ダニー・オズモンド(Donny Osmond/誕生名:Donald Clark Osmond/1957年12月9日~)は、アメリカ合衆国出身の俳優、歌手。オズモンド・ブラザーズ、オズモンズの元メンバーで子役出身。

 

 

 

1957年12月9日、ドナルド・クラーク・オズモンドは、アメリカ合衆国ユタ州オグデン(Ogden)で、オリーブ・メイ(旧姓デイビス; 1925–2004)とジョージ・バール・オズモンド(1917–2007)の間に、7番目の息子として生まれた。彼には、アラン、ジェイ、ジミー(Jimmy Osmond、1963年4月16日 - )、メリル、ウェイン、マリー、トム、バールという兄弟がいる9人兄弟だった。オズモンド一家は、ユタ州の末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として、兄弟とともに育ちました。

 

 

1958年、オズモンド家の9人兄弟のうち、三男から六男(アラン、ウェイン、メリル、ジェイ)までの4人で少年コーラスグループ「オズモンド・ブラザーズ」(The Osmond Brothers)を結成、最初は地元でア・カペラの無伴奏合唱(バーバーショップ音楽)を演奏していた。難聴だった長男ジョージ・バール・オズモンド・ジュニアと次男トムのための補聴器代を稼ぐのが目的だったという。

オズモンド・ブラザーズはやがて評判を呼び、父に連れられローレンス・ウェルクのオーディションを受けにカリフォルニアまで遠征した。

また、ディズニーランドのエンターテインメントとカスタマーリレーションシップのディレクターの目に留まり、オズモンド・ブラザーズは契約を結び、ディズニーランドで演奏した。

 

1962~1967年、オズモンド・ブラザーズは人気番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』にレギュラー出演する。番組が一旦終了すると、今度はジェリー・ルイスの番組に出演。やがて『アンディ・ウィリアムス・ショー』が復活すると、再びウイリアムスの番組に出演した。

この間、オズモンド・ブラザースはヨーロッパをツアーし、スウェーデンで最も人気のある歌手、ラース・レンダールと共演、スウェーデン語版の“Two Dirty Little Hands”(Fem smutsiga små fingrar)を歌ったシングルをリリースした。

 

1963年、オズモンド・ブラザーズはアルバム『Songs We Sang on The Andy Williams Show』でレコードデビュー。

同年、ダニーは5歳の時にグループに加わり、“You Are My Sunshine”を歌ってショーにデビュー。

 

しかし彼らはやがてポピュラー音楽を演奏したいと思うようになり、バラエティ番組のイメージを捨てることを決意。彼らはロックンロールバンドを目指したが、ロックンロールを疑った父親にとっては難しい変化だった。だが父は説得され、少年たちはポップバンドとして演奏し始めた。この目的のために、オズモンズは1967年にUNIレコードのためにシングル“Flower Music” / “I Can't Stop”を録音した。彼らは最初はささやかな成功しか収めなかった。

 

 

1969年4月に初来日し、フジテレビ放送の『ミュージックフェア』などに出演する。

12月、『夜のヒットスタジオ』に初の海外ゲストとして出演する。また、両親、長女マリー、八男ジミーとともに、1970年頃からカルピスのCMに出演し、日本語のCMソング“カルピスのうた”(同名で2曲が存在する)も担当する。

 

 

1970年11月、「オズモンズ」(The Osmonds)と改名して“ワン・バッド・アップル”(One Bad Apple)を発売。同曲は翌年2月から5週連続で全米1位を記録する大ヒットとなる。なお、日本での名義は「オズモンド・ブラザーズ」のままだった。

 

11月14日、アルバム『Osmonds』をMGM Recordsからリリース、全米4位・RIAAゴールド。

 

 

1971年、彼の最初のソロヒットは、ロイ・オービソンの1958年の“Sweetand Innocent”のカヴァーで、「ビルボード・Hot 100」(以下「全米」)で7位に達した。

 

同年、1stソロアルバム『The Donny Osmond Album』をリリース、全米アルバムチャート「ビルボード200」で13位に達した。

7月31日、ソロシングル“ゴー・アウェイ・リトル・ガール”(Go Away Little Girl)をリリース、3週連続で全米1位を獲得した。

 

9月4日、シングル"Yo-Yo"をリリース、全米3位。

 

10月11日、2ndソロ・アルバム『To You with Love, Donny』をリリース、“ゴー・アウェイ・リトル・ガール”などヒット曲が収録され、全米12位を記録した。

 

 

1972年1月25日、シングル"Down by the Lazy River"をリリース、全米4位。

 

1月29日、アルバム『Phase III』をリリース、全米10位・RIAAゴールド。

 

この頃、ダニーが声変わりを迎える。一方でイギリスでの人気に火が着き、ビートルズ並みの旋風を巻き起こした。

2月19日、ソロシングル“パピー・ラヴ”(Puppy Love)を発売、全米3位・全英1位。

 

5月27日、3rdソロアルバム『Portrait of Donny』をリリース、全米6位・全英5位・RIAAゴールド。

 

7月15日、4thソロアルバム『Too Young』をリリース、全米11位・全英7位・RIAAゴールド。

10月14日、アルバム『Crazy Horses』をリリース、全米14位・全英9位・RIAAゴールド。同日発売でタイトルトラック"Crazy Horses"をシングルリリース、全米14位・全英2位。アルバムでは彼らがすべての曲を書き、アランがリズムギター、ウェインがリードギター、メリルがリードヴォーカルとベース、ジェイがドラム、そしてダニーがキーボードと、すべてのパートを演奏した。

 

 

同年、テレビアニメ『The Osmonds』が放送される。

 

 

1973年2月24日、ソロシングル“恋する年ごろ”(The Twelfth of Never)をリリース、全米8位・全英1位を記録した。

 

3月17日、ソロアルバム『Alone Together』をリリース、全米26位・全英6位。アルバムからは“恋する年ごろ”の他に"Young Love"が全米23位・全英1位になった。

 

6月2日、シングル"Goin' Home"をリリース、全米36位・全英4位。

 

6月30日、アルバム『The Plan』をリリース、全米では58位に終わったが、全英では6位を記録し、BPIからゴールド認定を受けた。本作はプログレッシブロックを志向するモルモンのコンセプトアルバムとして知られ、強い宗教的メッセージが含まれているとの評もある。

9月1日、シングル"Let Me In"をリリース、全米36位・全英2位になった他、イージーリスニング・チャートでも上位に入った。

 

同年、ソロシングルとしてリリースした、ドリス・デイのカヴァー"When I Fall in Love"と、チャールズ・ハートのカヴァー"Are You Lonesome Tonight"が、ともに全米14位・全英4位を記録した。

 

 

しかし、『The Plan』の実験的な音楽や、この頃に続いたメンバーの結婚、ダニーの声変わりなどが相まって、この頃から人気に陰りが見え始める。

 

 

1974年、妹のマリーと共演したのをきっかけに、デュオ「ダニー&マリー・オズモンド」(Donny and Marie Osmond)を結成する。

同年、ダニー&マリーのシングル“I'm Leaving It Up to You”が全米4位・全英2位、“二人の祈り”(Morning Side of the Mountain)が全米8位・全英5位になったのに加えイージーリスニング・チャートで1位になった。

 

 

6月6日、ダニー&マリーのアルバム『I'm Leaving It All Up to You』を Kolob/MGMからリリース、全米35位・全英13位。

 

8月31日、シングル"Love Me for a Reason"をリリース、全米10位・全英1位。

 

 

1975年5月24日、シングル"The Proud One"をリリース、全米22位・全英5位。

 

同年、ダニー&マリーのシングル“夢のディープ・パープル”(Deep Purple)が全米14位・全英25位のヒットとなった。

 

 

1976年、ダニー&マリーのシングル“Ain't Nothing Like the Real Thing”が全米21位。

 

1976年から1979年にかけてABCで放映されたテレビバラエティシリーズ『ドニー&マリーショー』に二人で出演。

 

 

1978年、ドニーが結婚。上の兄弟はほとんどが1973・1974年に結婚したが、ジェイの結婚は1987年になった。

 

 

1980年代に入ると、オズモンズはカントリーミュージックに転向し、そこそこの成功を手にした。

 

 

1982年、シングル"I Think About Your Lovin'"をリリース、カントリーチャート17位を記録した。

 

 

1988年、ソロシングル“ソルジャー・オブ・ラブ”(Soldier of Love)をリリース、全米2位。カントリーミュージックに転向した兄弟たちを他所に、ダニーはポピュラーミュージック界で復活を遂げた。

 

 

1989年、ソロシングル"Sacred Emotion"をリリース、全米13位。

 

4月25日、ソロアルバム『Donny Osmond』をリリース、全米54位。

 

 

1990年10月30日、ソロアルバム『Eyes Don't Lie』をリリース、全米177位。アルバムからのシングル"My Love Is a Fire"が全米21位・全英64位になった。また、アルバムのプロモーションで大規模なツアーを催行した。

 

 

1991年、フランク・ザッパのアルバム『Confessions』に収録されたビージーズのカヴァー“Stayin' Alive”にゲストヴォーカリストとして参加。この曲には、ザック・ワイルド、スティーブ・ルカサー、ティム・ピアス等のギターソロも含まれていた。

 

 

1998~2000年、ドニーとマリーは、冠番組となるトークショー『ドニー&マリー』を共催、ミュージカルゲストを迎えた。 彼らは2000年と2001年に優れたトークショーホストのためのデイタイムエミー賞の連続ノミネートを受けた。

 

 

2001年2月6日、ソロアルバム『This Is the Moment』をDeccaからリリース、全米64位・全英10位と、イギリスで1973年以来となるトップ10入りを果たした。

 

 

2002年10月29日、ソロアルバム『Somewhere in Time』をリリース、イギリスで全英アルバムチャートでは12位止まりだったが、BPIプラチナ認定を受けた。1990年代の英国のボーイバンド「テイク・ザッと」’Take That)から迎えた元ティーンアイドルのゲイリー・バーロウと共作したジョージ・ベンソンのサンプリング“Breeze On By”を発表、全英8位のヒットになった。

 

 

 

2004年12月28日、ソロアルバム『What I Meant to Say』をリリース、全米137位・全英26位、BPIシルバー認定。

 

 

2007年5月5日、ソロアルバム『Love Songs of the '70s』をリリース、全米27位・全英7位・BPIゴールド。ラヴソングを中心としたカヴァーアルバムは全英トップ10入りを果たした。

 

 

 

2014年11月10日、ソロアルバム『The Soundtrack of My Life』をリリース、全米189位・全英17位。前作同様、ダニーにとって個人的な意味を持つカヴァー曲のコレクション。本作でトップを飾る曲として、彼はスティーヴィー・ワンダーの名曲“マイ・シェリー・アムール”(My Cherie Amour)を選曲、スティーヴィー自身にハーモニカの演奏を依頼した。

 

 

2015年、アメリカのポップカルチャーへの影響を称えられて、ダニーとマリーはポップカルチャー賞を受賞した。

 

 

2021年9月10日、ソロアルバム『Start Again』をBMGからリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ダニー・オズモンド」「Donny Osmond」「オズモンド・ブラザーズ」「The Osmonds」