畑中 葉子(はたなか ようこ/1959年4月21日~)は、日本の歌手、女優。

 

 

 

1959年4月21日、畑中葉子が生まれる。東京都八丈島出身。

 

日本大学櫻丘高等学校卒業。

 

平尾昌晃の主宰する「平尾昌晃音楽学校」(現:平尾昌晃ミュージックスクール)に通いレッスンを続け、平尾に見出される。

オーディションを経て、平尾とのデュエット・デビューが決まる。


1978年1月10日、平尾とのデュエット曲“カナダからの手紙”(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)を「平尾昌晃・畑中葉子」名義でビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売して歌手デビュー。B面には“揺れる二人”(クレジット同じ)を収録。本シングルはオリコンにて、週間シングル・ランキング1位、同年年間ランキング7位の大ヒットとなり、一躍トップ・アイドルとなる。また、表題曲のヒットにより同年カナダへの日本人旅行者が3割も急増したことが評価され、カナダ政府から表彰された。

 

 

 

3月25日、平尾昌晃・畑中葉子名義でLP(アルバム)『カナダからの手紙』を発売。シングル曲とオリジナル曲に加え、カヴァーも2曲収録。ただし2枚目シングル表題曲“エーゲ海の旅”は未収録。

4月25日、平尾とのデュエットで2ndシングル“エーゲ海の旅”(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)を発売、第7回東京音楽祭国内大会・ゴールデン・スター賞受賞、オリコン20位。

 

7月25日、平尾昌晃・畑中葉子の3rdシングル“サンフランシスコ行き”(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:船山基紀)を発売。

 

10月25日、4thシングル“ヨーロッパでさよなら”(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:鈴木茂)と2ndアルバム『サンフランシスコ物語』を同時発売。アルバムはシングル“サンフランシスコ行き”含めサンフランシスコにまつわるカヴァー曲を収録。これが平尾昌晃・畑中葉子での最後のレコード・リリースとなった。

 

 

 

12月31日、『第29回NHK紅白歌合戦』に平尾とともに初出場、“カナダからの手紙”を披露した。同番組において男女デュオは紅組で出場するのが通例であるが、この時は白組から出場した。


1979年1月25日、1stソロ・シングル“ロミオ&ジュリエット’79”(作詞:松本隆/作曲:平尾昌晃/編曲:佐藤準)でソロ歌手「畑中葉子」としてデビュー。B面収録曲“銀のイニシャル”(作詞:畑中葉子/作曲:平尾昌晃/編曲:萩田光雄)では畑中が自ら作詞も手掛けた。

 

 

同年、音楽ディレクターの檀雄二と結婚するも、8ヵ月で離婚した。

 

 

1980年頃、『週刊プレイボーイ』誌に掲載されたセミヌードグラビアが話題となる。

8月21日、2ndソロ・シングル“後から前から”(作詞:豊兵衛/作曲:佐瀬寿一/編曲:若草恵)を発売。表題曲とB面収録曲“夢まくら”(クレジット同じ)の作詞者「豊兵衛」は作詞家:荒木とよひさの変名。

 

 

 

9月6日公開のにっかつロマンポルノ『愛の白昼夢』に出演し、女優としてもデビュー。清純派歌手としてデビューした畑中のポルノ出演は世間に大きな衝撃を与えた。

12月26日、続けて出演したロマンポルノ『後から前から』は空前の大ヒットとなり、自ら歌った主題歌“後から前から”もヒットした。畑中はその後も、『モアセクシー・獣のようにもう一度』(1981年8月7日)、『セクシーぷりん・癖になりそう』(1981年12月25日)、そして「ロッポニカ」と名前を変えてからは『徳川の女帝 大奥』(1988年8月27日)にも出演した。

 

 

1981年2月5日、3rdソロ・シングル“もっと動いて”(作詞:豊兵衛/作・編曲:茅蔵人)も話題作として名を残す。

 

5月21日、1stソロ・アルバム『白日夢』を発売。シングル発売したオリジナル曲を中心に、アルバム。オリジナル曲やカヴァー曲も収録。

 

 

10月21日、4thソロ・シングル“ダスターシュート・ベイビー”(作詞:容蓮華/作曲:松宮恭子/編曲:松井忠重)を発売。

 

 

1982年2月5日、2ndソロ・アルバム『メタモルフォーゼ』を発売。

4月5日、5thソロ・シングル“丸の内ストーリー”(作詞:とべあきよ/作曲:古田喜昭/編曲:戸塚修)を「畑中葉子・ビートたけし」名義でビクター音楽産業(当時)から発売、「唄とおしゃべり」を畑中が、「お相手」をたけしがそれぞれ担当。B面は畑中のソロ“左手で愛して”(作詞:容蓮華/作曲:松宮恭子/編曲:戸塚修)を収録。

 

 

9月5日、3rdソロ・アルバム『強行突破』を発売。“丸の内ストーリー”の続編“丸の内ストーリーPartII(ハードコア篇)”(作詞:とべあきよ/作曲:古田喜昭/編曲:戸塚修)も前作と同じくビートたけしとの共演で収録した他、ポップスのヒット曲のカヴァーも多数収録。

 

 


1983年2月21日、4thソロ・アルバム『香艶的夜總會』を発売。

 

3月20日、写真集『畑中葉子 幻視の牡丹』(週刊プレイボーイ特別編集)を集英社から刊行。

8月5日、6thソロ・シングル“愛はMUSIC”(作詞:岡田冨美子・K.Forsey/作曲:G.Moroder/編曲:笹路正徳)を発売。

 

 

1985年7月21日、7thシングル“夢人同志”(作詞:荒木とよひさ/作曲:奈太理ユウキ/編曲:川口真)を発売。荒木は“後ろから前から”等を豊兵衛の変名で作詞提供してきたが、本作で初めて荒木とよひさ名義での作詞提供となった。

 


1991年1月、一般男性と再婚。

10月、第一子の女児を出産。

 

 

1993年、第二子の男児を出産。


2009年、カラオケ・サークルを開設したが、歌手復帰のため閉会。

9月16日、ソロ・ベスト・アルバム『GOLDEN☆BEST 畑中葉子』をビクターから発売。

 


 

2011年4月から、太田プロダクション所属のタレントとして芸能活動を再開した。

 

 

2012年7月28日にフジテレビで放送されたバラエティ番組『ガチ桜』内の企画で「ニュース時事能力検定2級を合格できなかったら事務所から解雇」という課題が課せられた。結果は不合格で解雇が決定、事務所プロフィールからも削除。その後ニュース時事能力検定を再受検したが再び不合格となった。

12月5日より太田プロに再所属。

 

 

2014年6月1日、歌手活動に専念するためビクターミュージックアーツに移籍。

8月20日、これまでリリースしたソロ・オリジナル・アルバム4枚を復刻したボックス・セット『後から前からBOX』を発売。本作は、レアなカヴァー曲・アルバム未収録シングルなど大量のボーナス・トラックを収録、税抜6900円(ロック価格)、「後から前から」取り出せる仕様、高音質SHM-CD、など話題性もあり、「ディスクユニオン」において2014年8月18日〜8月24日の週間チャートにて1位を獲得した。

 

9月17日、デュオ・ベスト『GOLDEN☆BEST 平尾昌晃・畑中葉子』をビクターから発売。

 

 

2015年からフリーで活動。

 


2016年5月11日、1983年発売の『香艶的夜總會』以来、33年振りのアルバム作品となるカヴァー・アルバム『GET BACK YOKO!!』を発売。

 

 

7月21日、『GET BACK YOKO!!』に収録されたヤン富田リメイク&プロデュースによりセルフ・カヴァーした“後から前から”のアナログ7インチシングルをVIVID SOUNDから発売。

12月14日、1979年にJOJO広重と頭士奈生樹が京都で結成した世界初のノイズ・バンド「非常階段」とのコラボレーション・アルバム『畑中階段』をテイチクから発売。

※非常階段の演奏は文字通り「ノイズ」で独特なので要注意。

 

 

2018年7月11日、カヴァー・アルバム第二弾『ラブ・レター・フロム・ヨーコ』をリリース。

 

 

 

2019年1月1日より、ラフィーネプロモーション所属となる。

5月4日、日本テレビ『有吉反省会』 に出演。

 


2023年1月1日、自身のTwitterにて、2021年3月下旬に離婚していたことを発表。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「畑中葉子」

 

 

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