ロビー・ウィリアムズ(Robbie Williams/出生名:Robert Peter Williams/1974年2月13日~)は、英国イングランドのポップ・シンガー。

 

 

 

1974年2月13日、ロバート・ピーター・ウィリアムズは、ピーター・ウィリアムズとジャネット・ウィリアムズの子として、英国イングランドのストーク=オン=トレント(Stoke-on-Trent)に生まれる。

 

3歳の時、両親が離婚。母親に姉とともに育てられた。
 

1990年、17歳の頃にゲイリー・バーロウがマネージャーのマーティン・スミスとともに開催したオーディションにてロビーは、ランカシャーで生まれたマーク・オーエンと出会い、2人はこのオーディションに合格する。なお、ロビーが歌ったのは、ジェイソン・ドノヴァンの曲だった。

その頃、RDS Royalというクラブでブレイク・ダンサーとDJをしていたジェイソン・オレンジと、画家・室内装飾業者をしながらストリート・ダンサーとしてテレビ番組にも出演していたハワード・ドナルドの2人がグループ「Streetbeat」を結成した。

スミスはバックダンサーのオーディションも行い、この2人をメンバーに採用、ゲイリー・バーロウ、ロビー・ウィリアムズ、マーク・オーエン、ジェイソン・オレンジ、ハワード・ドナルドの5人でポップ・ヴォーカル・グループとして活動を開始する。
5人は自らを「テイク・ザット」(Take That)と称するようになる。この名前は、ある時に目にしたマドンナに関する新聞記事に書いてあった単語「Take That」から採った。バーロウは「これはいくつもの案の中でも悪いやつ。でも最初のアイディアよりはまし。だって最初のアイディアはKick Itだったんだから」と言っている。

最初の2年は主にプロモーションを兼ねて英国のゲイ・クラブや高校でライヴを行う。

ゲイ・クラブでの活動やそのパフォーマンス、ファッションにも注目が集まり、「マネージャーのマーティン・スミス氏はゲイだ」というパロディ・ソングも歌われた。

 

 

1992年、念願のメジャー・レーベルと契約。

同年、1stシングル“ドゥ・ホワット・ユー・ライク”(Do What U Like)のPVでは、メンバーが裸になりゼリーを体に塗りつけるという過激な内容で、全英82位を記録。

 

こうしたライヴの経歴等から「ゲイ・バンド」というイメージが持たれ、また重要な10代女性層に人気がなく、その後発売された“プロミス”(Promises)と“愛を知る時 ”(Once You've Tasted Love)は全英チャートにやっとランクインする程度だった。

 

 

同年、ディスコ・ヴォーカルグループのタヴァレスが1975年に発表した“イット・オンリー・テイクス・ア・ミニット”(It Only Takes a Minute)のカヴァーをリリースすると、テンポが早く、ダンス調のこの曲は全英7位を記録した。

 

次のバラード“ミリオン・ラヴ・ソングス”(A Million Love Songs)は全英7位、“アイ・ファウンド・ヘヴン”(I Found Heaven)は全英15位とともトップ20に入った。そしてバリー・マニロウ、ドナ・サマーのヒットをカヴァーした“恋はマジック”(Could It Be Magic)をリリースすると全英3位の大ヒットとなり、この4曲のヒットでテイク・ザットは公の場でパフォーマンスを行うようになる。

 

 

 

8月17日、1stアルバム『テイク・ザット&パーティ』(Take That & Party)をリリース、全英2位をマークした。


1993年10月11日、2ndアルバム『エヴリシング・チェンジズ』(Everything Changes)をリリース、ダン・ハートマンの1979年のヒット曲をカヴァーした“リライト・マイ・ファイア”と、バーロウと外部ソングライターが共作した“エヴリシング・チェンジズ”、ドナルドも作曲に関わった“イフ・ディス・イズ・ラヴ”以外はバーロウ単独で書いた楽曲で構成された。

このアルバムからの1stシングル“いつも二人で”(Why Can't I Wake Up With You)が全英2位をマークすると、その次のシングル“プレイ”(Pray)が初めて全英ナンバー1を獲得。これに続き、Luluをフィーチャーした“リライト・マイ・ファイア”(Relight My Fire)、“ベイブ”(Babe)、そして“エヴリシング・チェンジズ”(Everything Changes)が1位と、4曲連続で全英1位をマークする。

 

 

 

 

 

 

1994年、アルバムから6枚目のシングル“ラヴ・エイント・ヒア・エニモア”(Love Ain't Here Anymore)をリリースすると、全英3位を記録した。

 

この頃、ダイアナ元妃との会談、エルトン・ジョンとのテレビ番組など、グループは一時代を築いた。


1995年5月8日、3rdアルバム『ノーバディ・エルス』(Nobody Else)をリリースし、全英1位をはじめ欧州各国でチャート首位を獲得した。本アルバムからの1枚目シングル“シュア”(Sure)が全英1位をマークすると、次のシングル“バック・フォー・グッド”(Back for Good)は全英1位に加えアメリカで音楽誌『ビルボード』(Billboard)総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)7位を記録した。日本ではフジテレビの深夜音楽番組『BEAT UK』で発表するシングルのほとんどが初登場No.1を獲得した。この間も日本にプロモーションやライヴで何度も来日している。

 

 

7月24日、アルバムから3枚目のシングル"Never Forget"をリカット、3曲連続で全英1位をマークした。

 

7月、ロビーは、マネージャー、他のメンバーとの意見の相違から、テイク・ザットを脱退する。

脱退後、ロビーはドラッグとアルコール漬けの頽廃した生活に陥るが、しかし徐々に回復を見せていく。
そして、ロビー・ウィリアムズとしてソロ活動を開始する。

 

 

1996年2月13日、テイク・ザットが解散することを発表、皮肉な事にこの日はロビーの誕生日であった。

同年、1stソロ・シングル"Freedom"をリリースしてロビー・ウィリアムズとしてデビュー、全英2位をマーク。また、BPIで8×プラチナを獲得した。

 

 

1997年4月14日、ソロ・アルバムからのリード・シングル"Old Before I Die"をリリース、全英2位をマークした。

 

7月14日、2枚目の先行シングル"Lazy Days"をリリース、全英8位。

 

9月29日、ソロ・アルバム『Life thru a Lens』をリリース、全英1位。BPIで8×プラチナを獲得した。

12月1日、アルバムからリカットした“エンジェルス”(Angels)がチャートでは全英4位ながら世界中でヒットし、これを機にソロ活動を開花させる。

 

 

1998年、デビュー・アルバムから5枚目で最後のシングルとなる"Let Me Entertain You"をリカット、3位をマーク。

 

9月7日に発表された、2ndアルバムからのリードシングル“ミレニアム”(Millennium)にてソロ初の全英1位を獲得。

 

10月26日、2ndアルバム『I've Been Expecting You』をリリース、全英1位はもとより、BPI10×プラチナを獲得。

 


1999年11月8日、ワールド・パーティーのカヴァー“シーズ・ザ・ワン”(She's the One)をリカットすると、ソロ2曲目の全英1位を獲得。これは2ndアルバムから2曲目の全英ナンバー1でもある。

 

 

2000年7月31日、次のアルバムからのリード・シングル“ROCK DJ”が自身3曲目の全英1位シングルとなる。

 

8月28日、3rdソロ・スタジオ・アルバム『Sing When You're Winning』をリリース、全英1位をマークし、BPIで8×プラチナを獲得した。

 

10月9日、カイリー・ミノーグ(Kylie Minogue)と共演した“キッズ”(Kids)を2枚目シングルとしてリカット、全英2位に達する。

 

12月11日、"Supreme"をリカット、全英4位に入った。

 


2001年4月9日、アルバム『Sing When You're Winning』から4枚目のシングル"Let Love Be Your Energy"をリカット、全英10位に入った。

 

7月9日、5枚目のシングル "Eternity/The Road to Mandalay"がソロ4曲目の全英1位を獲得した。

 

 

8月28日、4thソロ・スタジオ・アルバム『スウィング・ホエン・ユーアー・ウィニング』(Swing When You're Winning)をリリース、全英1位をマーク。BPIで8×プラチナを獲得した。本アルバムでは1950年代・60年代のスウィング・ジャズの曲をカヴァーし、ジェーン・ホロックス、ルパート・エヴェレット、ジョン・ロヴィッツなどともデュエットしている。

 

12月10日、フランク・シナトラとナンシー・シナトラのオリジナルをカヴァーした、アカデミー賞女優のニコール・キッドマン(Nicole Kidman)とのデュエット・ナンバー“サムシン・ステューピッド” (Somethin' Stupid) をリカット、全英1位の大ヒット・シングルとなった。

 

 

2002年11月18日、5thソロ・スタジオ・アルバム『Escapology』をリリース、全英1位を記録し、BPIで7×プラチナを獲得した。ここからのシングルは、"Feel"が全英4位、"Come Undone"が全英4位、"Something Beautiful"が全英3位、そして"Sexed Up"が全英10位に入った。

 

 

 

 

 


2003年8月1~3日、英国のネブワース(Knebworth)にて野外コンサートを開催、37万5000人の大観衆を動員した。
9月29日、8月の公演の模様を収めたソロ・ライヴ・アルバム『Live at Knebworth』をリリース、全英2位を記録し、BPIダブル・プラチナを獲得した。

11月、ドイツ・フランス・イギリス・イタリア・スペインなど全欧3万人を対象としたデジタル・テレビ・チャンネルの「ミュージック・チョイス」(Music Choice) の調査でロビーは「ヨーロッパで最もよく聴かれているチャート・スター」に選ばれた。

 

 

2004年、「バンド・エイド20」(Band Aid 20)に参加、シングル"Do They Know It's Christmas?"をリリース、全英1位をマークした。

10月18日、ソロ・ベスト・アルバム『Greatest Hits』をリリース、全英1位を記録し、BPIで8×プラチナを獲得した。ここからは"Radio"が全英1位になったのをはじめ、"Misunderstood"が全英8位をマークした。

 

 



2005年、ロビー・ウィリアムズは「Official UK Chart Company」発表の「21世紀全英で最も売れているアーティスト」に認定された。

ロビーはイギリス国内において、2000年1月1日~2005年10月11日の間にソロ名義でオリジナル・スタジオ・アルバム(ベスト・アルバムやライヴ・アルバム、ダウンロードを除く)を630万枚売り上げている。

10月24日、6thソロ・オリジナル・アルバム『インテンシヴ・ケア』(Intensive Care)をリリースすると、全英1位はもちろん、BPI5×プラチナを獲得し、2005年最も売れたCDのベスト10入りを果たし、また、欧州各国でアルバム・チャート1位を独占した。本アルバムからの最大のヒット・シングルは"Tripping"で全英2位をマーク、他には"Advertising Space"が全英8位、"Sin Sin Sin"が全英22位に入った。

 

 

 

11月、テイク・ザットのドキュメンタリー番組『Take That: For the Record』が放送、解散前のグループにまつわる暴露話や、解散後の10年間を各メンバーごとに追った動向などを紹介した。なお、本作で4人のメンバーとロビーは別々に収録に臨んだ。

11月26日、翌2006年から、4人でテイク・ザットを再結成、ツアーを行うことが発表された。だがそこにロビーは参加しなかった。



2006年、ロビーは南アフリカを皮切りに全44公演のソロ・ワールドツアーを催行、チケットは即日ソールドアウトし、260万人を動員、ギネス記録に認定される。

10月23日、7thソロ・スタジオ・アルバム『Rudebox』をリリース、全英1位。BPIでダブル・プラチナを獲得した。このアルバムからのシングルは、"Rudebox"が全英4位、“Lovelight"が全英8位、ペット・ショップ・ボーイズ(Pet Shop Boys)をフィーチャーした“She's Madonna"が全英16位をマークした。

 

 

 

 

2009年11月6日、8thソロ・スタジオ・アルバム『Reality Killed the Video Star』をリリース、全英2位となり、ソロ・デビューから続いた連続アルバム全英1位の記録が途絶えることとなったが、BPIで3×プラチナを獲得した。このアルバムからのシングルは、“Bodies"が全英2位、"You Know Me"が全英6位をマークした。

 

 


2010年1月、タヒチ救済プロジェクト「Helping Haiti」に参加、"Everybody Hurts"をリリースし、全英1位をマークした。

 

7月15日、ロビーがテイク・ザットに復帰することが正式に発表される。

8月7日、トルコ系アメリカ人の女優アイーダ・フィールドと結婚。

10月11日、ロビー2枚目のソロ・ベスト・アルバム『In and Out of Consciousness: Greatest Hits 1990–2010』が39曲を収録して発売、EMIからの最後のアルバム・リリースとなり、全英1位をマーク、BPIダブル・プラチナを獲得した。アルバムのリード・シングルは“Shame”で、テイク・ザットのメンバーであるゲイリー・バーロウと15年ぶりの共作が実現、全英2位をマークした。

11月7日、ロビーも加わったテイク・ザットのシングル“ザ・フラッド”(The Flood)は全英2位を記録。英国内のみで5万枚を売り上げ、欧州内の9ヶ国でトップ10入り。

 

11月13日、ITVで『プログレス』の制作過程と、ロビーが復帰に至るまでを描いた白黒ドキュメンタリー映画『Look Back, Don't Stare』が放送。2005年の再結成時にITVで放送されたものとは違い、解散前のスキャンダルの暴露よりも再結成後のバンドとロビーのすれ違い、及びそれに対するロビー本人の葛藤がメインに描かれている。映画の中では、2009年11月には“ザ・フラッド”が既にレコーディング済みであったこと、2009年のBBCチャリティイベントの後に復帰を発表しようとしていたがロビーの気持ちがテイク・ザットから離れてしまい復帰が遅れたこと、『プログレス』がエレクトロ色が強く4人の頃とは音楽性が明らかに違うアルバムになったのはメンバー全員で議論を重ねた上の結果であることが明かされた。
また、解散前までは自分たちがまるで製品のようで、同じ10代後半の少年たちがするように学校に行ったり職探しをすることもなく、常にファンの歓声に囲まれる生活を送っていたことが恥ずかしく苦痛に感じ、現在は自分たちの本当に作りたい曲、歌詞、アルバム、そしてツアーをすることができるバンドになれたことが本当に嬉しい、と5人が口々に溢す映像も映されている。この映画では他にもロビーの薬物依存症やマークのアルコール依存症とそのリハビリ後の姿、解散後最大の問題であったゲイリーとロビーの長期に渡る争いと、その解決のために歩み寄ろうとする2人の姿が過去の映像とともに紹介された。

11月15日、『ノーバディ・エルス』以来のロビーが参加し5人で制作したアルバム『プログレス』(Progress)が発売、全英アルバムチャート1位を記録し、発売一週間で52万枚を売り上げ、イギリス音楽史上初週で最も売れたアルバム、またアマゾンで今までで最も売れたアルバムとなった。『プログレス』は6週間連続でアルバムチャート1位を保ち、年末に発売したにも関わらず2010年で最も売れたアルバムになった。

 

12月6日、ドキュメンタリー映画『Look Back, Don't Stare』がDVD、ブルーレイで発売された。


2011年2月20日、"Kidz"をリカット、全英28位を記録した。

 

5月にはテイク・ザットとして「プログレス・ツアー」を開始する。途中、ロビーの食中毒により公演がキャンセルされるなどのハプニングなどもあったが大成功に終わる。
10月4日、ゲイリー・バーロウにより、ロビーが再びテイク・ザットを脱退することが明言された。但し1995年と違い友好的なもので、テイク・ザットは4人での活動を継続する。また、ゲイリーは「ロビーが望むのならまたいつでもテイク・ザットに帰ってくる場所はある」とも発言した。
10月、ロビーはユニバーサルミュージックに移籍。


2012年11月2日、移籍第一弾となる9thソロ・スタジオ・アルバム『テイク・ザ・クラウン』(Take the Crown)を発売、全英1位、BPIプラチナを獲得した。先行シングルの“キャンディ”(Candy)はゲイリー・バーロウとの共作であり、テイク・ザット時代を含むキャリアとしては14作目のシングル全英1位に輝いた。

 

12月17日、The Justice Collectiveと共演したシングル"He Ain't Heavy, He's My Brother"をリリース、全英1位をマークした。

 


2013年、Dizzee Rascalにフィーチャーされた"Goin' Crazy"がリリース、全英5位をマークした。

 

11月、ロビーはマーズの曲“Hand on Heart”のビデオにカメオ出演した。

11月18日、ウィリアムズは2001年のスウィング・アルバムの続編『Swings Both Ways』を発表。BPIダブル・プラチナを獲得した本アルバムにはカヴァー曲とオリジナル曲が収録されている他、マイケル・ブーブレ、オリー・マーズ、ルーファス・ウェインライト、リリー・アレン、ケリー・クラークソンとのデュエット録音も含まれ、全英1位を記録した。ここからのシングルは、"Go Gentle"が全英10位になった。

 


2014年12月8日、ロビーは未発表曲等をフィーチャーしたコンピレーション・アルバム『Under the Radar Volume 1』を自身のウェブサイトを通じて発表。「[これらの曲は]私が信じられない程情熱を持って書いたたくさんの曲です。あなたに聴いてほしいです。そうでないと、それらは私のコンピューターに残るだけです!」 と語った。

 

 

2016年5月、ソニー・ミュージックとレコーディング契約を結んだことが発表された。ウィリアムズは声明で「彼ら(ソニー・ミュージック)はインスピレーションを受けており、私もインスピレーションを受けている。これまで以上に準備ができており、自分が正しい場所にいると完全に確信している。楽しみにしている。ソニー・ミュージックとのエキサイティングな新しいパートナーシップのもと、このアルバムに取り組んでいることは私にとって非常に誇りに思っている。」と語った。

11月4日、11thソロ・スタジオ・アルバム『ザ・ヘビー・エンターテイメント・ショー』(The Heavy Entertainment Show)をリリース、彼にとって12枚目の全英ナンバー1アルバムとなり、ロビーはマドンナと肩を並べた。BPIプラチナを獲得した本アルバムからは、"Love My Life"が全英22位を記録した。

 

 

2017年11月、ウィリアムズはシリーズ第二弾となる新しいアルバム『Under the Radar Volume 2』をリリースした。

同年、「Artists for Grenfell」に参加、"Bridge over Troubled Water"をリリース、全英1位をマークした。



2018年6月14日、ウィリアムズはロシア・モスクワのルジニキ・スタジアムで開催された2018 FIFAワールドカップ開会式でパフォーマンスを披露した。ウィリアムズは“レット・ミー・エンターテイン・ユー”と“フィール”を歌った後、ロシアのソプラノ歌手アイーダ・ガリフリナと“エンジェル”をデュエットした。その後ウィリアムズはアンコールで“ロックDJ”を演奏したが、その際にウィリアムズは指を立てた。 米国のフォックスは生放送でこの事件を謝罪した。この事件はアンコール前にカットされたイギリスのITVでは放映されなかった。

6月19日の『This Morning』にロビーが出演し、何が起こったのかを説明した。「キックオフまであと1分だった。残り1分だったので、とてもプレッシャーにさらされていたが、半分どうやってプレーするか分からなかったので、(中指を使って)1分間のカウントダウンをした。」とその時の状況を説明し、司会者のフィリップ・スコフィールドに公開しているかを訊かれ、悔いていると語った。

7月17日、ウィリアムズとその妻でワン・ダイレクションのスター、ルイ・トムリンソンが、サイモン・コーウェルに加わり、ルイス・ウォルシュ、シャロン・オズボーン、ニコール・シャージンガーに代わって英国で開催される『Xファクター』第15シリーズの新しい審査員として発表された。 



2019年2月14日、シリーズ第三弾アルバム『Under the Radar Vol. 3』を発売。

11月22日、ウィリアムズは自身初のクリスマス・アルバムとなる12thソロ・スタジオ・アルバム『ザ・クリスマス・プレゼント』(The Christmas Present)を発表した。本アルバムにはボクサーのタイソン・フューリー、ロッド・スチュワート、ジェイミー・カラム、ヘレン・フィッシャー、ブライアン・アダムスがゲスト出演している。本アルバムは全英チャートでコールドプレイの『エブリデイ・ライフ』に次ぐ2位で初登場し、67,000枚以上をセールス、これは前作スタジオ・アルバム『ザ・ヘビー・エンターテイメント・ショー』と同じ売り上げであり、また、7日間で10,000本以上のカセットを売り上げ、これは過去20年間で最高となった。翌週、本アルバムは全英1位を獲得、最も近い競合相手であるロッド・スチュワートを5,000枚も上回った。これは彼にとって13枚目の全英ナンバー1アルバムとなり、最も多くの全英ナンバー1アルバムでエルヴィス・プレスリーに並んだ。このアルバムからは"Can't Stop Christmas"がヒットした。

 

 

2020年、「BBC Radio 2 Allstars」の一員として"Stop Crying Your Heart Out"をリリース、全英7位に入った。

 

 

2022年2月25日、ウィリアムズがいつものコラボレーターであるティム・メトカーフとフリン・フランシスとチームを組み、新しい別名「ルフトハウス」の下でトランス・トラック「スウェイ」をレコーディングしたことが明らかになった。

4月、『ガーディアン』紙はウィリアムズが「依然として大きな注目を集めている」ものの、もはやヒットは保証されておらず、「現在はBBCラジオ1よりもスムーズラジオのプレイリストに載る可能性が高い」と報じた。 ウィリアムズは、デヴィッド・ボウイやルー・リードに例えて、より実験的な音楽に取り組んでいると述べたが、「恥ずかしがらずに、私はまだ世界で最も偉大なアーティストの一人でありたいと思っているだろうか? そうだ、そう思う…私はそうしている」と語った。 「私の人生の前半は興味深いものでした。後半も面白いものにしたいと思っています。」

5月、ウィリアムズは豪州メルボルンのロッド・レーバー・アリーナで、特に近々公開予定の伝記映画『ベター・マン』のために公演を行った。同映画はメルボルンのドックランズ・スタジオで製作されており、2023年後半に公開される予定であったが、2023年11月現在、公開日は確認されていない。
5月、この発表と同日、ウィリアムズは“エンジェルズ”のリメイク版“エンジェルズ XXV”をリリースした。

6月10日、“エンジェルズ (XXV)”は全英92位に達し、1週間後には74位に上昇した。

8月5日、ウィリアムズは同じくXXVからのシングル“Lost”をリリースした。

 

9月9日、10枚目のコンピレーションアルバム『XXV』をリリース、彼のヒット曲の新たな再考バージョンに加えて、新曲もフィーチャーされた。1週間後に全英初登場1位を獲得した。これにより、ウィリアムズは14枚目のソロ・ナンバー1アルバムでそれまでのオフィシャル・チャート記録をすべて破った。

9月24日、ウィリアムズはオーストラリア・メルボルンのメルボルン・クリケット・グラウンドで開催された2022年AFLグランドファイナルでパフォーマンスを行った。 ウィリアムズは“Let Me Entertain You”、“Rock DJ”、“Lost”、“Feel”を歌い、その後2022年3月に亡くなった豪州のクリケット選手シェーン・ウォーンに“Angels”を捧げた。その後ウィリアムズはジョン・ファーナムの“You”をカヴァーした。 're the Voice」では、「次の曲はオーストラリアの非公式国歌です!みんなでジョンと彼の家族に愛を送りましょう」と述べている。ちょうど2日前の2022年9月22日、ジョン・ファーナムは癌と診断されたら直ちに手術を受けることになる旨の声明を発表した。 その後ウィリアムズは豪州の歌手デルタ・グッドレムと“キッズ”を披露した。
10月7日、ルフトハウスはシングル“ソウル・シーカーズ”をリリースした。

10月9日、ウィリアムズのXXVツアーは、ルフトハウスの支援を受けて、O2アリーナでスタートした。

11月、ウィリアムズは2022年FIFAワールドカップ祝賀会の一環としてカタールでパフォーマンスを行った。カタールの人権侵害と厳格なLGBT法のため、彼の出演は批判を集めた。批判を受けてウィリアムズは、あらゆる人権侵害に反対する意思を明確に示した。


2023年5月5日、ウィリアムズはフランスの歌手マレヴァ・ギャランテールのバイリンガルシングル“Une Tahitienne á Paris”にフィーチャーされた。

8月21日、ウィリアムズはイギリスのデュオ、ソフト・プレイのシングル“パンクズ・デッド”にカメオ出演した。

10月6日、ルフトハウスのデビュー・アルバム『ヴィジョンズ、ボリューム1』がリリースされた。シンガーソングライターのソフィー・エリス=ベクスターをフィーチャーしたシングル“イモータル”は前日にリリースされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ロビー・ウィリアムズ」「Robbie Williams」「テイク・ザット」「Take That」

 

 

 

(関連記事)