こんにちは侍ままんです。




大阪北部を震源とする
地震が発生しました。




かつて大阪府は茨木市に
住んでいたままんとしては
他人事ではない。。゚(゚´Д`゚)゚。
去年の夏休みにかつて住んでいた
マンションを訪れたりもしたのです。




また、9才の女の子が
亡くなられたということで同じ年頃の
子どもを持つ親としては
本当にいたたまれない気持ちで
いっぱいです。




地震と言えば我々の記憶にも新しい
東日本大震災が起こったあの日。
ままんは2歳にもならない三女さんと
2人で自宅におりました。
あの日のことは忘れもしない。


長女さんが、新品の鉛筆にキャップを
付けても入る長さの筆入れを作れ、とか
言うもんでお昼ご飯も食べずにミシンと
格闘していた。
2時を回った頃、いい加減お腹が
すいたと思い、ミシンを片付けて
台所でうどんを茹でていた。
その時、わずかな揺れを感じました。
ここでままんはなぜかイヤな予感が
したのです。
うどんが鍋に入ったままでしたが
すぐさまガスを止めて、
リビングで遊んでいた三女さんを
かっさらい慌てて玄関から外へ出たのです。
ふだんの地震であれば絶対に
そこまでのことはしなかったはずなの
ですが、あの時はなぜか
『これはヤバい』と思ったの。(゚Д゚;)



本格的に揺れたのはその後のこと。



まるでスケボーに乗っているかの如く
大地が大きく揺れ始めたのです。
今でもはっきりと足の裏の感覚を
覚えているのですが、
本当に大地の下がこんにゃくのように
グニャグニャしているのが感じられました



この時点で外に出ている人は
誰もいませんでした。
それで、ふと思ったのです。
『もしかして、こういうときって
家の中の方が安全なの???(;´Д`)』
外にいてもしも電柱とかが倒れて来たら
直撃ですもの。
だけれども、崖ごと崩れたとしたら
家の中にいるのは危険すぎる(゚Д゚)!!
(結構な崖っぷちに家があったので)
よって、瞬時には正解が分からなかった。
そこでままんは、そのまま
外にいることを決断し、電柱と崖を
代わる代わる確認することで、
もし電柱が倒れて来たならば
それをよけて、崖が崩れたならば
反対方向にダッシュしよう!!と心に
決めたのです。(幼子を抱えながら)



いま思えば
電柱が倒れるスピードも
崖が崩れるスピードもままんの
ダッシュで交わせる代物であったはずは
ないのですが、そのときはマジで
出来ると信じて疑いませんでした。



で、そんなままんの目に飛び込んで
来たのが、大きな揺れが起こる度に
引いた方向とは反対側にドミノの如く
バタバタと崩れていく大谷石の塀。



近所には大谷石で作られた塀を持つ
家がかなりありました。
完全に地域性でして、栃木県の塀といえば
大谷石、というほどに大谷石の塀は多い。
だけれども塀にする割には
見た目の美しさに反してとにかくモロい
のが特徴なのです。
軽石のように中が空洞になっていて、
たしか子供らがカリカリしても欠けるほど
ではなかったでしょうか?
そしてそれを積むときには中に
鉄筋を入れずにセメントで固定する
のみなのです。



直線で100mほどある通りの両側で
面白いほどに煙を上げて
バッタバッタと崩れていく大谷石
それはまるでハリウッド映画を見ている
ようで、まったく現実味のないものでした。



けれども、あとから考えれば
あの通りって普通に通学路。
たまたま子ども達は学校で下校の準備をして
校庭に集まっている状態で地震に遭遇して
いたので、被害はありませんでしたが
わずかにタイミングが
ずれていただけで何がどうなったか
分からないのです。




あの日から
ままんは『塀は崩れる』
そう心に留めています。
今も近所に倒れそうな塀があるので
日頃から『ここは塀寄りに
歩いてはいけない』と子どもたちには
言っています。
でも。。。
塀に寄って歩くことは、道の端を歩く
ことであり、塀から離れて歩けば
今度は車に轢かれる危険がある。

どうすりゃいいんだよ(;´Д`)

結論としては不要な塀はなくて良いと
思うのです。
つまりは、安易に塀を作るべからず。
それしかないと思います。
フェンスで代替え出来るならフェンスに
して欲しい。
なぜなら塀は崩れるのだから。
もともと石造りの文化が栄えた国には
地震がないのです。
地震の国には石造りは相応しくない。



文化というのは長い時間をかけて
作られるもの。



これを機に、今ある塀が本当に
必要なのかどうか
根本的なところから考え直してみては
いかがでしょうか。




余りにも短かかった命から
我々は何かを学ばなければならないと
思うのです。



故人のご冥福をお祈りいたします。