沢田 聖子(さわだ しょうこ/1962年3月13日~)は、日本のシンガーソングライター。

 

 


1962年3月13日、東京都新宿区の聖母病院で出生。母親が当時憧れていたピアニストの名「しょうこ」と病院、病院名の「聖母」から「聖子」(しょうこ)と命名された。

東京都中野区出身。

 

1963年、生後11か月の時、赤ちゃんモデルとして芸能界デビュー。きっかけは、婦人誌の編集者にスカウトされて子ども服のモデルになった1歳上の兄の撮影現場に一緒に連れられていくうちに自分も被写体になっていた。沢田が成人後に母から聞いた話では、母が結婚後に家庭環境の重圧から逃れたかったこともあったという。

 

1967年、音羽ゆりかご会に入会、童謡を歌い始め、テレビ主題歌、CMソング、運動会用の歌などのレコーディングでも活動。この頃から、子ども服などのファッション雑誌のモデルと並行して、多数のCMにも子役として出演するようになる。有名な出演CMでは、渥美清と共演したロート製薬「パンシロン」(1968年)がある。

 

1968年4月、東京文化学園小学校入学。

 

1974年4月、東京文化学園中学校入学。女優の松田美由紀は同校の同級生だった。

 

1975年、女性ファッション誌にジュニアモデルとして香坂みゆきと同誌面で掲載。

同年、宮脇康之主演「ケンちゃんシリーズ」のテレビドラマ『おそば屋ケンちゃん』にヒロイン「不二子」役で前後篇の2回(1975年9月18・25日放送)にわたり出演。この時のオーディションは既に他の合格者が決まっていた「出来レース」だったが、宮脇が「この娘(沢田)でなければダメだ」と発言、急遽沢田に変更されたという。

 

1976年4月、中野区立第七中学校へ転校。


この頃アイドル歌手としてのデビューに憧れており、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に応募、予選会を通過しテレビ放送の決戦大会まで進んだが不合格。『スター誕生!』審査員の都倉俊一に言われた言葉「君はねえ、コーラスの1人の声なんだよ」を今でもよく覚えているという。この他「ホリプロタレントスカウトキャラバン」など片っ端からオーディションに応募し続けていた。

 

1977年4月、文化女子大学附属杉並高等学校に入学。

 

1978年、当時のイルカオフィス社長・神部和夫が立ち上げた、新人歌手育成企画のオーディションに「代役」で参加し、“硝子坂”を唄うが不合格、後日ピアノの弾き語りで“翼をください”、 “時代”などを演奏したところ神部の目に止まり合格した。当時有力な音楽プロデューサーであった神部の強力な後押しもあり、「神部和夫さんと出会っていなければ、今の私はない」と沢田は時折ステージで語っている。
8月8日、16歳の時にイルカオフィスと契約。


1979年5月25日、1stシングル“キャンパススケッチ”(作詞:中里綴/作曲:イルカ/編曲:石川鷹彦)でクラウンレコード / PANAMレーベルから歌手デビュー。


「イルカの妹」という触れ込みで、産休から復帰したイルカのカムバックリサイタルのステージにも立つ。以後、ライヴを中心とした音楽活動や、ラジオのパーソナリティなどを積極的に行う。

なお、松田聖子(まつだ せいこ/1962年3月10日-)と名前の漢字表記が同じであることから間違えられたり、誕生日が3日違いの同い年のため比較されることがあり、「(松田聖子の)人気にあやかって(名前を)真似た」と揶揄されたこともあったが、沢田聖子「しょうこ」は本名であり、デビューも沢田の方が松田より1年早い。

 

 

1979年10月25日、2ndシングル“シオン”(作詞・曲:イルカ)を発売、デビュー前の練習曲にイルカから贈られた曲であり、永くステージで唄い続けている沢田の代表曲。

 

1980年代初頭、沢田が活躍し始めた頃は、若い女性シンガーソングライターは希少であり、ルックスも相まって男性層からの人気を獲得。アイドル性を持った女性シンガーソングライターのパイオニア的な存在となる。

その反面、自作曲の比率が少ないことへの批判や、年齢相応の実生活での難局を迎えたり恋愛を歌う路線変更に苦戦して一時活動を休止するなど、その後続々登場する女性アーティストが直面する問題を先んじて経験する。



1980年4月、文化女子大学短期大学部生活造形学科入学。
4月25日、3rdシングル“坂道の少女”(作詞・曲:イルカ)と、1stアルバム『坂道の少女』を同時発売。アルバムには自作曲“みどりの頃”(作詞・曲:沢田聖子)を収録。

 

 

 

9月25日、4thシングル“星空のメッセージ”(作詞・曲:イルカ)を発売。

 

この頃には学園祭出演数No.1を記録し、「学園祭のプリンセス」と呼ばれた。

 

 

1981年2月25日に発売した5thシングル“春”(作詞・曲:イルカ)は、初のオリコン・シングルチャート入り、最高位68位を記録した。

 

4月25日に発売した2枚目のオリジナル・アルバム『青春の光と影』は、アイドル路線から一線を画し、シンガーソングライターとしての地位を確立した作品となる。

 

 

9月5日、6thシングル“雨の日のサンシャイン”(作詞:中里綴/作曲:沢田聖子)を発売。シングルA面曲としては初めて自身が作曲した楽曲が採用された。

 

12月5日、初のライヴ・アルバム『SHOKO LIVE』を発売。

 

 

1982年1月25日、7thシングル“卒業”(作詞:三浦徳子/作曲:加藤和彦)を発売、沢田のシングル曲中で最大のヒットとなり、オリコン週間チャート最高50位を記録。

 

3月20日、3rdアルバム『卒業』を発売。

 

 

5月25日、8thシングル“あなたへのバースディ・カード”(作詞:安井かずみ/作曲:加藤和彦)を発売。

 

 

1983年3月20日、9thシングル“ドール・ハウス”(作詞・曲:イルカ)と、4thアルバム『流れる季節の中で』を同時発売。

 

同年、レコード会社をフィリップス・レコードへ移籍。

11月21日、移籍後初の5thアルバム『ターニング・ポイント』、10thシングル“季節〜シーズン〜”(作詞:三浦徳子/作曲:沢田聖子)を同時発売。

 

 

1984年4月25日、11thシングル“都会人”(作詞:売野雅勇/作曲:西木栄二/編曲:渡辺博也)を発売。

 

5月21日、6thアルバム『風の予感』を発売。

 

 

7月29日、日比谷野外音楽堂でコンサートを開催。

12月1日、12thシングル“あなたからF.O.”(作詞・曲:沢田聖子/編曲:渡辺博也)を発売。

 

 

1985年2月21日、7thアルバム『Potential』を発売。

 

12月1日、13thシングル“風色のチャンス”(作詞:有川正沙子/作曲:桐ケ谷仁/編曲:渡辺博也)と、8thアルバム『夢のかたち』を同時発売。

 

 

1986年4月25日、14thシングル“Natural 〜素直に…今〜”(作詞・曲:沢田聖子/編曲:国吉良一)を発売。

 

9月5日、9thアルバム『TOO TOO』を発売。

 

9月25日、15thシングル“冷たい言葉で傷つけて”(作詞・曲:沢田聖子/編曲:国吉良一)を発売。

 

 

1988年、一般男性と結婚。夫は学生時代イルカオフィスでバイトした後に一般企業へ就職していた。

同年、東芝EMI / EASTWORLDに移籍。

5月25日、個人オフィス「ショウコ・ミュージック・カンパニー」(SMC)を立ち上げるとともに、16thシングル"LIFE"(作詞・曲:沢田聖子)を東芝EMIから発売して音楽活動を再開。

 

6月5日、オリジナルとしては10枚目となる、通算15枚目アルバム『LIFE』を発売。

 

 

この頃、SMC設立後、念願の公式ファンクラブを結成し、自らの音楽活動への想いを綴った楽曲“In My Heart”のタイトル「In My Heart」の名を冠し、同名のツアータイトルで全国を廻り、アーティスト活動を精力的に行う。

 

 

1989年5月10日、11thアルバム『SOUVENIR』を発売。

 


1990年6月1日から、村下孝蔵(むらした こうぞう/1953年2月28日-1999年6月24日)と公民館レベルの会場でジョイントライヴ東北ツアーを行う。誰でも口ずさめるフォークソングをカヴァーしたステージは、後の「THE 4/9」へとつながって行く。

6月20日、17thシングル“愛を下さい”(作詞・曲:沢田聖子)と12thアルバム『See You Again』を同時発売。

 

12月30日、本人プロデュースでアコースティック・ジョイント・ライヴ「Acoustic Party Vol.1」をクラブチッタ川崎にて開催、以降2008年まで毎年末に恒例開催。

 

 

1991年6月7日、13thアルバム『Acoustic Summer』を発売。

 

 

10月2日、18thシングル“乗り越えて行けるね”を発売。八芳園CMソング。

 

 

1992年3月4日、19thシングル“未来の子供達のために”を発売。MBS全国ネットのテレビドラマ『命みじかくIII』主題歌。

 

 

1993年、キングレコードへ移籍。

10月21日、20thシングル“すべては君のためだけに”をキングレコード / クリスタルバードから発売。NECパソコンCMイメージ・ソング。

 

11月26日、14thアルバム『海からの贈り物〜Le Dauphin〜』を発売。

 

 

1994年2月5日、21stシングル“笑顔が好きだから”(作詞・曲:沢田聖子/編曲:戸塚修)をキングレコード / クリスタルバード スターチャイルドから発売。テレビアニメ『赤ずきんチャチャ』の第1期(第1話-第31話)EDテーマ。

 

6月22日、22ndシングル“優しい風”を発売。CBC-TBS系テレビドラマ『泣かないでママ』主題歌。カップリング曲“本当にサヨナラ”は、日本新都市開発 CMソング。

 

 

 

1995年2月22日、15thアルバム『Folk Songs』を発売。

 

4月21日、23rdシングル“風になりたい”(作詞・曲:吉田拓郎/編曲:勝又隆一)を発売。川村ゆうこが1976年フォーライフから発売したデビュー・シングルのカヴァー。

 

同年、岡山県吉備郡真備町(現:倉敷市)が作曲家の小林亜星らに依頼し制作された真備町イメージソング“竹の道”の歌唱を担当した。

 

 

1996年11月21日、24thシングル“青空”を発売。TBS系テレビ『笑顔がいちばん!』テーマ曲。

 

 

1997年、古巣の日本クラウン / PANAMレーベルに復帰。

5月21日、25thシングル“smile”を発売。TBS系テレビ『笑顔がいちばん!』テーマ曲。

 

12月17日、16thアルバム『Acoustic Love Ballads』を発売。


1998年1月21日、26thシングル“Respect”を発売。

 

6月24日、27thシングル“PRESENT”を発売。TBS系テレビ『笑顔がいちばん!』テーマ曲。

 

8月26日、ベスト・アルバム『History』を発売。

 


1999年5月26日、28thシングル“風を感じて”を発売。TBS系テレビ『笑顔がいちばん!』テーマ曲、及びMBS-TBS系テレビ『すてきな出逢い いい朝8時』EDテーマ。

 

6月の村下孝蔵の他界を受け、本格的にギター演奏に取り組み、アコースティックサウンドへと傾倒。村下を偲び、“愛なる人へ”を初めてギターにより作詞・作曲した。

 

 

2000年3月20日、29thシングル“at Home ( Voice of DREAM 2000 )”を発売。

同年、村下他界の翌年から、毎年6月24日の命日に「Forever Live」と題し追悼ライヴを実施。2009年のみ諸問題から休止を余儀なくされるが、2010年に再開。

11月22日、30thシングル“一緒に暮らそー!/二人の明日”を日本クラウンから発売。 “一緒に暮らそー!”は松下電工CMソング。

 

 

2001年5月23日、17thアルバム『祈り』を発売。“愛なる人へ”収録。

 

6月21日、31stシングル“旧友再会/ミモザの下で/明日の恋人” ( 沢田聖子・イルカ・山田バンダ・うつみ宮土理 )を発売。

 

 

2002年7月24日、32ndシングル“大好きな街〜富良野〜”を発売。富良野イメージソング。

 

 

2003年2月19日、33rdシングル“ナンクルナイサ/星より遠い”をネオプレックスから発売。

 

6月25日、33rdシングル“ナンクルナイサ/おやすみララバイ”を日本クラウンから発売。

 

10月22日、18thアルバム『心は元気ですか』と、映像作品『In My Heart Concert 〜心は元気ですか』を同時発売。

 


2004年5月21日、34thシングル“雨ノチ晴レ。”を発売、関西テレビ・フジテレビ系バラエティ番組『グータン〜自分探しバラエティ〜』EDテーマ。

 

5月25日、デビュー25周年を迎える。

10月21日、デビュー25周年を記念し、通算26枚目となるベスト・アルバム『HistoryII』を日本クラウン / PANAMから発売、各地でコンサート活動を展開。

この頃より、毎年冬に数日に渡り新富良野プリンスホテルにて「富良野チャペルコンサート」を開催。

 

 

2005年4月9日、沖縄で「フォークの日」に因みジョイント・ライヴを行ったことがきっかけとなり、さだまさしの実妹の佐田玲子と70年代フォークを中心とした曲をカヴァーするユニット「THE 4/9」を結成。誰でも聴いたことのある、誰でも口ずさんだことがあるフォークソングを歌っている。互いのソロ活動の合間を縫って不定期にライヴを実施。オリジナル曲のレコーディングも行っている。

 

 

2006年10月4日、THE 4/9のシングル“それなりに/翼をください”(作詞・曲:THE4/9)を発売。

 


2007年4月25日、19thアルバム『すべてに、ありがとう。』をSAINT RECORDS
から発売。

 


2008年2月24日、THE 4/9のシングル“道/東風”(作詞・曲:THE4/9)を発売。

 

9月20日、通算28枚目のアルバム作品となるセルフ・カヴァー・アルバム『Peaceful Memories』を発売。

9月20日~2009年5月24日、デビュー30周年記念ツアー・ライヴ全国30箇所を催行。

 

 

2009年9月27日、吉祥寺のライヴハウスでの公演にて、SMCから独立していることを正式に発表。事務所の方針と本人のアーティスト活動の方向性とのギャップ、溝が埋まらず、それまでの全てを失うことを覚悟した上での決断であった。この事実をブログなどでなくライヴ会場で発表したのは、伝えるべき大事なことは、文章によらず、きちんとファンの前で自分の口から…という沢田の姿勢の表れであった。独立に際し、周りからは「独りでは絶対に無理」と言われていたが、「独りでも出来るよ」と言ってくれた人が一人だけいた。それが、沢田の師匠「イルカ」だった。これにより公式ファンクラブが事実上解散した。なお、沢田が最後に事務所に託した、ファンクラブ会員へ宛てた直筆メッセージはファンの手には届かず、今なお行方不明である。

同年、1988年に結婚した夫と離婚。
11月1日、独立後、初のライヴ・ツアー「はじめの一歩」を東京・大阪・京都・浜松・名古屋で行う。

 

 

2010年1月10日、全7か所ライヴ・ツアー「続☆はじめの一歩」開始。
3月、東京のみだったバースデー・ライヴを東京・大阪・名古屋で開催、1曲目から最後の曲まで、全会場で観客のリクエストの中から応える前代未聞のバースデー・ライヴを敢行。東京公演では全36曲を3時間30分で歌い切った。

4月9日、THE4/9の復活ライヴ「THE4/9だよ!全員集合!~生息5周年記念LIVE~」を東京・代官山で開催。
7月29日、「株式会社セイント」を設立。
9月11日、通算29枚目の21stオリジナル・アルバム『宝物』を発売。2009年2月に実父が他界したことをきっかけに、家族との絆をテーマとしたアルバムに仕上げる。

9月11日のさいたま市を皮切りに全国21ヶ所、25公演のライヴ・ツアー「沢田聖子 Live Tour 2010-2011 〜幸せを探そう〜」を行う。


2011年3月、大阪・名古屋・一宮でバースデー・リクエスト・ライヴを行う。

4月3日、東日本大震災の影響から延期となっていた東京公演を開催。
4月9日、全国ツアー「沢田聖子 Live Tour 2010-2011 〜幸せを探そう〜」を再開。

 

2012年1月15日、久々のTHE 4/9のライヴを開催。
3月には毎年恒例のバースデー・ライヴ・ツアー「沢田聖子 Birthday Live Tour 2012 〜お陰さまで半世紀☆オールリクエスト〜」を3月17日の東京公演を皮切りに、本公演の8か所と、2か所の追加公演を含む、全10公演を行う。
5月27日、通算30枚目の22ndオリジナル・アルバム『LOVE&SMILE』を発表、同日代官山のライヴ・ハウスでのアニバーサリー・ライヴを皮切りに全国ツアーを行う。

 

10月3日、USTREAMにて柏本圭二郎とのトーク番組『沢田聖子と圭二郎のショートケーキのヨル』が配信開始。「DJはライフワーク」と公言するように、デビュー時から多くのラジオレギュラー番組を担当。


 

2013年3月2日の横浜公演を皮切りに、バースデー・ライヴ・ツアー全国13か所、12公演のオール・リクエスト・ライヴを実施。

5月26日、1979~81年の自作オリジナル曲を新アレンジでセルフ・カヴァーした全16曲アルバム『Singer Song Writer 〜GREEN〜』を発売、全国ツアーを敢行。

 

2014年5月25日にデビュー35周年を迎え、32枚目アルバム『Singer Song Writer 〜BLUE〜』とDVD『SHOKO SAWADA 2013 Road Movie 〜 GREEN 〜』を発売し、同日から44本の全国ツアーを敢行。

12月16日、デビュー35周年を記念し、37thシングル“果てなき夢/You&I〜友愛”と、“果てなき夢”のMVをリリース。

 


2015年5月16日、33枚目アルバム『Singer Song Writer 〜RED PURPLE〜』とDVD『WANDERER 〜唄う旅人』を発売。

6月24日、38thシングル“親愛なる人へ/息子からの伝言”を発売。

 

 

2017年7月10日、39thシングル“太陽の彼方/今日に乾杯!”を発売。

 

8月31日、23rdアルバム『CARAVAN』を発売。

 

 

2018年5月9日、1988〜89年楽曲のセルフ・カヴァー・アルバム第四弾『Singer Song Writer~YELLOW~』を発売、通算37枚目。

 

 

2019年2月、1995年の縁から、西日本豪雨後真備を訪れ、校舎が被災した倉敷市真備町の川辺小の児童を励まそうと楽器の提供と歌で交流。

5月25日、デビュー40年記念として、通算39枚目アルバム『NEUTRAL』を発売。

7月1日、シングル3枚、40th“クラス会/友達 (Live ver.)”、41st“僕は泣いてる/まっすぐに…愛 (Live Ver.)”、そして42nd“遠くで/パセリ (Live Ver.)”を同時発売。

 

 

2023年5月28日、通算43枚目のアルバム『3枚組ライブCD 〜 感謝!カンレキ! LIVE 2022 〜』を発売。

 

 

2024年、デビュー45周年。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「沢田聖子」「THE 4/9」

 

 

 

 

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