ハービー・ハンコック(Herbie Hancock/出生名:Herbert Jeffrey Hancock/1940年4月12日~)は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家、プロデューサー。

 

 

 

1940年4月12日、ハーバート・ジェフリー・ハンコックは、秘書のウィニー・ベル(旧姓グリフィン)と、政府の食肉検査官ウェイマン・エドワード・ハンコックの間に、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴで生まれる。

 

彼の両親は歌手で俳優のハーブ・ジェフリーズに因んで息子を名付けた。

多くのジャズピアニストと同様に、ハンコックもクラシック教育を受け始めた。

7歳からピアノを始めた彼は、早くからその才能が認められ、神童と見做された。

 

1952年2月5日、ハンコックは弱冠11歳にして、若者向けコンサートでシカゴ交響楽団 (CSO 指揮・助指揮者ジョージ・シック) とモーツァルトのピアノ協奏曲第26番ニ長調 K. 537 (戴冠式) の第1楽章を演奏した。

 

彼はハイドパーク高校に通った。

高校時代、ジャズの世界に足を踏み入れる。

オスカー・ピーターソンやビル・エヴァンスに影響を受けたといわれている。

 

グリネル大学に進学、音楽と電気工学を専攻した。

大学卒業後は両親と同居し、郵便配達の仕事をしながら、ニューヨークのクラブやスタジオ・シーンで名を馳せる。

 

 

1960年、コールマン・ホーキンスからの電話をきっかけに、ドナルド・バード(Donald Byrd/1932年12月9日-2013年2月4日)のクインテットでプロとしてのスタートを切る。さらにドナルド・バードからブルーノート・レコードのアルフレッド・ライオンを紹介された。

その後、2年間のセッション・マンとして実績を重ねる。

 

 

1962年、21歳になり、デクスター・ゴードンを迎えた作品『テイキン・オフ』(Takin' Off)をリリースしてデビュー。この中に収録された“ウォーターメロン・マン”(Watermelon Man)は米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)121位でチャート・イン、さらに翌1963年、モンゴ・サンタマリア(Mongo Santamaría/1922年4月7日-2003年2月1日)によるカヴァーが全米10位の大ヒットとなり、本作品でハンコックは押しも押されもせぬブルーノート新主流派の中心アーティストにのし上がった。

 

 

その後、エリック・ドルフィー(Eric Allan Dolphy, Jr./1928年6月20日-1964年6月29日 )の元で、サウンドトラックにも活躍の場を広げた。

 

 

1963年、マイルス・デイヴィス(Miles Davis/1926年5月26日-1991年9月28日/ Tp)率いるグループ「マイルス・デイヴィス・カルテット」に抜擢され、ジョージ・コールマン(George Coleman/1935年3月8日-/ Sax)、ロン・カーター(Ron Carter/1937年5月4日-/B)、トニー・ウィリアムス(Tony Williams/1945年12月12日-1997年2月23日/Ds)とともに活動、ハンコックも1968年頃まで在籍する。

 

 

1964年7月、マイルス・デイヴィスの初来日に帯同。

同年秋、マイルスはウェイン・ショーター(Wayne Shorter/1933年8月25日–2023年3月2日/Sax)を迎え、マイルス、ウェイン、ハービー、ロン、トニーという第2期クインテットのラインナップが揃う。

11月、ハンコックの4枚目のスタジオ・アルバム『Empyrean Isles』がリリース、1964年6月17日録音。タイトル・トラック“カンタロープ・アイランド”(Cantaloupe Island)はハンコックの代表曲となった。

 

 

1965年、自身5枚目のスタジオ・アルバムで、海の雰囲気を創出するコンセプト・アルバムとして制作した『処女航海』(Maiden Voyage)をBlue Noteから発表。ハンコックとテナーサックス奏者のジョージ・コールマン、トランペッターのフレディ・ハバード、ベーシストのロン・カーター、ドラマーのトニー・ウィリアムズをフィーチャーした本アルバムは、タイトル・ナンバー“処女航海”(Maiden Voyage)や“ドルフィン・ダンス”(Dolphin Dance)とともにハンコックの代表作となる。

 

 

 

 

1966年、映画『欲望』(Blow Up)の音楽を担当し、サウンドトラックを発表。ハンコックは本作でジャズだけでなくポップ・ミュージック指向の強い楽曲も披露した。なお、ジェフ・ベック在籍時のヤードバーズが劇中の演奏シーンで出演しており、サントラ盤にも“Stroll On”を収録している。

 

 

1967年、マイルスのアルバム『ネフェルティティ』(Nefertiti)が制作・発表。

 

 

1968年、アルバム『スピーク・ライク・ア・チャイルド』(Speak Like a Child)をリリースした。

 

 

同年、マイルス・デイヴィスのグループを脱退。だが、その後もマイルスのセッションに随時参加し、いくつかのアルバムにその足跡を残している。

 

 

1969年、ブルーノートを離れ、ワーナー・ブラザース・レコードに移籍。

12月、子ども向けテレビ番組のサウンドトラック『ファット・アルバート・ロトゥンダ』(Fat Albert Rotunda)をリリース、同時期のマイルスと同様に大胆なエレクトリック・サウンドを取り入れた。

 

 

1971年、アルバム『エムワンディシ』(Mwandish)では更にアフリカの民族音楽、ポリリズムに傾倒し、自らもスワヒリ語名でアルバム・タイトル同様の「ワンディシ」というニックネームを名乗る。

 


1972年、グリネル大学より名誉博士(美術)の称号を授与されている。

 

 

1973年3月30日、アルバム『セクスタント』(Sextant)をリリース、 『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)176位をマーク。

 

9月、問題作『ヘッド・ハンターズ』(Head Hunters)をリリース、12枚目のスタジオ・アルバムとなる本作は、全米13位・R&B2位・ジャズ1位・RIAAプラチナを獲得し、ハンコックのエレクトリック・ジャズ期を代表する一枚となった。ここからは"Chameleon"が全米42位・R&B18位になった。なお、本アルバムのバック・メンバーは後に「ザ・ヘッドハンターズ」(The Headhunters)を結成、ハービー自身はメンバーではないが、ゲストとして参加して活動をともにしている。

 

 


1974年、チャールズ・ブロンソン主演映画『狼よさらば』(Death Wish)の映画音楽を担当した。

 

9月6日、アルバム『スラスト (突撃)』(Thrust)をリリース、全米13位・R&B2位・ジャズ1位をマークした。ここからは"Palm Grease"がR&B45位になった。

 

 

 

1975年6月25日、ザ・ヘッドハンターズとして広島で公演。その後、原爆被爆者に捧げるとして滞在先の広島市内でピアノに向かい徹夜で作曲し、翌6月26日、ピアノ・ソロ曲“平和の街のために”(For the City of Peace)を広島市に寄贈した。

8月22日、アルバム『Man-Child』をリリース、全米21位・R&B6位・ジャズ1位。


1976年8月、アルバム『Secrets』をリリース、全米49位・R&B8位・ジャズ1位。ここからは、"Doin' It"が全米104位・R&B83位・米ダンス40位を記録した。

 

同年、元マイルス・グループのメンバー(ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムス、フレディ・ハバード、ロン・カーター)を集めて、モダン・ジャズのグループ「V.S.O.P.クインテット」を結成し、世界中をツアーした。

 

 

1977年、V.S.O.P.クインテットのライヴ・アルバム『ライヴ・イン・USA』(The Quintet)をColumbiaからリリース、全米123位。

同年、V.S.O.P.クインテットのライヴ・アルバム『テンペスト・イン・ザ・コロシアム』(Tempest in the Colosseum) をリリース。旧邦題『熱狂のコロシアム』。

 

 

 

1978年6月15日、アルバム『サンライト』(Sunlight)をリリース、全米58位・R&B31位・ジャズ3位・全英26位。ここからは、シングル"I Thought It Was You"がR&B85位・全英15位を記録した。

 

 

1979年2月、アルバム『フィーツ』(Feets, Don't Fail Me Now)をColumbiaからリリース、1978年録音。全米38位・R&B16位・ジャズ2位・全英28位をマーク。ここからは、“You Bet Your Love"が全英18位、"Tell Everybody"が米ダンス47位、 "Ready or Not"がR&B25位に入った。

 

 

 

同年、V.S.O.P.クインテットのライヴ・アルバム『ライヴ・アンダー・ザ・スカイ伝説』(Live Under the Sky)をリリース。

同年、V.S.O.P.クインテットの1stスタジオ・アルバム『ファイヴ・スターズ』(Five Stars)をCBS/Sonyからリリース。

 

 

1980年3月、アルバム『モンスター』(Monster)をリリース。1979年11月~1980年録音作品で、全米94位・R&B16位・ジャズ3位をマークした。ここからは、“Stars in Your Eyes"がR&B33位、"Making Love"がR&B73位になった。

 

 

 

1981年9月29日、アルバム『マジック・ウィンドウズ』(Magic Windows)をリリース、全米140位・R&B40位・ジャズ13位を記録した。ここからは、"Magic Number" がR&B59位・米ダンス9位、"Everybody's Broke"がR&B46位になった。

 

 

 

1982年8月1日、アルバム『ライト・ミー・アップ』(Lite Me Up)をリリース、1982年録音。全米151位・R&B31位・ジャズ10位。ここからは、タイトル・トラック"Lite Me Up!"がR&B52位、"Gettin' to the Good Part"がR&B47位になった。

 

 

 

1983年7月、次のアルバムから、Grand Mixer D.STのスクラッチが特徴的なナンバー“ロックイット”(Rockit)を先行リリース、全英8位をはじめ世界中のポップ・チャートでトップ10入りする大ブレイク、アメリカではRIAAゴールド認定を受けた。

 

8月発表のアルバム『フューチャー・ショック』(Future Shock)ではヒップ・ホップを大胆に導入するなど、ベーシスト兼プロデューサーのビル・ラズウェル(Bill Laswell/1955年2月12日-)による実験的な音楽アイデアを元に制作。リード・シングル“ロック・イット”やタイトル・トラック“フューチャー・ショック” (Future Shock)などが話題になり、アルバムも全米43位・R&B10位・ジャズ2位・全英27位・RIAAプラチナを記録。DJスクラッチを取り入れたスタイルはその後のクラブ・ミュージックの方向性を決定付けた。ここからは他に、"Autodrive"がR&B26位・米ダンス36位・全英33位、 "Future Shock"が全英54位、"Mega-Mix"が全米105位・米ダンス38位を記録した。

 

 

 

同年、初のグラミー賞「ベストR&Bインストゥルメンタルパフォーマンス」賞を受賞するなど、1980年代には3度グラミー賞を受賞した。

 

 

1984年8月20日リリースのアルバム『サウンド・システム』(Sound-System)で再びラズウェルが参加、全米71位・R&B34位・ジャズ7位。ここからは、"Hardrock"がR&B41位・米ダンス53位になった。

 


1985年、ベーシストのロン・カーターと共演したサントリー「ホワイト」のCMが日本で放映され話題となった。

 

 

1986年、音楽監督を担当し自らも出演したアメリカ・フランス合作の音楽映画『ラウンド・ミッドナイト』(Round Midnight)は、サウンドトラック・アルバムが全米196位・ジャズ2位をマーク。さらに本作でアカデミー作曲賞を獲得している。

 

 

1988年5月発表のアルバム『パーフェクト・マシーン』(Perfect Machine)にもラズウェルが関わり、同じ作風の作品を発表。R&B65位を記録。ここからは、“Vibe Alive"がR&B25位・米ダンス46位になった。

 

これ以降もハンコックは、エレクトリック・サウンド作品を不定期ながらリリースしている。

 

 

1996年2月19日、現代のポピュラー・ソングを鮮烈なシャズ・ナンバーにしたアルバム『ザ・ニュー・スタンダード』(The New Standard)をリリース、ジャズ2位。

 

 

1998年10月20日、アメリカが生んだ作曲家ジョージ・ガーシュウィンの生誕百周年を記念した『ガーシュウィン・ワールド』(Gershwin's World)をリリース、ジャズ1位。

 

 

2001年にはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンの生誕75周年を記念してマイケル・ブレッカー、ロイ・ハーグローヴと「ディレクションズ・イン・ミュージック」というスペシャル・プログラム(全米ツアー)を行い、トロント公演のライヴ録音は2002年にライヴ・アルバム『ディレクションズ・イン・ミュージック〜マイルス&コルトレーン・トリビュート』として発売された。

 

2003年から、アジア最大級のジャズ・イベント「東京JAZZ」の総合プロデュースを担当した。

 

 

2004年、NEAジャズ・マスターズを受賞。

 

 

2005年8月30日、アルバム『ポシビリティーズ』 (Possibilities)をConcord/Hear Musicからリリース、全米22位・ジャズ1位・RIAAゴールドを獲得した。

 


2007年、アルバム『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』(River: The Joni Letters)をVerveからリリース、全米5位・ジャズ1位・全英179位。

 


2008年の第50回グラミー賞において、『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』が同賞の主要4部門の一つである最優秀アルバム賞と、最優秀コンテンポラリージャズ・アルバムを受賞。ジャズ・ミュージシャンの総合部門における最優秀アルバム賞受賞は1964年のスタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルトの『ゲッツ/ジルベルト』以来43年ぶりの快挙である。

その他、1990年代にはのべ5回、2000年代にはのべ4回、2010年代にはのべ2回、1983年の初受賞から通算14回、グラミー賞を受賞している(#グラミー受賞歴の節も参照)。

 

 

2010年6月2日、アルバム『The Imagine Project』を発表、全米54位・ジャズ1位。

 

 

2011年にユネスコ親善大使に就任。

 

 

2014年には、名門ハーバード大学の2014年チャールズ・エリオット・ノートン詩学講義の特別教授(英語: Charles Eliot Norton Professor of Poetry)として連続講義を行った。

 

 

2017年には俳優として映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』(Valérian et la Cité des mille planètes)に「国務大臣」役で出演している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ハービー・ハンコック」「Herbie Hancock」「V.S.O.P.クインテット」「 V.S.O.P. (group)」「ザ・ヘッドハンターズ (バンド)」

 

 

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