平尾 昌晃(ひらお まさあき/出生名:平尾勇/旧別名:平尾昌章/1937年12月24日~2017年7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。

 

 

 

1937年12月24日、平尾勇が東京市の牛込(現:東京都新宿区)で生まれ育つ。化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。

終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市の湘南学園で小中学校時代を送る。

幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。

小学3年生の時、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き、衝撃を覚える。

 

11歳の時、のど自慢大会に出場、アルゼンチン・タンゴの名曲“奥様お手をどうぞ”(ICH KUSSE IHRE HAND, MADAME)を英語で歌い、鐘3つの合格点をもらう。

藤沢市に住み、ジャズ教室に通い、朝丘雪路、水谷良重、ペギー葉山らと知り合う。

 

慶應義塾高等学校中退後、ウエスタンの人気バンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」に入る。しばらくして、チャック・ワゴン・ボーイズはヴォーカルの小坂一也が脱退したため、「オールスターズ・ワゴン」となる。

1957年、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを見た渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次に見初められる。

同年に公開された石原裕次郎主演映画『嵐を呼ぶ男』に出演する。

 

 

1958年1月、“リトル・ダーリン”(作詞:M.Williams/訳詞:音羽たかし/作曲:M.Williams)でキングレコードより「平尾昌章」名でソロ・デビューするが、売上は芳しくなかった。

 

3月に「平尾昌章とオールスターズワゴン」名義で発表したシングル“監獄ロック”(作詞:J.Leiber・M.Stoller・漣健児/作曲:J.Leiber・M.Stoller)が10万枚を売り上げるヒットとなる。

 

その後、ミッキー・カーチス(Mickey Curtis/1938年7月23日-)、山下敬二郎(1939年2月22日-2011年1月5日)と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博した。後にこの2人は渡辺プロに所属する。

6月、平尾昌章とオールスターズワゴン名義でポール・アンカのカヴァー“ダイアナ”(作詞・曲:ポール・アンカ/日本語詞:音羽たかし)を発売。

 

7月、それまで洋楽のカヴァーが多かった平尾がオリジナル曲“星は何でも知っている”(作詞:水島哲/作曲:津々美洋)を発売。100万枚を売り上げる大ヒットとなった。売り上げは50万枚という説もある。

 

12月、ポール・アンカが作詞・作曲した“好きなんだ! (I Love You)”は、日本での売上は10万枚程度に留まったが、ハワイでは地元ラジオ局KPOIが流したことをきっかけにリクエスト・ランキングで1位を記録する大ヒットとなった。

 


1959年12月、ハワイで開催された「アメリカン・ポップス大会」では日本代表として歌唱。

 


1960年4月、自作曲“ミヨチャン”(作詞・曲:平尾昌章)を発表、“ミヨちゃん”とも表記される本楽曲は再び100万枚を売り上げる大ヒットとなった。なお、売上は40万枚とする文献もある。“ミヨチャン”の元歌は、戦前から中学生の間で流行していた作曲者不詳の歌で、平尾は高校生の頃に覚えたという。それを基に1960年当時向きの「現代的な」歌詞をつけてリメイクしたのが平尾の“ミヨチャン”である。

 

12月31日、『第11回NHK紅白歌合戦』に初出場、“ミヨチャン”を歌唱した。

 

 

1961年5月、“おもいで”(作詞:水島哲/作・編曲:平尾昌章)を発売。平尾のヒット曲“星は何でも知っている”の作詞者である水島哲の詞に自身が作曲編曲し、かつ歌唱も担当。だが発売当初は“ミヨちゃん”の陰に隠れて売れず、廃盤の憂き目にあった。

 

12月31日、『第12回NHK紅白歌合戦』に2年連続2度目の出場、“タック・ロック”を歌唱した。

 

 

1962年12月31日、『第13回NHK紅白歌合戦』に3年連続2回目の出場を果たし、“ツイストNo.1”を披露した。


1965年2月20日、拳銃不法所持で逮捕される。平尾が独自にハワイから持ち帰り、帰国後「日頃、興行でお世話になっているから」と、名古屋と東京の暴力団組長に拳銃をプレゼントした事件が発覚した。平尾は22日間拘留され、釈放後「軽率だった」との反省文が雑誌に掲載された。
同年、ロカビリーブームが去った頃、1961年発売の“おもいで”が北海道からじわじわ火がつき始めて平尾が再ブレイク、シーンに戻るきっかけとなった。“おもいで”は、渡辺プロの新人歌手だった布施明が翌1966年に再録音し、これもヒットとなった。

 

 

1966年12月1日、布施明の5枚目シングル“霧の摩周湖”(作詞:水島哲/編曲:森岡賢一郎)が発売、累計売上は60万枚に達した。作詞家の水島哲は当時讀賣新聞記者でもあった。平尾は本曲で第9回日本レコード大賞(1967年度)作曲賞を受賞した。

 

 

1967年、名前を「平尾昌晃」に変更。

同年、平尾昌晃名義でシングル“破れた恋にも虹がある/ひとりごと”を発売。

3月1日、布施明の8枚目のシングル“恋”(作詩・作曲:平尾昌晃/補作詩:水島哲/編曲:森岡賢一郎)が発売、布施明と平尾のコンビ第4弾シングルで、それまで作詩(詞)を担当した水島哲ではなく、平尾自身が作詩を手掛け、水島が補作を担当、自身で作曲したものである。本曲のヒットにより布施は同年の『第18回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、本曲を歌唱した。

 

8月、梓みちよの20枚目シングル“渚のセニョリーナ”(作詞:尾中美千絵/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売。

 

12月16日、第9回日本レコード大賞にて、平尾は“霧の摩周湖”と“渚のセニョリーナ”で作曲賞を受賞。

 

 

1968年1月20日、伊東ゆかりのシングル“恋のしずく”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売、4週連続オリコン1位。オリコン初の女性アーティストによる1位獲得曲となった。小川知子“ゆうべの秘密”とビー・ジーズ“マサチューセッツ”に1位を奪われたが、再び返り咲き、1968年のオリコン年間第5位に輝いた。

 

4月、スクールメイツの初代メンバーから森くるみ、筑紫恵子の二人で結成したクッキーズが、「じゅん&ネネ」に改名。ショートカットがじゅん、ロングヘアーがネネ。名付け親は、コスチュームをデザインしたコシノジュンコと平尾。

4月20日、布施明の13枚目のシングル“愛の園”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売、オリコン8位。

 

7月、じゅん&ネネが“愛するってこわい”(作詞:山口あかり/作曲:平尾昌晃/編曲:小谷充)でキングレコードより再デビュー、80万枚を売り上げ、オリコン13位を記録。

 

12月3日、作曲家として非凡な才能を発揮してい最中、結核を患い健康保険岡谷塩嶺病院への長期間入院による療養を余儀なくされ、翌1969年5月と6月に2度にわたる大手術を経て、肋骨を6本取り除く。

 

 

1969年11月30日に退院。平尾自身は、この療養期間が作曲家としての活動の原点であることを事あるごとに語っている。

 

1970年代に入ると、ソフトな演歌から穏やかなポップス調まで様々な作風の曲を、五木ひろしや小柳ルミ子、アグネス・チャンらに提供している。作詞家の山口洋子とのコンビは、この時代を代表するゴールデン・コンビとして知られている。


1971年3月1日、五木ひろしの再デビュー・シングルで、旧名義含めて通算11枚目のシングル“よこはま・たそがれ”(作詞:山口洋子/作・編曲:平尾昌晃)が発売。第13回日本レコード大賞・歌唱賞、第2回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、オリコン1位。

 

4月25日、小柳ルミ子の1枚目シングル“わたしの城下町”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売、第13回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第2回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞を受賞。オリコンで週間1位、1971年度年間1位。

 

8月、五木ひろしの第二弾シングル“長崎から船に乗って”(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:高田弘)が発売、1986年8月中旬までのシングルの累計出荷枚数は70.6万枚(徳間ジャパン調べ)で、同時点で五木のシングルとしては歴代10位(デュエット曲を除く)。オリコン4位。

 

9月10日、小柳ルミ子の2枚目シングル“お祭りの夜”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)を発売、オリコン2位。

 


1972年1月25日、小柳ルミ子の3枚目シングル“雪あかりの町”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売、オリコン5位。

 

4月10日、小柳ルミ子の4枚目シングル“瀬戸の花嫁”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発表。第3回日本歌謡大賞・大賞、第14回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。オリコンで、週間1位、1972年度年間2位。

 

6月25日、沢田研二の3枚目シングル“あなただけでいい”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:東海林修)が発売、オリコン5位。

 

8月10日、小柳ルミ子の5枚目シングル“京のにわか雨”(作詞:なかにし礼/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)を発売。オリコンで、週間1位、1972年度年間7位。

 

9月2日~1973年4月14日、必殺シリーズ第1作となるテレビ時代劇『必殺仕掛人』全33話が放送。唯一の原作付き(池波正太郎『仕掛人・藤枝梅安』)で、マカロニウエスタン調の殺しのBGM“必殺!”は、シリーズのトレードマーク的な代表曲として後の作品にも度々流用されており、一般的にも知名度が高い。主題歌は、山下雄三が歌う“荒野の果てに”(作詞:山口あかり/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)。

 

 

11月10日、小柳ルミ子6枚目シングル“漁火恋唄”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)を発売、「リズム演歌」と宣伝された。オリコン3位。

 

12月5日、天地真理の5枚目シングル“ふたりの日曜日”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃 /編曲:竜崎孝路)が発売。売上44万枚。累計売上は公称100万枚。オリコン3位。

 

12月5日、五木ひろしのシングル“あなたの灯”(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売、オリコン5位。

 

同年、小柳に提供した“瀬戸の花嫁”が第3回日本歌謡大賞を受賞する。

 

 

1973年4月21日~10月31日、必殺シリーズ第2作のテレビ時代劇『必殺仕置人』の音楽と、主題歌として三井由美子“やがて愛の日が”(作詞:茜まさお/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

 

5月25日、小柳ルミ子の8枚目シングル“恋にゆれて”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売、オリコン4位。

 

7月15日、五木ひろしのシングル“ふるさと”(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売、オリコン11位。

 

7月25日、アグネス・チャンの3枚目シングル“草原の輝き”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一)が発売、オリコン2位。

 

8月、大塚たけし(後の大塚博堂)のシングル“風は知らない”(作詞:山口あかり/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売。テレビドラマ『トリプル捜査線』主題歌。

 

10月3日~1974年9月25日、NETテレビ(現:テレビ朝日)とその系列局で放送されたテレビアニメ『空手バカ一代』のオープニング・テーマ“空手バカ一代”(作詞:梶原一騎/作曲:平尾昌晃/編曲:小谷充)を手掛ける。歌唱は、大安蓮(子門真人の別名)とパイオニア児童合唱団。

 

10月20日~1974年6月22日、朝日放送と松竹(現:松竹撮影所)の共同製作によりTBS系(現在とネットワーク編成が異なる)で放送された必殺シリーズ第3作のテレビ時代劇『助け人走る』の音楽と、主題歌“望郷の旅”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路/歌:森本太郎とスーパースター)を手掛ける。

 

10月20日、五木ひろしに提供した“夜空”(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売、第15回日本レコード大賞・大賞を受賞、オリコン4位。

 

 

1974年2月25日、アグネス・チャン5枚目シングル“星に願いを”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一)が発売、オリコン4位。

 

2月25日、梓みちよのシングル“二人でお酒を”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売、第1回FNS歌謡祭・特別賞、第16回日本レコード大賞・大衆賞、第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。オリコンで、週間11位、1974年度年間18位。

 

同年、平尾昌晃音楽学校(現:平尾昌晃ミュージックスクール/略称:HMS)を創立。東京本校の他、札幌・所沢・茨城・名古屋・大阪・福岡・鹿児島にも地方校を開設、デビューのバックアップも行う。同校出身者は狩人、畑中葉子、川島なお美、石野真子、松田聖子、川崎麻世、大沢逸美、森口博子、芳本美代子、笹峰愛、倖田來未、後藤真希、西田あい等、数多い。平尾も歌手として、生徒の一人である畑中葉子とデュオを組み、“カナダからの手紙”、“ヨーロッパでさよなら”などのヒットを出した。また、平尾が日本でのデビューのきっかけを作ったアグネス・チャンとも、“香港国際空港(CHEK LAP KOK空港)”でデュオを組んだ。

4月5日、アン・ルイス5枚目シングル“グッド・バイ・マイ・ラブ(Good bye My Love)”(作詞:なかにし礼/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売、オリコン14位。

 

5月、三橋美智也のシングル“京都が泣いている”(作詞:横井弘/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売。

 

6月29日~12月28日、朝日放送と松竹(現:松竹撮影所)の共同製作によりTBS系(現在とネットワーク編成が異なる)で放送された必殺シリーズ第4作『暗闇仕留人』の音楽と、西崎みどりが歌う主題歌“旅愁”(作詞:片桐和子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路) を手掛ける。

 

12月21日、山口百恵の20枚目シングル“赤い絆(レッド・センセーション)”(作詞:松本隆/作曲:平尾昌晃/編曲:川口真)が発売、山口が主演したTBS系TVドラマ『赤い絆』テーマ曲。オリコン5位。

 

12月21日、アグネス・チャン8枚目シングル“愛の迷い子”(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一)月倍、オリコン2位。

 

 

1975年1月4日~6月27日、朝日放送と松竹(現:松竹撮影所)が共同製作・TBS系(第14話から、NETテレビ(現:テレビ朝日)系)で放送された必殺シリーズ第5作の時代劇『必殺必中仕事屋稼業』の音楽と、小沢深雪が歌う主題歌“さすらいの唄”(作詞:片桐和子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

同年、三橋美智也のシングル“郷愁”(作詞:横井弘/作曲:平尾昌晃/編曲:京建輔)が発売。B面の“鵜の浜小唄”(作詞:縄克一/補作詞:志摩美之/作曲:平尾昌晃/編曲:京建輔)は新潟県上越市で現在も歌われている新民謡。

 

7月4日~1976年1月9日、ABCテレビと松竹(京都映画、現・松竹撮影所)の制作で、NETテレビ(現・テレビ朝日)系で放送された必殺シリーズ第6作の時代劇『必殺仕置屋稼業』の音楽と、葵三音子が歌う“哀愁”(作詞:片桐和子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

 

1976年1月16日~7月23日、必殺シリーズ第7作の時代劇『必殺仕業人』の音楽と、西崎みどりが歌う“さざなみ”(作詞:荒木一郎、作曲:平尾昌晃、編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

7月30日~10月22日、必殺シリーズ第8作の時代劇『必殺からくり人』の音楽と、川谷拓三が歌う主題歌“負犬の唄”(作詞:荒木一郎、作曲:平尾昌晃、編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

10月29日~1977年1月14日、必殺シリーズ第9作の時代劇『必殺からくり人・血風編』の音楽と主題歌を手掛ける。主題歌は前作に続き川谷拓三“負犬の唄”を使用。

 

 

1977年1月21日~11月4日、必殺シリーズ第10作『新・必殺仕置人』の音楽と、川田ともこが歌う主題歌“あかね雲”(作詞:片桐和子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

 

11月18日~1978年2月10日、必殺シリーズ第11作『新 必殺からくり人』の音楽と、みずきあいが歌う主題歌“惜雪”(作詞:喜多条忠、作曲:平尾昌晃、編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

 

1978年1月10日、平尾昌晃・畑中葉子によるデュエット・シングル“カナダからの手紙”(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:森岡賢一郎)が発売。畑中葉子にとっては、本曲がデビュー曲となった。オリコンで、週間1位、1978年年間7位。

 

2月21日、野口五郎の26枚目シングル“愛よ甦れ”(作詞:藤公之介/作曲:平尾昌晃/編曲:船山基紀)が発売、オリコン9位。

 

8月20日、大場久美子のシングル“キラキラ星あげる”(作詞:伊藤アキラ/作曲:平尾昌晃/編曲:萩田光雄)が発売。

 

9月14日~1981年3月26日、フジテレビ系テレビアニメ『銀河鉄道999』全113話が放送、音楽とOPテーマ “銀河鉄道999”/EDテーマ“青い地球”(ともに作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:青木望/歌:ささきいさお・杉並児童合唱団) を担当。

 

 

10月~1979年3月30日、日本テレビ系列テレビ学園ドラマ『熱中時代』(第1シリーズ)の音楽、主題歌“ぼくの先生はフィーバー”(作詞:橋本淳/作曲:平尾昌晃/編曲:若草恵/歌:原田潤)を担当。

 

12月31日、『第29回NHK紅白歌合戦』に畑中葉子と出場、“カナダからの手紙”を披露した。畑中は初出場、平尾はソロ3回に続く4回目の紅白となった。

 

 

1979年3月6日~1980年3月25日、テレビアニメ『サイボーグ009』(第2作)のOPテーマ“誰(た)がために”(作詞:石森章太郎/作曲:平尾昌晃/編曲:すぎやまこういち/歌:成田賢・こおろぎ'73)、EDテーマ“いつの日か”(作詞:八手三郎/作曲:平尾昌晃/編曲:すぎやまこういち/歌:こおろぎ'73)、及び挿入歌、イメージソングの数々を手掛ける。

 

4月3日~9月28日、日本テレビ系列局で放送された児童向け番組『新・ロンパールーム 』OPテーマ“ころがれアルマジロ ”(作詞:藤公之介/作曲:平尾昌晃/編曲:田辺信一)を担当。

 

4月7日~10月6日、日本テレビ系刑事ドラマ『熱中時代・刑事編』の音楽と主題歌“カリフォルニア・コネクション”(作詞:阿木燿子/作曲:平尾昌晃/編曲:鈴木茂/歌:水谷豊)を担当。オリコン3位。

 

5月18日~1981年1月30日、必殺シリーズ第15作『必殺仕事人』を4作ぶりに担当。音楽と、金沢明子が歌う主題歌“浜千鳥情話”(作詞:茜まさお/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)、その他挿入歌を手掛ける。低迷していた同シリーズは本作で人気を回復。

 

 

1980年代のNHKの人気番組『レッツゴーヤング』の司会などにも携わる一方、『平尾昌晃の部屋』など、ラジオ番組のパーソナリティも務めた。

また、1980年代初頭から宝塚歌劇団の舞台音楽も手がけており、こちらは晩年まで長きにわたって関係が続いた。
 

 

1980年7月5日~1981年3月28日、学園ドラマ『熱中時代』の音楽と主題歌“やさしさ紙芝居”(作詞:松本隆/作曲:平尾昌晃/編曲:石川鷹彦/歌:水谷豊)を担当。

 

10月1日、松田聖子の3枚目シングル“風は秋色/Eighteen”が発売、両A面シングルで平尾は“Eighteen”(作詞:三浦徳子/編曲:信田かずお)の作曲を担当。オリコン1位。

 

 

1981年2月6日~5月1日、必殺シリーズ第16作『必殺仕舞人』の音楽と、本田博太郎が歌う“風の旅人”(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を担当。

 

3月、五木ひろしのシングル“港・ひとり唄”(作詞:喜多條忠/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)が発売、第12回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、オリコン21位。

 

5月1日、桜田淳子の34thシングル“玉ねぎむいたら…”(作詞:山上路夫/作曲:平尾昌晃/編曲:船山基紀)が発売、同名テレビドラマ『玉ねぎむいたら』主題歌。

 

 

1982年7月2日~9月24日、必殺シリーズ第18作『新・必殺仕舞人』の音楽と、西崎みどりが歌う“流星”(作詞:喜多條忠、作曲:平尾昌晃、編曲:竜崎孝路)を担当。音楽は前作も担当したが、主題歌を手掛けたのは2作品ぶり。

 

10月8日~1983年7月1日、テレビ朝日系で放送された必殺シリーズ第19作のテレビ時代劇『必殺仕事人III』の音楽と、鮎川いずみが歌う主題歌“冬の花”(作詞:石坂まさを/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を担当。

 

 

1983年7月8日~10月14日、必殺シリーズ第20作『必殺渡し人』の音楽と、中村雅俊が歌う主題歌“瞬間(ひととき)の愛”(作詞:三浦徳子/作曲:平尾昌晃/編曲:川村栄二)を手掛ける。

 

10月18日~、テレビ時代劇『長七郎江戸日記』第1シリーズ(第34話まで)主題歌“微笑みかけて”(作詞:荒木とよひさ/作曲:平尾昌晃/編曲:小六禮次郎/歌:里見浩太朗)を手掛ける。

 

10月21日~1984年8月24日、必殺シリーズ第21作『必殺仕事人IV』の音楽と、鮎川いずみが歌う主題歌“花の涙”(作詞:中西冬樹/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を手掛ける。

 

 

1985年1月11日~7月26日、必殺シリーズ第23作『必殺仕事人V』で音楽と、藤田絵美子が歌う主題歌“さよならさざんか”(作詞:宇山清太郎/作曲:平尾昌晃/編曲:竜崎孝路)を手掛ける。本楽曲は次作の第24作『必殺橋掛人』(1985年8月2日-11月8日)でも引き続き主題歌として使用された(歌詞は1番のまま変わらず)。

以降も必殺シリーズの音楽は担当するが、平尾がシリーズの各作品において主題歌を手掛けるのはこれが最後となった。

 


音楽活動のみならず、『ものまねバトル』(日本テレビ系)の審査員、チャリティゴルフの企画など、幅広く活躍した。俳優としても、『二階の他人』等に出演。


競走馬オーナーとしては中央競馬で3勝したスーパーミヨチャンなどを所有した。また、ジャパンカップ優勝のローズキングダムの一口馬主でもあった。オートレースのファンとしても有名で、川口オートレース場には年間ボックスシートを持っているほどだった。作曲者としても川口オートのテーマソングとなる『ぶっちぎりの青春』を提供した。

 

 

1998年2月18日、山川豊の20枚目シングル“アメリカ橋”(作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃/編曲:矢野立美)が発売、TBS系テレビドラマ『いのちの現場から 第5シリーズ』主題歌。第31回日本作詩大賞大賞を受賞した。山川は、この曲で同年と翌1999年のNHK紅白歌合戦に2年連続出場した。

 

 

2000年8月23日、コンピレーション・アルバム『必殺!The BEST』が発売。人気時代劇「必殺シリーズ」のテーマ曲、BGMを各作品からコレクション。ただし主題歌は入っていない。

 

 

2001年、モンブラン国際文化賞受賞。


2002年、特定非営利活動法人ラブ&ハーモニー基金を設立、音楽を通じた福祉活動を展開する。

7月21日、アグネス・チャンの40枚目のシングル“香港国際空港”(作詞:秋元康/作曲:平尾昌晃/編曲:矢野立美)を作曲提供、平尾もアグネスとデュエット歌唱した。

 

 

2003年、紫綬褒章受章。

 

2004年に三男の平尾勇気が歌手デビューを果たす。

 

2005年、歌手を目指す若い人、生徒のために自主レーベルのHMSレコードを立ち上げて、優秀な生徒をCDデビューさせている。

 

2006年、大晦日の『第57回NHK紅白歌合戦』では同年3月に逝去した宮川泰の後を受け“蛍の光”の指揮者に就任、2016年の第67回まで11年間務めた。ただし、宮川やその前任の藤山一郎、前田璣などと比較するべくもなく本格的に勉強した指揮法ではなく、いわば名誉職的な役割であることを本人も認めている。
 

肺結核で片肺を切除して以来、肺疾患が慢性化。たびたび体調不調に悩まされた。


2014年1月15日、五木ひろしが歌った平尾作品を集めたコンピレーション・アルバム『平尾昌晃 作品集 五木ひろし』が発売。

 

 

同年末には原発性肺高血圧症に起因する肺炎で危篤状態となったが、この時は奇跡的に持ち直している。


2015年に肺がんであることが判明。体力面を考慮して手術を回避。以降は呼吸補助器を携行しながら、公の場にも積極的に顔を出していた。

 

 

2017年5月、「息苦しい」と訴え、約1か月にわたって入院。一時は回復したものの、同年7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と訴え、病院で検査の結果「肺炎の疑い」との診断で入院。だがこの時も食欲は旺盛で、病室でテレビを楽しんでいたという。
7月21日深夜に容体が急変。

 

 

 

 

2017年7月21日23時40分、かけつけた夫人や数人の親族に看取られ、平尾昌晃は肺炎のため、入院先の東京都内の病院で死去。79歳没。

 

 

 

7月23日、訃報後に、2016年に再々婚していたことが明らかとなった。

7月30日、平尾の葬儀が親族らによる密葬の形で執り行われた。

8月15日、コンピレーション・アルバム『平尾昌晃ベスト・ヒッツ』が発売。平尾の代表作を手軽に聴ける、入門編的一枚。

 

10月30日、東京・青山葬儀所にて渡邊美佐(渡辺プロダクショングループ代表)を葬儀委員長とし、故人と縁のあった布施明、原辰徳、青木功らを発起人に「故 平尾昌晃 葬儀・告別式」と題して公のお別れの会が行われた。原が弔辞を読み、布施と五木ひろしが“霧の摩周湖”と“よこはま・たそがれ”を霊前に捧げるべく熱唱し、葬儀に参列した歌手らにより小柳ルミ子の“瀬戸の花嫁”を合唱するなどして故人を偲んだ。


 

没後に第59回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。

 

 

2018年6月6日、ベスト・アルバム『究極盤 平尾昌晃~スーパーベスト~』がリリース。ロカビリー時代の洋楽カヴァーやオリジナル楽曲の歌唱、そして提供楽曲はオリジナル歌手による歌唱で、CD3枚組に43曲を網羅。歌い手と作り手、どちらも堪能できる、平尾昌晃の魅力が詰まった、まさにベストを集めたスーパーな愛蔵盤。

 

 

2019年7月、没後三回忌を迎えた、平尾の遺骨が谷中霊園に在る平尾家先祖代々の墓所に納められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「平尾昌晃」

 

 

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