こんにちは侍ままんです。
先日、美容師さんと
どういうわけか宗教について
考える、機会がありました。(笑)
というのも、いま私が通っております
美容室の美容師さん♂が
ちょっとした変わり者(?)でして、
なかなかに、ままんと話の合う人なのです。
それは意見が合う、というよりは
《気になる話題が
似ている》というのが妥当な
表現で、例え意見が異なるとしても、
議論し合うには
もってこいの人物なのです。
それで、この前は美容師さんが
唐突に『ボクね~、宗教っていうのは
肯定もしませんが、否定もしないように
してるんですよ。(・ω・)』
おっと、きたぞ。(゚Д゚)
普通なら『なんのこっちゃ?』と
思いそうですが、私は
『また、興味深いフリですな。』
食いつくわけ。(笑)
で、彼が言うには、
やはりこういうサービス業をしていると
様々なお客様と接するわけで、
美容師ともなればそれなりにお客様との
トークを繰り広げる中で、ある種の
政治活動や宗教活動をしている様子が
分かって来るのだとか。
でも、そこはやはりサービス業ですから
それらの活動をうっかり否定しよう
ものならば、営業上支障があるわけで
気を使う部分のようです。
よって、日頃からそのような個人的
思想活動に対しては、中立の立場を
取るように心掛けているのだ、という
のが今回のテーマ(笑)だったわけよ。
『憲法でも宗教の自由は
謳われているわけですから、
否定する権限は誰にもないでしょう?』
ね?
これを髪の毛を切りに来た女性客に
振ってくるのですから、かなりの
変わり者なのですよ。(笑)
ところが、過去に
『どうなんだ?
宗教???(;´Д`)』
と思うことがあり
自分では信仰を持たないことを
心に決めている、というのです。
それは、高校生のころ。
バイクに乗り始めた同級生が事故に
遭ったという。
幸い、内臓破裂とか脊椎損傷とか
脳挫傷などという重い状態ではなく
外傷による出血多量で、ショック状態に
陥り、意識がなくなっていた。
医者は
『輸血をすれば、
意識は戻ります。』
と言って家族に輸血を奨めたのだが、、、
このご家族がある宗教に入っていた。
そこで信仰上『輸血は出来ません。』
と輸血を断ったと言うのです。
夫婦揃って。
『おかしくないですか??(゚Д゚;)』
美容師さんは声を荒げるわけよ。
『輸血すれば、全然助かるっつってる
のに、輸血はしませんて、
おかしくないですか??』
『そ、そうですよね。
う~ん、私も無宗教なので
なんともそのご夫婦の気持ちを察する
ことが、出来ませんが、、、
自分なら、そうは言いませんよね。』
そんな掛け合いをするんですよ。(・ω・)
結果、、、その同級生
亡くなられたんだそうです。。゚(゚´Д`゚)゚。
『特に仲が良かったわけじゃ
ないんですけれども、同じクラスにいて
普通にしゃべってたんですよ。
死んじゃったんですよ。
親に輸血してもらえなくて。
マジで、引きましたよね。(ノД`)
有り得なくないですか???』
さらには
『宗教の自由って言いますけれども、
もし、親が宗教を信じていたら
その子どもは間違いなく
自分の意志とは
関係なく、同じ宗教を
信じることになりますよね??
それって《自由》って言えるんですかね
??選んでもいないのに《自由》って
言えるんですかね??』
確かに。(゚Д゚)
その上、自分の意識がない状態で
『輸血は出来ません。』
て、本人的にはしたかったかも
知れないですよね???
信仰とか関係なくて、生きたかった
かも知れないですよね????
それって本人の《意志》じゃないです
よね????
確かにね。
『親の信じることを
子に背負わせるのか』
という問題は、宗教に限ったことではなく
子どもを育てる上で、
親がもっとも気にするべき問題だと
私は常々感じております。
分かりやすい例で言えば、
『医者の子は医者になるのが
幸せなのか?』とか
そういうことも、結局は自由意志なのか
親の意志なのかとか、そういう問題に
なって来るのだと思うのです。
《何を信じるのか》
というのは平たく言えば
《何を幸せとするのか》
と言うことであり、
医者になって幸せだと思えば
自分の子どもにも医者になって欲しい、と
願うのだろうし
大学なんか出なくても、
十分幸せになれる、と思えば、子どもにも
『大学なんて出なくたって良い』と
言うのだと思うのです。
田舎では子どもを
都会に出したくないあまりに、
『あなたはこの土地に
家を建てて一生ここで幸せに暮らすのよ。』
と、小さい頃から言い続けます。
『東京へ出したら、
向こうに好きな人が出来て
田舎に帰って来なくなるんだから
女の子などは勉強させなくても良いん
だよ。(*・ω・)ノ』
とさえ言う、お年寄りもいるのです。
世間の何たるか、を知らないうちから
大人がその子の人生を左右するような
ことを言うのは、何だか気の毒な
気がします。
ですが、いくら自由意志と言えども
所詮『人生一度目』の子どもたちに
唐突に『なりたいものになりなさい』
などと言ったところで、いきなり
なりたいものがひらめくわけでも
ないことは、分かっているつもりです。
そうなると、自分がどう育ったのか
と言うことぐらいしか、指標がなくなって
来るのですが、、、
もはや『親がどう育てた』
なんてこととは全く関係なく、
『なるようになった』
としか思えない自分が今、
ここにいるばかりなんですよね~。(-_-;)
きっと、いまの私も
《親がこう育って欲しい》と願った私
とは、かなり違うのだろうと想像がつく
わけで・・・。
そうすると・・・
もはや子育てに正解なんかあるの
だろうか、という
とてつもなく深い闇に突き落とされて
いくようで・・・。
美容師さんとの
会話が深すぎる!!
(゚Д゚;)
そういう話でした。(*・ω・)ノ