長靴の国へ向かって! -12ページ目

長靴の国へ向かって!

昆虫とイタリア、映画見聞録などですが、
最近は日々の出来事を気ままに綴ります。
yahooブログからの引っ越し組です。

関根麻里「笑ってコラえて!の海外支局を作ろうinローマ
所「いいですねぇ。」
関根麻里「ローマの三林支局長!
三林「ボナセーラ~!今日私はですねヴァチカン市国のすぐ近くにあるビルの屋上に来ております。
ヴァチカン市国の象徴サン・ピエトロ大聖堂が今日も美しいでございます。
今回はヴァチカンに関するVTRを紹介したいと思います。」
 
  【笑ってコラえて!ローマ支局】8/29 前編
真地勇志ナレーター;ローマ支局開設から1年5ヶ月目。
 
三林「今回ローマで何か取材出来るものってないですかね?」
女性支局員「ローマだとヴァチカン市国は、まだやっていないですね。」
三林「ヴァチカン!」
 
真地ナレーター;ヴァチカン市国はローマ市の中にある世界最小の独立国。
ローマ法王を元首とする人口およそ800人ほど。
カトリックの総本山でもある。
それがため、これまで歴代ローマ支局長は恐れ多くて声もかけられなかったのだが――、
 
三林「オッケーですか!?」
 
真地ナレーター;意外とあっさりOKが出た。

早速支局から車で20分程のヴァチカン市国に乗り込む。
三林「うわぁ~スゴイ。来ましたヴァチカン キレイ。」
 
真地ナレーター;大聖堂を臨む正面から、今回取材許可の下りている裏手のヴァチカン美術館へ向かうと――、
 
三林「スゴイ行列だなヴァチカン美術館!」
 
真地ナレーター;ヴァチカン美術館は常に長蛇の列で4時間待ちの日も珍しくないという。
 
三林「何があるんだろう?」
そうすると日本人観光客から「所さんの観てますよ~!」の声が!
三林「ありがとうございます。」
日本人観光客「スゴイ~」
三林「ご苦労様です。」 
 
真地ナレーター;並んでいる方達には申し訳ないが、取材許可書のお陰で待ち時間ゼロで無事入場。
食にも音楽にも疎いが、美術にはもっと疎い三林支局長のために、学芸員が待っていてくれた。
まず向かったのはシスティーナ礼拝堂
ここではルネサンス期の巨匠ミケランジェロの祭壇画『最後の審判』を見る事が出来る。
このフレスコ画にはキリストが人々を天国と地獄に振り分ける様子が雄大に描かれている。

そして礼拝堂の天井を飾るのはこれもミケランジェロの傑作『創世記』の物語だ。
さらに館内にはラファエロの代表作『アテナイの学堂』が、
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ未完の名作『聖ヒエロニムス』が、美術史を飾る。
目もくらむばかりの名作が並んでいる。
 
三林「ここに日本人の作品は無いですよね?」
学芸員ミコル・フォルティ「ありますよ。」 
三林「えっ!日本人の方の作品あるんですか?」
学芸員ミコル「その通りです。」 
三林「え~どこ、どこどこ?」 
学芸員ミコル「吾妻先生で長年イタリアに滞在されており、イタリアで弁勉強もされていました。」 
三林「これ?これですか?」
学芸員ミコル「吾妻兼二郎の作品で十字架です。作品は木製に見えますがブロンズ製です。
鋳物なんです。この作品は彼が当コレクションの為にわざわざ作ったものです。
ローマ法王パウロ6世の意思です。もちろん吾妻は初めての日本人芸術家、
いや初めての東洋人芸術家として、当コレクションに参加しました。」
 
真地ナレーター;調べれば日本でも彼の作品は、多くの美術館で所蔵されているらしい。
YU-4:神奈川県立近代美術館
水滴:東京都清瀬市ケヤキロードギャラリー
ローマ法王から作品を依頼された吾妻兼二郎は、まだ健在だという。
そこで三林支局長は一路、吾妻氏の住むミラノへ飛んだ。
イタリア北部の中心都市ミラノの中央から車でおよそ30分。
住所をもとに吾妻氏の自宅を訪ねる。
 
三林「すみません、日本テレビなんですけれども…」とインターホーンで呼ぶ。
吾妻「中庭に入って下さい。」
 
真地ナレーター;いよいよヴァチカンが認めた日本人・吾妻兼二郎芸術家とご対面だ。
 
三林「どうもはじめまして。」
吾妻「吾妻です。」
三林「ちなみに今、お歳はおいくつなんですか?」
吾妻「僕、今86歳です。」
三林「86歳で!お元気ですね。」
そこを通る通行人「先生、おはようございます。」
吾妻「ボンジョールノ
三林「イタリア語もバッチリですね。」
吾妻「アハハハ。(イタリアに)昭和31年に来たんです。もう55年になります。」
三林「お~すごい。」
 
真地ナレーター;しかし吾妻さんは最初から芸術家を目指していたわけではなかった。
その意外な経験とは?
 
吾妻「これがね、僕の人生の原点なんです。僕はね神風特攻隊に入ったんだ。」
三林「え~!?」 
 
真地ナレーター;特攻隊から彫刻家へ!

吾妻さんの人生に何があったのだろうか?
吾妻さんは1926年、山形県山形市に7人兄弟の次男として生まれた。
 
吾妻「うちは代々鋳物屋でね。だから僕の体には手でやる仕事のね、血は入っていたんですね。」
 
真地ナレーター;しかし家は貧しく、昼間家業を手伝いながら夜間中学へ通い始めた。
1941年太平洋戦争勃発すると吾妻さんは、自ら夜間中学を中退しパイロットを目指し、
予科練(海軍飛行予科練習隊)に志願入隊した。
15歳の吾妻さんは予科練で仲間達と教練に明け暮れた。
だが1944年戦況悪化。その頃予科練で極秘の集まりがもたれた。
 
吾妻「特攻隊!」「その搭乗員に『貴様らに志願して貰いたい』という。でね、
僕は志望したいって240人の中から25人選ばれた。特攻隊に!その中の一人に僕も最後に名前が呼ばれてね。ちょっと両親の顔が浮かんだな、その時。これで会えないかなぁと思ったんですね。だけど後はね、
もう全然晴れ晴れしてね。むしろ勇気が出てきたっていう感じだったな。」
 
真地ナレーター;この時吾妻さんは18歳。そして戦局がさらに厳しさを増すと特攻作戦は実行に移された。
 
吾妻「出撃の順番はね、上官が決めるんですよ。」
三林「じゃあ、いつ自分の番が来るかは分からない?」
吾妻「あぁ分からない。出撃出来る準備していつでも発てるように待機している訳ですよ。
それが一人ずつみんな減っていくんだから…」
 
真地ナレーター;返らぬ友を思いながら吾妻青年は名前を呼ばれる日を待ち続けた。
ところが、
1945年8月6日広島に新型爆弾投下。そして1945年8月15日終戦。
吾妻さんは郷里山形に復員したが――、
 
吾妻「もう帰って来てもね、もうね何が何だか分からないんだ。自分自身がもう…」
 
真地ナレーター;闇に閉ざされた青年の心にある夜光が差した。
 
吾妻「芸術の世界に入ったらさぞ素晴らしい世界があるんだろうなっていう、閃きが出て来たんですね。
彫刻家になろうと思った。」
 
真地ナレーター;鋳物職人の魂に火のついた18歳の吾妻さんは、
中退した中学に入り直し子供達と机を並べ猛勉強。
1949年見事東京藝術大学合格。
卒業後は芸大の副手となり、妻静代さんと結婚。
※副手…助手の下でけんきゅうの補佐役。現在では教務補佐員。
その当時芸大では『彫刻家を目指す者なら皆フランスに留学すべし』という気風があった。
それに倣いフランスに渡る準備をするさなか、吾妻さんは一冊の本と出あった。
 
吾妻「これは僕の人生を決めたマリノ・マリーニの作品集なんです。
こんなのはちょっとフランスでは考えられないね。
イタリア人でなければ出来ないようなね、ファンタジーに満ち溢れているんですよ
。」
 
真地ナレーター;マリノ・マリーニは素朴な形態と躍動感あふれる表現が特色で、
『馬と騎手』の連作がよく知られる。当時日本では無名だったが、吾妻さんは心をわしづかみにされた
 
吾妻「それで僕はパリに行くのは嫌だと、どうしてもイタリアに行ってこの先生に師事したいと、覚悟した!」
 
真地ナレーター;そして「芸大」の副手を休職扱いにして貰うと、ミラノにあるブレラ美術学校を目指した。
そこに憧れのマリノ・マリーニがいるのだ。しかし授業に臨んでみると、
当時時代の寵児だったマリノ・マリーニが教室で教鞭を執るのは週2回わずか30分ずつだけだった。
学生達はこの時とばかりにマリーニ先生を囲み貪欲に食らいつく。
だがここで吾妻さんは大きな問題に直面した!
 
吾妻「何も分からないんだ。マリーニ先生が言っている事が、あれだけ憧れて来た先生なのにね、
言葉ひとつ出ないんです。ハハッハ」
 
真地ナレーター;吾妻さんが日本で学んだイタリア語では歯が立たない。
こうしてあっという間に吾妻さんの1年間の留学期間は終了してしまった。
 
吾妻「何も覚えてないし、何も見ていない、何も分かったものは何も無いんですよ。
こで僕はすぐね、芸大の辞表を書いてすぐ翌日出したの。『(イタリアに)残る』」
 
真地ナレーター;アルバイト生活に入った吾妻さんは、諦めたことがあった。
それは先生を囲む輪に入り話を分かろうとすること。
その代り作品を作り続けることでマリーニ氏に認めて貰うことにした。
するとある日、
諸君!お喋りはもう終わりだ。作業に集中しなさい。あの小さな日本人を見なさい。』
更に3年目に入ったある日、
マリーニ「吾妻!今日午後3時に私のアトリエに来なさい。」
 
吾妻「とにかく日本に帰る前にね、たった一度でいいからね、
マリーニ先生のねアトリエをね僕は見学して帰りたいと思ってたの。」
 
真地ナレーター;憧れのイタリア彫刻界の巨匠マリノ・マリーニ氏のアトリエに入る事を許された吾妻さんは――、
 
 
 
続く 
□1/2fine
 
特攻隊に自ら志願したとは…
全てにおいて日本人ですね。 
 
  
 
 【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part4後編
真地勇志ナレーター;
午後9時試合開始。
1回の表ボローニャの攻撃、2アウトランナー2塁で打順は4番のG・G佐藤。
G・G佐藤初球をいきなりセンター前ヒット、2塁ランナーが帰りボローニャが1点を先制。
打ったG・G佐藤も2塁を陥れる。
 
三林「オ~!」
これにはおばちゃん後ろから支局長を叩く「どっち応援してんのよ!」
 
真地ナレーター;一方ネットゥーノは5回の裏2アウトから6番が2塁打。
反撃モードにファンの期待が高まる。
続く7番打者キレイにセンター前にはじき返しセカンドのランナーがホームイン。
ネットゥーノ同点に追いついた。
追いつかれたボローニャは6回の表この回の先頭打者がソロホームランを放ち再び1点リード。
白熱の試合展開にセルジョ君のまなざしも真剣だ。
6回裏ネットゥーノの攻撃1アウトからショートゴロと、ここでまさかの悪送球打った打者は2塁へ進塁。
続く2番見事に右中間へヒット!再び同点にもつれ込む。
 
髭のセルジョ君「ここまで来て2対2の同点、ここからは投手の気持ちの勝負ですね。」
 
真地ナレーター;そして2対2の同点で迎えた9回裏、ネットゥーノ最後の攻撃1アウト1塁から5番がヒットで1・3塁、ネットゥーノ一打サヨナラのチャンス!
果たして――、
 
強めのファーストゴロ、ファーストバックホーム!
セーフ!!
クロスプレーの末ネットゥーノがサヨナラ勝ち!
4位のネットゥーノが1位のボローニャを3対2で下した。
一行はグランドへ
 
三林「佐藤選手お疲れ様でした。」
G・G佐藤「お疲れさま!」
三林「いい試合でした。」 
G・G佐藤「いや!もう今日は最高にイイ試合だったと思います。本当にすごい人も入っていたし――。」
髭のセルジョ君「試合に負けてしまったのに、
敵チームの選手と握手を交わす佐藤選手はすごいと思いました。」
G・G佐藤「グラッツェ!良いとこみてるなオマエ!コノヤロ~!」「これ今日使っていたやつです。」
 
真地ナレーター;今日先制点をたたき出したグローブだ。
 
髭のセルジョ君「本当にありがとう。」
三林「(サインする)マジックがない!」
G・G佐藤「サインは彼がメジャーリーグに行った時に、書きに行きますか!僕が。」
髭のセルジョ君「その時は僕がお返しに、あなたにサインをしますよ。」
G・G佐藤「いいね、いいね!」
 
 
 
ここからスタジオトーク
所「いいですなぁ~、何かG・Gが野球が好きなんだなってことが伝わって来ましたね。」
スタジオ「そうですね。」
所「15歳なのに上手いこと返すね。メジャー行った時にサインに行くよって言ったら、
その時は僕がしますよとか。」
サンド/富沢「あいつ本当に15歳なんですかねぇ。」
 
関根麻里「SHELLYさんも子供の時に…」
SHELLY「野球やってました。
小学校と中学の途中まで。」その頃の画像(男の子っぽいというか爺臭い感じ)を見て「これSHELLYです。」
中山秀征「ジイジイみたいだけどね。」
SHELLY「ジジイじゃないです。歯がないんです。うち三姉妹なんです。三女なんですけれど、
父が星一徹みたいなアメリカ人なんです。女の子とコミニュケーションとれないんです。
俺とコミニュケーション取りたいんだったら、お前が野球やれ!」
 
所「お父さんにつき合ってあげたんだ!?」
SHELLY「そうです。」
所「偉いじゃないよ。」
SHELLY「良い子なんです。」

FINE■■■3/3
 
イタリアではまだプロ野球1本では食べていけないんだなぁ、
そこはやっぱしサッカーの国だし、仕方ないのかなぁ。
 
イタリアから日本のチームにピッチャーとして来ている人がいたみたいだけど、
この間、誰か完投したとかだったっけな、
最近プロ野球見てないから分からないや。
 
 
 
 
『G・G佐藤 イタリアの球団を解雇されていた』
イタリアプロ野球のセリエA「フォルティテュード・ボローニャ」は21日(日本時間22日)、
球団ホームページでG・G佐藤(本名・佐藤隆彦=元西武)の解雇を発表した。
G・G佐藤は2011年のシーズン終盤に西武から戦力外通告を受け、
今季から同球団に入団。42試合に出場し、160打数51安打で打率・319。3本塁打22打点の成績だった。
 (スポニチアネックス 8月23日(木)7時43分配信から引用)
 
 
 
 
 
 【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part4中編
三林「ネットゥーノファン?」
おばちゃん「ネットゥーノの応援団よ。」
三林「何年間ファンやっているんですか?」
おばちゃん「いつから見に来てるかって?30年前からよ。いつもこの場所で応援してるの!!
毎試合欠かさず来てるのよ。」
三林「ネットゥーノが負けると気分悪い?」 
おばちゃん「それ以上言わないで、死んじゃうから!!」
「よし打った!!うわ~!!」
 
真地ナレーター;おばちゃんの黄色い声援のかいあってネットゥーノは5対0と快勝。
そして残り3試合も選手達が一丸となって戦い、シーズンを4位で終え無事プレーオフ進出を決めた。
後日野球事情を更に深く探るべくやって来たのは、地元少年野球チームLIONS(ライオンズ)の練習場。
ここではプロ野球を目指す6歳~12歳までのちびっ子達が日々野球道に精進している。
その横でピッチャーの少年を指導している髭の男性に話を聞いてみた。
 
三林「今教えてましたけどコーチ?」
髭男性「いいえ普段はイタリア代表のアンダー15でプレーしています。」
三林「えっ?ちょっと待って下さい。アンダー15って言った今?」
アルマンド「そうです。」 
三林「てことはアンダー15?」 
髭男性「ちょうど15歳です。」
三林「え~!?すごい体格いいね。」
髭男性「このチームに弟がいるんです。」
三林「えっ!本当ここに?」
 
その弟がやって来ます。
三林「あっ似てる!!言われれば顔が――、いくつ?」 
弟「8歳。」
三林「将来はどういうチームに入りたいんですか?」 
弟「え~ネットゥーノ!!」
三林「ネットゥーノかぁ、地元のね。1番好きな野球選手教えて下さい。」
弟「ペッペ マッツランティ。」
髭男性「WBCにも出た事のあるイタリアを代表する選手です。」
 
真地ナレーター;2006,2009年の2大会連続優勝で日本中を熱くさせたWBCワールドベースボールクラシック、
その陰でイタリアも2大会に連続出場し6戦を戦い2勝していることはあまり知られていない。
弟のフランチェスコくんの好きなペッペ選手とは、
支局長がインタビューした4番で主砲のジュゼッペ・マッツランティ選手(愛称:ペッペ)。
数日後セルジョ君がいるグランドを訪ねた。
 
三林「チャオ
支局員「髭は髭?無くなったの?」
髭のセルジョ君「剃ったよ。」 
 
真地ナレーター;アンダー15イタリア代表でキャプテンのセルジョ・チェスタレッリ君15歳。
実はこちらのアンダー21代表のチームにも所属している。
しかも年上の先輩達を押しのけてレギュラーを勝ち取り
チームの司令塔であるキャッチャーにして4番打者というまさに大黒柱だ。
 
この日はローマのチームとの練習試合。もちろんスタメンマスクはセルジョ君だ。
更にセルジョ君は打席でも1打点を挙げる活躍を見せた。
 
三林「将来の夢は?」
髭のセルジョ君「プロ野球選手になること。メジャーリーグや日本でプレーしたいです。」
 
真地ナレーター;前途洋洋たるセルジョ君だが、愛してやまないチームはやはり地元ネットゥーノ。
そのネットゥーノがプレーオフで戦うかもしれないG・G佐藤の所属するボローニャへ。
ボローニャは人口37万人の大都市でサッカーセリエAのボローニャFCの人気が高いが、
2人が目指すのは当然野球場。
2人を出迎えてくれたのはマルコ・ナンニ監督。
早速、監督の後について選手達に接近する。
 
三林「声をかけていいですか?」 
マルコ監督「もちろんいいよ。」
三林「佐藤選手!」 
G・G佐藤「はい?」
三林「どうも、はじめまして。」
G・G佐藤「へ?」
三林「G,G佐藤選手でよろしいですか?」 
G・G佐藤「そ、そうですけれど。」 
三林「お~会えました。はじめまして、よろしくお願いします。」 
G・G佐藤「G・G佐藤です。どこから?」
三林「いや、僕達日本テレビの笑ってコラえて!と申します。」 
G・G佐藤「あっ、存じ上げております。」
三林「知ってます?」
G・G佐藤「日本にいる時はよく見ていたので…」
三林「あっ本当ですか。」 
G・G佐藤「この番組には出たいと思ってました。」
 
真地ナレーター;ボローニャはこの試合(ボローニャvsサンマリノ)を入れ、レギュラーシーズン残り4試合だ!
G・G佐藤選手はこの日3番に座ったが、快音は聞かれずチームも敗れた。
しかしボローニャはその後の3試合で3連勝。
レギュラーシーズン1位通過を決めプレーオフの初戦はネットゥーノに決定!
G・G佐藤選手の自宅にお邪魔した。
 
G・G佐藤「ただいま~。」
三林「はじめまして~
奥様「こんにちははじめまして。」
G・G佐藤「妻・真由子と娘・あづ希(3歳)です。」「こんにちはは?」
あづ希「こんにちは。」
三林「広いベランダでいいっすね。」 
G・G佐藤「ながめもいいし。」
 
真地ナレーター;見たところかなりの高級マンションにお住まいのようだが――、
 
三林「家賃とか高くないんですか?」
G・G佐藤「家賃は一応球団の方が面倒みてくれているので。」 
三林「じゃあ佐藤選手の負担は?」 
G・G佐藤「家賃に関してはないです!!」
 
真地ナレーター;なんと家賃、光熱費は球団負担!!
続いて、市内のレストランでランチをご一緒する。
 
三林「あっこれですか?」
G・G佐藤「毎日食べてる蛸のスープです。」 
真由子夫人「日本の野球選手は食べないよね。」
三林「何故?」 
G・G佐藤「ノーヒットのことを“タコる”って言うんですよね。」
三林「あ~。」
G・G佐藤「僕は一生分の蛸を食ってしまった。」 
 
真地ナレーター;週4日は利用するというこちらのレストランの代金も球団負担なのだという。
2012年7/18、この日からリーグ戦4位ネットゥーノと1位ボローニャのプレーオフ第一ラウンドが始まる。
7戦して先に4勝したチームの勝ち抜けだ。
夜8時、試合開始前の球場を訪ねると、
待っていたのはセルジョ フランチェスコ兄弟とお父さんのマルコさんだ。
今回は特別にグランドに入いらせてもらう。
 
三林「あっいたいたいた!ペッペペッペペッペ。」
 
真地ナレーター;現れたのは2人が憧れるネットゥーノの主砲ジュゼッペ・マッツァンティ選手。
 
三林「憧れの選手に会ってどう?」
弟のフランチェスコ「うん、」
三林「照れちゃったか~!?」
ジュゼッペ(ペッペ)選手「こっちおいで。」
髭のセルジョ君「調子はどうですか?」
ジュゼッペ(ペッペ)選手「問題ないよ。問題ない!」
 
真地ナレーター;2人は憧れの選手と必勝を誓って握手を交わす。
 
そして向こう側にいる選手を指して、
三林「G・G佐藤だよ、知ってる?」
 
髭のセルジョ君「はい。」
 
真地ナレーター;対するボローニャの主砲G・G佐藤選手、
フリーバッティングではいつものように快音を響かせる。
 
髭のセルジョ君「とても計算された素晴らしい技術のバッティングだ。」

G・G佐藤「お疲れ様です~。」
三林「お疲れ様です。」
支局長が来ているユニホームを見てG・G佐藤「敵だ、敵だ!」
髭のセルジョ君「頑張って下さい。」
G・G佐藤「ありがとう。」

髭のセルジョ君「僕にとってあなたは憧れです。」
三林「彼はU-15のキャプテンをしています。」 
G・G佐藤「あっそうなんですか。」
三林「彼は大リーグを目指してますよ。」 
G・G佐藤「やっぱり彼らに目標とか憧れられるような選手にならないと、
彼らの頑張れないと思うので今日はいいプレーを見せて、目標と出来るような選手になりたいと思います。」
 
真地ナレーター;観客席に向かうとあの名物おばちゃんがいつもの席に!
 
三林「今日応援しますか?」
おばちゃん「もちろん!ボローニャ戦だもの!」
 
真地ナレーター;スタジアムにイタリア国家が響き渡り、観客のボルテージも上がる。
 
 
 
 
 FINE■■□2/3 part4
 
私はこのG・G佐藤選手がイタリアに来ているなんて、初めて知りました。
この日のスタンドにはお客さんがいっぱい入ってましたね。
 
 
 
 
真地勇志ナレーター;イタリア支局、続いては――、
2012年7月1日、この日はヨーロッパのサッカーナンバーワンを決める
EURO2012イタリアvsスペインの大一番が行われるとあって、
古代ローマの大競技場跡地であるチルコ・マッシモに集結したイタリアサポーターの数は30万人!!

試合前からイタリアーノ達は異様に盛り上がっていた。
しかし結果は4:0とスペインの圧勝。
史上初のeuro2連覇達成したスペインは歓喜に沸いた。

一方イタリアは異様に盛り下がっていた。

  【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part4 前編
翌日の支局会議
ミケ―ラ「ちょっと残念な試合でしたね。」
クラウディア「残念…」
三林「ちなみにイタリアの人って野球はどうなの?」 
クラウディア「あんまり…」
アルマンド「する人もいるんじゃない。」 
クラウディア「いるんですけれど、あんまり人気じゃない、サッカーほど人気ではないし・・。」
三林「野球のルールってみんな知ってるの?」
ミケ―ラ「知らな~い!!!」
 
真地ナレーター;ということで三林支局長はローマの街へ繰り出した。
 
三林「今回私はコレ(グローブ)で、イタリアの野球事情を探ってみたいと思いま~す!!」
 
木陰のベンチに座る家族4人
三林「チャオ。イタリアーノ?イタリア人ですか?」
お父さん「そうだよ。」
三林「皆さん好きなスポーツは何ですか?」
お父さん「サッカーに決まってんだろ。サッカーだよ。」
男の子「僕はサッカーとバスケットボール。」
三林「ちなみに野球はどうですか?」
お母さん「ベースボール、あまり知らない。」
お父さん「ノー、イタリアでは子供の頃からサッカーをするもんなんだ。」
 
続いて、木陰の芝生の上に座っているカップル
三林「ボンジョルノ、質問してもいいですか?」
男性Si,come no.どうぞなんだい。」
三林「好きなスポーツは何ですか?」
男性「イタリア人だからね、当然サッカーだね。」
三林「サッカーやりますか?」
男性「Come tuti?みんなやるでしょう。イタリアにサッカーやらない男はいないよ。」
三林「ちなみにベースボールはどうですか?」
男性「イタリアで野球?やる人いないでしょう。ルールもほとんど知らないよ。」
三林「これ野球の道具ですけれど、知ってますか?」
男性「あぁグローブだよね!?で、これがボールでしょ。で、何しろっていうの?」
三林「僕とキャッチボールしましょう。」 
男性「僕と君で?やったことない
三林「1回だけ。」 
男性「OK」「左手かな?」
三林「そうですそうです。」
男性「左だね、ちょっと待って、左だね。」「いい感じだね。」
三林「投げてください。」
 
そうするとグローブに入ったままのボールをそのまま左で投げます。
三林「グローブで投げてる!!」
 
真地ナレーター;その後も野球好きだというローマっ子は現れず、支局長はスポーツ店の調査に向かった。
 
三林「こちらに野球用品は取り扱っていますか?」
女性店員「ノー、ベースボール、ノー
三林「これだけ大きい店なのに?」 
女性店員「店は大きくても野球用品はないのよ。」
 
真地ナレーター;次のお店に行くと、こちらも品揃え豊富だ。
すると、
 
男性店員「きみはイタリアサッカーのユニホーム着てるネ。」
三林「そうですそうです。」
男性店員「フランチェスコ・トッティのだ。」
三林「お兄さん1番好きなスポーツは何ですか?」 
男性客(?)「サッカーだよ。」

すると通訳の人に「イタリアで1番強いチームはどこ?って聞いてよ!」って頼む。
三林「どこのチームがイタリアで1番強いですか?」
男性客(?)「ローマ!!!」
三林「じゃあお兄さん野球はどうですか?」
男性客(?)「ノー」「野球って何?」
 
真地ナレーター;するとバートのお母さんがオーナーに話をつけてくれた。
 
バートのお母さん「野球用品があるか?って日本のテレビ局が。」
三林「チャオこんみちは。野球どこですか?ベースボールwhereベースボール?」
バートのお母さん「Aspetto!ちょっと待って!」
 
真地ナレーター;オーナーはバックヤードへ消えると5分後、裏で眠っていた野球用品を持って現れた。
 
三林「なぜ店頭には並べないんですか?」
オーナー「マイナースポーツだから、イタリアではね。」
三林「どうしてイタリアで野球人気ないんですかね?」
オーナー「もっと重要視されているスポーツがあるからね。サッカーにスキ―にテニスにラクビー。
サッカー用品は野球用品の1000倍は売れるよ。もし野球の事がしりたいのなら、
ネットゥーノという町に行くのが1番いいよ。セリエAのチームまであるらしいからね。」
三林「ネットゥーノ、じゃぁ行って来ます。Grazie.」
 
真地ナレーター;そのネットゥーノへ向け早速出発。イメージ 1
ネットゥーノまではローマからおよそ1時間の道のりだ。
海の神『NRPTUNE』のイタリア語読みである
“NETTUNO”は人口3万6000人が住み、
その名の通り美しい地中海を望む街。
果たしてここで野球に詳しい人は見つかるのだろうか。

三林支局長は現地支局員第11号アルマンド・ポマンテと共に、ネットゥーノの街へ繰り出した。
 
三林「すみません、ネットゥーノの方ですか?」 
男性「Si,」
三林「1番好きなスポーツは何ですか?」 
男性「野球だよ。」
三林「えっ本当ですか?」
男性「普通のイタリア人はサッカーでも、ネットゥーノでは野球なんだよ。
みんな道端のあちこちで野球やっているよ。」
 
真地ナレーター;更に捜索は続く
 
三林「ここやってるやってる!キャッチボール!!すげえ!しかも女の子じゃない?」
アルマンド「そうだね。」
 
真地ナレーター;道端に野球少女発見!!
 
三林「ブラボーブラボー!!なぜ野球やれるんですか。」
女性達「セリエA-2の選手なんです。」「ソフトボールの。」
三林「サッカーやってる男と野球出来る男、どっちが好きですか?」
女性達「ベースボールよ。」
 
真地ナレーター;更にこちらのおじさんも
 
ちょっとした建物の間のスペースでバット振ってボールを打ってます。
そうするとボールが窓に当たってしまいます。
 
三林「あーあーあ!ちょっと!!!めっちゃ飛ぶ、お兄さん。」 
 
真地ナレーター;どうもしょっちゅうやられてるらしく広場に面した窓は、既にベニヤ板になっている。
ほんとに続々出て来る野球好き、更に捜索は続く
 
広場のベンチに腰掛ける初老の2人組
三林「1番好きなスポーツは何ですか?」 
初老の2人「野球だよ。」「野球」
三林「野球!!」
初老の2人「日本は野球が強いよな!!アメリカに勝ったのは日本だけだ。」「強いなすごい。」
三林「なぜ野球が好きなんですか?」
初老の2人「ネットゥーノはイタリアで最初に野球が生まれた町だからさ。
第二次世界大戦でアメリカ軍が上陸して、彼らは海岸で野球を楽しんだんだ。
それから彼らはこの町に最初にチームを作ったんだ。
ネットゥーノからローマ・ミラノに広がって、イタリアに国内リーグが出来たんだ。」
 
真地ナレーター;1943年連合国軍がシチリア島へ上陸で、イタリア南部侵攻作戦の火蓋を切った。
そして翌年の1944年アメリカ軍がイタリア本土ネットゥーノに上陸。
上陸後野球に興じるアメリカ兵を見て、ネットゥーノ市民はその球技に夢中になった。
野球人気はますます高まり1946年ネットゥーノに球団が誕生。
4年後の1950年イタリア国内リーグ戦が始まった。
そして60年経った現在、イタリアのプロ球団は8チームとなり、
1リーグ制で42試合のレギュラーシーズンを戦っている。
 
○ネットゥーノ ○パルマ  ○サンマリノ   ○ノヴァラ
○リミニ       ○ゴード   ○グロッセート ○ボローニャ
 
三林支局長とアルマンド支局員はイタリア野球誕生の街に本拠地を置くプロ球団・ネットゥーノの
ホームグランドへ向かった。
球場のスタンドに行くと、

三林「お~すげえ いますね~!!」スタンドからグランドにいる選手に向かって「ノットゥーノ?」
選手「Si,Si,そうだよ。」
三林「(そっちへ行って)いい?」
選手「来い来い。」
 
そう言われてアルマンドと共にグランドへ下りて行く。
三林「アルマンドさん、行こう行こう行こう!下行こう。おいプロ野球選手に会えるぞ!!」 
アルマンド「いいことアルマンド!!」
 
真地ナレーター;大興奮の2人はそのままグランドへ。
 
三林「グラッツェ よろしくお願いします。すげえ野球選手!!チャオ。お~イタリアの野球選手!!」 
 
真地ナレーター;ネットゥーノの1軍には現在24人の選手が登録されている。
プロ選手にイタリアの野球事情を聞いてみた。
 
三林「(ポジションは?)キャッチャー?」
選手「キャッチャー。」
三林「何故野球選手を目指したんですか?」
選手「子供の頃からうやっていて、プロになる夢が叶ったんだけど、
まぁ僕の場合は平日別の仕事をしてから野球をしに来るのでセミプロフェッショナルということになるんですが、情熱をもって野球をやっています。土木建設業をしています。
日本ではプロ野球が職業として成り立ってるけど、イ
タリアでは職業として確立していないから、別の仕事も必要なんです。」
 
真地ナレーター;イタリアプロ野球選手の平均年棒は100万円、
公務員・民間企業年収が平均265万円の4割にも満たない。
次の選手へ、

三林「ちょっとお話聞いてもいいですか?」「プロやって何年目になるんですか?」
選手「10年目です。2003年からです。」
三林「すごい体格よろしいですけれどもポジションはどこですか?」 
選手「サードです。」
三林「打順は?」
選手「4番です。」
三林「僕達日本から来ているんですが、日本の野球って知っていますか?」
選手「はい。よくインターネットで試合をみてますよ。」 
三林「日本の知っている選手いますか?」 
選手「G,G佐藤」
三林「G,G佐藤!知ってます知ってます。」
選手「佐藤は今イタリアのボローニャにいるんです。イタリアの中でもかなり上位にいる選手です。
打率を見れば一目瞭然です。」 
 
真地ナレーター;8球団全選手打率ランキングで見ると、佐藤選手は3割4厘の12位とかなりの好成績だ。
G,G佐藤選手は埼玉西武ライオンズに在籍(’04~2011)。
日本一になった2008年には主砲の4番として21本の本塁打を放ち大きく貢献したスラッガーだ。
 
選手「偉大な選手ですよ。」 
三林「ちなみにチームの今シーズンのネットゥーノの成績はどうですか?」
選手「今の成績のままだとプレーオフに進出出来ます。私達のチームは4位以内に入る予定なので――、」

真地ナレーター;プレーオフに進出出来るのは上位4チーム。
この時点('12.7/6)でレギュラーシーズン残り4試合、
1位サンマリノ、2位ボローニャ、3位リミニ、4ネットゥーノ。
G,G佐藤がいるボローニャは2位だ。
ネットゥーノの監督にユニホームをプレゼントされすっかりにわかネットゥーノファンになった三林支局長は
アルマンド支局員とネットゥーノの公式戦を観戦することにした。

チケットは全席大人1枚5ユーロ(500円)と激安だ。まもなくプレーボール。
ホームゲームにも関わらず残念ながら客席はまばらだ。
今日戦う相手はグロッセートというチームだが、スコアボードにはOSPITI対NETTUNOとある。
OSPITI”とはゲストのこと、どんなチームが来ようと表記する気はないらしい。
試合が始まった。1回の裏ネットゥーノの攻撃すると3塁側の客席に元気なおばちゃんを発見。
 
 
 
FINE□□1/3 part4前編
 
私もオリンピックの時にイタリアチームが確か出場していたような~、そのぐらいの記憶しかなかったですね。
 
 
 
 【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part3後編

真地勇志ナレーター;ここで憧れの人による特別授業開始!
まずは最初の語りの部分からだ。
 
鮎沢「♪Quand je vous aimerai? いつ私があんた達を好きになる?」
マリエッラ「もう少し流れるように歌えるかしら?単語ごと止まってしまわないようにネ。」
鮎沢「はい。ma foi, je ne sais pas,Peut-e~tre jamais; peut-e~tre demain
そんなこと分かりゃしないわ一生ないかもしれないしあしたかもしれない

マリエッラ「弱く
鮎沢「Mais pas aujour d'hui C’est certain でも今日じゃないことは確かよ
マリエッラ「いいわ先に進みましょう。」
 
鮎沢「
L'amour est un oiseau rebelle      恋は反抗的な小鳥
que nul ne peut apprivoiser,        誰にも飼い馴らせない
et c'est bien en uain qu'on l'appelle   呼んでも答えやしないし
s'il lui convient de refuser!        来たくなければ来やしない
Rien n'y fait ,menace ou priere,     脅してもしかしても無駄よ
l'un parrle bien, l'autre se tait;      おしゃべりな男も無口な男もいるけど
et c'est l'autre que je pre'fe're,      私が好きなのは無口な方
il n'a rien dit,mais il me plait,      彼は喋らない だけど私は彼が好き

 
マリエッラ「今の1つ前の息継は、本当にしなきゃいけないかしら?
フレーズが少し切れてしまうから、だからここ(の休符)で息継ぎが出来るようであれば――、
ここは軽めに歌って (次の)休符まで行って下さい。息継ぎは休符の所でしてほしいの。
ですからこう少し軽めに歌わないといけないわね。何か意味深な感じにしてもいいけれど…それでも軽めにね。そうすればフレーズが全部1つに繋がるわ。ネ!」
鮎沢「はい。」

マリエッラ「では〈et c'est bien)から
鮎沢「はい。~~~♪L’amour! L’amour! L’amour! 恋よ!恋よ!恋よ!」
マリエッラ「気に入らないわ!そこ好きじゃないわ!音程を変える時に余計な音を入れてしまっているわ。
段階的に声門の開きが切り替わっているのがわかるの。それはキレイじゃないと思うわ。そ
れならばスタッカート(音を区切る)にした方がいいくらい。音の移動が〈あ~~~〉となるよりはね。」
 
真地ナレーター;今の鮎沢さんの歌をもう一度聴いてみると、デヴィーアさんが指敵していたのは次の部分
 
鮎沢「(3つ目のL’amour!)」
 
真地ナレーター;確かに声質が変化してしまっている
 
マリエッラ「どうするかと言うと、もっと柔らかく歌うのよね!やってみて!1つ目のL’amour!という所から。」
鮎沢「L’amour! L’amour! L’amour!」
マリエッラ「L’amour! L’amour!どこに『ラ』を置いているかしら、L’amour!少し前に!後じゃなくて、やってみて。」
鮎沢「L’amour!」
マリエッラ「ここよこの部分よ。」
鮎沢「L’amour! L’amour! L’amour! L’amour!  恋よ!恋よ!恋よ!恋よ!」
 
 
真地ナレーター;今度はうまくいったようだ。
こうして夢のような特別授業は終わった。
 
三林「初主演は上手くいきそうかな?」
鮎沢「上手くいかせます。」 
マリエッラ「頑張ってくださいね。」
鮎沢/マリエッラ「Evviva!!(万歳)」
 
ここからスタジオトーク
所「すばらしい。」
中山秀征「すごい人がすごい人に教えると、理解力の速さ!やっぱりそのレベル」
(やっぱりそのレベルまで来ているから)
中山秀征「あの大先生も、そこピンポイントで言ってくれるわけですよ。」
所「だって歌ってて{気に入らないわ!}」
中山秀征「でも歌ってるほうも気づかれたっていうのは分かってるんですよ。」
所「カッコいいね~、{気に入らないわ!}今後使おう俺!」
 
 
 

FINE■■2/2 part3
 
 
今回ホールを貸し切ったりマリエッラさんを呼んだりと、番組製作とはいえ予算掛かったのだろうと思いますが、
“笑コラ”って番組予算付いているんだね。
 
原石がまばゆいばかりに磨かれていくようです。
彼女もいづれはNHKのニューイヤーオペラコンサートに出演するようになるんでしょうね。
 
 
 
バルセロナとのバトルになっているので突然割り込んんで来ます。
三林「所さん、牛追いもスゴイですがイタリアはまだまだスゴイのあります。」
所「ホントかよ~」 
三林「はい、それではVTRスタート

  【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part3前編
真地勇志ナレーター;ローマ支局開設からはや1年4ヶ月。
この日も支局会議が開かれていた。
 
三林「ふと思ったんだけどイタリアに留学している日本人って、どんな勉強しに来ているのかな?」
クラウディア「普通にイタリア語留学じゃないですかね?」
ジェンナーロ「いやぁ~イタリアと言えば、やっぱり料理じゃないですか?」 
アルマンド「デザインとかファッションとか、音楽とかもあるんじゃないですか?」
ジェンナーロ「あっ!音楽!やっぱりオペラも結構いますよ!日本から勉強しに来る人!」 
三林「あぁ!オペラ?よしっ!今回はイタリアでオペラを勉強している日本人に取材をしましょう!」
ミケ―ラ「決定。」
 
真地ナレーター;早速リサーチ開始!!
まずはイタリアの音楽学校に片っ端からアンケートを送る。
そして後日返って来た回答の中に気になる学生さんを発見。
鮎沢由香里さん(20歳)、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院声楽家受験、
イタリア語 声楽実技なんと1位で合格。
{このサンタ・チェチーリア音楽院がある街ローマが、自分の人生を決めた街だから。}ともある。
早速、鮎沢さんとアポイントをとるとローマ随一の観光地スペイン広場が指定の場所だった。
しばらくすると、

鮎沢「どうもはじめまして。」
三林「あぁ~はじめまして!」
鮎沢「鮎沢由香里です。」
三林「鮎沢さんで、待ってました。どうもよろしくお願いします。」
鮎沢「よろしくお願いします。」
三林「なんで今日、待ち合わせ場所スペイン広場なんですか?」
鮎沢「サンタ・チェチーリア音楽院がここから歩いて3分くらいの場所にあるので…」 
三林「へ~すごい!行ってみたい。」
鮎沢「あぁじゃあ是非!」
三林「行きましょう 行きましょう!」
 
真地ナレーター;鮎沢さんは身長171cm きっと舞台映えするであろうスラッとした体型だ。
 
鮎沢「あっここです。」
三林「ここですか!?」
鮎沢「はいサンタ・チェチーリア音楽院。」
三林「おぉすごい、これだ。」
 
真地ナレーター;鮎沢さんの通うサンタ・チェチーリア音楽院は1875年創立。
およそ140年の歴史を誇る超名門校。
その名はローマで殉教した音楽の守護聖人 聖チェチーリアに由来し、
映画音楽界の巨匠でアカデミー名誉賞を受賞した作曲家エンニオ・モリコーネ
ウィーンフィルベルリンフィルなどヨーロッパの名門オーケストラでタクトを執り、
孤高の巨匠と呼ばれた指揮者カルロ・マリア・ジュリーニなど著名人を排出し続けている。

現在全41学部におよそ1250名が在籍。
ピアノ、バイオリンといったクラッシク音楽はもちろん、
ジャズや電子音楽などあらゆるジャンルの音楽から学べる。
鮎沢さんは推薦などではなく、受験してこの名門に入学。

その成績は全世界からの留学志望者中、イタリア語1位イタリア人も含む全声楽科志望者中、
歌の実技1位という素晴らしいものだった。
現在入学しておよそ9ヶ月、声楽科といっても歌の実習にとどまらず、
劇作家の歴史など一日7時間にも及ぶ講義をイタリア語で受けている。
声楽の世界で女性の声は高い方からソプラノ、メゾソプラノ、アルトの三つの声種に分類される。
鮎沢さんの声は真ん中に当たるメゾソプラノだ。
 
後日、彼女がやって来たのは普段通っている学校ではなく別の建物

女性支局員「ここは何をしに来たんですか?」
鮎沢「今日はこれぺティの先生と個人レッスンをしにカルメンの勉強をしに来ました。」
支局員「何でカルメンを勉強するんですか?」
鮎沢「9月2日に自分が初めて主役としてカルメンをさせていただく事になったので、その準備を――、」 
 
真地ナレーター;アリア「ハバネラ」で知られる歌劇『カルメン』はスペインを舞台に魔性の女・カルメンと
その色香に狂わされた男・ドン・ホセが愛の奈落に落ちて行く悲劇。

作曲家ジョルジュ・ビゼー(1838~1875)の手になる“カルメン”は、
親しみやすい旋律で人気が高くソプラノではなくメゾソプラノが主役を務める。
さほど多くないオペラの一つである。
 
9月2日日本で行われる“カルメン”の公演で鮎沢さんは26歳の若さにして主役カルメンに抜擢された。
そのためコレぺティ―トル(;オペラハウス等でピアノを弾きながら歌の稽古をする。)を
ピアノの先生から週2回個人レッスンを受けている。
 
アントニオ・ぺルゴッリツィ氏はイタリア三大歌劇場の1つローマオペラ座で20年以上も
コレぺティ―トルを務める大ベテランだ。

せっかくイタリア語はほぼ完璧なのに舞台はスペインなのにカルメンは全編フランス語で歌われる。
それもまた覚えなければならない。
 
♪~
アントニオ「OK!いいね。素晴らしい。」

真地ナレーター;鮎沢さんはこの日個人レッスン終了後、
フランス人の友達からフランス語の発音指導を受けたり、
帰宅後発声の復習を繰り返したりと初の晴れ舞台に向かって全身全霊を捧げている。
そんな彼女が声楽と出会ったのは中学校卒業も真近に迫った頃、所属していた合唱部の千葉道代先生から、いい声だから歌の勉強をしてみないかと言われたのがきっかけだった。

遅まきながら高校生で歌の勉強を始めた鮎沢さんはその1年後、家族旅行でイタリアを訪れ、
たまたまオペラに出会い衝撃を受けた。
 
鮎沢「教会の中でオペラを上演するという団体がありまして、
そこでロッシーニという作曲家の『セビリアの理髪師』という演目を観まして、
その時全くイタリア語分からなくて何を言ってるのか分からないじゃないですか、
こうバタバタバタバタ動き回って、でも凄く楽しかったんですね。
オーケストラと歌と全てが一緒になって1つの物として聴こえたんです。
それがオペラを…オペラ歌手になりたいと思った一番のきっかけです。」

真地ナレーター;そしてわずか3年の勉強で東京藝術大学音楽学部声楽科に入学。
4年間研さんを積みその後国内には留まらず、サンタ・チェチーリア音楽院留学を目指しイタリアへ渡ったのだ。
 
三林「鮎沢さんが憧れるオペラ歌手は?」
鮎沢「テレサ・ベルガンサさんという歌も演技も全て好きですね。」
 
真地ナレーター;テレサ・ベルガンサは鮎沢さんと同じ声域のメゾソプラノ歌手。
バルセロナオリンピック開会式で歌ったことでも知られる彼女は、
魅力的な舞台姿と高度な歌唱技術で称賛された。
 
三林「もう一人ぐらい…」
鮎沢マリエッラ・デヴィーアさんっていう方が、
ローマのサンタ・チェチーリア音楽院を卒業されている方なんですけれども――、」 
三林「学校の先輩ですか。」
鮎沢「そうですね!まぁ大先輩にあたりますけれども…」
 
真地ナレーター;Mariella Deviaは1973年にソプラノ歌手にとっての超難役『ランメルモールのルチア』で
デビューして以来、世界のひのき舞台で成功を収めて来た。
一般的に高音のソプラノ歌手は花が短いといわれる。
しかし、デヴィーアはデビューから40年(現在64歳)となった今も変わらず主役を張り続けている。

(椿姫/ラ・トラヴィア―タの映像が流れている)この素晴らしい歌声も僅か4年前60歳の時のものだ。
 
鮎沢「自分はパートというか声種が違うんですけれどもテクニックがブレないんですよ。
本当に安定しているというか、聴いててブレることがない。
自分が身に付けたい1つの理想の形だとは思います。」
 
真地ナレーター;夢に向かって全力で走り続ける彼女の為に――、三林支局長は素敵なプレゼントを用意した。一週間後2人は、ある場所に向かっていた。
ここテアトロ イタリアは1930年に完成した。イタリアでは比較的新しいホール。
近年有望な若手音楽家によるコンサートが頻繁に行われている。
 
三林「じゃどうぞ」といって建物の中に入る。
鮎沢「おぉ~すごい!キレイですね。」
三林「貸し切りました。」 
 
真地ナレーター;およそ800席あるこのホールでのミニ本番。
これが支局長からの最初のプレゼントだ。

鮎沢さんも舞台衣装に着替えて再登場。準備は整ったようだ。
 
 
三林「素敵ですね。鮎沢さんせっかくこれだけの客席があって、
聴いて頂く方が誰もいないっていうのはちょっと寂しいかなって思うんで…」
鮎沢「はい
三林「鮎沢さんの為にある方を呼んでいます。」
鮎沢「はい
三林「どうぞ!」
鮎沢「えぇーデヴィーアさん、」
 
真地ナレーター;憧れの人マリエッラ・デヴィーアさんだ!
 
鮎沢「Buongiorno.」
マリエッラ「こんにちはマリエッラです。はじめまして。」
鮎沢「Piacere.鮎沢由香理と申します。」

三林「憧れの人どなたでしたっけ?」 
鮎沢「マリエッラ・デヴィーア先せ…デヴィーアさんです。はい。」
三林「今回特別に先生に鮎沢さんの歌を聴いて頂こうと思い…」
鮎沢「いやぁ~すごい。」 
三林「来て頂きました。」 

鮎沢「Grazie mille
マリエッラ「どういたしまして。」
鮎沢「先生と会って急にドキドキしてきました。」
マリエッラ「いえいえ落ち着いて頂戴。」
鮎沢「それで上手く言葉が出てこなくなりました。」
マリエッラ「落ち着いてなさればいいのよ。」

三林「ということで鮎沢さん、どうですか?」 
鮎沢「いやまぁ…頑張ります。」
三林「頑張ってください。」 
鮎沢「はい。」
三林「じゃあ宜しくお願いします。」
 
真地ナレーター;鮎沢さんが憧れの大先輩の前で歌うのはオペラ カルメン第1幕よりアリア「ハバネラ
イメージ 1
 
マリエッラ「良いわ。」
鮎沢「は~ た~ あ~ 最後の所をもう1回やり直したいです。」

マリエッラ「やり直したいの?」
アントニオ「もっとやり直したい所があるんじゃない?」

マリエッラ「じゃあやりましょうか!」

三林「彼女の歌声はどうでしたか?」
マリエッラ「彼女が素晴らしい声を持っているのは確かです。でもあなたはとても若いし、
だからもちろん勉強を続けなくてはなりません。」 

三林「どうだった?前で1曲歌ってみて――、」
鮎沢「いやいやもうもうもう緊張して、特に最後がもう決まらなくて、もう…」
三林「今回は先生に鮎沢さんの初主演に向けて――、」 
鮎沢「レッスンして はい」 
  
三林「レッスンして頂こうと思っています。」

鮎沢「――して頂けるんですか?ありがとうございます。」
マリエッラ「どうなるかお楽しみに。私はメゾソプラノ歌手ではありませんからね。
ですがまぁ同じことですからね。」
 
 
FINE□ 1/2
 
イタリア語1位なんて!いやぁこれまたすごい日本人がおられましたね。
 
 
  
 
 
 【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part2後編
 
真地勇志ナレーター;そんなフェラガモの現在の靴作りを是非見てみたい!
そこで!
 
小松原支局員がある店の前から姿を表すと、
お待たせ!」
ミケ―ラ「えっ!ちょっと待ってください!ステキじゃないですか!小松原さん。」
小松原「全身フェラガモ!」画面アップになってさらに「フェラガモ
 
 
真地ナレーター;気合い十分な元支局長が向かったのは、
イタリアに20もあるフェラガモ工場の中でも、高級靴に特化している工場だ。

マリリン・モンローが履いたものと同じデザインのこの靴の製造工程を見せてもらう。
 
先ずは靴の外側。
牛皮を特殊加工した素材に紙で出来た靴型を当てカッティングする。
素早く正確に切り抜くと、同様に内側部分の革も切りだしていく。
こうして出来たそれぞれの素材はこの後、縫いやすくするため端を薄くしておく。
そしてかかとの部分をミシンで繋ぎ合わせると、
縫い目が足に当たらないようにハサミでギリギリまで切り落とし、更に金槌で柔らかくする。
 
この作業を間近に見ている小松原元支局長「スゴ~い!」
 
真地ナレーター;このかかと部分や薄くした部分に補強の布を貼ると
カーブにハサミで切り込みを入れる。
 
 
この作業工程、言葉だけではまったく通じないでしょう。
実際に見た人でないと何を言っているのかサッパリわからないと思います。
 
 
真地ナレーター;次にのりを塗り、金槌を使って内側へ折り畳む。
そこへ再び補強の布を貼り付ける。一方内側の革はのりで繋ぎ合せた後、
足が直接触れる部分にはさらに柔らかい革をミシンで繋ぎ合わせる。
そして内側の革が僅かにはみ出るように、ふたつの革をミシンで縫い合わせて行く。
縫い目は折り目ギリギリでわずかなズレも許されないため熟練した業が必要だ。
そして足の甲に当たる場所の内側の革を縫い目ギリギリで切り取ると、第一段階終了。
その縫い目は限りなくヘリに近い。
 
そして今度は足形を使う作業。
サルヴァト―レ氏が考案した土踏まずを支える鉄の板が埋め込まれた中敷きを、
足形に合わせて取りつける。そしてかかとの補強用に3枚目の革にのりを塗り、
先程の外側と内側の間に貼りホチキスで仮留めする。
この部分(残りの余った部分)は最後に切り落とすので問題はない。
 
補強用の革へさらにのりを塗り、機械を使ってしっかりと圧着する。
この様に完全に均等な力加減を必要とする箇所は、現在機械化されている。
そして靴の先端部分にコットンで出来た補強素材プンタ―レを丁寧に貼り付けて、
はみ出した部分を切り落としていくと、内側と外側の革の接着は完了。
足へのフィット感を考慮し柔軟さが保てるように、革全体は貼り合わせないのが特徴だ。
これを先程の中敷きが付いた足形に被せ機械で押さえつけると、
足の甲を押し上げ革全体を引き延ばす。

そして靴底やはみ出した革の部分を釘で留めると、底にある余分な革を削り取る。
この状態で4日間置くと、革が落ち着き靴の形が出来上がるのだ。
この後ヒールをのりでしっかりと取りつけ、さらに靴底を貼り付けるとようやく靴から足形を外す。
 
最後に余分な内側の革を切り取り、
細部に装飾を施せば今も手作りにこだわり続けるフェラガモの靴が完成する。
 
小松原「すばらしい!」
 
真地ナレーター;靴作りを取材し終えたコマツバ~ラは、全身フェラガモに着替えたことをいいことに、
再びフェラガモ本社を訪れた。
この本社が入るスピーニ・フェローニは13世紀に建てられフィレンツェで2番目に古い建物で、
1938年サルヴァト―レ氏が購入したものだ。

すると、
ミケ―ラ「来ました。」
小松原「ピアチェーレ!」
フェラガモ社の女性「Piacere.」
小松原「ジョバンナさん?」 
ジョバンナ「ジョバンナさん(日本語で)、Buonasera.」
 
真地ナレーター;なんと出迎えてくれたのはサルヴァト―レ氏の次女ジョバンナ・フェラガモさんだ。
小松原支局員の格好を見て、

ジョバンナ「全部フェラガモね!」 
小松原「Si
ジョバンナ「とても素敵ね!エレガントだわ!」
 
真地ナレーター;全身フェラガモ作戦が功を奏したようだ。
するとフェラガモ本社を案内してくれるという。
中に通され数々の装飾品に目を奪われて――、

小松原「すばらしい!」
ジョバンナ「ドナッテロの弟子であったポチェッティの絵付けによるもので、1600年代のものです。
父が建物を買い取りました時に最初に使ったのが、こちらのフロアの数部屋でした。今は修復しましたが、この小礼拝堂の中で靴の革を縫い合わせていたのです。」
 
小松原「へ~、Grazie mille.!ありがとうございました。」
ジョバンナ「アリガトウ!(日本語で)」満面の笑顔です。
 
 
 

ここからスタジオトーク
所「いや~随分深いところまで取材出来ましたね、これね。みんなギリで作ってんですね。」
中山秀征「縫い目の際のあのカットはもう、ほぼ縫い目ですよね。」
所「あれ縫い目のほう行っちゃったらオジャンでしょ?」
二宮和也「あれは凄い作業ですね。」
所「職人さんが作った靴は大事に履かなきゃダメだね。」
二宮和也「ダメですね。」 
関根麻里「イタリアの三林支局長!」
三林「は~い!三林です。」
所「褒めてやる。」

三林「ありがとうございます。そして今日こちらの現地支局員の方に来て頂いております。」 
 
ミケ―ラ「現地支局員第7号のミケ―ラ・チェッカリーニです。
実は今日もフェラガモの靴を履いています。とっても履きやすいです!」
 
ジェンナーロ「所さん!」
所「何?」 
ジェンナーロ「やっぱり彼女フェラガモつけて来たので、
彼女に負けないようにカルガモつけてみました!」
所「面白いよお前、おもしろいよ~」「三林くん
三林「はいはい。」
所「支局員に恵まれているね君。」
三林「はいそうなんですステキな…」 
 
 
と、ここでバルセロナ支局に割り込まれてしまいます。
 
 
 

FINE■■2/2
 

彼が靴を作っている姿を映像で見る事が出来なんて、
私もこれはサルヴァト―レ・フェラガモの永久保存版です。
 
 
 
 
 
 
 三林「所さん、所さん、生ハムも良いんですけれどイタリアもまだまだ負けませんよ!
それではVTRスタート!」
 
 
 【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part2前編
真地勇志ナレーター;支局開設から1年4ヶ月。
仕事に貪欲な三林支局長は支局員に『根性』を求めていた。

(ホワイトボードに根性と書かれていました。)
 
三林「今度はファッションを取材したい!」
ジェンナーロ「突然だけどいいね!」
三林「いいっすか!」
ミケ―ラ「だったらちょうど今、メリリン・モンロー展をやってますよ。」
三林「メリリン・モンロ~?」
ミケ―ラ「マリリン・モンロー!」
三林「いいね。」
ミケ―ラ「マリリン・モンローさんが履いていた靴とか衣装展示しています。」
三林「へぇ~!そんなことやんの?」
ミケ―ラ「じゃぁ支局長明日観にいきましょうよ!」
三林「いいね、行っちゃいましょう!」
アルマンド「えっ支局長でも明日、野球の取材が入っていて…」
三林「明日!?」
ミケ―ラ「忙しいんですか?」
アルマンド「スケジュール難しそうですけれど…」
ミケ―ラ「お願いしますよ。」
三林「野球かマリリンか!」
ミケ―ラ「マリリンです。」
 
真地ナレーター;どちらも面白そうだが、残念ながら体は一つしかない。
マリリン・モンロー展が行われるフィレンツェにいたのは――、
 
 
小松原正勝「イタリアはいいね!やっぱり日本よりイタリアの方がいい!」
 
真地ナレーター;小松ば~ら初代ローマ支局長だった。
マリリン・モンロー展取材の為緊急出動したコマツバ~ラに同行するのは、
ミケ―ラ・チェッカリーニ現地支局員だ。
 
ミケ―ラ「お久しぶりです、小松原さん。」
小松原「久しぶり!ミケ―ラ俺が見てない間に変わったね!」
ミケ―ラ「ですよね!」
小松原「キレイ!」
 
真地ナレーター;2人は3ヶ月ぶりの再会を惜しむ間もなくマリリン・モンロー展へ出発!
やって来たのはフィレンツェのブランド街トルナヴォーニ通り。
 
 
ミケ―ラ「ここです!フェラガモ博物館です。」
小松原「ここ?」
ミケ―ラ「はいそうです。ほら“MUSEO”って博物館です。どうぞ。」
 
中に入って行く2人
小松原「何かシャレているね!イタリア。」
 
真地ナレーター;多分世界で最も名の知れた靴のブランド、サルヴァト―レ・フェラガモ。
その博物館が『モンロー展』の会場だ。
 
 
館長「Buongiorno.」
小松原/ミケ―ラ「こんにちはピアチェーレ。」
 
真地ナレーター;今回我々はステェファニア・リッチ館長、直々の案内で見学出来る。
早速会場へ。
 
小松原「うわ~。スゴ~い!」
ステェファニア館長「ここは女優としてのマリリン・モンローの部屋です。
映画撮影用のドレスと靴を展示してあります。靴はフェラガモです。」
 
 
真地ナレーター;最初の部屋に展示されているマリリン・モンローが映画で
実際身に着けた衣装と靴42点は、普段決して見る事の出来ない超貴重なものばかり。
 
 
小松原「日本で一番有名な映画が通気口からこうマリリンがこう押さえる{イヤ~ん}って!」
ステェファニア館長「ここにありますよ!お見せしましょう!」
小松原「日本人が一番好き!」
写真を手に取り「これだ!これこれ!」「これ!これ!これ!これ!」
 
館長が裾を広げると
ウォ!ホッホッ~!この靴がどれですか?」
ステェファニア館長「この靴はありません!保存されてないからです。
当社の昔の職人達も昔から言ってますが、これはフェラガモ製だと!
ここには保存されてませんので展示することが出来なかったんです。」 
 
 
真地ナレーター;あの名シーンの靴こそなかったが、
こちらの3点は同じ『七年目の浮気』の中で使用されたものだ。
 
ステェファニア館長「でもドレスはここに展示してありますよ。」
小松原「ホッホッ~!」
 
 
真地ナレーター;164cmのアメリカ人としてはやや小柄な身長に、
バスト94ウエスト61ヒップ86というナイスバディーを包んだこのドレスは、
セックスシンボル・マリリン・モンローの代表的な衣装の1つだ。
展示品の靴はフェラガモ社が世界中のオークションで落札し一足一足集めて来た。
続いて案内されたのは――、
 
ステェファニア館長「これらはマリリン・モンローのプライベート用の靴です。」
 
 
真地ナレーター;大のフェラガモファンとして知られるマリリン・モンローの履く靴は、
生涯『フェラガモ』だけだったといわれる。
 
 
ステェファニア館長「ご覧になって分かるように様々な素材で作られています。
カーフやスウェードやサテン地などですが、型とヒールの高さは常に同じでした。」
小松原「じゃあ、このデザインの靴しかプライベートでは履かなかったんですか?」
ステェファニア館長「そうです!」
 
 
 
 
その展示室から出て、
小松原「やっぱりマリリンすごいね!」とミケ―ラに話しかける。
すると前方にいるひとりの男性を見つけ、
ミケ―ラ「あれっフェラガモファミリーの方ですよ。」
小松原「フェラガモの方!?」
ミケ―ラ「はい、よく雑誌で見たんで――、」
 
まぁこの辺は事前に打ち合わせされていたのでしょう。宣伝になりますからね。
そして挨拶を交わします。

小松原「こんにちは。ピアチェーレ!」
フェラガモ「こんにちは!どうもこんにちは!」
小松原「フェラガモファミリーの方ですか?」
フェラガモ「私は三代目のジェームス・フェラガモです。私の祖父がサルヴァト―レ・フェラガモです。」
 ジェームスなんてイタリア人っぽくない名前ですね。
 
 
 
真地ナレーター;なんとフェラガモ創始者・サルヴァト―レ・フェラガモの
孫ジェームス・フェラガモ氏だ。
するとジェームス氏は我々を連れ移動し始めた。
この時ミケ―ラは階段を先に歩いていました。レディーファーストなのかな。
 
小松原「スゴ~い!この部屋は何のお部屋なんですか?」
ジェームス「ここフィレンツェの『クリエーション』では、
先程の博物館の中で見た靴と同じものを限定で販売しています。これを見て下さい。
このサンダルは下の部屋に置いてありました。これは私の祖父が作った靴を正確に復元したんです。
靴にはそれぞれ番号が入っています。(この靴は)150足作られています。
これは150足中の48番です。」
 
 
真地ナレーター;ここクリエーションで売られているのは、いずれも限定品ばかりだ。
マリリン・モンローをはじめ数多くのハリウッドスターに愛されて来たブランド “フェラガモ”

その創始者Salvatore Ferragamoサルヴァト―レ・フェラガモは、
1898年イタリア南部の小さな村・ボ二ートで生まれる。
物心つく頃から靴作りに興味を示したサルヴァト―レ・フェラガモは、
貧しい家計を助けたいという思いに加え、
靴を作ってみたいという思いを抑え切れず僅か9歳(1907年)で靴職人に弟子入り、
周りの子供達は遊んでいるなか師匠の業を必至に盗み独学で靴作りを覚え、
3年後12歳(1910年)の少年は村に自分の店を構える。

何よりもは履き心地を大切にするサルヴァト―レ少年の靴は、評判良く店は大繁盛。
すると靴作りをもっと深く学ぶ為15歳(1913年)の靴職人はアメリカへ渡った。
 
しかし20世紀初頭、アメリカの靴作りはすでに機械化が進んでいた。
手作りにこだわるサルヴァト―レは「これでは何も学べない」…と、ひどく落胆した。
 

サルヴァト―レ・フェラガモ会長フェルッチオ・フェラガモ(長男)「父はいつも手作りにこだわり
履きやすい靴を作っていましたからね。
 
 
真地ナレーター;仕方なくアメリカでも手作りの靴屋を開業するとチャンスが舞い込んだ!
それは当時大人気だったカウボーイ映画で使われる靴の製作。
この依頼にサルヴァト―レは今まで培った技の全てを投入した。
するとその靴を履いた俳優は
「こんな履き心地いい靴に今まで出会ったことがない」…と大絶賛。
 
こうしてサルヴァト―レの靴は映画関係者の間で瞬く間に評判となり、
「十戒」や「バクダットの盗賊」などの撮影でも声がかかるようになった。
 
その頃、より快適な靴を追い求めアメリカの大学で解剖学を学んでいたサルヴァト―レは、
ある重大な事実を発見した。
それは人の体重は狭い土踏まずの部分だけで支えられていること。
そこで彼は中敷きの土踏まずの部分に薄い鉄の板を入れた。
するとこれが抜群のは履き心地を生んだ。
今は当たり前になったこの技法は、当時は画期的で店はますます繁盛した。
 
こうして技術が向上するにつれてサルヴァト―レには
{いい靴をもっとたくさんの人に履いてほしい}という願いが生まれた。
だが今は一人での靴作り。機械化後のアメリカには雇うべき職人もいない。
悩んだ末サルヴァト―レは1927年1月(28歳)イタリアに帰国。

靴職人の多いフィレンツェに移り住み自身の名を冠したブランド
サルヴァト―レ・フェラガモ』を設立した。

優秀な靴職人達を手に入れたサルヴァト―レは、
手作りにこだわりつつも
従来の一人の職人が最初から仕上げまで一足を作るというやり方から、
複数の職人が役割の分担をする分業制へと移行した。

この方法で多くの靴を作る事が可能となり、サルヴァト―レの靴は益々世に知られて行った。
映画界ではマリリン・モンローやオードリー・ヘップバーンなどのスターを虜にし、
更に1947年(49歳)ファッション界のオスカーと言われるニーマン・マーカス賞も受賞した。
しかし世間から脚光を浴びれば浴びるほど、
靴の需要が増え分業制でさえ生産は追いつかなっていった。

するとサルヴァト―レはかつてアメリカで見た、靴を作る機械の事を思い出した。
いい靴をもっとたくさんの人に履いて貰う為には、
職人による手作りと部分的な機械化の融合しかないと考えるようになった。
 
しかしその矢先、1960年サルヴァト―レ・フェラガモは62歳という若さで他界。
彼の思いは子供達に受け継がれ実現し、
南イタリアの少年靴店は今や世界のフェラガモと言われるまでになった。
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
続く□1/2完了
 
うわぁ~ありがとう。
私も大好きなブランドです。 
 
 しかし、
サルヴァト―レさん、いい靴を多くの人にと言うならば、もっとリーズナブルな靴も作って!
 
 フェラガミアン
 
 
 
 
 
 う~ん、バルセロナ支局なんか邪魔!
つい最近“艶女”なる文字を目にしました。
う~ん、何て読むんだろ?「ツヤおんな」かな「えんじょ」かなと思いながら、
結局読めずウッキったら出て来ました。
                           【艶女】
艶女と書いて『アデージョ』と読むんですね。    (読めるかっ――!)
 
なんでも女性誌・NIKITAからの発信による造語で、モテる中年女性の事らしいです。
その言葉が当てはまる人とは30代で年収が800万円以上あるキャリアウーマンとか、
月に30万円以上を自由に使うことが出来る主婦などで、
ファッションに気を遣い色気がある大人の女性ときているから驚きです。
 
こういう女性がいない訳でもないけれど…、それにしても世の中にはたくさんいるのかなぁ。
 
更に、この造語の発信元によると、
若い女性にはない経験やテクニックをもつ大人のイイ女(モテる女)が当てはまるとのこと。
そしてこのアデージョのキーワードとして貫禄・お金・自立・テクニック(お洒落)などだそうです。
 
あなたの周りに直ぐ思いつくような人がおりますか?
 
あぁこういう人とお友達になりたいなぁ~。

 
 【笑ってコラえて!ローマ支局】8/15 part1後編
真地勇志ナレーター;そして翌朝
いよいよナーソでレディー・ガガのルーツ探しスタート!!
ナーソは丘の上の旧市街を中心とする人口4100人ののどかな町。
人々の多くは農業を営み、中でもオレンジやオリーブの栽培が盛んだ。
先ずはバールで聞き込み開始!
 
三林支局長「おぉ!かわいいですね~!レディー・ガガさん知ってますか?
バールの女性「えぇ、もちろん知ってるわよ。」
三林「ここのナーソがレディー・ガガのルーツって聞いて訪ねて来たんですけど…」
バールの女性「えぇそうよ。彼女ジェルマノッタっていう名字だからね。」
三林「ジェルマノッタ?ジェルマノッタって言うのは、この地区の特有の名前なんだ?
バールの女性「えぇそうよ。」
 
真地ナレーター;レディー・ガガの本名の名字
ステファニー ジョアン アンジェリ―ナ ジャーマノッタ
Stefani  Joanne  Angelina  Germanotta
英語ではジャーマノッタという発音になるが、もともとはイタリア語で「ジェルマノッタ」と読む。
しかもこの名字はかなり珍しく、ナーソ近辺が発祥の地と言われる。
 
これで確信を得たジェンナーロ「やった!
三林「やったね!」
ジェンナーロ「やっぱりナーソで合ってたよ!」 
三林「そうだよ~ジェルマノッタさんっていう人を探せば――、
ようはレディー・ガガのルーツに当たるかもしれないよ。」
ジェンナーロ「もしかして親戚がいるかも。」
三林「ねっ!」
ジェンナーロ「うん。」 
 
真地ナレーター;幸先いいスタートに息上がるふたり、更に情報を求め聞き込みを続ける。
 
すると
三林「レディー・ガガさんのルーツが――、」
バール内にいたお客さん「レディー・ガガ?
三林「ナーソにあるって来たんですけれど…」
バールの男性客「そうだよ、そう信じてるよ。だって彼女の曽祖父母が1900年代初頭に島を出たんだ。
アメリカに幸運を求めて…アメリカにね。彼女はここからアメリカに渡った人の子孫だよ。
この土地と血のつながりがある事は確かさ。」
三林「お~すごい。」
 
真地ナレーター;自分の父親もアメリカへの移住経験があるというこの男性が、
我々に見せたいものがあるというのでついて行った。
 
三林「うわ!スゲー!!」
ジェンナーロ「わ~いいね。」
 
高台から見下ろす絶景です。
 
男性「ここは見ておくべきでしょ?レディー・ガガがこれを見たら『カワイイ場所ね!』って言うんじゃない?」
ジェンナーロ「こんな良い所に住んでいたのに、なんで先祖は引っ越したんでしょう?」
男性「100年前の若者は社会状況から、逃げ出す必要があったんだ。」
 
真地ナレーター;さらに市役所は移民に関する資料を持っているはずだ!と教えてもらい、
2人はナーソ市役所を訪ねた。
 
三林「レディー・ガガさんのルーツを探ってナーソに来ているんですけど、何か手掛かりは御座いませんか?」
市役所の女性「彼女のひいおじいさんの出生証明書があります。それから結婚の証明証もありますよ。」
 
真地ナレーター;すると、その貴重な資料を特別に見せていただけることに。
これがレディー・ガガ曽祖父の出生証明書だ。
1881年5月22日午前10時生まれ、アントニーノと命名。
ひいおじいさんの名前はアントニーノ・ジェルマノッタ。今も生きていれば131歳になる。
そしてこちらは曽祖父母の結婚証明書。
1904年3月22日午前10時50分、アントニーノ・ジェルマノッタとロザ―リア・リパーリが結婚したとある。
更に下にはアントニーノさんの直筆サイン108年前に彼がこの場所にいたことの証拠だ。

そして、
市役所の女性「これは移民の下船リストのコピーです。アメリカのエリス島で記録されたものです。」
 
ふたりが渡米したのは1904年4月14日渡米(3月22日入籍)、結婚のわずか23日後だ。
1880年~1920年かけてイタリア南部、特にシチリアからアメリカへ移民したイタリア人、
その数はなんと411万人!!
当時イタリア北部は経済成長を遂げ豊かになる一方、南部はそれに取り残されたうえに高い税金に苦しみ
以前より更に貧しくなってしまった。そこへ火山の噴火・地震・津波などの大災害が立て続けに見舞われ、
多くの人々が新天地を夢見てアメリカへ渡って行った。

そんなアメリカでのイタリア移民を描いた最も有名な映画がこれだ。
ゴットファーザー
人々は故郷シチリアを離れニューヨークを目指す。だが成功する者はほんの一握り。
未知の土地で異邦人が頼れるものは家族の絆だけだった。
のちにマフィアのドンとなり『ゴット。ファーザー』と呼ばれるビト・コルレオーネ少年が
シチリアを旅立ったのは映画の設定では1901年、まだ22歳だったジェルマノッタ青年がアメリカに渡る3年前だ。

現在イタリア系アメリカ人は1700万人、全米人口3億1000万人の約6%に過ぎない。
しかし、その活躍は目覚ましく我々になじみ深い人物も多い
 
ロバート・デ二ーロ、マドンナ、シルヴェスター・スタローン、レオナルド・ディカプリオ、シンディ・ローパー、
そしてレディー・ガガ。
彼らの輝かしい存在は無名のイタリア移住民の苦労と努力抜きには語れない。
 
市役所を出た2人は再び聞き込み開始!
 
 
年配の割には派手な服装の男性に
三林「レディー・ガガさんて知ってますか?」
年配男性「レディー・ガガの親戚が、この村にいるよ。」
三林「お~やっぱり。」
配男性「97歳か98歳のおばあちゃんがこちらにお住まいですよ。」
 「マイナに住んでいます。噴水の近くです。」
 
真地ナレーター;これは有力情報だ。目指すはもちろんマイナ地区。目印は噴水だ。
しかし歩き始めて1時間。マイナ地区中心から約5キロ、噴水どころか人にさえ出あわない。
 
三林「まいったな。あっ!いた!チャオ!」「お父さんマイナ地区ってどこですか?」
お父さん「ここだよ。」 
三林「ここのマイナ地区って言う所に97,8歳のおばあちゃんを探してるんですけど知りませんか?
お父さん「もっと向こうだよ。噴水のある場所だ。噴水に面している家だよ。」
忙しく通訳するジェンナーロ「そこにある家に住んでます。」 
お父さん「アメリカに親戚がいるよ。」
ジェンナーロ「アメリカに親戚が住んでますって!」
お父さん「スターだよ。」
ジェンナーロ「スターの親戚がいますって。」
三林「それってもしかしてレディー・ガガでいいんですか?」
お父さん「そうだよ。」
三林「おぉー!」
お父さん「なんの騒ぎだ!?」
三林「合えるよー!やったよー!」
 
真地ナレーター;どうやら間違いないようだ。噴水を目指し歩くこと5分。
 
三林「あっ!水の音がする!でもあれ噴水じゃないんじゃない?ジェンナーロ君。」
 
真地ナレーター;遠くに見えるのは水飲み場のようだが…
 
三林「えっ!これ本当に噴水?」
ジェンナーロ「そうみたい。」
三林「え~!」
 
真地ナレーター;噴水には見えないが証言と立地的にはかなり一致している。
上に建つ家に声をかけてみる。
 
三林「Buonasera.」
家人「はい。」
三林「ここジェルマノッタさんのご自宅ですか?
ジェンナーロ「Questa e' la casa della signora Germanotta?」
家人「si.」
三林「あーはじめまして。レディー・ガガさんのルーツを辿っていたら、
こちらがルーツなんじゃないかって言うことで来たんですけど――、」
家人「この家であってるけど今大変なんだよ。
 
真地ナレーター;実は今年3月、家の横にある道が崩れ危険なので現在この家は居住禁止。
ガガの親戚ニ―ナさんも当然いない。
 
家人「ジェルマノッタと話したいですか?」
三林「あ~行きたい、行きたい!おーやった~!」
 
真地ナレーター;話によるとニ―ナさんは現在、娘夫婦の家に身を寄せているのだという。

その娘夫婦の家に着くと、
三林「はじめまして。」
ジェンナーロ「いました、いました。」
三林「あ!いた!はじめまして、突然すみません。」
 
真地ナレーター;あれに見えるのは現在93歳のニ―ナ・ジェルマノッタさん、その人。
三林支局長のいい加減な旅もようやく終わりに近づいたようだ。
 
三林「あ~どうも、ジェルマノッタ・ニ―ナさんで?はじめましてpiacere!お~握手しました。」
そうするとニ―ナさん、「何言っているかわからないわ。」
三林「ありがとうございます。」
 
真地ナレーター;ニ―ナさんはレディー・ガガの曽祖父アントニーノのいとこの娘。
イメージ 1
現存する全てのジェルマノッタさんの中で最もレディー・ガガに近い親戚だ。
 
三林「おばあちゃん、レディー・ガガって知ってますか?」
ジェンナーロ「Conosee Lady Gaga?」
ニ―ナ「新聞でみてるわよ。」
三林「お~!」
ニ―ナ「歌ったり踊ったりするのよね。好きよ、えぇ好きですよ。」
三林「自分の親戚の方で大成功した人がいることについて、どう思いますか?」
ニ―ナ「もちろん嬉しいわよ。会ってみたわね。ナーソに来ればいいんだけどね。
私はアメリカには行けないから。」
三林「元気、元気!」
 
真地ナレーター;ニ―ナおばあちゃんはレディー・ガガがナーソに来た時にプレゼントする為に、
手作りのレース編みを用意して彼女をここで待っている。
 
ガガの写真を見せて、
三林「どう思いますか?」
ニ―ナ「いいじゃない。かわいいじゃない。この子私に似てるわね。」
誰の女性「鼻がそっくり。」
三林「似てる、似てる。」
 
真地ナレーター;アメリカンドリームのルーツはシチリアのちょっぴりしょぼい噴水の隣にあった。
 

ここからスタジオトーク
所「何か行って見るもんですね。」 
関根麻里「ねぇSHELLYさんも…」
SHELLY「そうなんですよ。私も同じ父がアメリカ人なんですけれど、
父はイタリア系アメリカ人で同じシチリアと…、だからシチリアから出た1900年代アメリカンドリーム掴んでる人…レディー・ガガか私!」
 
スタジオ(笑い)
 
FINE■■ part1後編
 
アメリカ支局からの「アメリカンドリームを成し遂げた人」の流れの取材だったけれど、疲れる取材でしたネ。
でもシチリア島へ行けたのはラッキーでした。
私はレディー・ガガのガガの意味を知りたい。