こんにちは、侍ままんです。



前回、うち子平和ボケじゃ
ないのかしら???(ノД`)アセアセ



って悩み事を書きました。



というのも
私、自分が《貧乏》の枠の中で
育ったという認識なんです。
ですから人生初の目標が
『貧乏から抜け出す』だった。(*・ω・)ノ
それはおそらく物心ついたときから。
いま、なかなかいないよ、
そんな目標持ってる人。(・ω・)
ですから、この時点で我が子とは
育った環境があまりにも違うわけです。
。゚(゚´Д`゚)゚。


で、そんな私は
自分で貧乏を自覚して育ったものですから
もし将来家庭を持ったならば
自分の子どもには良い生活を
させてあげたいなぁ、とかなり昔から
漠然と思っておりました。
(といっても、水洗トイレがあるとか
冬の朝、蛇口からお湯が出るとかその程度の
ことが、当時の私の中での《良い生活》だったの
ですが(^。^;))



で、大人になって家庭を持って
子どもの頃自分が願っていたよりも、
もっとずっと文化的な生活の中で
自分の子どもたちを育てるという幸運に
恵まれるわけですが・・・



なんかね。
仕上がった?子どもが
自分が思ってたのとちがうわけ。



出来上がったのは立派な?
根性なし。
何?これっっっ。
なんで???(゚Д゚;)



いやこの感覚、実は知っています。
子どもの頃、文化的な家に住んでいる
友だちはみんな『こういう感じ』でした。
良い家に住んでる子たちは
『鉄棒?やったことない。』
『マッチ?つけたことない。』
『ほうき?使ったことない。』
それゆえ学校の先生方は
『まったく!!
今時の子供ときたらっっ(゚Д゚)アセアセ
あきれておいででした。
そんな時代に
蛇口からは凍える水しか出ない
貧乏住宅に住んでいた小学生ままんは

鉄棒で自由自在にグルグル回り
小刀で美しく鉛筆を削っていた。
シャッシャッキラキラ(笑)

『君は実にたくましいねえ(゚Д゚)』

当時はそんな賞賛(?)の意味など
まるで分からなかった貧乏人ままん。
今なら分かる。
貧乏人はどこまでもたくましい。( ・_・)



ままんがどれだけ
たくましい育ち方をしたのかを
少し説明させていただきますと。
当時ままんが住んでいた家というのは
友だちが遊びに来ると
第一声が決まって
『本当にここに
毎日住んでるの???
(゚Д゚;)』
そういうレベルの家でした。タラー
時代は昭和の終わりから
平成になろうと言う頃ですよ。
具体的には家族4人に対して
広さは四畳半と六畳間にわずかな台所。
それにぼっとん便所。
ほぼ半屋外のすきま風差し込む風呂場。
そこになぜか部屋の面積と同じくらいの
庭が付いておりました。
それで、母は
『うちには金がない(・ω・)』と言い
父は『オレは勉強したことがない(・ω・)』
と豪語?していた。


そういう環境。


友だちの家は軒並み
二階建てでインターホンがついていて
当然水洗洋式トイレだった時代に、です。


ゆえに幼い私の心には

勉強しないと
→お金がなくて
→家がボロい

この公式が深く刻まれたわけです。

身をもって体験した貧乏生活。
いつか絶対に金持ちと結婚して
お湯の出るシャワーで頭を洗ってやる!!!
えーんえーんえーん
強く心に誓った思春期。(笑)
でも不幸ではなかった。
だって、片親が早くに亡くなったとか
病気で寝込んでいるとか
そういうことではありませんでしたから。



いま、あの状況を正確に
説明するならば
『普通に収入のある家族が
やたらとボロい家に住んでいた。』
そういうことだったんだと思います。



そしてもっと言うならば
うちの親はとにかく生活にお金を
かける気がなかったんですね。
または、《良い家に住む》ことに
興味がなかっただけなのかも知れません。
それが結果的に
《もっと良い家に住みたい》という
子どもの反骨精神を育てたのです。


そう、つまり
うちの親はうまかった。(゚Д゚)
収入がそれほど良くなくて
お金がないのは本当だったのかも
しれないけれど、
ちゃんと会社員だったわけだし
頑張ればもうちょっと良い生活は
出来たと思うのよ。
でも、それをしなかったんだね。
それは恐らく
実力以上で頑張って生きることよりも
実力以下で楽しく暮らすことを選んだ
ということだったんだと思うのです。


《家なんかボロくても
楽しく暮らせるぜ。
見栄なんか張ったって
疲れるだけさ。(*・ω・)ノ》



そんな無欲な親に反発するように
がむしゃらに生きてきたままんですが。。。
あれ????
いざ、我が子を見たら

『うちの子!!
弱々やんっっっ(ノД`)アセアセ

ちょっと良い家に住まわせて
ちょっと良いもん食わせて
ちょっと楽しいところに連れて行って
育てて差し上げたならば・・・

全っっっ然っっっ!!
やる気のない人になっとるからっっっ!!
ポーン



なんで???チーン



片やうちの実家。
その昔あんなにボロボロの家に
住んでいたのに、それが取り壊しになる
ということで立ち退きを食らったら・・・


あっさり二階建ての現代住宅を
お建てになった。(゚Д゚;)



金・・・あったんじゃん。ポーン




その後も、家のローンで金がない
ということで、大学は国立のみ(*`Д´*)
という条件を突きつけられたままんは
手の甲に鉛筆をぶっ刺すことで(笑)
どうにか国立大学の狭き門をくぐる
ことに成功します。
それでも金がないということで
大学に通う四年の間を一円の仕送りを
もらうことなく過ごし、無事卒業。。。
(どうやって生きていたのか今となっては
全く記憶がありませんが、、、おそらく
バイト代のみで生活していたのでしょうね。
不思議と全然辛くなかったよ(*・ω・)ノ)


で、四年後に実家に帰ったら
母の歯並びがすげえ綺麗に
なってました。キラキラ


金・・・あったんじゃん。えーん



とにかくうまいんです、うちの親
(主に母親)滝汗
子供にお金をかけない覚悟が
ハンパねえのよ。



今思うのは。。。
あたい、母ちゃんには勝てねえチーン
あたいの子育ては
つい可哀想になってお金かけたく
なっちゃうんだ。アセアセ
我が子の野生の底力(?)
イマイチ信じることが出来ません(-_-;)
だからヤツらはいつまでたっても
手の甲に鉛筆ををぶっ刺すほどに、
がむしゃらに何かを頑張ることはないの
です。


それは一重に《育て方》に
起因すると言えるのかも知れない。


はぁ・・・さて
親の使命とは何でしょうか?


子供から感謝される親とは
一体どんなものなのでしょうね。
優しい親なのか、
はたまた厳しい親なのか。
優しいとは?
厳しいとは??
子どものためって何だろう??滝汗



ままんは長いこと
金がないという親を恨んで(?)その力を
バネにして生きてきました。
今思うのは、
してやられた!!(゚Д゚;)
まんまとはめられたのです。



でも、結果的には
両親の徹底した《貧乏政策》のおかげで
ままんは本来出現するはずのなかった
DNAを活性化させることが出来た。
貧乏がいまの私を作り上げたのは
まごうことなき事実なのです。



『苦労は買ってでもしろ』
深いよね。ゲッソリ
でも子供に《苦労》を買い与える
勇気・・・みなさんにはありますか?
凡人的には苦労させないために
お金を払うってのが正しいように
感じませんか??滝汗
それを苦労にお金払うって・・・
つくづくすごい発想だと思います。



映画好きのうちの母が好きな作品に
『はだしのゲン』があります。
子どもの頃良く見せられました。

父さんは言いました。

ゲン、麦は
踏まれても踏まれても
それでも空を向いて
強く強く育って行くもんだ。
そういう人になれ。真顔


一生懸命に育てたモノを踏みつける。
今を生きる我らにも
そういう覚悟が必要なのでしょう。


嗚呼・・・
人生って深いなああああああゲロー