ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams/出生名:Pharrell Lanscilo Williams/別名:ファレル[Pharrell]/1973年4月5日~)は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、歌手、MC、ファッションデザイナー。

 

 

 

1973年4月5日、ファレル・ランシロ・ウィリアムスは、アメリカ合衆国バージニア州バージニアビーチで、教師キャロリンと便利屋ファラオ・ウィリアムズの3人の息子の長男として生まれた。彼の祖先はバージニア州とノースカロライナ州に何世代も遡る。彼の先祖の1人は1831年に西アフリカへ旅立ち、他の親戚は1832年に米国からリベリアへ移住することになった。

 

7年生の時、ファレルはサマー・バンド・キャンプに参加、そこでチャド・ヒューゴ(Chad Hugo/1974年2月24日-)に出会い、ファレルはドラムを、ヒューゴはテナーサックスを演奏した。

彼らはアン王女高校に通い、スクール・バンドに所属していた。

 

1990年代初頭、ファレル・ウィリアムスは、チャド・ヒューゴ、マグー、そしていとこのティンバランド(Timbaland/1972年3月10日-)とともにヒップホップ・グループ「サラウンド・バイ・イディオッツ」(S.B.I.)を結成。だが、彼らはレコードを作る前に解散した。


 

その後、ファレルは、ヒューゴと友人のシェイ・ヘイリー、マイク・エスリッジとともに4人組の「R&Bタイプ」のグループ「ザ・ネプチューンズ」(The Neptunes)を結成した。彼らは高校生のタレントショーに出場し、そこで学校の隣にスタジオがあったプロデューサーのテディー・ライリー(Teddy Riley/ 1967年10月8日-)に見出された。

 

1991年、ファレルは高校を卒業し、ノースウェスタン大学に進学、2年間通った後に中退した。
高校卒業後、グループはテディー・ライリーと契約した。彼は1980年代を席巻した新しいR&Bスタイル「ニュージャックスウィング」 (New jack swing/略語:NJS) の大御所であった。


1992年、ファレルは、Wreckx-n-Effectのヒット曲“Rump Shaker”にライリーの詩を書いた。

 

 

1990年代後半、ネプチューンズはラップデュオのClipse(ラッパーのPusha TとMalice)と活動を開始し、Clipseのアルバム『Exclusive Audio Footage』に取り組んだが、未リリースだった。

 

 

1998年、ネプチューンズとしてファレルとヒューゴはN.O.R.E.のシングル“スーパーサグ”(Superthug)をプロデュースし、米音楽誌『ビルボード』の全米シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)36位に送り込んだ。この曲の独特の音楽性は「ネプチューンズ・サウンド」と呼ばれ、2人は世界から注目を浴びるようになる。

 

その後、ネプチューンズ・サウンドはヒップホップシーンを席巻、多くのヒット曲を生み出し、1990年代末から2000年代初頭にかけてポップミュージックの世界を一変させる。


 

1999年、ネプチューンズの2人に友人のシェルドン・ヘイリー(Shay Haley/ラップ,Ds,B/通称:シェイ)を加えて、音楽グループ「N.E.R.D」(エヌイーアールディー)を結成。なお、ファレル・ウイリアムスはVo,Pf,Key、チャド・ヒューゴはG,B,Sax,Pfを担当。

同年、ネプチューンズは、ケリスのスタジオ・アルバム『カレイドスコープ』(1999年)をプロデュース。


2000年、ネプチューンズは、いずれもファレルがフィーチャーされた、ミスティカル(Mystikal)のシングル“シェイク・ヤ・アス”(Shake Ya Ass)や、ジェイ・Zのシングル“アイ・ジャスト・ワナ・ラヴ・ユー(ギブ・イット・2・ミー)”(I Just Wanna Love U [Give It 2 Me])をプロデュースした。

 

 


2001年、ネプチューンズはブリトニー・スピアーズ(Britney  Spears/1981年12月2日-)の3rdスタジオ・アルバム『ブリトニー』にて“アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー”(I'm a Slave 4 U)と“boy”をプロデュース、このうち“アイム・ア・スレイヴ・フォー・ユー”がルーマニアで1位を獲得したのをはじめ、ドイツ3位、イギリス・イタリア・フィンランドで4位、さらに全米27位・全英4位と各国で好調なセールスを記録、ネプチューンズにとって初の世界的ヒット曲となる。

 

同年、ネプチューンズは、歌手ベイビーフェイスのアルバム『Face2Face』のリードシングル“There She Goes”を含む楽曲をプロデュースした。

 

8月6日、N.E.R.Dは1stアルバムをリリースしてデビュー。

9月、発売して1ヶ月後、打ち込み主体だったパートをSPYMOBによる生演奏に変えアルバムタイトルを『イン・サーチ・オブ…(In Search Of…)』とし再度リリース、全米56位・全英28位をマークする。ここからは、"Lapdance" (featuring Lee Harvey and Vita)が全英20位、"Rock Star"が全英15位、"Provider"が全英20位になった。

 

 

 

 

同年、ウィリアムズとヒューゴは、ウィリアムズのStar Trak Entertainmentのレーベルを通じてClipseとArista Recordsに契約を結んだ。

同年、ネプチューンズは、再びケリスのスタジオ・アルバム『ワンダーランド』(2001年)をプロデュースした。

 

 

2002年、ネプチューンズがプロデュースしたネリー(Nelly)の“ホット・イン・ヒア feat. ダニ・スティーヴンソン”(Hot in Herre)が全米1位を記録する。

 

同年、クリプスはネプチューンズが完全にプロデュースしたデビュー・アルバム『ロード・ウィリン』をリリースした。

同年、ネプチューンズはジャスティン・ティンバーレイク(Justin Timberlake/1981年1月31日-)のデビュー・アルバム『ジャスティファイド』(Justified)にて、全米27位・全英13位になったシングル“セニョリータ”(Señorita)、全米11位・全英2位になった“ライク・アイ・ラヴ・ユー”(Like I Love You)、全米5位・全英2位になった“ロック・ユア・ボディ”(Rock Your Body)など多数の曲をプロデュースした。

 

 

 


2003年、ザ・ネプチューンズ名義のコンピレーションアルバム『The Neptunes Present... Clones』をリリース、全米1位を記録する。ここからの最大のヒット・シングルは、ファレルがJay-Zをフィーチャーしたナンバー"Frontin'"が全米5位・R&B1位・全英6位をマークした。

 

 

同年、『エイジ』誌が引用した匿名の同年8月の調査によると、当時イギリスのラジオで流れた曲のほぼ20%をネプチューンズがプロデュースしていたことが判明した。米国での別の調査では、ラジオ曲の43%が彼らが制作したことが判明した。

 

 

2004年、ネプチューンズは第46回グラミー賞で最優秀プロデューサー賞(ノンクラシカル)と最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞(ジャスティン・ティンバーレイク『Justified』)を受賞する。

3月23日、N*E*R*Dは2ndアルバム『フライ・オア・ダイ』(Fly or Die)を発表、全米6位・全英4位を記録。ここからは、"She Wants to Move"が米ダンス6位・全英5位、"Maybe"が全英25位に達した。

 

 

5月、ネプチューンズがプロデュースしたグウェン・ステファニー(Gwen Stefani)の“ホラバック・ガール”(Hollaback Girl)が4週連続全米1位を記録する。

 

12月、ネプチューンズがプロデュース、ファレルがフィーチャード・アーティストとして参加したスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)のシングル“ドロップ・イット・ライク・イッツ・ホット”(Drop It Like It's Hot)が3週連続全米1位を記録する。

 

 

2005年、ヴァージン・レコードと契約で揉めたため、N*E*R*Dは事実上の活動停止となる。

3月、BBC Radio 1にてファレルが「N.E.R.D is dead」と発言。解散が囁かれた。

同年、ソロ名義でシングル“キャン・アイ・ハヴ・イット・ライク・ザット feat. グウェン・ステファニー”(Can I Have It Like That [featuring Gwen Stefani])を次のアルバムから先行リリース、全米49位・全英3位。

 

 

2006年7月25日、1stソロ・アルバム『イン・マイ・マインド』(In My Mind)をリリース、全米3位・全英7位をマークする。ここからは、“キャン・アイ・ハヴ・イット・ライク・ザット feat. グウェン・ステファニー”の他、"Angel"が全英15位、Kanye Westをフィーチャーした"Number One"が全英31位に入った。

 

 

 

7月、ネプチューンズがプロデュースを手掛け、ファレルがフィーチャード・アーティストとして参加したリュダクリス(Ludacris)のシングル“マネー・メイカー”(Money Maker)が全米1位を獲得する。

 

 

2007年、第49回グラミー賞で最優秀ラップ楽曲賞(リュダクリス“マネー・メイカー”)を受賞する。
 

 

2008年6月10日、N*E*R*Dはインタースコープ・レコードに移籍して3年ぶりに活動を再開、3rdアルバム『シーイング・サウンズ』(Seeing Sounds)を発表、全米7位・全英20位をマークする。

 

 

2009年10月、2010年リリース予定の4thアルバム『Instant Gratification』に向け、新メンバーとして女性シンガーであるリアが加入したがわずか3ヶ月で脱退し、4thアルバムは一度白紙に戻った。


2010年、イルミネーション・エンターテインメントのアニメーション映画『怪盗グルーの月泥棒 3D』のサウンドトラックを担当する。

11月2日、N*E*R*Dはタイトルを『ナッシング』(Nothing)と変えて4thアルバムをリリース。


2013年3月26日、ファレルがヴォーカル、作曲、プロデュースで参加したロビン・シック(Robin Thicke/1977年3月10日-)のシングル“ブラード・ラインズ〜今夜はヘイ・ヘイ・ヘイ♪”(Blurred Lines)が12週連続全米1位を記録、14ヶ国でチャート1位を獲得するなど世界的ヒット曲となる。

 

4月19日、ヴォーカルとして参加したダフト・パンク(Daft Punk)の楽曲“ゲット・ラッキー”(Get Lucky)がリリース、全米2位・全英1位をはじめ32ヶ国でトップ10入りを果たすなど世界規模のヒットを記録する。

 

7月、前作『怪盗グルーの月泥棒 3D』に続きサウンドトラックを手掛けた、映画『怪盗グルーのミニオン危機一発』が公開された。

11月21日、ソロ・シングル“ハッピー”(Happy)を発表すると、10週連続全米1位を記録したのをはじめ、22ヶ国のシングル・チャートで首位を記録、各国でプラチナ・ディスク認定を受ける世界的ヒットになる。また、人々が曲に合わせて踊るPVは、2014年4月までにYouTubeでの再生回数が2億回を超え、世界各地で派生バージョンが作られるなど、ブームを巻き起こした。なお、本曲PVのYouTubeにおける視聴回数は2024年4月5日時点で12億回以上である。

 

12月、コロムビア・レコードと契約する。

 

 

2014年、第56回グラミー賞では最優秀プロデューサー賞をはじめ、計4部門で受賞を果たした。

3月3日、8年ぶりとなる2ndソロ・アルバム『ガール』(Girl)をリリース、リード・シングル“ハッピー”の大ヒットに勢いを得たこともあり、前作を上回る全米2位・全英1位を記録した。ここからは他に、"Marilyn Monroe"が全英25位、"Come Get It Bae"が全米23位・全英87位となった。

 

 

 

3月、コム デ ギャルソンがファレルのアルバム『ガール』にちなんで名付けたユニセックス・フレグランスを発売すると発表。

3月31日、ファレルはシーロー・グリーンの後任として、ザ・ヴォイスの第7シーズンの新コーチとして発表された。

5月、ファレルはパリのギャラリー・ペロタンでアルバム『ガール』にちなんで名付けられたアートショーを企画した。ショーには村上隆、JR、ダニエル・アーシャム、マリーナ・アブラモヴィッチなどが出演した。

同年、ファレルはハンス・ジマー、ジョニー・マー、マイケル・アインジガー、デヴィッド・A・スチュワートと『アメイジング・スパイダーマン2』(2014年)の音楽を共同作曲した。

10月21日、ファレルが製作総指揮を務めたアトランタのラッパーT.I.の9枚目のスタジオ・アルバム『ペーパーワーク』がグランド・ハッスルとコロンビア・レコードからリリースされた。

同年、ファレルはグウェン・ステファニーとアニメーション映画『パディントン』(2014年)の曲“シャイン”でコラボレーションした。


2015年1月、ファレルは、気候変動に対する意識を高め、各国政府に行動するよう圧力をかけるため、2015年6月18日に7大陸を巡るライブ・アース・コンサートの音楽監督に就任すると発表された。

同年のアニメーション映画『スポンジ・ボブ・ムービー: スポンジ・アウト・オブ・ウォーター』のサウンドトラックとして3曲を録音した。

5月18日、チーム・ファレルは16歳のソーヤー・フレデリックスに『ザ・ヴォイス』の第8シーズンで優勝をもたらした。
同年のグラミー賞で、ファレルはハンス・ジマーとピアニストのラン・ランとともに、エリック・ガーナーの死とファーガソン騒動に触発された「ブラック・ライブズ・マター運動」への賛辞を含む“ハッピー”のオーケストラ演奏を演奏した。

同年、陪審は満場一致で、ファレルが共同作詞・プロデュースした“ブラード・ラインズ”が1977年のマーヴィン・ゲイの曲“ガット・トゥ・ギブ・イット・アップ”の侵害であるとの判決を下した。陪審はファレルに対して、ゲイ一家が得られた利益に基づき著作権侵害として740万ドルの損害賠償を命じた。

8月、SUMMER SONIC2015にヘッドライナーとして出演した。8月15日には舞洲スポーツアイランド、8月16日にはQVCマリンフィールドにも出演した。

10月、ニューヨーク大学ティッシュ芸術大学院はウィリアムズをアーティスト・イン・レジデントに指名した。彼は大学で2017年の卒業式の演説を行い、2017年5月17日に名誉美術博士号を取得した。

 

 

2017年12月15日、N*E*R*Dの5thアルバム『ノー_ワン・エヴァー・リアリー・ダイズ』(No_One Ever Really Dies)をリリース、全米31位。「誰も本当の意味では死なない」というグループ名をセルフタイトルとして掲げた今作は、リアーナ、ケンドリック・ラマー、エド・シーランといった豪華ゲストが参加していることも話題となった。ここからのシングルは、"Lemon" (with Rihanna)が全米36位・全英31位をマークした。

 

 

2018年、ファレルはアリアナ・グランデの4枚目のスタジオ・アルバム『スウィートナー』(2018年)でいくつかの曲をプロデュースし、“Blazed”という曲にフィーチャーされている。

 

7月、N*E*R*Dが日本の野外音楽フェス「フジロック・フェスティバル'18」出演。


2019年3月、ファレルとバージニアビーチ市は、「サムシング・イン・ザ・ウォーター」と題した3日間の音楽・文化フェスティバルの立ち上げを発表。

4月26~28日、カレッジビーチの週末にバージニアビーチのオーシャンフロントで開催。フェスティバルのラインナップには、トラヴィス・スコット、ミーゴス、ジャネール・モネイ、SZA、ロザリア、アンダーソン・パーク、ジェネ・アイコ、マック・デマルコ、マギー・ロジャース、リル・ウージー・ヴァート、ミッシー・エリオット、プシャ・T、デイブ・マシューズ・バンド、DRAMが含まれていた。 フェスティバルの初日は激しい嵐のために中止された。フェスティバル2日目を締めくくった「ファレル・アンド・フレンズ」セットには、ファレルの他、ジェイ・Z、ディディ、バスタ・ライムス、アッシャー、スヌープ・ドッグ、ミッシー・エリオット、ティンバランド、チャーリー・ウィルソン、タイラー・ザ・クリエイターを含むゲスト陣が出演した。フェスティバルの最終日には、トレイ・ソングス、クリス・ブラウン、リル・デュバル、SWVとブラックストリートのメンバーが出演した。

同年、ファレルはウォルト・ディズニー・ピクチャーズの『ライオン・キング』(The Lion King)のために5曲をプロデュースし、作曲家ハンス・ジマーとの3度目のコラボレーションとなる。

10月、ウィリアムズは、明らかに性差別的なテーマで激しい反発を受けた2013年の曲“ブラード・ラインズ”に関わったことを今は後悔していると述べた。

 

 

2022年7月15日、Calvin Harris, Justin Timberlake, and Halseyとシングル"Stay with Me"をリリース、全英10位を記録した。

 

 

2023年、 ルイ・ヴィトンのメンズクリエイティブディレクターに就任。

 

 

2024年3月1日、Miley Cyrusと共演したシングル"Doctor (Work It Out)"をリリース、全米74位・全英46位を記録した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ファレル・ウィリアムス」「Pharrell Williams」「ザ・ネプチューンズ」「The Neptunes」「N.E.R.D」(日本語)「N.E.R.D.」(英語)

 

https://pharrellwilliams.com/

 

 

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