エイミー・グラント(Amy Grant/出生名:Amy Lee Grant/1960年11月25日~)は、アメリカ合衆国の歌手。

 

 

 

1960年11月25日、エイミー・リー・グラントは、アメリカ合衆国ジョージア州オーガスタ(Augusta, Georgia)で、4人姉妹の末っ子として生まれた。

 

1967年、彼女の家族はナッシュビルに定住した。彼女はナッシュビルの慈善家A.M.バートン(生命保険会社の創設者、ナッシュビルの生命保険タワー、WLACラジオ、WLAC-TVの代名詞)とリリー・バートンの曾孫娘であり、ナッシュビルのアッシュウッドキリスト教会の共通会員としてバートン一家がミュージシャンとしての成長に影響を与えたことを認めている。


1976年、グラントは最初の曲“マウンテン・トップ”(Mountain Top)を書き、ナッシュビルにある女子校ハーペス・ホール・スクールで初めて公の場で演奏した。

彼女は、教会の青少年指導者ブラウン・バニスターとともに両親のためにデモテープを録音した。バニスターがテープのコピーをダビングしている間に、レコーディングスタジオのオーナーであるクリス・クリスチャンがデモを聞いてワード・レコードに電話した。彼は電話越年しに歌を聴かせ、16歳の誕生日の5週間前にレコーディング契約を持ちかけられた。


1977年、彼女はブラウン・バニスター(Brown Bannister)の共同プロデュースで最初のアルバムをレコーディングした。バニスターはその後の11枚のアルバムもプロデュースを手掛けた。

 

 

1978年2月3日、彼女はセルフ・タイトルの1stアルバム『エイミー・グラント』(Amy Grant)をリリース。米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の「Top Christian Albums」チャート(以下「クリスチャン」)で12位を記録。ここからは、"Old Man's Rubble"が同誌「Top Christian Songs」(以下「クリスチャン」)2位、"What a Difference You've Made"がクリスチャン5位に入った。また、本アルバムには、処女作“マウンテン・トップ”も収録。

 

 

 

同年の終わり頃、彼女はファーマン大学で1年生を始めた後、初めてチケット制のコンサートを行った。


1979年4月20日、2ndアルバム『マイ・ファーザーズ・アイズ』(My Father's Eyes)をリリース、自身初のクリスチャン1位を獲得し、さらに、アメリカレコード協会(RIAA)からゴールド・ディスク認定を受けた。ここからは、タイトル・トラック“マイ・ファーザーズ・アイズ”がクリスチャン3位になった。

 

5月、2ndアルバムのリリース・パーティーに出席していたグラントは、表題曲を書いたゲイリー・チャップマン(Gary Chapman)と出会い、彼は後に最初の夫となる。

同年半ば、グラントとチャップマンは一緒にツアーを行った。

 

 

1980年後半、彼女はヴァンダービルト大学に転校し、女子学生クラブ「カッパ・アルファ・シータ」のメンバーとなった。

同年、アルバム『Never Alone』をリリース、クリスチャン1位に達した。

その後グラントは、音楽のキャリアを追求するために大学を中退する。

 

 

1981年、2枚のライヴ・アルバム、『イン・コンサート』(In Concert)と『イン・コンサート 2』(In Concert Volume Two)を制作した。どちらもバックの演奏はデガーモ&キーバンドが務めていた。

この頃、グラントはショーの最中、裸足でのパフォーマンスを行った。現在に至るまで、グラントは「そのほうが楽だから」と言って、パフォーマンスの途中で靴を脱ぎ続け、彼女のコンサートのトレードマークの一つになっている。

 

 

1982年に発表したアルバム『Age to Age』では、クリスチャン・ミュージックとしては異例の100万枚のセールスを記録し、RIAAプラチナ認定を受ける。ここからは、"Sing Your Praise to the Lord"がクリスチャン1位、"El Shaddai"が同2位、"In a Little While"が同5位に達した。ずっとクリスチャン・ミュージックとよばれるジャンルを専門に歌ってきた彼女は本アルバムで、翌1983年のグラミー賞最優秀コンテンポラリー・アルバムに選ばれる。

 

 

 

 

 

1983年、自身初のアルバム『クリスマス・アルバム』(A Christmas Album)をリリース、クリスチャン9位、RIAAプラチナ認定。

 

 

1984年、アルバム『Straight Ahead』をリリース、クリスチャン1位に加えて、『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)に133位で初めて入った。RIAAゴールド認定。ここからは、"Angels"がクリスチャン1位、"Thy Word"が同4位、"Jehovah"が同2位に入った。

 

 

 

 

1985年5月13日、アルバム『初めての誘惑』(Unguarded)をリリース、全米35位・クリスチャン1位、RIAAプラチナ認定を受けた。このアルバムからカットした"Find a Way"が『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」に29位で初ランク・イン、同誌「Adult Contemporary」チャート(以下「AC」)7位・クリスチャン・シングル・チャート(以下「クリスチャン」)1位をマーク、"Wise Up"が全米66位・クリスチャン34位に達した。

 

 

 

 

1986年7月22日、コンピレーション・アルバム『The Collection』をリリース、全米66位・クリスチャン1位、RIAAプラチナ認定。ここから、"Stay for Awhile"がAC18位・クリスチャン2位、"Love Can Do"がクリスチャン6位をマークした。

 

9月、元シカゴ(Chicago)のピーター・セテラ(Peter Cetera/1944年9月13日-)とのデュエット曲“The Next Time I Fall”が全米1位・AC1位を記録、この大ヒットを機にクリスチャン・ミュージックのファン以外の一般にも広く知られるようになる。

 

同年、アート・ガーファンクルと共演したクリスマス・アルバム『アニマルズ・クリスマス』(The Animals' Christmas)をソニーからリリース。

 

 

1988年6月20日、アルバム『自由の歌』(Lead Me On)をリリース、全米71位・クリスチャン1位、RIAAゴールド認定を受けた。ここからは、"Saved by Love"がAC32位・クリスチャン1位、"Lead Me On"が全米96位・AC34位・クリスチャン5位、 "1974"がクリスチャン1位、"What About the Love"がクリスチャン1位を記録。

 

 

 

 

『初めての誘惑』から本アルバムへと続く流れにより、グラントは主流のポップス・シーンとのクロスオーバーに成功した最初のCCMアーティストの一人となった。


1991年3月5日、アルバム『ハート・イン・モーション』(Heart in Motion)をリリース、全米10位・クリスチャン1位・全英25位を記録、特にビルボード・クリスチャン・アルバム・チャートでは32週間1位をキープ。全米で500万枚を売り上げ、RIAA 5×プラチナ認定を受けた。

 

ここからシングル・カットした“Baby Baby”は自身2度目となる全米1位を2週連続で獲得しACでも1位、英国2位に到達した。本アルバムからのシングルは他にも、 “Every Heartbeat”が全米2位・AC2位、“That‘s What Love Is For”が全米7位・AC1位・クリスチャン3位、“Good For Me”が全米8位・AC4位、“l Will Remember You” が全米20位・AC2位、"Hope Set High"がクリスチャン1位、"Ask Me"がクリスチャン1位と、立て続けにヒットを出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

1992年10月2日、クリスマス・アルバム『ホーム・フォー・クリスマス』(Home for Christmas)をリリース、全米2位・クリスチャン1位。ここからは、"Breath of Heaven (Mary's Song)"がクリスチャン1位に達した。

 

 

1994年8月23日、アルバム『ハウス・オブ・ラヴ』(House of Love)をリリース、全米13位・クリスチャン1位、RIAA 2×プラチナ。ここからは、"Lucky One"が全米18位・AC2位、"House of Love"が全米37位・AC5位、さらに"Children of the World" がクリスチャン・チャートで1位、"Love Has a Hold on Me"が同3位、 "Helping Hand"が同4位に入った。

 

 

 

 

同年、"Lover of My Soul"がクリスチャン1位になった。

 

 

1997年9月9日、アルバム『ビハインド・ザ・アイズ』(Behind the Eyes)をリリース、全米8位・クリスチャン2位、RIAAゴールド。ここからは、"Takes a Little Time"がAC4位・クリスチャン9位、"Somewhere Down the Road"がクリスチャン2位になった。

 

 

 

 

1998年、米国のシンガーソングライターRich Mullinsの死後10カ月してリリースされた、彼の最後のアルバム『The Jesus Record』に収録された"Nothing Is Beyond You"にリード・ヴォーカルとして客演、クリスチャン1位になった。

 

 

1999年10月19日、クリスマス・アルバム『A Christmas to Remember』をリリース、全米36位・クリスチャン1位。

 

 

2002年5月2日、アルバム『レガシー』(Legacy... Hymns and Faith)をリリース、全米21位・クリスチャン1位、RIAAゴールド。

 

 

 

2003年8月19日、アルバム『Simple Things』をリリース、全米23位・クリスチャン1位。ここからは、"Simple Things"がAC23位・クリスチャン7位を記録した。

 

 

2004年10月12日、コンピレーション・アルバム『Greatest Hits 1986–2004』をリリース、全米48位・クリスチャン3位。"Come Be With Me"がAC32位になった。

 

同年、"God Is With Us"がクリスチャン3位に入った。

 

 

2005年5月3日、アルバム『Rock of Ages... Hymns and Faith』をリリース、全米42位・クリスチャン1位。

 

 

2006年、彼女はエンターテインメント業界への貢献が評価され、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのスターを授与された。

 

 

2008年9月30日、コンピレーション・アルバム『The Christmas Collection』をリリース、全米41位・クリスチャン2位。ここから"I Need a Silent Night"がAC29位・クリスチャン12位に入った。

 

 

2009年の時点で、彼女は世界中で3,000万枚以上のアルバムを販売し、グラミー賞を6回、ゴスペル音楽協会ダヴ賞を22回受賞、また彼女はクリスチャン・アルバムとしては初のプラチナ・ディスクを獲得している。 

 

 

2010年3月30日、アルバム『Somewhere Down the Road』をリリース、全米41位・クリスチャン2位。ここからは、"Better Than a Hallelujah"がクリスチャン8位をマークした。

 

 

2013年5月14日、アルバム『How Mercy Looks from Here』をリリース、全米12位・クリスチャン1位。

 

 

2016年10月21日、クリスマス・アルバム『Tennessee Christmas』をリリース、全米31位・クリスチャン1位。"To Be Together"がクリスチャン32位になった。

 

 

2018年、シングル"Say It With a Kiss"をリリース。

 

 

2022年、ケネディ・センター名誉賞の受賞者として発表された。

 

 

2023年10月6日、ライヴ・アルバム『Lead Me On Live 1989』を、自身のレーベル「Amy Grant」からリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「エイミー・グラント」「Amy Grant」

 

 

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