こんにちは侍ままんです。



昨年の秋。
我が家の三女さんが
『学校で昆虫の絵を描くから
明日までに昆虫図鑑を買ってくれ
(・ω・)』
夕方も6時を回ろうかという頃
かぐや姫も真っ青な無理難題を
言ってきたことがありました。
当然うろたえましたが
そういえば我々は本屋さんからほど近い
ところに住んでいたんだっけ(*・ω・)ノ
すぐさま旦那様に連絡を入れて
会社帰りに昆虫図鑑を買ってきて
もらったのです。



そのとき買った昆虫図鑑を見て
描いたという《アゲハチョウ》。
秋に学校の体育館で行われた美術展覧会
見に行くと、とても良く描けていました。
『下書きを描いているときから
みんなに上手だね~ってほめられたの。
( ´艸`)』
こう言ったらなんだけど・・・
同じ学年の子が全員で
『昆虫とわたし(ぼく)』みたいな
お題で描いた絵なんだけど
三女さんの絵は群を抜いてうまかった。
(゚Д゚)


なぜならば・・・
他の人の絵は『こう描いたら
ちょうちょに見えるだろう。』
っていう絵だったから。
つまりはだいたいの人は∞こういうのに
触角をペッペッ(笑)って描いて
『はい、モンシロチョウ(*・ω・)ノ』
というのだったの。
その中三女さんのアゲハチョウときたら
黄色地に黒のクレヨンで描かれた
筋模様が良い具合ににじんで
まるであのアゲハチョウの粉っぽい
“りんぷん”までを
再現しているようなリアリティだったの
ですよ。(゚Д゚;)


とにかくうまいかどうかということ
よりも、リアリティのある絵を描いたの
が三女さんだけだったの。


それはつまり、三女さんが
図鑑で見たアゲハチョウを見たままに
描いた結果であり
絵を描くというのはすなわち
《見たままを描く》作業だった
のだな~といまさらながらに
確認させられた(一応美術系大学卒の)
ままんでした。


この結果を見ると
あの時多少面倒でもきちんと図鑑を
買ってあげてよかったな~と
思わずにはいられません(笑)。(≧∀≦)



そうか。
絵というのは先入観で描いたとき
とたんにリアリティが
消え失せてしまうもの
だったんだね。(゚Д゚;)
今更ながらに《絵》というものの核心に
触れた気がしたのです。



多くの人にとってこの
《見たままを描く》という作業は
とても難しい。
大人になればなるほどに、空は青いとか
リンゴは丸いとか余計な先入観
邪魔をしてリアリティのある絵というのは
描けなくなってくる気がします。



私、今思い出しましたが
それを如実に表す事例に出くわしたことが
あります。
それは《似顔絵》。
かつて、いただいた年賀状に載っていた
家族写真をイラストに描いてお返しする
という結構面倒くさい作業(笑)を
したことがありまして・・・(^。^;)
その時よ!!!
友だちの旦那の顔というのは割と
似るんです。でもね、勝手知ったる
親友になればなるほど顔が似てこない
という現象に悩まされました。

これはまさに!!先入観。(゚Д゚;)

外からは分からない性格を知っている
だけに《優しい顔にしよう》とか
ちょっと《辛口な感じを出そう》とか
余計な欲が出る、
すると見たままで描けない。
よって似てこないわけです。(;´Д`)


一方、友だちの旦那なんて人は
全く中身を知らないものだから
ただただ見たまんまを描く。
すると『私、超すごくない??
この人に一回も会ったことないのに
恐ろしいほど似てる絵が描けたよ(゚Д゚;)』
心底驚いたものですよ。


知らない方が真実を捉える。
そういうこともあるんですね。(*・ω・)ノ



《先入観》
生きていく上でも段々と先入観が
邪魔をして真実が見えなくなってくる
ことってありますよね。



そう考えるとリアルを描くという作業。
煩悩を削って削って見たままの姿だけを
紙に印していくというその過程は
“お絵かき”というよりは
何かの修行のようですらあります。
絵を描くって深いな~~~滝汗アセアセ
なぜかいまさら感動しましたね。(笑)



で、先入観で思い出される
忘れられないエピソードをご紹介したいと
思います。

その昔、三女さんが2歳くらいのころ。
髪の毛が薄くて、短くてぱっと見
男の子か女の子か分かりませんでした。
それは小さい頃には良くあることだと
思うのですが、、、。
温泉に行ったときのことです。
脱衣所で裸ん坊の三女さんとすれ違った
4、5才くらいの女の子が
すこぶる大きな声で言いました。

『お母さん!!
あの男の子おちんちんが
ついてないよ!!(゚Д゚)』



人という生き物は
何をもって真実とするのか真顔


見たままを信じること。
それはとても難しいことなのかも
知れません。真顔