メリル・オズモンド(Merrill Osmond/出生名:Merrill Davis Osmond/1953年4月30日~)は、アメリカのミュージシャン、歌手、俳優。 家族音楽グループのオズモンズとオズモンド・ブラザーズのリード・ヴォーカリスト兼ベーシスト。

 

 

 

1953年4月30日、メリル・デイビス・オズモンドは、アメリカ合衆国ユタ州オグデン(Ogden, Utah)で、オリーブ・メイ(旧姓デイビス/1925-2004年)とジョージ・ヴァール・オズモンド(1917-2007年)の9人の子どものうち5番目の五男として誕生。

 

 

1958年から、オズモンド家の4人の兄弟、三男アラン(Alan/1949年6月22日-)、四男ウェイン(Wayne/1951年8月28日‐)、五男のメリル、そして六男のジェイ(Jay/ 1955年3月2日-)は、バーバーショップ・カルテット(アフリカン・アメリカンによるアカペラ四重唱)を模したヴォーカル・グループ「オズモンド・ブラザーズ」(The Osmond Brothers)を結成、オグデン市内とその近郊で歌い始めた。なお、長男ジョージ・バール・オズモンド・ジュニアと次男トムは難聴であった。

 

 

1961年、オズモンド・ブラザーズは、ウォルトディズニーの『ワンダフルワールドオブカラー』のエピソード「ディズニーランド・アフターダーク」の撮影中、ディズニーランドでのパフォーマンスで、アンディ・ウィリアムスの父ジェイエマーソン・ウィリアムスに見出された。

 

 

1962年、オズモンド・ブラザーズは、NBCの音楽バラエティ番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』(The Andy Williams Show)に7年間レギュラー出演した。

 


1963年、オズモンド・ブラザーズは、アルバム『Songs We Sang on The Andy Williams Show』をMGM Recordsからリリースしてレコード・デビュー。 

 

 

同年、アルバム『We Sing You a Merry Christmas』と『Preview: The Travels of Jaimie McPheeters』をリリース。

同年、七男のドニー (Donny/1957年12月9日-) が5歳で“ユー・アー・マイ・サンシャイン”を歌い、『アンディ・ウィリアムス・ショー』で番組デビューを果たした。

1963~64年、ABCの西部劇テレビシリーズ『ジェイミー・マクフィーターズの旅』の9つのエピソードにも出演し、メリルは若き日のデュトロノミーキッセル役を演じた。

 

 

1964年、アルバム『The Osmond Brothers Sing The All Time Hymn Favorites』をリリース。

 

 

1965年、アルバム『The New Sound of The Osmond Brothers Singing More Songs They Sang on The Andy Williams Show』をリリース。

 

成人してからもテナー/カウンターテナーのヴォーカリストだったメリルは、オズモンズのほぼすべての曲でリードシンガーまたは共同リードシンガー(通常は弟のドニーと役割を分担)を務め、兄のアランとともにその多くを共作した。家族と同様、メリルも末日聖徒イエス・キリスト教会の信者である。

 

 

1968年、アルバム『The Wonderful World of The Osmond Brothers』をCBS / Sony Recordsからリリース。

 

 

1969年4月に初来日し、フジテレビ放送の『ミュージックフェア』などに出演する。12月、『夜のヒットスタジオ』に初の海外ゲストとして出演する。

 

 

1970年、アルバム『Hello! The Osmond Brothers』をDenon Internationalからリリース。

同年頃からオズモンド・ブラザーズは、両親、長女マリー、八男ジミーとともに、カルピスのCMに出演、日本語のCMソング“カルピスのうた”(同名で2曲が存在する)も担当する。

 

 

同年、「オズモンズ」(The Osmonds)と改名。

11月14日、シングル“ワン・バッド・アップル”(One Bad Apple)とアルバム『Osmonds』をMGM Recordsから同時リリース、シングルは翌年2月から5週連続で米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)1位を記録し、全米レコード協会(RIAA)のゴールド・ディスクを獲得した。また、アルバムは同誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)14位・カナダ34位・RIAAゴールド・ディスクを獲得した。なお、この時点で日本での名義はオズモンド・ブラザーズのままであった。

 

 

1971年、シングル"I Can't Stop"をリリース、全米96位。

同年、アルバム『Homemade』をMGMからリリース、全米22位・カナダ27位・RIAAゴールド。ここからは、"Double Lovin'"が全米14位・カナダ9位を記録した。

 

 

1972年、アルバム『Phase III』をMGMからリリース、全米10位・豪州38位・カナダ6位・RIAAゴールド。ここからのシングルは、"Yo-Yo"が全米3位・カナダ1位・豪州87位・RIAAゴールド、"Down by the Lazy River"が全米4位・カナダ1位・全英40位・豪州33位・RIAAゴールドを獲得。

 

 

同年、アルバム『Crazy Horses』をMGM/Kolob Recordsから発売、全米14位・豪州37位・カナダ10位・全英9位・RIAAゴールドを獲得した。この頃は各自が楽器を持ち、バンド・スタイルで演奏、メリルはヴォーカルとともにベースを担当した。このアルバムからは、"Hold Her Tight"が全米14位・カナダ6位、タイトル・トラック "Crazy Horses"が全米14位・カナダ12位・全英2位・豪州23位・英国レコード産業協会(BPI)シルバーを獲得。

 

 

同年、ライヴ・アルバム『The Osmonds Live』をMGMからリリース、全米13位・豪州57位・カナダ8位・全英13位・RIAAゴールド。

同年、テレビアニメ『The Osmonds』が放送される。

 

 

1973年、アルバム『The Plan』をMGM/Kolobから発売、全米58位・豪州58位・カナダ20位・全英6位・BPIゴールド。ここからは、"Goin' Home"が全米36位・カナダ30位・全英4位・豪州55位・BPIシルバー、"Let Me In"が全米36位・『ビルボード』誌「アダルト・コンテンポラリー」チャート(以下「AC」)4位・カナダ15位・全英2位・豪州65位・BPIシルバー。

 

 

1974年、シングル"I Can't Stop"をリリース、全英12位。

 

同年、アルバム『Love Me for a Reason』をMGM/Kolobからリリース、全米47位・豪州46位・カナダ29位・全英13位・BPIシルバー。タイトル・トラックの"Love Me for a Reason"が全米10位・AC2位・カナダ18位・全英1位・豪州53位・BPIゴールドを獲得。

 

 

1975年、アルバム『The Proud One "I'm Still Gonna Need You" in the UK』をMGM/Kolobから発売、全英160位・カナダ89位・全英19位・BPIシルバー。ここからは、"The Proud One"が全米22位・AC1位・カナダ 25位・全英5位・BPIシルバーを獲得した。この頃には再びヴォーカル・グループに戻っている。

 

同年、ライヴ・アルバム『Around the World: Live in Concert』をMGM/Kolobからリリース、全米148位・全英41位・BPIシルバー。

 

 

1976年、アルバム『Brainstorm』をPolydor/Kolobからリリース、全米145位。ここからは、"I Can't Live a Dream"が全米46位・AC38位・カナダ50位・全英37位をマークした。
同年、アルバム『Osmond Family Christmas』をPolydor/Kolobからリリース、全米127位。

 

 

1977年、コンピレーション・アルバム『The Osmonds Greatest Hits』をPolydor Records/Kolob Recordsからリリース、全米192位。

 

 

1970年代後半にドニーが自身のキャリアに集中し始めた時、メリルはあごひげを伸ばして自然に白髪になり、兄弟とともにカントリーミュージックに転向。1980年代にはカントリー・チャートでヒットを数多く記録した。

 

 

1982年、カントリー・ミュージックに転向したアルバム『The Osmond Brothers』をElektra Asylum Recordsからリリース、米カントリー・チャート54位。ここからは、"I Think About Your Lovin'"が米カントリー17位、"It's Like Falling in Love (Over and Over)"が米カントリー28位、"Never Ending Song of Love"が米カントリー43位に入った。

 

 

1984年、アルバム『One Way Rider』をWarner Bros. Recordsからリリース、米カントリー57位。ここからは、"She's Ready for Someone to Love Her"が米カントリー67位、"Where Does an Angel Go When She Cries"が米カントリー43位、"If Every Man Had a Woman Like You"が米カントリー39位に達した。

 

 

1985年、シングル"Anytime"をリリース、米カントリー54位をマーク。

同年、シングル"Baby, When Your Heart Breaks Down"をリリース、米カントリー56位に入った。

 

 

1986年、シングルを3枚リリース、"Baby Wants"が米カントリー45位、"You Look Like the One I Love"が米カントリー69位、"Looking for Suzanne"が米カントリー70位を記録した。

 

 

1987年5月、オズモンズとは別に、セッション・シンガーのジェシカ・ブーシェ(サバンナとシェリー・ブーシェの妹)とのデュエット・ナンバー“You're Here to Remember (I'm Here to Forget)”がヒット、ホット・カントリー・シングル・チャートで62位を記録した。

同年、シングル"Slow Ride"をリリース、カナダのカントリー・チャートで27位に入った。

 

 

2003年3月25日、マリ―も含めたオズモンド・ファミリーび楽曲を集めたコンピレーション・アルバム『Osmondmania!』をリリース。

 

7月15日、こちらもマリ―も含めたオズモンド一家のコンピレーション・アルバム『Ultimate Collection』をUMTV Recordsからリリース、全英4位。

 

 

2008年、ライヴ・アルバム『50th Anniversary Reunion Concert』をリリース、全米177位。

 

 

2018年、シングル"The Last Chapter"をリリース。

 

 

2020年からオズモンドは息子のジャスティンとともに、KSLラジオがプロデュースするポッドキャスト『Sound Advice』の司会を不定期ながら行っている。

 

 

2022年、オズモンドは演奏活動から引退する意向を発表。

同年4月に最後のアメリカ公演を行い、その後イギリス・ツアーを行う予定だった。

 

 

2023年1月19日、メリルの最後の公演がリングウッドの納屋で行われた。

 

 

2024年9月に限定公演を追加する。彼は甥のネイサン・オズモンドをジェイの歌唱パートナーと毎年恒例のセレニティ・リトリートの責任者として後継者に指名した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Merrill Osmond」「オズモンド・ブラザーズ」「The Osmonds」

 

 

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