前回、わたくし大学卒だからといって
決して、昔から頭脳明晰だったわけではない
というお話をしました。
これ、むしろ頭脳明晰どころか、
若干お馬鹿だったんですよね・・・
小さい頃・・・たぶん(-"-;A
発達障害に近かった・・・というか、そうだった・・・というか。
なぜかというとですね。
ずっと体が小さかった話はしましたが。
小5の時に靴のサイズ18センチ、体重18キロ
だったのを覚えています。
しばらく私の中では20というキーワードが燦然と輝いて
見えてまして、早く20センチの靴を履いて、体重計が20キロを
指さないかなと密かに思っておりました。
21.5って言ってみたかった!!
「てん、ご」って。分かります??
今考えると信じられないですね。
長女さん小6ですけれど、靴はもうすぐ24センチですし、体重は
軽い方ですが32キロくらいはあるはずです。
そりゃあ、あだ名は『栄養失調』だったはずですよね(笑)
現在次女さん(小2)が靴のサイズが19センチで体重が18キロ。
それでもみんなが20キロを越えている中、
自分だけ10キロ代だといって嘆いております。
大丈夫!!お母さんは小5で今の君のサイズだったが、
大人になったら普通になった。
どんまい!!о(ж>▽<)y ☆
と、体のサイズはとにかく群を抜いて小さかったのは確か。
その上、おねしょは小5までしてましたから・・・
びっくりΣ(゚д゚;)
母親が宿泊学習に行く前に
「とにかくみんなの前で恥をかくのだけはやめてくれ!!」
と懇願していたのを覚えていますね(;^_^A
周りの女子が、生理だわき毛だあそこの毛だ、
と騒いでいるときに、まさかおねしょの心配をしていたとは!!
子育てしてみて、うちの子供たち3歳でおむつ取れてから
数えるくらいしかおねしょなんかしてませんから。
三女に至っては2歳半で勝手に教えてもいないのに
自分でおむつを脱いでパンツになりました・・・
(((゜д゜;)))
それ以降たぶん一回もおもらしとかおねしょとか
したことないんですよ。
すごくないですか!!
へ~~っ!!普通の人ってこんななの??( ̄□ ̄;)
私が一番驚いたっていう・・・(笑)
正直、当時から自分でもちょっと普通じゃないなとは
思っていましたよね。
それまでも幼稚園ではおもらしなんて日常茶飯事。
なにしに幼稚園に行ってるかって、パンツを借りに行っている
みたいな感じだったのではないでしょうかね・・・
工作やお遊戯会なんかも、先生に言われていることが
全然出来なくてほとんど泣いて過ごしていました。
年長さんのときの『人魚姫』も最後に幕と共に出て来る
主人公の人魚姫を迎えに来た天使だった気がします。
(以前わかめ役と書いたことがあるんですが記憶違い・・・
たぶん天使ですね 笑)
出演時間たぶん「2秒」くらい・・・。
おそらく先生が出さないわけには行かないので、
無理繰りつけた役だったのでしょう・・・( ̄ー ̄;
そんな感じに、とにかく小5くらいまでは、大人の言っていることが
さっぱり分からなかったんですよ。聞こえてはいたけれど、
脳に響かないというか・・・。
なので自分でも完全に”自分は出来ない子だ”と
自覚していました。
学級委員長なんかほど遠い存在でしたし、賞状なんかも
自分がもらえるものだとは思っていませんでした。
先生から「ひいき」されている子を見ては、
「いいですね出来る子は」と思っておりました。
これがね、ある日突然、霧が晴れるように
周りのことが分かるようになったんです。
小5の時です。
何かに取り憑かれてたんですかね(笑)
勉強も出来るようになりましたし、がんばる、という意味が分かる
ようになってマラソンなんかも早くなりました。
絵画コンクールで賞を取ったりして、賞状をもらいました。
でも、ここでひとつ学んだことが・・・(;´Д`)ノ
一回賞を取ると、先生は期待するんですよ。
次に描いたときに、大したものが出来ないと
「お前はもっと描けるはずだ!!」
とかいって、放課後に残されて描き直しをさせられたんです。
私は自由人なので、拘束されるのが大嫌い。
「オレはお前の功績のために絵を
描いてるんじゃねえっっ
!!!」
さすがに先生には言わなかったようですが
母は「あんたはしょっちゅう先生の悪口を言っていた」
と言っています(笑)
そう。
昔から発育は遅かったのですが、
人間観察がハンパじゃなかったと
いまだに母に言われます。
「先生は自分の身の保身のために
子供を利用している」
みたいなことを常々言っていたらしく
「意見が到底子供らしくなかった」そうです。
出来ない子には人間の『ダークサイド』がくっきりと
浮かび上がって見えていたのかもしれません・・・(((゜д゜;)))
で、晴れて”出来ない子”を卒業しまして、
”がんばる子”になりました(笑)
いままではなにをやってもまともに出来なかったんですから。
”がんばれば出来るようになる”なんて
これ以上楽しいことはありません。
なにごとも全力で取り組むようになりましたね。
そして現在に至る~。
がんばらないやつを見ると腹が立って
仕方がありません(笑)
頑張れば出来るんだよ~~~
(;´Д`)ノ
なんでやらないの~~~????
かつて”出来ない子だった私”には、
理解が出来ませんよ。
なんてもったいない。
だって、ほとんど人生あきらめてましたから。
10歳くらいまで。
そこからの敗者復活です。
死刑宣告から逆転勝訴ですよ。
勝ち取った人生は大いに楽しまなくてはもったいないでは
ありませんか!!!
私の人生
『晩成する静かなる大器』
宿命だと思っております。
私の人生は確実にこれから!!
なんですから。
ちょっとうちの子・・・(゚_゚i)
と思っているお母さん方。あきらめなくて大丈夫。
うちの母はあんまり私が言うこと聞かないんで(?)
自由人だったからでしょうか・・・
まじで放っておいたんですよ。
そしたらわりとちゃんと育ちました(笑)
うちの母、今になって周りから「あんた子育て大成功だけどどうやったの?」
と聞かれるといつもこう答えてますよ。
「ぶん投げといた ( ̄▽ ̄)=3」
奥さん!!これまじですからね。
謙遜とかじゃないんですって!!
恐るべし!ぶん投げ育児法・・・((゚m゚;)
お試しあれ??
ちょっと結果は保証できませんけれどね・・・(笑)
勇気のある方はやってみても良いかもしれませんよ。
決して、昔から頭脳明晰だったわけではない
というお話をしました。
これ、むしろ頭脳明晰どころか、
若干お馬鹿だったんですよね・・・
小さい頃・・・たぶん(-"-;A
発達障害に近かった・・・というか、そうだった・・・というか。
なぜかというとですね。
ずっと体が小さかった話はしましたが。
小5の時に靴のサイズ18センチ、体重18キロ
だったのを覚えています。
しばらく私の中では20というキーワードが燦然と輝いて
見えてまして、早く20センチの靴を履いて、体重計が20キロを
指さないかなと密かに思っておりました。
21.5って言ってみたかった!!
「てん、ご」って。分かります??
今考えると信じられないですね。
長女さん小6ですけれど、靴はもうすぐ24センチですし、体重は
軽い方ですが32キロくらいはあるはずです。
そりゃあ、あだ名は『栄養失調』だったはずですよね(笑)
現在次女さん(小2)が靴のサイズが19センチで体重が18キロ。
それでもみんなが20キロを越えている中、
自分だけ10キロ代だといって嘆いております。
大丈夫!!お母さんは小5で今の君のサイズだったが、
大人になったら普通になった。
どんまい!!о(ж>▽<)y ☆
と、体のサイズはとにかく群を抜いて小さかったのは確か。
その上、おねしょは小5までしてましたから・・・
びっくりΣ(゚д゚;)

母親が宿泊学習に行く前に
「とにかくみんなの前で恥をかくのだけはやめてくれ!!」
と懇願していたのを覚えていますね(;^_^A
周りの女子が、生理だわき毛だあそこの毛だ、
と騒いでいるときに、まさかおねしょの心配をしていたとは!!
子育てしてみて、うちの子供たち3歳でおむつ取れてから
数えるくらいしかおねしょなんかしてませんから。
三女に至っては2歳半で勝手に教えてもいないのに
自分でおむつを脱いでパンツになりました・・・
(((゜д゜;)))
それ以降たぶん一回もおもらしとかおねしょとか
したことないんですよ。
すごくないですか!!
へ~~っ!!普通の人ってこんななの??( ̄□ ̄;)
私が一番驚いたっていう・・・(笑)
正直、当時から自分でもちょっと普通じゃないなとは
思っていましたよね。
それまでも幼稚園ではおもらしなんて日常茶飯事。
なにしに幼稚園に行ってるかって、パンツを借りに行っている
みたいな感じだったのではないでしょうかね・・・

工作やお遊戯会なんかも、先生に言われていることが
全然出来なくてほとんど泣いて過ごしていました。
年長さんのときの『人魚姫』も最後に幕と共に出て来る
主人公の人魚姫を迎えに来た天使だった気がします。
(以前わかめ役と書いたことがあるんですが記憶違い・・・
たぶん天使ですね 笑)
出演時間たぶん「2秒」くらい・・・。
おそらく先生が出さないわけには行かないので、
無理繰りつけた役だったのでしょう・・・( ̄ー ̄;
そんな感じに、とにかく小5くらいまでは、大人の言っていることが
さっぱり分からなかったんですよ。聞こえてはいたけれど、
脳に響かないというか・・・。
なので自分でも完全に”自分は出来ない子だ”と
自覚していました。
学級委員長なんかほど遠い存在でしたし、賞状なんかも
自分がもらえるものだとは思っていませんでした。
先生から「ひいき」されている子を見ては、
「いいですね出来る子は」と思っておりました。
これがね、ある日突然、霧が晴れるように
周りのことが分かるようになったんです。
小5の時です。
何かに取り憑かれてたんですかね(笑)
勉強も出来るようになりましたし、がんばる、という意味が分かる
ようになってマラソンなんかも早くなりました。
絵画コンクールで賞を取ったりして、賞状をもらいました。
でも、ここでひとつ学んだことが・・・(;´Д`)ノ
一回賞を取ると、先生は期待するんですよ。
次に描いたときに、大したものが出来ないと
「お前はもっと描けるはずだ!!」
とかいって、放課後に残されて描き直しをさせられたんです。
私は自由人なので、拘束されるのが大嫌い。
「オレはお前の功績のために絵を
描いてるんじゃねえっっ

さすがに先生には言わなかったようですが
母は「あんたはしょっちゅう先生の悪口を言っていた」
と言っています(笑)
そう。
昔から発育は遅かったのですが、
人間観察がハンパじゃなかったと
いまだに母に言われます。
「先生は自分の身の保身のために
子供を利用している」
みたいなことを常々言っていたらしく
「意見が到底子供らしくなかった」そうです。
出来ない子には人間の『ダークサイド』がくっきりと
浮かび上がって見えていたのかもしれません・・・(((゜д゜;)))
で、晴れて”出来ない子”を卒業しまして、
”がんばる子”になりました(笑)
いままではなにをやってもまともに出来なかったんですから。
”がんばれば出来るようになる”なんて
これ以上楽しいことはありません。
なにごとも全力で取り組むようになりましたね。
そして現在に至る~。
がんばらないやつを見ると腹が立って
仕方がありません(笑)
頑張れば出来るんだよ~~~
(;´Д`)ノ

なんでやらないの~~~????
かつて”出来ない子だった私”には、
理解が出来ませんよ。
なんてもったいない。
だって、ほとんど人生あきらめてましたから。
10歳くらいまで。
そこからの敗者復活です。
死刑宣告から逆転勝訴ですよ。
勝ち取った人生は大いに楽しまなくてはもったいないでは
ありませんか!!!
私の人生
『晩成する静かなる大器』
宿命だと思っております。
私の人生は確実にこれから!!
なんですから。
ちょっとうちの子・・・(゚_゚i)

と思っているお母さん方。あきらめなくて大丈夫。
うちの母はあんまり私が言うこと聞かないんで(?)
自由人だったからでしょうか・・・
まじで放っておいたんですよ。
そしたらわりとちゃんと育ちました(笑)
うちの母、今になって周りから「あんた子育て大成功だけどどうやったの?」
と聞かれるといつもこう答えてますよ。
「ぶん投げといた ( ̄▽ ̄)=3」
奥さん!!これまじですからね。
謙遜とかじゃないんですって!!
恐るべし!ぶん投げ育児法・・・((゚m゚;)

お試しあれ??
ちょっと結果は保証できませんけれどね・・・(笑)
勇気のある方はやってみても良いかもしれませんよ。