目指すは中庸 | 自分とていねいに付き合う

自分とていねいに付き合う

日常を通じて「自分とていねいに付き合う」を体現していきたいブログです♪
というテーマでずっと書いていましたが…

2024.4 夫の小腸癌が発覚
2025.9 旅立つ 54歳
という経験を経て、夫のことや、夫のいない日常を書いていくブログになりそうです。

セッションや講座を
よく受けに行っていた頃の話。

その方々のブログには感想がよく載っていました。

その頃は
「自分を変えたい」
「変われるはず」
と思っていたので、

セッションや講座を受けた結果、
私もこう変わりました!と
思っていたし、伝えたかった。

自分が変わりたかったのもあるけれど、
変わったことを伝えて、
セッションして下さった方や講師の方に
喜んで欲しかった。
そして感想を書くことで、お相手の方の実績になれば。
そんな気持ちだった。
もちろん、感想を取り上げてもらえることで
私はこの方の役に立てている、という自己満足感を
味わいたい下心も大いにありました。

前向きに書く感想は、
嘘偽りない自分の気持ちだったけど、
何度も書いているうちに
だんだんと枯渇してきたような気持ちを抱いていた。
毎回同じフレーズを書いているような気がして。

ある時、セッションを受けたものの
自分の中でその内容が消化できず、
でもその時の気持ちを、自分なりにありのままに綴ってみた。
そしたら案の定?取り上げられず、
あなたの受け取り方は違っている、真意はこうなんですよ、というメッセージを頂いた。

その出来事があって、
感想というものは、
お相手の方を褒め称える内容でないと意味がないんだ、と
私の中では結論づけられてしまい。

そうすると、その方の変わって欲しいように
変わらないといけないように感じてしまって。

でも、
「私がこう言ったからといって、
その通りにしなきゃいけないということはなくて
実践するかどうかはあなた次第だよ」
と言われるとどうしたらいいのか分からなくなって。
自分なりに咀嚼すると、そうではないと言われるしねぇ。

当時は、自分なりの正義を貫いたつもりだったけど、
今振り返れば、相手の言う通りにしていれば間違いない、
という甘えがあったなーと思う。

でも、講座はともかく、
セッションや占いを受けて「こうしたらいい」
と言われたところで、
結局心の底から納得(理解)できていないことはやらない、ということが
わかったので決して無駄な経験ではなかったのだけど。
それは自分でタロットをするようになってから
尚いっそうハッキリしてきました。
なので、現時点で私にとってのタロットは
自分の本音を知るツールです(^_^;)
(あくまでも私の場合です)

ただ、ん?と一瞬思っても
アドバイス頂いたことをやってみる事で、
状況が好転する、ということも実際にはあったので
一概には言えないのですが。

要するに偏り過ぎると良くない、ってことですかね。
やっぱ目指すのは「中庸」かな。

最後までお付き合い下さって、ありがとうございましたm(_ _)m