夢の細胞を巡っての、衝撃のニュースがありましたね。
悲しいですね・・・。


将来的に、人を助けたいと思っていた人が、
自らの命を絶っていく・・・
なんだか本末転倒も良いところだと感じてしまいます。



責任問題、なんてこともあるんでしょうが・・・
なぜ、世間は過ちを許せないのでしょうね。


彼らは我々の誰もが真似できないような努力をしてきたのです。
真似することの出来ない頭脳を持っていたのです。
その頭脳の中に果てしない可能性を秘めていたかも
知れないのに・・・。



どうして我々は『許す』ことが出来ないのでしょう。
国のお金が投じられている・・・とか
国の信用問題とか、
組織の信用問題とか・・・
だから、真相の究明を!!
というのは最もですが・・・



戦争に似ています。
日野原先生は、太平洋戦争終結時33歳だったそうです。
その先生が言っています。


『争いでものごとは解決しない』


“人類の歴史の中で、争いでものごとが解決した例はありません。戦争にもいじめにも言えることですが、どちらかが許さない限り、「くやしい」という火種は消えないのです。
あなただけは、人を許せる強い人になってください”

(引用:2014年8月6日朝日小学生新聞)





なんかねえ・・・
平和なはずの日本で、平和を願って行われた研究で
結局こんなことになってるのは、どうなんでしょうか。
なんか、個人的にはもう許してあげたらいいと思うんです。


『投入したお金はどうしてくれるんだ!!!』
そういう意見もあるんだとは思いますが・・・
それも結局は戦争と同じ意見ですよ。
これ以上ごねると、戦争。
誰もが疲れて、誰もが傷つき、誰もが得をしません。
今あるもののすべてが壊れて、何もかもが手の中から
こぼれ落ちてしまうのではないでしょうか。


不治の病を治したいが為の研究で、
一人の、健康で優秀な人間の命が消えてしまいました。


水面に映った肉を食べたいが為に、今くわえている肉を
手放すことになる・・・・
みなさん、幻を追いかけて、本当に大事なものを
見失ってはいないでしょうか。



昨年、大学の友人の結婚式に出席した際に
同じように生物学の研究をしている、同級生男子と話をしました。
彼も海外で実績を積んで、現在日本で難しい研究をしているはずです。
「もしかして山中さんみたいにノーベル賞取ったりしちゃうんじゃないの?」
と聞くと彼は答えました。
「やだよ。オレはあんなに色々責任を負いたくねえ」
「色々気を遣って“ちゃんと”やるなんてまっぴらごめんさ」
「誰かのための研究は辛いぜ」
みたいなことを言っていました。
何となく彼の言っていたことが分かったような気がします。
有名になると「ちゃんと」やらないと叩かれるのですね・・・。
世の中、そんなに「ちゃんと」している人なんか
そうそういない気がしてしまいます。


真相を究明することが、必ずしも正義であるとは限らない。
という趣旨の推理小説やマンガがありますよね。
当事者が明かしたがらないことも、世の中にはあるのかも知れない。
必要悪、というのでしょうか。


誰にだって語りたくないことの一つや二つあるんじゃないでしょうか。
法とかに関係なくて、自尊心として・・・みたいな。


エルサだってアナの愛がなかったら
違う結末になっていたのかも知れないですよ。
『誰にも知られたくない。もしも私に触れたなら傷つけてしまうわ
もっと追い詰められれば、今回と同じ結末だったでしょう。


人間の知的好奇心は、人のあらを探すためではなく、
もっと発展的なことに使うべきだと思えてなりません。


終戦記念日を前に、怒りの感情ではなく、
人を許すことの大切さを改めて考え直す
良い機会なのではないでしょうか。



故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。