大沢 樹生(おおさわ みきお/1969年4月20日~)は、日本の俳優、アイドルグループ「光GENJI」の元メンバー。愛称はミッキー。

 

 

 

1969年4月20日、大沢樹生が生まれる。

東京都文京区本郷出身で、程なくして江東区大島に転居。

 

東京富士幼稚園、江東区立第四大島小学校、江東区立第二大島中学校、江東区立第四大島中学校を経て、明治大学付属中野高等学校定時制に進学するが後に中退。

 

1982年1月17日、小学校6年生の3学期、姉が履歴書を送ったことで参加したオーディションに合格し、ジャニーズ事務所に入所。同期生には元忍者の正木慎也がいる。 

同年、ジャニーズJr.内ユニット「イーグルス」のメンバーに選ばれる。

 

 

1983年3月25日、イーグルスのメンバーとしてシングル“走れ!ゴーインBOY/イーグルサムのマーチ”をアルファ・ムーン。レコード(現:ワーナーミュージック・ジャパン))から発売してデビュー。TBS系アニメ『イーグルサム』初代OP/ED。しかし、オリコンでは通常のシングルチャートでは100位以内に入らず、「TVマンガ・童謡部門」で1983年度の年間44位。大沢樹生の著書『硬派』に書かれてある「初登場73位」の記述は他社(ミュージック・リサーチまたはミュージック・ラボ等)のチャートの記録と思われる。

 

11月28日、2ndシングル“虹色I LOVE YOU/情熱forever”を発売。TBS系アニメ『イーグルサム』二代目OP/ED。オリコン最高99位。大沢樹生の著書『硬派』に書かれてある「初登場34位」の記述は他社のチャートの記録と思われる。

 

イーグルスはレコード・デビューするもヒットが出ず、後に自然消滅。

 

 

その後大沢は、NHK『レッツゴーヤング』のレギュラーとなり、「サンデーズ」の一員として活動していた。

 

 

1986年8月放送のNHK『みんなのうた』で流された、サンデーズの太田貴子が歌う“ハートにホッチキス”のプロモーション・ビデオに太田と2人で出演。ロケ地:清里高原、二子玉川。

 

 

1987年、光GENJIの前身である「初代GENJI」が、田代秀高・諸星和己・佐藤寛之・佐藤敦啓により結成。その後「GENJI」になり、田代が脱退、山本淳一が加わり、更にその後、赤坂晃が参加して5名になる。

6月、「GENJI」と、大沢樹生・内海光司から成る「光」が合体する形で合流、7人で「光GENJI」が結成された。キャッチフレーズは「超新星からのメッセージ」。デビュー年の1987年に最も有名な超新星爆発とされているSN 1987Aが衛星銀河である大マゼラン雲にて発生していることに由来。颯爽としたローラースケート・パフォーマンスやアクロバットがコンセプトであり、光り輝くような元気全開のフレッシュさ・新鮮さを前面に打ち出していた。光・星・銀河・宇宙などファンタジーをテーマにした曲が多いのは、これらを反映しているためである。

8月19日、チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)が楽曲提供したシングル“STAR LIGHT”で、光GENJIのメンバーとして再デビュー、オリコン1位を達成する。デビュー当時18歳であったが、20歳と2歳年上にサバを読んでいた(その後すぐに是正)。

 

11月26日、2ndシングル“ガラスの十代”(作詞・曲:飛鳥涼/編曲:佐藤準)を発売、オリコン1位。

 

 

1988年1月1日、1stアルバム『光GENJI』限定盤を発売、“STAR LIGHT”、“ガラスの十代”のLPバージョンを収録。

1月21日、1stアルバム『光GENJI』通常盤を発売、限定盤と合わせ、オリコン1位。

 

3月9日、3rdシングル“パラダイス銀河”(作詞・曲:飛鳥涼/編曲:佐藤準)を発売、オリコン1位。

 

6月21日、4thシングル“Diamondハリケーン”(作詞:田口俊/作曲:井上ヨシマサ/編曲:佐藤準)を発売、オリコン1位。

 

7月28日、2ndアルバム『Hi!』を発売、“パラダイス銀河”収録。第3回日本ゴールドディスク大賞、ベスト・アルバム・オブ・ザ・イヤー「ヤングアイドル (グループ)部門」受賞。オリコン1位。

 

10月10日、5thシングル“剣の舞”(作詞:康珍化/作曲:馬飼野康二/編曲:椎名和夫)を発売、オリコン1位。

 

12月31日、“パラダイス銀河”で第30回日本レコード大賞を受賞。また、同年のオリコン年間シングル売上第1位~3位を光GENJIが独占し、1978年のピンク・レディー以来の快挙を達成した(ベスト10内には4曲ランクイン)。オリコン年間アルバム売上も第1位と第9位を獲得。

 

 

1989年2月20日、3rdアルバム『Hey! Say!』を発売、元号が昭和から平成に変わって最初に出したアルバムであり、デビュー以来3作連続でオリコン・アルバム・チャート1位を獲得した。

 

3月6日、6thシングル“地球をさがして”(作詞:吉澤久美子/作曲:都志見隆/編曲:佐藤準)を発売、オリコン1位。

 

7月20日、7thシングル“太陽がいっぱい”(作詞・曲:大江千里/編曲:中村哲)を発売、第15回日本テレビ音楽祭で大賞、 第20回日本歌謡大賞で大賞、第18回FNS歌謡祭で大賞、第15回全日本歌謡音楽祭で大賞、第31回日本レコード大賞で金賞を、それぞれ受賞。オリコン1位。

 

10月25日、4thアルバム『Hello…I Love You』を発売。初めてメンバー3人(諸星、佐藤敦啓、佐藤寛之)のソロ曲を収録。オリコン1位。

 

 

1990年2月7日、8thシングル“荒野のメガロポリス”(作詞・曲:飛鳥涼/編曲:佐藤準)を発売、約2年ぶりに飛鳥から楽曲提供を受けた。オリコン1位。

 

5月16日、9thシングル“Little Birthday”(作詞:飛鳥涼/作曲:飛鳥涼・佐藤準/編曲:佐藤準)を発売、オリコン2位。

 

7月25日、5thアルバム『Cool Summer』を発売、“荒野のメガロポリス〜PLEASE”をアレンジと歌詞を変えて収録。また、前々作アルバムにてソロ曲が収録されなかったメンバー4人(内海、大沢、山本、赤坂)のソロ曲を収録している。大沢は“あてもなくオルフェ”(作詞:平井森太郎/作曲:網倉一也/編曲:和泉一弥)をソロで歌唱した。オリコン1位。

 

8月17日、10thシングル“CO CO RO”(作詞:森浩美/作曲:馬飼野康二/編曲:船山基紀/コーラス編曲:椎名和夫)を発売、オリコン1位。

 

11月3日、11thシングル“笑ってよ”(作詞:三浦徳子/作・編曲:馬飼野康二)を発売、オリコン1位。

 

11月21日、ミニ・アルバム『White Dreaming with 光GENJI』を発売。くつ下の中に8cmCDを封入した装丁で、4曲入り。オリコン3位。

 

 

1991年2月7日、12thシングル“風の中の少年”(作詞:秋谷銀四郎/作曲:山口美央子/編曲:米光亮)を発売、オリコン2位。

 

3月3日、6thアルバム『(333) Thank You』10曲入りの初回盤(別添カレンダー付)を発売。3月20日には12曲入りの通常盤を発売。限定盤がオリコン2位、通常盤が同15位を記録した。

4月26日、13thシングル“奇跡の女神”(作詞:夏目純/作曲:NOBODY/編曲:米光亮)を発売、第10回メガロポリス歌謡祭にて特別賞を受賞。オリコン2位。

 

7月7日、2ndミニ・アルバム『ひと夏ひと夜』4曲入りを発売、オリコン10位。

8月30日、14thシングル“WINNING RUN”(作詞:森浩美/作・編曲:馬飼野康二)を発売、オリコン3位。

 

10月2日、7thアルバム『VICTORY』を発売、“WINNING RUN”を新アレンジで収録。オリコン3位。

11月7日、15thシングル“GROWING UP”(作詞:三井拓/作曲:松本俊明/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン5位。

 

 

1992年、JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして“リラの咲くころバルセロナへ”が採用された。

2月20日、16thシングル“TAKE OFF”(作詞:澤地隆/作曲:後藤次利/編曲:後藤次利・新川博)を発売、オリコン5位。

 

4月29日、17thシングル“リラの咲くころバルセロナへ”(作詞:康珍化/作曲:後藤次利/編曲:後藤次利・新川博)を発売、オリコン2位。

 

7月1日、企画アルバム『Pocket Album -7つの星-』を発売、メンバー7人のソロ曲を1人2曲ずつ収録した8cmCDの7枚組。大沢は“Babylon”(作詞:平井森太郎/作曲:佐藤健)と“NIGHT WALKER”(作詞:津田りえこ/作曲:NOBODY)の2曲をソロ歌唱した。全14曲。オリコン6位。

 

8月20日、18thシングル“Meet Me”(作詞・曲:タケカワユキヒデ/編曲:佐藤準)を発売、オリコン6位。

 

11月6日、19thシングル“愛してもいいですか”(作詞:三浦徳子/作曲:後藤次利/編曲:後藤次利・新川博)を発売、オリコン6位。

 

12月3日、8thアルバム『DREAM PASSPORT』を発売、初回盤は8cmCD「クリスマス組曲」が付属するBOX仕様。オリコン6位。

 

 

1993年2月19日、29thシングル“君とすばやくSLOWLY”(作詞:原真弓/作曲:大門一也/編曲:大門一也・水島康貴)を発売、オリコン9位。

 

3月3日、9thアルバム『SPEEDY AGE』限定盤を発売、3月19日には通常盤が発売された。オリコン2位。

5月13日、21stシングル“勇気100%”(作詞:松井五郎/作・編曲:馬飼野康二)を発売、テレビアニメ『忍たま乱太郎』主題歌に起用され、同曲は後にYa-Ya-yah、Hey! Say! JUMP、NYC、Sexy Zoneなどのジャニーズ事務所(当時)所属グループにカヴァーされるようになる。オリコン7位。

 

8月4日、22ndシングル“BOYS in August”(作詞:松井五郎/作曲:後藤次利/編曲:米光亮)を発売、オリコン5位。

 

9月15日、10thアルバム『WELCOME』を発売、各メンバーがプロデュースした楽曲7曲と光曲・GENJI曲・全員曲をそれぞれ1曲ずつ、計10曲収録。オリコン4位。

10月27日、23rdシングル“この秋‥ひとりじゃない”(作詞:松井五郎/作曲:馬飼野康二/編曲:椎名和夫)を発売、オリコン5位。

 

12月8日、企画アルバム第二弾『宇宙遊詠』を発売、オリコン7位。

 

 

1994年1月20日、24thシングル“BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜”(作詞:平井森太郎/作曲:馬飼野康二/編曲:小西貴雄)を発売、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメル五輪の応援ソングとして気湯推される。オリコン7位。

 

3月2日、11thアルバム『HEART'N HEARTS』限定盤を発売、初回プレス特典としてカレンダーが同梱された。3月17日には通常盤を発売。Disc1は各メンバーソロ曲。Disc2はベスト・アルバム『BEST FRIENDS』の続編で、“TAKE OFF”から“この秋‥ひとりじゃない”までの全シングルA面と、新曲3曲を収録。オリコン4位。

4月28日、25thシングル“ヨーソロー! 未来へよろしく”(作詞:松井五郎/作曲:後藤次利/編曲:根岸貴幸)を発売、オリコン10位。

 

7月21日、26thシングル“TRY TO REMEMBER”(作詞:松井五郎/作曲:清岡千穂/編曲:米光亮)を発売、オリコン9位。12thアルバム『FOREVER YOURS』も同時発売、7人グループとして発表した最後のシングル及びオリジナル・アルバムとなった。アルバムはオリコン5位。

 

8月、大阪城ホールでのライヴを最後に、大沢樹生は佐藤寛之とともに光GENJIを脱退、同時にジャニーズ事務所も退所した。

なお、大沢らが抜けたグループは「光GENJI SUPER 5」と改名し5人で活動を継続、シングル3枚、アルバム2枚を発売するが、1995年9月3日、名古屋市総合体育館・レインボーホール(現:日本ガイシホール)でのライヴを最後に「メンバー全員卒業」という形で、実質的に解散した。

 

 

1995年、大沢は個人事務所「サクセス」と、ファンクラブ「MOST」を立ち上げた。俳優業の他に、ソロ・アイドルとしてもシングルやアルバムを数枚リリースした。

5月25日、1stソロ・シングル“悲しみの華を散らして”を発売。

7月26日、1stソロ・アルバム『Pierrot Pazzo』を発売。
11月25日、2ndソロ・シングル“ANGEL ORGASM”を発売。

 

 

1996年、当時、妊娠3か月だった喜多嶋舞と「できちゃった結婚」。

6月26日、3rdソロ・シングル“六本木製少年”を発売。

 

11月25日、4thソロ・シングル“I'm Junk!”を発売。

12月21日、2ndソロ・アルバム『4 CROWS』を発売。

 

 

1997年1月、男児が誕生。

6月25日、5thソロ・シングル“Free mAn”を発売。

7月24日、3rdソロ・アルバム『Rock FooD』を発売。

 

 

1998年7月1日、6thソロ・シングル“真夏の風”を発売。

7月23日、4thソロ・アルバム『M・ISM』を発売。

 

 

2005年9月20日、離婚。なお、息子の親権は当時、喜多嶋側にあった。

 


2006年11月、自らが経営する芸能事務所「ドリームフォープロモーション」(現:ミキオオフィス)を立ち上げた。
 

 

2007年4月より、息子の親権を大沢が持った。

8月、初プロデュース作品『怪談牡丹灯篭もっともっと愛されたかった』公開。

同年、光GENJIの元メンバー赤坂晃が覚せい剤取締法違反により逮捕された時には、拘留されていた大塚警察署へ赤坂宛てに本と手紙を差し入れた。そのことに関しては、「君は一人じゃないんだ、という気持ちが伝わってくれればよかった」と後に語っている。

 

 

2008年4月26日、15歳年下の一般人女性と再婚。

6月、アパレル・ブランド「STREET STAR」を立ち上げた。
11月、自叙伝『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』(カンゼン刊)を出版。
 

 

2009年7月21日、日本テレビ系『有名人が集まる結婚相談所』に妻と出演。山本淳一がサプライズで登場し、約15年ぶりに光GENJIメンバーとのTV共演となった。
 

 

2010年、『水戸黄門』第41部に、「虚空無幻斎」役でレギュラー出演。
8月、第2弾プロデュース作品『捜査線 LINE OVER』公開。

 

 

2011年5月25日、「東京ジョー」のアーティスト名で、約10年ぶりにシングル“ガキの戯言”を発売。

 

 

2012年5月12日、日本テレビ系『メレンゲの気持ち』で、夫人が不妊治療を経て受胎、出産予定日は10月と公表する。後刻、胎児異常により妊娠継続は困難と医師に診断され、5月24日に死産したことを6月公式ブログにて公表する。

8月1日、安倍里葎子と大沢がデュエットしたシングル“今夜もしものストーリー”(作詞:松井五郎/作・編曲:都志見隆)が発売。

 

 

2013年12月10日付の公式ブログにて、夫人が妊娠10ヶ月であることを公表する。

12月、DNA型鑑定により、大沢と前妻・喜多嶋舞との間に生まれた長男との父子確率が0%であることが判明。このため喜多嶋側に再び親権が移り、喜多嶋の母親で女優の内藤洋子の許で育てられることになった。

 

 

2014年1月13日に女児が誕生したことを、同年2月1日付の公式ブログで明かした。

 

 

2018年12月30日、シアタープロレス花鳥風月においてプロレスラーとして、6人タッグマッチでデビュー。子どもの頃からの夢だったプロレスへの挑戦は俳優を通じて知り合った船木誠勝の存在が大きかったという。

 

 

2021年3月、熊本県で生産された純国産馬肉を扱う料理店をプロデュース。東京都品川区西五反田で開店。
8月27日、EXECUTIVE FIGHT~武士道~にて格闘家デビュー。キックボクシング・ルールで木下ほうかと対戦し判定負け。

12月10日の同大会でもキックボクシング・ルールでプロボクサー・ライセンスを持つ男性と対戦、KO負けを喫した。試合のセコンドには前回の対戦が初対面であった木下ほうかが就いた。

 

 

2022年11月20日に報道機関の取材に対し、翌年4月23日投開票の北区長選挙に立候補する意向を表明。

12月1日の記者会見で立候補を正式表明した他、新規の地域政党「東京新党16」の推薦を受けることも合わせて発表。同党は大沢の知人でシアタープロレス花鳥風月社長の大野公寿が代表を務める。
 

 

2023年4月5日、北区長選公示直前で、6期目を目指す現職の花川與惣太と政策協定を締結したうえで支援に回り、自身の区長選立候補を取り止めることを発表した。投開票の結果、花川は落選した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「大沢樹生」「イーグルス (ジャニーズ)」「光GENJI」

 

 

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