関根麻里「笑ってコラえて!の海外支局を作ろうinローマ」
所「いいですねぇ。」
関根麻里「ローマの三林支局長!」
所「いいですねぇ。」
関根麻里「ローマの三林支局長!」
三林「ボナセーラ~!今日私はですねヴァチカン市国のすぐ近くにあるビルの屋上に来ております。
ヴァチカン市国の象徴サン・ピエトロ大聖堂が今日も美しいでございます。
今回はヴァチカンに関するVTRを紹介したいと思います。」
【笑ってコラえて!ローマ支局】8/29 前編
真地勇志ナレーター;ローマ支局開設から1年5ヶ月目。
真地勇志ナレーター;ローマ支局開設から1年5ヶ月目。
三林「今回ローマで何か取材出来るものってないですかね?」
女性支局員「ローマだとヴァチカン市国は、まだやっていないですね。」
三林「ヴァチカン!」
女性支局員「ローマだとヴァチカン市国は、まだやっていないですね。」
三林「ヴァチカン!」
真地ナレーター;ヴァチカン市国はローマ市の中にある世界最小の独立国。
ローマ法王を元首とする人口およそ800人ほど。
カトリックの総本山でもある。
それがため、これまで歴代ローマ支局長は恐れ多くて声もかけられなかったのだが――、
カトリックの総本山でもある。
それがため、これまで歴代ローマ支局長は恐れ多くて声もかけられなかったのだが――、
三林「オッケーですか!?」
真地ナレーター;意外とあっさりOKが出た。
早速支局から車で20分程のヴァチカン市国に乗り込む。
三林「うわぁ~スゴイ。来ましたヴァチカン キレイ。」
真地ナレーター;大聖堂を臨む正面から、今回取材許可の下りている裏手のヴァチカン美術館へ向かうと――、
三林「スゴイ行列だなヴァチカン美術館!」
真地ナレーター;ヴァチカン美術館は常に長蛇の列で4時間待ちの日も珍しくないという。
三林「何があるんだろう?」
そうすると日本人観光客から「所さんの観てますよ~!」の声が!
三林「ありがとうございます。」
日本人観光客「スゴイ~」
三林「ご苦労様です。」
そうすると日本人観光客から「所さんの観てますよ~!」の声が!
三林「ありがとうございます。」
日本人観光客「スゴイ~」
三林「ご苦労様です。」
真地ナレーター;並んでいる方達には申し訳ないが、取材許可書のお陰で待ち時間ゼロで無事入場。
食にも音楽にも疎いが、美術にはもっと疎い三林支局長のために、学芸員が待っていてくれた。
まず向かったのはシスティーナ礼拝堂。
ここではルネサンス期の巨匠ミケランジェロの祭壇画『最後の審判』を見る事が出来る。
このフレスコ画にはキリストが人々を天国と地獄に振り分ける様子が雄大に描かれている。
食にも音楽にも疎いが、美術にはもっと疎い三林支局長のために、学芸員が待っていてくれた。
まず向かったのはシスティーナ礼拝堂。
ここではルネサンス期の巨匠ミケランジェロの祭壇画『最後の審判』を見る事が出来る。
このフレスコ画にはキリストが人々を天国と地獄に振り分ける様子が雄大に描かれている。
そして礼拝堂の天井を飾るのはこれもミケランジェロの傑作『創世記』の物語だ。
さらに館内にはラファエロの代表作『アテナイの学堂』が、
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ未完の名作『聖ヒエロニムス』が、美術史を飾る。
目もくらむばかりの名作が並んでいる。
目もくらむばかりの名作が並んでいる。
三林「ここに日本人の作品は無いですよね?」
学芸員ミコル・フォルティ「ありますよ。」
三林「えっ!日本人の方の作品あるんですか?」
学芸員ミコル「その通りです。」
三林「え~どこ、どこどこ?」
学芸員ミコル「吾妻先生で長年イタリアに滞在されており、イタリアで弁勉強もされていました。」
三林「これ?これですか?」
学芸員ミコル「吾妻兼二郎の作品で十字架です。作品は木製に見えますがブロンズ製です。
学芸員ミコル・フォルティ「ありますよ。」
三林「えっ!日本人の方の作品あるんですか?」
学芸員ミコル「その通りです。」
三林「え~どこ、どこどこ?」
学芸員ミコル「吾妻先生で長年イタリアに滞在されており、イタリアで弁勉強もされていました。」
三林「これ?これですか?」
学芸員ミコル「吾妻兼二郎の作品で十字架です。作品は木製に見えますがブロンズ製です。
鋳物なんです。この作品は彼が当コレクションの為にわざわざ作ったものです。
ローマ法王パウロ6世の意思です。もちろん吾妻は初めての日本人芸術家、
いや初めての東洋人芸術家として、当コレクションに参加しました。」
真地ナレーター;調べれば日本でも彼の作品は、多くの美術館で所蔵されているらしい。
YU-4:神奈川県立近代美術館
水滴:東京都清瀬市ケヤキロードギャラリー
YU-4:神奈川県立近代美術館
水滴:東京都清瀬市ケヤキロードギャラリー
ローマ法王から作品を依頼された吾妻兼二郎は、まだ健在だという。
そこで三林支局長は一路、吾妻氏の住むミラノへ飛んだ。
イタリア北部の中心都市ミラノの中央から車でおよそ30分。
住所をもとに吾妻氏の自宅を訪ねる。
そこで三林支局長は一路、吾妻氏の住むミラノへ飛んだ。
イタリア北部の中心都市ミラノの中央から車でおよそ30分。
住所をもとに吾妻氏の自宅を訪ねる。
三林「すみません、日本テレビなんですけれども…」とインターホーンで呼ぶ。
吾妻「中庭に入って下さい。」
吾妻「中庭に入って下さい。」
真地ナレーター;いよいよヴァチカンが認めた日本人・吾妻兼二郎芸術家とご対面だ。
三林「どうもはじめまして。」
吾妻「吾妻です。」
三林「ちなみに今、お歳はおいくつなんですか?」
吾妻「僕、今86歳です。」
三林「86歳で!お元気ですね。」
吾妻「吾妻です。」
三林「ちなみに今、お歳はおいくつなんですか?」
吾妻「僕、今86歳です。」
三林「86歳で!お元気ですね。」
そこを通る通行人「先生、おはようございます。」
吾妻「ボンジョールノ」
三林「イタリア語もバッチリですね。」
吾妻「アハハハ。(イタリアに)昭和31年に来たんです。もう55年になります。」
三林「お~すごい。」
吾妻「ボンジョールノ」
三林「イタリア語もバッチリですね。」
吾妻「アハハハ。(イタリアに)昭和31年に来たんです。もう55年になります。」
三林「お~すごい。」
真地ナレーター;しかし吾妻さんは最初から芸術家を目指していたわけではなかった。
その意外な経験とは?
吾妻「これがね、僕の人生の原点なんです。僕はね神風特攻隊に入ったんだ。」
三林「え~!?」
三林「え~!?」
真地ナレーター;特攻隊から彫刻家へ!
吾妻さんの人生に何があったのだろうか?
吾妻さんは1926年、山形県山形市に7人兄弟の次男として生まれた。
吾妻「うちは代々鋳物屋でね。だから僕の体には手でやる仕事のね、血は入っていたんですね。」
真地ナレーター;しかし家は貧しく、昼間家業を手伝いながら夜間中学へ通い始めた。
1941年太平洋戦争勃発すると吾妻さんは、自ら夜間中学を中退しパイロットを目指し、
1941年太平洋戦争勃発すると吾妻さんは、自ら夜間中学を中退しパイロットを目指し、
予科練(海軍飛行予科練習隊)に志願入隊した。
15歳の吾妻さんは予科練で仲間達と教練に明け暮れた。
だが1944年戦況悪化。その頃予科練で極秘の集まりがもたれた。
15歳の吾妻さんは予科練で仲間達と教練に明け暮れた。
だが1944年戦況悪化。その頃予科練で極秘の集まりがもたれた。
吾妻「特攻隊!」「その搭乗員に『貴様らに志願して貰いたい』という。でね、
僕は志望したいって240人の中から25人選ばれた。特攻隊に!その中の一人に僕も最後に名前が呼ばれてね。ちょっと両親の顔が浮かんだな、その時。これで会えないかなぁと思ったんですね。だけど後はね、
もう全然晴れ晴れしてね。むしろ勇気が出てきたっていう感じだったな。」
真地ナレーター;この時吾妻さんは18歳。そして戦局がさらに厳しさを増すと特攻作戦は実行に移された。
吾妻「出撃の順番はね、上官が決めるんですよ。」
三林「じゃあ、いつ自分の番が来るかは分からない?」
吾妻「あぁ分からない。出撃出来る準備していつでも発てるように待機している訳ですよ。
三林「じゃあ、いつ自分の番が来るかは分からない?」
吾妻「あぁ分からない。出撃出来る準備していつでも発てるように待機している訳ですよ。
それが一人ずつみんな減っていくんだから…」
真地ナレーター;返らぬ友を思いながら吾妻青年は名前を呼ばれる日を待ち続けた。
ところが、
1945年8月6日広島に新型爆弾投下。そして1945年8月15日終戦。
吾妻さんは郷里山形に復員したが――、
ところが、
1945年8月6日広島に新型爆弾投下。そして1945年8月15日終戦。
吾妻さんは郷里山形に復員したが――、
吾妻「もう帰って来てもね、もうね何が何だか分からないんだ。自分自身がもう…」
真地ナレーター;闇に閉ざされた青年の心にある夜光が差した。
吾妻「芸術の世界に入ったらさぞ素晴らしい世界があるんだろうなっていう、閃きが出て来たんですね。
彫刻家になろうと思った。」
真地ナレーター;鋳物職人の魂に火のついた18歳の吾妻さんは、
中退した中学に入り直し子供達と机を並べ猛勉強。
1949年見事東京藝術大学合格。
卒業後は芸大の副手となり、妻静代さんと結婚。
1949年見事東京藝術大学合格。
卒業後は芸大の副手となり、妻静代さんと結婚。
※副手…助手の下でけんきゅうの補佐役。現在では教務補佐員。
その当時芸大では『彫刻家を目指す者なら皆フランスに留学すべし』という気風があった。
それに倣いフランスに渡る準備をするさなか、吾妻さんは一冊の本と出あった。
吾妻「これは僕の人生を決めたマリノ・マリーニの作品集なんです。
こんなのはちょっとフランスでは考えられないね。
イタリア人でなければ出来ないようなね、ファンタジーに満ち溢れているんですよ。」
こんなのはちょっとフランスでは考えられないね。
イタリア人でなければ出来ないようなね、ファンタジーに満ち溢れているんですよ。」
真地ナレーター;マリノ・マリーニは素朴な形態と躍動感あふれる表現が特色で、
『馬と騎手』の連作がよく知られる。当時日本では無名だったが、吾妻さんは心をわしづかみにされた。
吾妻「それで僕はパリに行くのは嫌だと、どうしてもイタリアに行ってこの先生に師事したいと、覚悟した!」
真地ナレーター;そして「芸大」の副手を休職扱いにして貰うと、ミラノにあるブレラ美術学校を目指した。
そこに憧れのマリノ・マリーニがいるのだ。しかし授業に臨んでみると、
そこに憧れのマリノ・マリーニがいるのだ。しかし授業に臨んでみると、
当時時代の寵児だったマリノ・マリーニが教室で教鞭を執るのは週2回わずか30分ずつだけだった。
学生達はこの時とばかりにマリーニ先生を囲み貪欲に食らいつく。
学生達はこの時とばかりにマリーニ先生を囲み貪欲に食らいつく。
だがここで吾妻さんは大きな問題に直面した!
吾妻「何も分からないんだ。マリーニ先生が言っている事が、あれだけ憧れて来た先生なのにね、
言葉ひとつ出ないんです。ハハッハ」
真地ナレーター;吾妻さんが日本で学んだイタリア語では歯が立たない。
こうしてあっという間に吾妻さんの1年間の留学期間は終了してしまった。
こうしてあっという間に吾妻さんの1年間の留学期間は終了してしまった。
吾妻「何も覚えてないし、何も見ていない、何も分かったものは何も無いんですよ。
そこで僕はすぐね、芸大の辞表を書いてすぐ翌日出したの。『(イタリアに)残る』」
真地ナレーター;アルバイト生活に入った吾妻さんは、諦めたことがあった。
それは先生を囲む輪に入り話を分かろうとすること。
その代り作品を作り続けることでマリーニ氏に認めて貰うことにした。
するとある日、
『諸君!お喋りはもう終わりだ。作業に集中しなさい。あの小さな日本人を見なさい。』
更に3年目に入ったある日、
マリーニ「吾妻!今日午後3時に私のアトリエに来なさい。」
するとある日、
『諸君!お喋りはもう終わりだ。作業に集中しなさい。あの小さな日本人を見なさい。』
更に3年目に入ったある日、
マリーニ「吾妻!今日午後3時に私のアトリエに来なさい。」
吾妻「とにかく日本に帰る前にね、たった一度でいいからね、
マリーニ先生のねアトリエをね僕は見学して帰りたいと思ってたの。」
真地ナレーター;憧れのイタリア彫刻界の巨匠マリノ・マリーニ氏のアトリエに入る事を許された吾妻さんは――、
続く
■□1/2fine
特攻隊に自ら志願したとは…
全てにおいて日本人ですね。



