クラウス・シュルツェ(Klaus Schulze/別名義:リヒャルト・ヴァーンフリート/ 1947年8月4日~2022年4月26日)は、ドイツのミュージシャン、作曲家。日本語表記では以前「クラウス・シュルツ」が一般的であった。

 

 

 

1947年8月4日、シュルツは 連合軍占領下のドイツ・ベルリンで生まれた。父親は作家、母親はバレエ・ダンサーであった。

 

高校卒業後は電報配達に従事し、その後ベルリン工科大学でドイツ語を学んだ。

彼と妻のエルフィーにはマクシミリアンとリチャードという二人の息子がいた。

 

 

1969年、「サイ・フリー」(Psy Free)のドラマーとして活動を開始。

同年、「タンジェリン・ドリーム」(Tangerine Dream)で1970年まで活動。

 

 

1970年、タンジェリン・ドリームのアルバム『瞑想の河に伏して』(Electronic Meditation)がリリース。

 

同年、「アシュ・ラ・テンペル」(Ash Ra Tempel)にドラマーとして参加。

 

 

1971年、アシュ・ラ・テンペルのデビュー・アルバム『ファースト』(Ash Ra Tempel)がリリース。

 

 

1972年、1stアルバム『イルリヒト』(Irrlicht)でソロ・デビュー。

 

 

1973年、2ndソロ・アルバム『サイボーグ』(Cyborg)をリリース。

 

デビュー作『イルリヒト』と二作目の『サイボーグ』は、オルガン、および電気的な変調を駆使しつつオーケストラのストリングスを単音で延々と鳴らし続けさせるという変則的な曲調で、一曲あたりの時間が非常に長い大作志向であることを除いて後の作品とは一線を画している。

同年、アシュ・ラ・テンペルのアルバム『ジョイン・イン』(Join Inn)をリリース。

 

 

1974年、3rdソロ・アルバム『ブラックダンス』(Blackdance)をリリース。

 

同年、ドイツのクラウトロック・スーパーグループ「コズミック ジョーカーズ」に参加、セルフタイトルの1stアルバム『コズミック・ジョーカーズ』(The Cosmic Jokers)をはじめ、『ギャラクティック・スーパーマーケット』(Galactic Supermarket)、アルバム『Planeten Sit-In』、Kosmische Musikレーベルのサンプラーとして発表した『サイ・ファイ・パーティー』(Sci Fi Party)、コンピレーション・アルバム『Gilles Zeitschiff』を立て続けにリリースした。

 

 

1975年、4thソロ・アルバム『ピクチャー・ミュージック』(Picture Music)をリリース。三作目『ブラックダンス』、あるいは四作目『ピクチャー・ミュージック』以降はシンセサイザーをメインに据えたスタイルに転向、以後は、30年以上に渡ってソロ活動を続け、多くの作品を発表し、初期のシンセサイザー音楽、電子音楽のパイオニアの一人と見なされている。また、ソロ作品では本名以外に、リヒャルト・ヴァーンフリード(Richard Wahnfried)またはヴァーンフリード(Wahnfried)という違う名も用いて、普段とは全く異なる方向性の電子音楽の制作を行っていたこともある。

同年、ソロ・アルバム『タイムウィンド』(Timewind)をリリース。

 

 

同年、、日本の作曲家である喜多郎が当時に所属していたバンド「ファー・イースト・ファミリー・バンド」のレコーディングのプロデュースをシュルツェが担当、その関係で、喜多郎はシュルツェの元でシンセサイザーについて学んだ。

 

 

1976年、ソロ・アルバム『ムーンドーン』(Moondawn)をリリース。

 

 

同年、ツトム・ヤマシタ(Stomu Yamash'ta/本名:山下勉/1947年3月15日-)が主催し、アル・ディ・メオラ(Al Di Meola)、スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)等が参加したスーパー・グループ「ゴー」(Go)に参加。

4月、セルフ・タイトルのアルバム『ゴー』(Go)がリリース。

 

 

同年、ライヴ・アルバム『ゴー・ライヴ』(Go Live From Paris)をリリース。

 

 

1977年、サウンドトラック『ボディ・ラヴ』(Body Love)をリリース、映画『絶頂人妻 Body Love』サウンドトラック・アルバム。
同年、ソロ・アルバム『ミラージュ -蜃気楼-』(Mirage)をリリース。

 

同年、アルバム『ボディ・ラヴ 2』(Body Love Vol. 2)をリリース。

同年、Goの2枚目のスタジオ・アルバム『ゴー・トゥー』(Go Too)をリリース。

 


1978年にレーベルのイノベーティブ・コミュニケーションズ(ドイツ語版)を設立し、Ideal、ロベルト・シュレーダー、DIN A Testbild、などをプロデュースした。

同年、ソロ・アルバム『エックス』(X)をリリース。

 

 

1979年、彼は第2スタジオとビデオスタジオを設立。

その後、アーサー・ブラウンと2ヶ月間のヨーロッパツアーを行った。

同年、ブラウンをゲスト・ヴォーカルに迎え制作したアルバム『デューン』(Dune)をリリース。

 

 

同年、「リヒャルト・ヴァーンフリート」(Richard Wahnfried)名義でアルバム『Time Actor』をリリース。

 

 

1980年のコンサートは否定的な報道を受けたが、これで彼は製鉄所でのライヴ録音された工場の音で独自の音楽を構築した。

10月31日、ソロ・アルバム『ディグ・イット』(Dig it)をリリース、史上初の完全デジタルプロデュースアルバムとされた。本アルバムは1981年に音楽雑誌『ステレオプレイ』によって「史上最高のクラウス・シュルツ・アルバム」と評価され、現代のシンセサイザー・プロダクションのリファレンス・レコーディングには「今月のLP」と評価された。

 


ソロ・アルバムにおいては、ディレイ(エフェクター)を伴うシンセサイザーのシークエンス・パターンを基本に、ストリングスや宇宙的なイメージの効果音がしばしば多用され、即興的なシンセサイザーのソロ・パートが重なっていくというタイプのミニマル・ミュージック的な楽曲が特徴であり、一つの独自なスタイルを確立している。ただしすべてシンセサイザーのみで構成された作品は意外に少なく、他の奏者による生楽器やドラムなどの人力による演奏との共演が多いことも特徴。 この点ではタンジェリン・ドリームと共通点があるが、タンジェリンの方がよりミニマル色が強く、シュルツェは(ワーグナーからの影響を指摘されるように)古典派の影響を受けた重厚で壮大な「楽曲」としての側面が強い。

 

 

1981年、ソロ・アルバム『トランスファー』(Trancefer)をリリース。

 

同年、リヒャルト・ヴァーンフリート名義でアルバム『トーンヴェレ - ヴァーンフリードの記録』(Tonwelle)をリリース。

 

 

1983年、ソロ・アルバム『オーデンティティー』(Audentity)をリリース。

 

同年、ライヴ・アルバム『ジェンクイェン・ポーランド -ライヴ'83』(Dziekuje Poland Live 1983)をリリース。

 

 

1984年、映画『Angst』のサウンドトラック『アングスト』(Angst)をリリース。

同年、リヒャルト・ヴァーンフリート名義でアルバム『Megatone』をリリース。

 

 

 

1985年、ソロ・アルバム『インター*フェイス』(Inter*Face)をリリース。

 

 

1986年、ソロ・アルバム『ドリームス』(Dreams)をリリース。

 

同年、リヒャルト・ヴァーンフリート名義でアルバム『ミィディタツィオン - ヴァーンフリードの瞑想』(Miditation)をリリース。

 

 

1988年、ソロ・アルバム『エン・トランス』(En=Trance)をリリース。

 

 

1990年、ソロ・アルバム『ミディテラネアン・パッズ』(Miditerranean Pads)をリリース。

 

同年、ライヴ・アルバム『ドレスデン・パフォーマンス』(The Dresden Performance)をリリース。

 

1991年、ソロ・アルバム『Beyond Recall』をリリース。

 


1992年、ライヴ・アルバム『Royal Festival Hall Vol. 1』、『Royal Festival Hall Vol. 2』をリリース。

 


1993年、ライヴ・アルバム『The Dome Event』をリリース。
 

 

1994年、フランス映画『ドーデの水車小屋』のサウンドトラック『ドーテの水車小屋』(Le Moulin de Daudet)をリリース。
同年、ソロ・アルバム『Goes Classic』をリリース。
同年、オペラ作品『Totentag』をリリース。

同年、ライヴ・アルバム『ダス・ワグナー・デザスター』(Das Wagner Desaster - Live)をリリース。

同年、リヒャルト・ヴァーンフリート名義でアルバム『Trancelation』をリリース。

同年、ピート・ナムルック(Pete Namlook)とのコラボレーション・プロジェクト「The Dark Side of the Moog」が始動、『The Dark Side of the Moog: Wish You Were There』を発表した後、続けて第2作「The Dark Side of the Moog II: A Saucerful of Ambience』もリリースした。

 

 

 


1995年、ソロ・アルバム『イン・ブルー』(In Blue)をリリース。

 

同年、第3作『The Dark Side of the Moog III: Phantom Heart Brother』をリリース。

 

 

1996年、ソロ・アルバム『アー・ユー・シークェンスト?』(Are You Sequenced?)をリリース。

 

同年、リヒャルト・ヴァーンフリート名義でアルバム『トランス・アピール』(Trance Appeal)

同年、第4作『The Dark Side of the Moog IV: Three Pipers at the Gates of Dawn』、第5作『The Dark Side of the Moog V: Psychedelic Brunch』をリリース。第4作から、ビル・ラズウェルも参加している。

 

 


1997年、ソロ・アルバム『ドスブルグ・オンライン』(Dosburg Online)をリリース。

 

同年、リヒャルト・ヴァーンフリート名義でアルバム『ドラムン・ボールズ』(Drums 'n' Balls[The Gancha Dub])をリリース。

同年、第6作『The Dark Side of the Moog VI: The Final DAT』をリリース。ビル・ラズウェルも参加。

 

 

1998年、第7作『The Dark Side of the Moog VII: Obscured by Klaus』をリリース。本プロジェクトにおいてビル・ラズウェルが参加した最後の作品となった。

 

 

1999年、第8作『The Dark Side of the Moog VIII: Careful With the AKS, Peter』をリリース。

 

 

2000年、アルバム『バレエ1』(Ballett 1)、『バレエ2』(Ballett 2)、『バレエ3』(Ballett 3)、『バレエ4』(Ballett 4)をリリース。
同年、アルバム『The Crime of Suspense』をリリース。

同年、アシュ・ラ・テンペルのアルバム『フレンドシップ』(Friendship)と『ライヴ・アット・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール』(Gin Rosé: at the Royal Festival Hall)をリリース。

 

 

2001年、ライヴ・アルバム『ライブ・アット・クラングアート』(Live @ KlangArt)をリリース。

 

 

2002年、『The Dark Side of the Moog: The Evolution of the Dark Side of the Moog』と第9作『The Dark Side of the Moog IX: Set the Controls for the Heart of the Mother』をリリース。

 


2005年、アルバム『ムーンレイク』(Moonlake)をリリース。

同年、第10作『The Dark Side of the Moog X: Astro Know Me Domina』をリリース。10年以上の長期に渡って活動してきたピート・ナムルックとのコラボレーションも、10作目となる本作のリリースをもって完結を宣言。

 

同年、シュルツェは病気で倒れ、一時は生死の境を彷徨う程の重篤な容態となったが、治療の甲斐あって完治。

 

 

2007年から音楽活動に復帰。

同年、アルバム『コンティヌーム』(Kontinuum)をリリース。

 

 

2008年、一度は完結宣言を出したナムルックとのコラボレーション「The Dark Side of the Moog」だが、前触れもなく第11作『The Dark Side of the Moog XI: The Heart of Our Nearest Star』をリリース。

 

同年、リサ・ジェラルド(Lisa Gerrard/1961年4月12日-)と共同で、スタジオ・アルバム『ファースケイプ』(Farscape)と、ライヴ・アルバム『ラインゴールド』(Rheingold)をリリース。

 

 

2009年、リサ・ジェラルドとの共演したライヴ・アルバム『ポーランドの夜』(Dziękuję Bardzo)をリリース。

 

 

2010年、来日公演を開催。この日本公演が彼の最後のライヴパフォーマンスとなる。9月、40枚目のアルバムとして、同年の東京における公演の模様を収めた『ビッグ・イン・ジャパン: ライヴ・イン・トーキョー 2010』(Big in Japan: Live in Tokyo 2010)をリリース、自身のソロ・ミュージシャンとしての50年目の始まりとなった。

 

 

2013年2月、次のアルバム『シャドウランズ』(Shadowlands)をリリース。

 

3月には長らく未発表だった珍しいコラボレーションである『The Schulze–Schickert Session 1975』がリリースされた。

同年、リサ・ジェラルドとのライヴ・アルバム『Big in Europe』をリリース。

 

 

2018年、数年の活動休止を経て、彼はスタジオに戻り、別のアルバム『Silhouettes』をリリース。アルバムの大部分はシングルテイクで録音された。

 

 

晩年にはまた闘病生活を送る。

 

 

 

 

2022年4月26日、クラウス・シュルツェは、長い闘病生活の末、74歳で病没した。

 

 

 

 

2022年7月1日、シュルツェ最後のアルバム『デウス・アラキス』(Deus Arrakis)がリリースされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「クラウス・シュルツェ」「Klaus Schulze」「タンジェリン・ドリーム」「アシュ・ラ・テンペル」「コズミック・ジョーカーズ」

 

 

 

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