ジュース・ニュートン(Juice Newton/出生名:Judy Kay Newton/1952年2月18日~)は、アメリカ合衆国のポップおよびカントリー・シンガー、ソングライター、ミュージシャン。

 

 

 

1952年2月18日、ジュディ・ケイト・ニュートンは、アメリカ合衆国 ニュージャージー州レイクハーストで生まれる。

母親は彼女の音楽への興味を促し、13歳の誕生日にニュートンへギターをプレゼントした。

 

バージニア州バージニアビーチのファースト・コロニアル高校を卒業した。

 

高校卒業後、ニュートンはカリフォルニア州ロスアルトスヒルズのフットヒル大学に通い、地元の喫茶店でフォーク・ミュージックを演奏した。

その後、ギタリスト兼ソングライターのオサ・ヤングとフォークロック・バンドを結成し、バンドと一緒に北カリフォルニアのバーをツアーした。

 

1970年代初頭、ニュートンは、オサ・ヤング(Otha Young/(1943年5月10日–2009年8月6日)、トム・キーリー(Tom Kealey)とバンドを結成、後に彼らは「ジュース・ニュートン&シルヴァー・スパー」(Juice Newton & Silver Spur)と呼ばれるようになり、RCAレコードと契約した。

 

 

1975年、ジュース・ニュートン&シルヴァー・スパーは、RCAからセルフ・タイトルのデビュー・アルバム『Juice Newton & Silver Spur』をリリース。ここからは、カントリー・シングル“Love Is a Word”が米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の「カントリー・シングル」チャートに88位でランク・インした。

 

 

1976年、RCAから2枚目のアルバム『After the Dust Settles』をリリースした。だが、RCA時代は唯一、カントリー・シングル “Love Is a Word”1枚がチャート・インしただけだった。

この結果、バンドはRCAから契約解除される。

 

 

1977年、バンドはキャピトル・レコードと新たに契約、もう1枚のアルバム『Come to Me』をリリースしたが、その直後に解散した。

同年後半、ニュートンはソロとなり、キャピトルでレコーディングを続ける。シルヴァー・スパーは彼女のバックバンドの名前であり続け、それは1982年まで続いた。

ニュートンはまた、ボブ・ウェルチのプラチナ売上となるソロ・デビュー・アルバムにおいて、ヒット曲“Ebony Eyes”を含む3曲でバック・ヴォーカルを担当した。

 

 

1978年、ニュートンは自身の名前を、生まれた時に名付けられた「ジュディス・ケイ・ニュートン」から、それまでニックネームだった「ジュース」(Juice)を正式に「本名」とし、法的手続きにより「ジュース・ニュートン」(Juice Newton)に変更した時でもあった。

同年、ソロ・シングル"It's a Heartache"をリリース、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)86位。

 

8月14日、1stソロ・アルバム『Well Kept Secret』をリリース。

 

 

1979年、ソロ・シングル"Let's Keep It That Way"をリリース、カントリー37位。

 

9月17日、2ndソロ・アルバム『Take Heart』をリリース。

 

 

1981年2月9日、ニュートンは3枚目のソロ・アルバム『夜明けの天使』(Juice)をリリース、米国で100万枚以上を販売し、最終的にRIAAプラチナを獲得、『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」22位・同誌「カントリー・アルバム」チャート(以下「カントリー」)4位をマーク。カナダではトリプル・プラチナ(30万枚)を獲得、アルバム・チャート16位となった。

 

本アルバムからは、チップ・テイラーによって書かれた“夜明けの天使”(Angel of the Morning)が全米4位・カントリー22位・AC1位・カナダ1位になったのをはじめ、“クイーン・オブ・ハート”(Queen of Hearts)が全米2位・カントリー14位・AC2・カナダ8位、そしてシルヴァー・スパーとのデビュー・アルバムの収録曲をアップデートした“The Sweetest Thing (I've Ever Known)”が全米7位・カントリー1位・AC1位と、3曲連続で全米トップ10ヒットを排出。また、ニュートンはカントリー・シングル・チャートとACシングル・チャートで初めてナンバー1を獲得した。

 

 

 

同年、“夜明けの天使”(Angel of the Morning)のビデオは、『MTV』で放映された最初のカントリーのMVであり、チャンネル全体で放映された40番目のビデオとなった。彼女はまた、パット・ベネターとカーリー・サイモンに次いで、『MTV』最初の放送日に登場した3人目の女性ソロ・アーティストとなっている。

 

 

1982年、ニュートンは2つのグラミー賞にノミネートされた。1つはポップ・カテゴリーでの“夜明けの天使”、もう1つはカントリーの“クイーン・オブ・ハート”だった。彼女はまた、豪種から大陸の「トップインターナショナルカントリーアーティスト」としてニュートン賞を獲得した。
同年、ニュートンはカントリーバンド「アラバマ」と「セーラムスピリット」のダブルヘッドライナーツアーでツアーを行った。

5月10日、4thソロ・アルバム『Quiet Lies』を発売、全米20位・カントリー7位・カナダ36位を記録。ここから、"Love's Been a Little Bit Hard on Me"が全米7位・カントリー30位・AC4位、"Break It to Me Gently"が全米11位・カントリー2位・AC1位、"Heart of the Night"が全米25位・カントリー53位・AC4位をマークした。

 

 

 

 

 

1983年8月19日、5thソロ・アルバム『Dirty Looks』をリリース、全米52位・カントリー22位を記録。ここからは、"Tell Her No"が全米27位・AC14位、タイトル・トラック"Dirty Looks"が全米90位、"Stranger at My Door"がカントリー45位に入った。

 

 

 

 

同年、グラミー賞を受賞した。

 

 

1984年7月18日、6thソロ・アルバム『Can't Wait All Night』をリリース、全米128位・カントリー42位を記録した。ここからは、“A Little Love"が全米44位・カントリー64位・AC7位、"Can't Wait All Night"が全米66位、"Restless Heart"がカントリー57位に入った。

 

 

 

同年、アルバム『夜明けの天使』から“Ride 'Em Cowboy”がニュートンにとって初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(Greatest Hits)をサポートするために4枚目シングルとしてリリースされ、カントリー32位に到達した。

 

 

 

1985年10月21日、7thソロ・アルバム『Old Flame』をリリース、カントリー12位。ここからは、"You Make Me Want to Make You Mine"、"Hurt"、Eddie Rabbittと共演した"Both to Each Other (Friends and Lovers)"がいずれもカントリー1位を記録、"Old Flame"がカントリー5位、"Cheap Love"と"What Can I Do with My Heart"がともにカントリー9位を記録した。

 

 

 

 

 

 

 

1987年9月15日、8thソロ・アルバム『Emotion』をリリース、カントリー59位を記録した。ここからは、"First Time Caller"がカントリー24位、"Tell Me True"がカントリー8位をマークした。

 

 

 

1989年6月28日、9hソロ・アルバム『Ain't Gonna Cry』をリリース。ここからのシングルは、"When Love Comes Around the Bend"がカントリー40位に入った。これがRCAからの最後のリリースとなった。

 

同年、ニュートンはRCAレコードに契約解除された。この時期、ドリー・パートンやケニー・ロジャースを含む他の数人のカントリー・アーティストなど、カントリー・ミュージック全体が大きな変化を遂げようとしていた。このためニュートンは、時間をかけて家族生活に集中。アルバムのレコーディングを中断し、散発的にツアーを行う生活を送った。

 

 

1994年、ニュートンは、パット・ベネターやドナ・サマーも参加した、エディット・ピアフのトリビュート・アルバムに“Lovers of One Day”という楽曲を提供した。

 

 

1998年、アルバム『The Trouble with Angels』をリリースしてシーンに復帰した。シングルは、"When I Get Over You"をカットした。

 

 

1999年、アルバム『American Girl』を続けてリリースした。"They Never Made It to Memphis"をカットした。

 

 

2002年、ライヴ素材に加え、スタジオ録音のオリジナル4曲のボーナスEPで構成されているアルバム『Every Road Leads Back to You』を、DVD付きでリリース。

 

 

2003年、もともと「cdbaby.com」とニュートンのライブ会場でのみ販売されていた『American Girl Volume 2』がリリースされ、2006年に再発され、2011年に再びBrookside Recordsから再発された。

 

 

2005年、ニュートンはテレビ番組『Hit Me, Baby, One More Time』に出演し、アシュリー・シンプソンの「ピーシズ・オブ・ミー」のフォーク・ロック演奏と「クイーン・オブ・ハート」の短縮バージョンを披露した。オンライン投票者は、エピソードに登場した5つの演技の中でニュートンのパフォーマンスをお気に入りに選んだ。

 

 

2007年、アルバム『The Gift of Christmas』をOJMからリリース。

 

 

2000年代半ば、ニュートンは2枚のトリビュート・アルバムに参加、『An All-Star Tribute To Cher』に“Reason to Believe”を、『An All-Star Tribute to Shania Twain』に“Come On Over”を、それぞれ楽曲提供した。

 

 


2009年8月6日、ニュートンの長年の音楽パートナーであるシンガーソングライターのオサ・ヤングが癌で死去。66歳没。2人はシルヴァー・スパー時代からの付き合いで、37年にわたって一緒に働いた。


2010年10月26日、ニュートンのニュー・アルバム『Duets: Friends & Memories』がFuel 2000からリリースされた。アルバムには、ウィリー・ネルソン(Willie Nelson)、メリサ・マンチェスター、フランキー・ヴァリらとのデュエットが収録された。ネルソンとのデュエット・ナンバー“Funny How Time Slips Away”がシングル・リリースされている。

 


2011年7月26日、Fuel 2000はアルバム『Juice Newton: The Ultimate Hits Collection』をリリースした。これには、ニュートンとオサ・ヤングが1970年代に書いたカーペンターズの1978年のヒット曲“Sweet Sweet Smile”の彼女自身によるセルフ・カヴァー・バージョンが収録されている。

 


2016年の映画『デッドプール』では、オープニング・クレジットのモンタージュにニュートンの“夜明けの天使”が使用された。その結果、この曲はビルボード・カントリー・チャートに再チャート・インして43位に到達し、Spotifyのワールド・ミュージック・チャートでも3位となった。


2021年、“夜明けの天使”が、アカデミー賞を受賞した米スリラー映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』(Promising Young Woman)で取り上げられ、映画のクライマックス・シーンで4分以上流された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジュース・ニュートン」「Juice Newton」

 

 

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