っ越しなんて別に、たいしたことなかったな。』ということでした。
私の場合は、ちょうど高校進学のタイミングでもあり、距離的にも同じ県内の隣の学区くらいの移動だったので、それまでに抱いていた「引っ越し」のイメージとは少し違ったものだったのかもしれません。
どうせ交友関係なんてのは、進学と同時に自然と更新されていくものなのだから、ゼロから新たな友達を作らなければいけないという点では、転居があってもなくても同じことです。
そして、実際に高校生となった私は、知り合いが一人もいない場所で、難なく新しい友達を作ることに成功しました。
だから、自分の娘が高校進学を目前にして、転居をしたとしても、それほど問題にはならないのではないかと思ったのです。
でも、今になって思い出すのは、確かに仲の良い友達は出来たし、楽しい高校生活ではあったけれど、やはり様々な状況に、戸惑いはあったなあ、ということ。
その時の私は、電車でいうところの、『下る』方面に引っ越しをしたので、高校で初めて出会う人たちは、それまでの友人たちと比べると誰もが少し「垢ぬけない」印象でした。
それまでは東京への通勤圏に住んでいたので、友だちにも都会的な人が多かった。
でも新しく通った高校には、テレビでしか見たことがなかったような、あからさまに《なまっている》子がかなりいて、驚いたものです。いわゆるカルチャーショックってやつですね。
それで、しばらくは中学までの旧友に「どうにも周りが田舎くさい」とグチをこぼしていた記憶があります。
で、今回の転居は、それの逆。
東京からたっぷり100キロは離れた田舎から、突然23区内に住むことになったのです。
戸惑いがないわけがない。
私はこの事実をあまりに軽く見ていたのかもしれません。
自分のほとんど忘れているような過去を引き合いに出し、「大したことないって」と高を括っていたのかもしれません。
この一年半。
子どもらは私が思うよりも、もっとずっと戸惑っていたはずです。
正確には戸惑っていた事実にさえ、最近になってようやく気付いた、そんな状況だったとも言えるでしょう。
環境が変わる、友だちが変わる、生活が変わる。
それは、想像以上に大変なことです。
今思えば私だって、高校に上がったときも、大学に上がったときも、結婚をしたときも、出産をしたときも、家を建てて知らない土地に引っ越したときも、それはそれは大変でした。
軽く、死にたくなるようなときだってありました。
それでも、いまそれらを「大したことがなかった」と思えてしまうのは、それらを乗り越えてきたからに他ならない。
でも、真っ只中にいたときは、それぞれがそれなりに大変だった、というのが事実です。
簡単にいうと、私はこの数カ月の間、
山を登り終えて下っている人が、その道中、今から登ろうとしている人に向かってかける言葉として、適切なものは何だろうか、それを必死に考えていました。
「この山は大したことはないよ。」と言うのは、どうにも違うような気がしたのです。
が、その答えは未だに出ておりません。
そしてなにより、
我が家の転居の際に一番大変そうだったのは、間違いなく『母』だったな、といまさらながらに思い出されるのです。
みんなが大した苦労もなく順応していく中で、母だけがなぜあんなにも、辛そうだったのか。当時は良く分かりませんでした。
ですが、いまなら大いに分かります。
母親って大変なんだよ〜!!!!
母親が家族のフォローをしないと、結局そのつけは母親に返って来る。
やってもやらなくても、いずれにせよ辛いのは母親なのです。さすれば、やるしかねえ。
家族を語るとき
「おい!父!!どこいった?」
いつも思うけど・・・・
子育てで母親に替わる人がいないのは、もう仕方がないことなんだと思うことにします。
いつか侍ままんの、母親としての活動休止が叶う、その日まで。
仕方がないので(笑)
『母』として、精一杯活動したい所存です。
今後も宜しくお願い致します。