小学2年生まで、ままんは男の子としか
遊んだことがありませんでした。

なぜなら近所に住む子供が男しかいなかったから。
物心ついたときから、常に5、6人の野郎に囲まれながら
過ごしていました。
男の子は遊びの途中でトイレに行きたくなると、
決まってその辺で「立ちション」します。
・・・そういえば今どき立ちションしてる人って、
そんなに見かけませんよね・・・( ̄Д ̄;;
響きすらどこか懐かしい・・・(゜д゜;)


「かくれんぼ」の最中に家に帰ってトイレ、なんて効率の悪いことは
しません。その辺で済ませます。
だから私も必然的に立ちションならぬ「座りション」をしたものです。
こういう不公平?からも男は便利で良いなあ、と思ったものです。



そんな座りション人生を送っていたままんに、
初めて女の子の友達が出来たのが小学2年生の時。
うちから歩いて5分くらいのところに、新しく家を建てて
引っ越してきました。
それが「こんちゃん」。
こんちゃんちは、お姉ちゃんと二人姉妹。
男漬けの毎日を過ごしていたままんにとって、
まるで別世界から来た、お姫様みたいな存在でした。
おまけに家は新築です。現代文明の恩恵を余すことなく備えた
その家はまさに「セレブ!!!」の1品。
ボロ長屋に住んでいたままんにとって「こんちゃん」は
まるで未来から来た”セワシくん”に匹敵するほどに輝いて見えました。


それは赤毛のアンから見た『ダイアナ』のよう。
そう、うちの母が「赤毛のアン」の大ファンだったものですから
昔からままんは、自分をアンと重ねて見ることが
多々あった気がします。
やせっぽっちのみなしごアン。
無愛想なマリラと人付き合いの苦手なマシューの間で、
それでも深い愛に包まれて成長していく物語。
自由奔放で度々騒ぎを起こしますが、
一生懸命に勉強して学校の先生になる。
・・・こうして改めて振り返りますと、
なんだかままんの人生にかなり
近いものを感じますね・・・(゜д゜;)

極度に面倒くさがり屋の母と、勉強はしたことねえ、
と言い放つ父。
貧乏に打ち勝つために勉学に励むままん・・・( ̄_ ̄ i)
当たらずとも遠からず・・・なのか?



さて、そんなわけでこんちゃんとはクラスも一緒になり
すぐに仲良くなりました。
しかし私とこんちゃんではあまりにも住む世界が
違う気がしていました。
こんちゃんはとにかく何でも良くできる。
顔は可愛いし、勉強は出来るし、運動神経抜群。
かけっこは学年でダントツの1番でした。
そして何よりのお金持ち。
お母さんは優しくて、器用でまめで、教育熱心。
家には犬を飼っており、広い庭には”芝生”が敷いてありました。
正直こんな子とお友達になって良いものかと、
尻込みした気がしますが、こんちゃんやこんちゃんのお母さんは
特に「生活の違い」など気にする様子もなくとても親切にして
くれました。


こんちゃんと遊ぶようになって、すぐに問題に直面しました。
こんちゃんは『一輪車』に乗れたのです。
前にいた学校が一輪車を推進していたため、自分でも持っていて
完璧に乗りこなしていました。
それまで一輪車なんてものが、この世に存在していることすら
知らなかった貧乏ままんはそれはそれは驚いたものです。

「乗ってごらんよ」
勧められるままに乗ってみたりしました。
もちろん出来ません(-。-;)
しかもこんちゃんはわりと大きな子です。
栄養失調ままんにはこんちゃんの一輪車は大きすぎました。
でもこんちゃんはスポーツ万能、頭脳明晰を絵に描いたような
さわやか少女です。
「ままんちゃんが乗れるまで特訓をしてあげる!!」
特訓が決定しました。
自分でスポーツが出来る子、というのは出来ない人が信じられないん
でしょうね。なんとかして乗れるようにしてあげたい、という
こんちゃんの純粋な親切心だったのだと思います。
ままんも昔からの負けず嫌い。
出来ないことがあれば、とりあえず出来るようになりたいと思って
いたので、こんちゃんと一緒に特訓をすることに決めました。


なにより一緒に遊んでくれる女の子はこんちゃんしかいないのです。
ままんは長年、女の子と遊ぶことを夢見て生きてきました。
座りションじゃなくて、ちゃんと家のトイレで用を足す生活に
どれだけ憧れていたことか。
ここで「こいつ、つかえねえ(-"-;A」
と思われて、遊んでもらえなくなったら女の子と遊ぶせっかくの
チャンスをドブに流すようなものです。
また座りション生活に逆戻りなのです。
なんとしてでもそれだけは避けねばなりませんでした。
ここは歯を食いしばってでも一輪車を習得し、
こんちゃんに『ふさわしい』お友達になる必要があるのです。
ままんは必死でした。



しかしながら大きすぎる一輪車ではなかなか思うように
上達しません。
しかもこんちゃんの一輪車を借りている限りでは
こんちゃんちにいる時しか練習が出来ないのです。
こんちゃんも私に貸しているだけでは、面白くないでしょう。
ままんは自分の一輪車が欲しくなりました。
しかしうちは『貧乏』です。
おまけに当時は、今のようなホームセンターなんかありません
でしたから、一輪車なんて
「そのへん」に売っている代物ではなかったのです。
うちの面倒くさがりの親が(母親だけですが・・・)
わざわざ一輪車がどこに売っているのかを調べて買ってくれる、
なんて可能性は果てしなく低いものでした。
親にしてみれば、どうせいつまで続くか分からないものを、
わざわざ苦労して買う必要もあるまい、
と思ったのに違い
ありません。
(しかし、結果から言うとこのあと1年365日、3、4年にわたって毎日
一輪車に乗っている”一輪車少女”として私とこんちゃんは近所で
有名になるのです。このときは誰も想像していなかったことでしょう。)


さて、困ったぞ、と思ったとき。
神様はいるんですね。Σ(゚д゚;)
なぜかうちのいとこの家で、一輪車が発見されます。
「いつか誰かにもらったものだが、
誰も使っていないからあげるよ。」

すばらしい!!ヾ(@°▽°@)ノ
しかも驚いたことにサイズがぴったり。
神様は見てるんですね。ホント。
こんちゃんちの最新鋭の一輪車に比べますと、若干見劣りしますが
この際そんなことを気にしている場合ではありません。
私はありがたくいとこから一輪車をもらい受けました。


それからままんとこんちゃんの
『猛烈一輪車ど根性人生』
が始まるわけです。
来る日も来る日もとにかく一輪車に乗りました。
学校から帰ってきて、辺りが暗くなるまで、下手すると暗くなって
前が見えなくなっても練習していました。
とにかく毎日です。
私たちの遊び方はいつもこうでした。
一輪車をマスターしたあとも、バドミントンやカールルイスごっこ
(急斜面の芝生の上を下に滑り落ちる前に走りきる、という遊び)など
何をやるにしても、とにかく出来るまで、ひたすらに練習を繰り返す。
ときには雨や台風でもやる。
暴風の中、向かい風に向かってバドミントンをやったこともあります。
「あ~~もう暗すぎて羽が見えないから、限界だ!!(。>0<。)」
といって渋々終わりにしたものです。
とにかく遊び方が『めざせ全国制覇!!』的でした。
その辺の部活なんかより厳しかった気がします。


部員2名。
「ばっちこーい!!」
どちらともなくそういう性格だったのでしょうね。
きっと両家の親はあきれていたはずです。
「よくやるね( ̄□ ̄;)」
しょっちゅうそう言われていました(笑)
でも私たちはそういうやり方がすごく楽しかったし、
ものすごく充実していました。
大抵こんちゃんが先に出来るようになります。
でも、私は絶対にあきらめなかったし、こんちゃんも
馬鹿にすることなく熱い声援を送ってくれました。
そして二人で出来るようになったときには本当に心から喜んだも
のです。
なので私たちはいつしか固い友情で結ばれるように
なりました。

たまにしゃべることがなくて二人で黙っているだけで、
「けんかでもしたの?」と心配されるほどです。
いや、うちらだってそんなに年がら年中しゃべってたら疲れるじゃん
(^▽^;)



だからね・・・ままんは自分の子供の頃がそんな感じだったので。
うちの子らが、バスケにしろチアダンスにしろ出来ないくせに
さっぱり練習しようともしないのが・・・
信じられないっっっ
(°Д°;≡°Д°;)

お金払ってて、毎週先生の前で披露したりするのにも関わらず
平気で出来ないまま行こうとする!!!
理解不能・・・・
( ̄Д ̄;;

ままん「ばっちこーい!!」しか経験ないものですから・・・
( ̄ー ̄;



こんちゃんとはそのあと5年生くらいまで仲良く
「ばっちこーい」してました。
でもそのあとはなんとなく疎遠になっちゃった。
クラスが変わったりしたのもあるし、
何よりこんちゃんは学年でも目立つ、
優等生の地位を確立していきました。
ままんは地味な普通の子。
そんな雰囲気が漂ってきて・・・
たぶんこんちゃんはそんなこと気にしてなかった。
なんとなく私の方が気が引けてきたんですね・・・。
私がこんちゃんのそばにいると、こんちゃんに申し訳ない。
こんちゃんは出来の良い「もっとふさわしい」お友達と
遊ぶべきなんじゃないだろうか。



ミニバスもこんちゃんの勧めで始めました。
ミニバスに行けばこんちゃんは「スター☆」
でした。

私なんか一向に上手くならなかった。そのあたりから
こんちゃんの友達でいるのが辛くなった気がします。
その後中学に入ってこんちゃんはバスケ部に入りました。
ままんは吹奏楽部に入りました。
こんちゃんは卒業後バスケの強豪校に進学しました。
ままんは遠くに引っ越しました。


それ以来こんちゃんには会っていません。
でも、今でもこんちゃんと過ごした日々は
人生で一番楽しかった瞬間です。


自分の限界に挑戦することを教えて
くれたのはこんちゃんです。


励まし合うことを教えてくれたのも
こんちゃんです。


たった二人のチームでしたが、掛け替えのないチームメイトでした。
こんちゃんと二人で『全国制覇!!』を目指した日々が、
いまのままんの人生の根底を支えている気がしています。


こんちゃんはその後どうしたのかな。
きっと素晴らしいスポーツマンになったに違いありません。


きっとままんが今、バスケファンなのはこんちゃんと無関係では
ないはずです。


こんちゃんありがとう。
ままんを座りション人生から救ってくれてありがとう。
いつかまた会える日が来ることを祈っています。
ままんはあのたくさんの日々を決して忘れません。