おりも 政夫(おりも まさお/本名:織茂 政男[読み同じ]/愛称:マー坊/1953年7月4日~)は、日本の司会者、タレント、歌手、俳優。1970年代を代表する男性アイドルグループ・フォーリーブスのメンバー。

 

 

 

1953年7月4日、織茂 政男が生まれる。東京都江東区亀戸出身。

 

少年期、劇団若草に所属。

『風と共に去りぬ 』(帝国劇場)、『太宰治の一生』 (芸術座)等の作品に出演していた。

 

 

その後、ジャニーズ事務所に入所。

 

 

1967年4月1日、事務所の先輩グループである初代「ジャニーズ」の曲“太陽のあいつ”のためのバックダンサー・グループを結成。おりももメンバーに入った。グループ最初のラインナップは、最年長でリーダーでもあった「コーちゃん」こと「北公次」(きた こうじ/本名:松下公次[まつした こうじ]/1949年1月20日~2012年2月22日)をはじめ、3歳から子役で活躍していた「トシ坊」こと「江木俊夫」(1952年6月4日-)、おりもと同じく劇団若草出身の「永田英二」(1955年5月29日-)、そして「マー坊」こと「おりも政夫」(1953年7月4日-)だった。グループ名はまだなかった。

6月、大阪フェスティバルホールでジャニーズ主演ミュージカル『いつかどこかで〜フォーリーブス物語』に、4人はグループ名未定のまま「ジャニーズJr.」として出演。

8月、第33回日劇ウエスタンカーニバルに初出演。この時初めてグループ名が「フォーリーブス」に正式決定。なお、グループ名の意味は「フォー・リーヴズ」(4枚の葉=Four Leaves)が定説だが、実際はジャニー喜多川が脚本を書いた上記ミュージカル『いつかどこかで〜フォーリーブス物語』内のグループ名に由来、「4つに別れる、去る、出発する」という意味の自動詞「leave」を用いた「Four Leaves」が正しい。

10月、結成メンバーの永田が当時小学6年生だったため、デビュー前に脱退、後任にスクールメイツ出身の「ター坊」こと「青山孝」(1951年8月10日-2009年1月28日/2002年に青山孝史と改名)が加入した。

10月より日本テレビ『プラチナゴールデンショー』にレギュラー出演が始まる。

 

 

1968年、フォーリーブスはコカ・コーラのCMソング“青い空青いからコカ・コーラ”(作詞:なかにし札/作曲:すぎやまこういち)を歌唱。

9月5日、CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)の国内契約第1号アーティストとしてフォーリーブスは、シングル“オリビアの調べ/壁のむこうに”(作詞:北公次/作曲:鈴木邦彦/編曲:森岡賢一郎/作詞:片桐和子/作曲:G.Sacher・M.Ahari/編曲:東海林修)でデビュー。オリコン15位を記録した。

 

12月10日、2ndシングル“涙のオルフェ”(作詞:寺山修司/作・編曲:鈴木邦彦)を発売、オリコン23位。

 

 

1969年3月21日、3rdシングル“恋するジャック”(作詞:橋本淳/作・編曲:すぎやまこういち)を発売、オリコン23位。

 

8月1日、4thシングル“シャボンの匂いの女の子”(作詞:遠藤千恵子・片桐和子/作・編曲:Milt Rogers)を発売、オリコン24位。

 

9月5日、フォーリーブス初のアルバム(LP)『フォーリーブス - ヒット・ヒット・ヒット ゴールデン・ショー』を発売。おりもはB面2曲目でジャニーズ“ひとつ隣りのうしろへ3つ”(作詞:青井輝彦/作曲:中村八大/編曲:川口真)をソロでカヴァーした。

11月24日、5thシングル“君にこの歌を/課外授業”(作詞:藤田敏雄/作・編曲:白鳥八郎/作詞:阿久悠/作曲:山本直純/編曲:森岡賢一郎)を発売、オリコン31位。

 

 

12月5日、サウンドトラック・アルバム『フォーリーブス・ヤング・サプライズ 少年たち 〜小さな抵抗〜』を発売。

 

 

1970年2月1日、6thシングル“若者は旅をつづける”(作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく/編曲:大柿隆)を発売、オリコン29位。

 

5月21日、7thシングル“ある兵士の賭け”(作詞:阪田寛夫/作曲:山本直純/編曲:森岡賢一郎)を発売、オリコン32位。

 

7月1日、8thシングル“あしたが生まれる”(作詞:三瓶茂夫/作曲:梶沢知弘/編曲:森岡賢一郎)を発売、オリコン23位。

 

8月1日、サウンドトラック・アルバム『夏の嵐 〜第1章 光/第2章 影〜』を発売。

10月21日、サウンドトラック・アルバム『素足で駆けるとき -ある少年の記録-』を発売。

11月21日、9thシングル“人生は一度きりだから”(作詞:岩谷時子/作曲:いずみたく/編曲:大柿隆)を発売、オリコン23位。

 

12月31日、『NHK紅白歌合戦』に初出場、以降解散までに7年連続で出場。1971年度に一度は落選するも、内山田洋とクール・ファイブのメイン・ヴォーカルである前川清が急病に倒れたことにより振り替え出場した。

 

 

1971年3月1日、10thシングル“約束”(作詞:阿久悠/作・編曲:筒美京平)を発売、オリコン31位。

 

5月1日、サウンドトラック・アルバム『少年たちシリーズ 〜太陽からの少年〜』を発売。

7月1日、11thシングル“夏の誘惑”(作詞:北公次/作・編曲:鈴木邦彦)を発売、初のトップ10入りとなるオリコン10位。

 

9月1日、サウンドトラック・アルバム『フォーリーブス・ミュージカル 少年たちシリーズ 〜明日なき友情〜』を発売。A面4曲目に収録の“誰のせいでもない”(作詞:林権三郎/作・編曲:服部克久)ではソロ歌唱を披露した。

11月1日、12thシングル“地球はひとつ”(作詞:北公次/作・編曲:都倉俊一)を発売、オリコン13位。ベスト・アルバム『ベスト・オブ・ベスト』を同時発売。

 

12月1日、13tシングル“はじめての世界で”(作詞:北公次/B.Gordy・G.Gordy・R.Davis/編曲:G.Tage)を発売。A面の原曲はマーヴ・ジョンソンの1959年の曲『You Got What It Takes (心の底から好きだから)』。オリコン26位。

 

 

1972年2月21日、ライヴ・アルバム『フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ!』を発売。

3月21日、14thシングル“新しい冒険”(作詞:北公次/作・編曲:鈴木邦彦)を発売、オリコン15位。

 

7月1日、15thシングル“フォーリーブスの ヤンヤン体操”(作詞:田村隆/作曲:三保敬太郎/編曲:岩崎宏康)を発売、オリコン35位。

 

7月21日、16thシングル“夏のふれあい”(作詞:北公次/作・編曲:筒美京平)を発売、オリコン12位。

 

8月21日、アルバム『スーパー・プレゼント』を発売。

10月21日、17thシングル“あなたの前に僕がいた”(作詞:北公次/作・編曲:都倉俊一)を発売、オリコン10位。

 

 

1973年2月1日、18thシングル“愛と死/青空のおしゃべり”(ともに作詞:北公次/作・編曲:鈴木邦彦)を発売、オリコン13位。

 

 

6月1日、19thシングル“ふたりの朝”(作詞:北公次/作曲:A.Osmond/編曲:森岡賢一郎)を発売、オリコン11位。

 

7月21日、坂本九のカヴァー“見上げてごらん夜の星を”(作詞:永六輔/作曲:いずみたく/編曲:高田弘)を20thシングルとして発売、オリコン24位。フォーリーブス結成7周年記念版サウンドトラック・アルバム『見上げてごらん夜の星を』を同時発売。アルバムB面1曲目“親不孝かもしれないけれど”をソロで歌唱。

 

8月にフォーリーブスへのプレゼント代や追っかけ費用を稼ぐために売春していたという女子中学生グループが書類送検されて批判を浴びた。

10月~1974年3月、日本テレビの郷ひろみ主演ドラマ『ぼくは叔父さん』にフォーリーブス全員で出演。

11月1日、21thシングル“大人への階段/若いふたりに何が起る”(ともに作詞:安井かずみ/作・編曲:川口真)を発売、オリコン15位。

 

 

同年、公開コメディー番組『とことんやれ大奮戦!』に出演。

 

 

1974年 1月21日、22thシングル“あしたの悩み”(作詞:安井かずみ/作・編曲:鈴木邦彦)を発売、オリコン25位。

 

4月1日、23thシングル“ヘイベイビー”(作詞:宮下康仁/作・編曲:都倉俊一)を発売、オリコン21位。作曲に都倉俊一を迎え、この頃から軽快なソウルミュージックに方向転換し、人気の持続に成功した。

 

7月21日、24thシングル“急げ!若者”(作詞:千家和也/作曲:都倉俊一/編曲:東海林修)を発売、オリコン28位。アルバム『スーパープレゼント'74』を同時発売。

 

8・9月、NHK『みんなのうた』にフォーリーブスが歌うビートルズ“オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ”(Ob-La-Di, Ob-La-Da)のカヴァー(訳詞:黒木宏/作詞・曲:レノン―マッカートニー)が使用された。

 

9月5日、同年5月3日の大阪フェスティバルホールでの郷ひろみとのジョイント・コンサートの模様を収めた、ジャニーズ事務所の自主制作盤ライヴ・アルバム『フォーリーブス・郷ひろみ ジョイントリサイタル』を発売。シリアルナンバー入りの2枚組LPで、Vol.2 A面“あなたの瞳に恋してる”をソロで歌唱。

11月1日、25thシングル“友情”(作詞:千家和也/作曲:都倉俊一/編曲:東海林修)を発売、オリコン27位。

 

11月21日、アルバム『若者』を発売。ソロで歌唱したB面3曲目“星空の恋人”(作詞・曲:おりも政夫/編曲:東海林)では曲の自作にも挑戦した。

 

 

1970年代後半になるとニューミュージックに人気が集まり男性アイドル冬の時代に突入、フォーリーブスの人気も下降し、ジャニーズ事務所も低迷期に陥る。

 

 

1975年2月1日、26thシングル“ふたりの問題”(作詞:橋本淳/作曲:鈴木邦彦/編曲:馬飼野康二)を発売、オリコン25位。

 

6月1日、27thシングル“嵐のあと”(作詞:安井かずみ/作・編曲:馬飼野康二)を発売、オリコン34位。

 

10月1日、同年8月12日の大阪フェスティバルホールでのライブ盤『FOUR LEAVES LIVE』を発売。

11月1日、28thシングル“遠い日”(作詞:葉月多夢/作曲:小椋佳/編曲:安田裕美)を発売、オリコン41位。

 

12月5日、ナレーション入りの2枚組LPベスト・アルバム『フォーリーブス:1965〜1975』を発売。

 

 

1976年1月21日、29thシングル“めぐり逢い”(作詞:片桐和子/作曲:いずみたく/編曲:宮本光雄)を発売、オリコン52位。

 

4月21日、30thシングル“魅せられし魂”(作詞:片桐和子/作曲:P.Anka/編曲:F.Harlow)を発売、第5回東京音楽祭国内大会・ゴールデンカナリー賞、第5回東京音楽祭世界大会・チェリー・ブロッサム賞。オリコン65位。

 

6月30日、31stシングル“踊り子”(作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫/編曲:いしだかつのり)を発売、オリコン41位。

 

7月21日、同年4月4日の中野サンプラザでのライヴ盤『フォーリーブス10周年記念PART1』を発売。JOHNNYS' ジュニア・スペシャルと豊川誕も参加。フォーリーブスの座談会入り。

10月21日、32ndシングル“ハートブレイク急行”(作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫/編曲:井上忠夫・いしだかつのり)を発売、オリコン50位。

 

11月21日、アルバム『一本の樹』を発売。

 

 

1977年2月25日、33thシングル“乾杯グラス”(作詞:阿久悠/作曲:井上忠夫/編曲:馬飼野康二)を発売、オリコン64位。

 

5月21日、ソロ・シングル“めぐりあう時に/風向きが変ったら”を発売。A面の“めぐりあう時に”は、日本テレビのドラマ『たんぽぽ』の主題歌。

 

6月21日、34thシングル“ブルドッグ”(作詞:伊藤アキラ/作・編曲:都倉俊一)を発売、オリコン40位。

 

11月21日、35thシングル“男と女の紙芝居・三幕”(作詞:伊藤アキラ/作曲:都倉俊一/編曲:田辺信一)を発売、オリコン67位。

 

 

1978年4月21日、36thシングル“どうして‥”(作詞:北公次/作曲:青山孝/編曲:田辺信一)を発売、オリコン83位。

 

5月1日、同年の渋谷公会堂でのライヴ盤『LOVE FOREVER』を発売。

7月1日、37thシングル“宇宙のファンタジー”(日本語詞:北公次/作曲:M.White・V,White・E.D.Barrio/編曲:いしだかつのり)を発売。

 

7月21日、38thシングル“THE END -思いがけず出会ったら-”(作詞:岩谷時子/作曲:青山孝/編曲:いしだかつのり)を発売、オリコン84位。

 

8月31日をもってフォーリーブスは解散。おりもはジャニーズ事務所に残ったが、北は退所した。

10月21日、同年8月31日の新宿の東京厚生年金会館での解散コンサートのライヴ盤『GOOD-BYE』を発売。

 

 

解散後は、タレントや俳優として活躍。元・フォーリーブスのメンバーの中で、最も安定した芸能活動を現在までに続けている。

 

 

1980年5月11日~10月5日、日本テレビで放映された特撮時代劇『猿飛佐助』に出演。「由利鎌之助」役で出演し、挿入歌“死神は爪をとぐ”( 作詞:寒太郎/作曲:ケーシー・ランキン/編曲:大谷和夫)も歌唱。

 

 

1990年頃、青山孝と2人で、静岡県浜松市肴町にある同じビル内に、ショーパブ「ステージバー・グリッター」(3F)と、音楽学校「タレント・ミュージック・スクール」(4F)の2つを開いていた。

 

 

1994年、ジャニーズ事務所を退所。おりもはすでに41歳になっており、これは当時、同事務所在籍者の最高齢記録となっていた(2005年に近藤真彦がおりもの記録を超え、56歳9か月まで更新した)。ジャニーズ事務所退所時の年齢としても長らく最年長だったが、後に前記の近藤の他、稲垣吾郎、草彅剛、山口達也、佐野瑞樹、錦織一清、植草克秀、中居正広、長瀬智也、森田剛、三宅健、岡田准一、岡本健一がおりも退所時の年齢よりも上の年齢で退所している。

 

 

1997年2月5日、トイズファクトリーより発売された、日本のバンド・Mr.Childrenによる13枚目のシングル“Everything (It's you)”のカップリング曲“デルモ”(作詞・曲:桜井和寿/編曲:小林武史 & Mr.Children)の歌詞に、おりもの名前が登場する。

 9月21日、ベスト・アルバム『ベスト・オブ・フォーリーブス』を発売。

 

 

2001年2月にYahoo!で行われた「再結成してほしいグループ」のアンケートで1位を獲得した。これをきっかけに、再結成に向けた動き出す。しかし、北と青山がジャニー喜多川の少年成果逆の暴露や事務所批判をしていたことから、ジャニーズ側が「北と青山には敷居を跨がせない」と言っていた。そのため、再結成に向けての交渉はメリー喜多川のもとへおりもと江木が出向いて行われた。最後にメリー喜多川が「下が見ているからね。恥をかかせるようなことはしてくださんな」と許可を出し、すぐに青山と北に伝えられ、再結成に至った。

 

 

2002年1月29日、メンバー中誰よりも解散を惜しみ、節目の年の度に再結成を訴え続けていた青山の念願が叶い、再結成。初日に中野サンプラザでコンサートを開催。

8月22日、シングル“it's more 愛(いつも愛)”を発売。同作は山野楽器銀座本店の週間ランキングで初登場4位となった。

 

 

2006年8月12日、NHK『第38回思い出のメロディー』に出演し、“ブルドッグ”と“地球はひとつ”を歌唱。北公次はバック転も披露した。久々のテレビ出演であり、特にNHKには前述の1978年の解散時に出演した『ビッグショー』以来28年ぶりである。

8月27日、ソニー・ミュージックダイレクトからCD-BOX『フォーリーブス 1968-1978』が発売される。これは全シングルのA面・B面にアルバムから選んだ曲を加えた5枚組。

 

その後ソニーミュージックショップのオーダーメイドファクトリーでオリジナル・アルバムや青山孝のソロ・アルバムなどが復刻されている。

 

 

2007年1月に『徹子の部屋』にも全員で出演した。

以後の全員揃っての在京局のテレビ番組への出演は、2008年2月12日放送の『2時っチャオ!』と2008年11月11日放送の『NHK歌謡コンサート』(“ブルドッグ”を歌唱)がある。また、2007年3月2日放送の『Dのゲキジョー』に江木俊夫がVTR出演した際、フォーリーブスのコンサートや舞台裏の模様も放送された。

 

 

2009年1月28日、青山孝史死去。『NHK歌謡コンサート』出演から約2ヶ月半後のことだった。

3月29日、東京厚生年金会館でのコンサートを最後にフォーリーブスは活動休止。 

 

 

2012年2月22日、北公次が死去。

 

 

2013年より、おりもは全員参加型イベント昭和歌謡を合唱する「うたごえ時代」コンサートをプロデュース。現在も精力的に活動している。

 

 

2014年以降、江木とおりもの2人で、フォーリーブス名義でのコンサートを時折行っており、2016年1月27日には大阪・新歌舞伎座で「フォーリーブス コンサート〜永遠の絆〜結成50周年記念」を行った。

 

 

2016年9月25日に急性虫垂炎のため、明治座公演『歌手生活30周年 坂本冬美 特別公演』を初日から休演したが、10月18日より復帰。

 

 

近年は夢グループの「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」で全国各地を回っており、江木俊夫やあべ静江らと共に司会を務めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「おりも政夫」「フォーリーブス」

 

 

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