この旅は、インド滞在中に決めたので、資料もなく、聞き込み情報だけで決行しました。
クットララムの滝には、1800歳のヒマラヤの聖者ババジが今も住んでいるとあるインド人たちは言います。
日本で聞いたら「ウソ!絶対ウソ!」と思ったかもしれませんが、しばらくインドにいると、「そうかも・・・。」「そうなんだあ~」と思えるようになるから不思議です。
初めて訪れた土地でもあり、地図もなく、私たちには、滝がどこにあり、滝周辺がどうなっているかサッパリわかりませんでした。ホテルマンに聞いても、ややこしい説明で理解不能でした。
「で、玄関を出てからどっち?」 「右」
これ以上聞いても無駄です。後は少し行ってから聞けばいい~。
出かけようとしたら、トーマス君がどこからともなく現れました。彼もこの地は初めてといいます。周辺情報を収集してくるように頼みました。
滝も幾つかあるらしく、全部を自力で行くのは無理なようでした。トーマス君に頼るほかはありません。
歩いて行ける所にクットラレーシュワル寺院がありましたので、先ずそこを参拝しました。沢山の巡礼者が来ていました。
インドの寺院はどこに行っても賑やかです。ほんとにこんな所に寺院があるのかと心配になる位人里離れた辺鄙な寺院にも、人がいっぱい群がっています。車もない彼らが、大勢、そこ迄どうやってたどり着いたのかいまだに不思議でなりません。
南インド滞在中、私たちもかなりたくさんの寺院巡りをしましたが、家族連れで熱心に参拝するインド人には、いつも感心させられます。
列車と、1日1本あるかないかのバスを乗り継いで、何時間も歩いて、彼らは寺院にやってきます。
僻地に住んでいる人が、もっと僻地の寺院参拝に行くのです。往復に何日もかけて、参拝は一瞬・・・。
彼らの生活に「不便」なんて言葉はありません。宿もいらないし、トイレもいらない。大地のどこでもが彼らの「宿」であり、木陰や草むらのどこでもが彼らの「トイレ」なのです。
私たちにとって、インドでの毎日は、人生の「特別講習」の日々でした。
僻地の寺院は都会の寺院と違って参拝者も素朴です。
参拝を終えたら、大概、寺院の入り口の地面に座って休憩します。
私たちも彼らに混ざって地面に座りました。
どこの寺院でも必ず誰かが近づいて来て、「どこから来た?」「神様を信じているのか?」「宗教は?」と聞いてきます。
インドは宗教に寛大な国だと言われていますが、「本当」だと言わざるを得ません。どの寺院で会った人も口を揃えていうのです。キリスト教だろうが、神道だろうが、「神様を信じているのはいいことだ!」と。
政治上、商業上の都合ではなく、「神を信じることが本質」だと、文字もろくに読めない人々が宣言するのです。インドに行くまで、「キリスト教以外は邪教!」と思い込んでいた私は、どれほど偏狭な己を恥じたことか!
熱心で気負わない、何よりも素朴な信仰心を持つ、僻地寺院参拝者と共に過ごした短い時間は、私にとって人生の軌道修正の時間でもありました。
話がそれました。
で、クットララムの寺院ですが、大勢の参拝者でにぎわっておりました。中でも目立つのは「アイヤッパン」と呼ばれる黒装束のひとびとです。
アイヤッパンはシヴァ神とヴィシュヌ神の息子と言われ、右半身がシヴァ、左半身がヴィシュヌとして描かれる神様です。
この神も「インド最強の神」と言われており、ケララ州など南インドで人気があります。この神様を信奉する人々は、グループで聖地を巡礼しますので、南インドの聖地に行けば必ずこの人々に出会います。大型バス3台ぐらいで移動していることもあります。彼らは黒いクルタ&黒いドーティ姿なので、すぐにわかります。原則として男性ばかりです。女性は60歳を過ぎたらOKだとか。
聖地クットララムにもこのアイヤッパンの人たちがたくさん来ていました。
クットラレーシュワル寺院のすぐ近くに、結構大きな滝があります。ドードーと水が流れ落ちて壮観な光景です。
乾季には干上がって流れはチョロチョロだそうですので、行く時期には注意が必要です
私たちは、白いパンジャビを着て滝に打たれました。首がへし折られそうになるほど水勢が強いので、むち打ちにご注意!
さすが、アーユルヴェーダの滝と言われるだけのことはあります。心身のすべての汚れが落ちていくかのようです。指にはめていたイエローサファイヤは、見たこともないほどピカピカになってしまいました。
クットララムに着いて以来、強烈な臭いに悩まされていましたが、滝の水は全然臭いません。耐え難い悪臭も、客引きの喧騒も、巡礼者の叫びもすべて、滝が流し去ってくれます。
「この滝を浴びていれば確かに心も体もきれいになれる!」と確信させるられるほど、浄化力はスゴイです。毎日この滝で沐浴できる楽しみを胸にホテルに引き上げました。
ホテル滞在はかなりつらいものがありました。臭いが凄いのです。
クットララムだけではなく、当時のインドの普通の光景ですが、みな、その辺で用を足します。
でも特に、ここは野宿する巡礼者が多く、トイレのない滝周辺の人口密度が上がっています。滝周辺では、所かまわず用足しをする人々を追い散らす警察まで出ている始末です。なんだか笑える光景ですが、臭いには辟易しました。
ホテルの部屋にいても、ホテル全体の古い湿気た臭い・・。
臭いので窓を開けると、もっと強烈な外の糞便の臭い・・。あまりの臭さに毛布に顔を突っ込むと、もっともっと強烈な寝具の古い汚れた臭い・・。 「くっさあ~~~っい!」 兎に角臭すぎます!
周りを見回したところ、不思議なことに、インドの人々は臭いのなんて何にも気にしていない様子です。インド人って神秘的ですねえ~。
私たちにとっては、インド生活最大の試練です。体の置き場がありません。
こうなったら「鼻よ早くばかになってくれぇ~~~~っ!」と切に願うしかありません。
こんな状況でも浄化力を最大限発揮するこの滝はなにものだ???
あまりの臭さに、「明日の朝は鼻がもげているかもしれない・・」 という心配も、滝に打たれていると嘘のように消えていきます。
すごい滝ですねえ~。
滝の周辺には、お祭り時の神社の参道のように、お店が色々並んでいました。
揚げバナナチップが人気のようで、いくつも店がありました。
店のお兄ちゃんがバナナを数本手にもって、油の入った大きな鍋めがけて、バナナをスライスしながらタッタッタと連続で、かなり離れたところから入れていくのです。その曲芸?が素晴らしく、いつまでも見ていたいほどでした。
食事は、臭いホテルを避けて、滝周辺で探しました。南インドはベジタリアンが多いので、ここにもベジ専門の食堂が幾つかありました。その中でもお気に入りの店を見つけ、そこに通いつめました。滝から少し下ったところにある店です。掘っ立て小屋に、ガタついた木のテーブルが二つだけの小さな店でした。味は最高~でした。
ある日、滝で沐浴し、この店で食事を済ませ、ホテルに帰ろうとしたら雨が降り出しました。スコールです。滝を浴びて、どうせびしょぬれですから気にしません。道の両側には食堂などが並んでいます。ステップが巾広い階段状の道を、雨に打たれて歩きながら、ふと足元を見てしまいました。
んもう~~びっくり!道が白いものでぎっしり埋まっています。
「これは何?」と、しゃがんでよくよく見たら、なんと”うじむし”でした。
道いっぱいに隙間なくいるんです。上の道路から強い雨で押し流されてきたのでしょうか?
所かまわず用足しなんかするもんだから・・・。ブツブツ・・・。
両側の店の人たちは?
気にも留めていません。
いつものことなんだな・・・きっと。
私たちはゴム草履。一瞬足がすくみました。
立ち止まっていると這い上がってきそうだし、動くと踏み潰してしまうだろうし・・。足の踏み場はゼロ。
でも、じっとしている勇気もなく、目をつぶって、大急ぎでここを立ち去りました。
トーマス君は、クットララムに来て以来、殆ど単独行動をしておりました。
滝に興味があるわけでもなく、友達がいるわけでもありません。かなり退屈らしく、3日目には「もう帰ろう~」と言い出す始末でした。
私たちは「なんの!これからが本番!」とばかりに、せっせと滝行に精を出しました。
次の日、トーマス君は、「クットララムの滝はそこだけではない」との情報を仕入れて来ました。情報収集がちょっと遅いんです。
翌日、トーマス君の運転で、別の滝に行くことにしました。
一つは人が全然いない寂しいところでしたが、じっくり座って滝行ができ、私たちには好都合でした。
もう一つは、多分「メインフォール」と呼ばれている滝だったと思います。ものすごく大きな滝で、たくさんの人がいました。
トーマス君も送迎の仕事ができて退屈しのぎになったようです。私としては歩いて行ける最初の滝がお気に入りでした。
クットララムで6泊したと思います。
プッタパルティに戻ることにしました。
私たちは、帰るころには臭いのにも慣れて、平気で息を吸っていました。
クットララムでは、ただ滝に打たれるだけの日々でしたが、大きな力をもらいました。
私たちは、きっとどこででも生きていけるだろう・・という力です。
何しろあの臭いに打ち勝てたのですから・・・。
帰りは何事もなく順調でした。
クットララムの旅から数週間後、プッタパルティで、道路の向こうから手をふるインド人がいました。トーマス君です。
「トーマス!」と手を降って応えたら、「今度はどこへいくんだ?」と大声で聞いてきました。私たちとの旅は、もうコリゴリではないかと思っていたのに「いつ行く?」と言うのですから、私たちもホッとしました。
以来、トーマス君とは深いご縁ができ、4年間のインド生活でのピンチの時、何度も助けてもらいました。
連れのオクムラは、困った時、タイミングよく現れる彼のことを「我らの守護の天使」とよんでいます。


