ファルコ(Falco/出生名:Johann Hölzel/1957年2月19日~1998年2月6日)は、オーストリアのミュージシャン。

 

 

 

1957年2月19日、ヨハン・ヘルツェルは、ウィーンの労働者階級地区でアロイス・ヘルツェルとマリア・ヘルツェルの間に生まれた。母親のマリアは、三つ子を妊娠していたことを告白した。二卵性妊娠だったため、一卵性双生児を3か月目に流産し、別の卵子で妊娠したファルコは生き残った。

 

ファルコは非常に早い段階で並外れた音楽的才能の兆しを見せ始めた。よちよち歩きの頃、彼はラジオで聞いた歌のドラムビートに合わせることができたという。

彼は4歳の誕生日に子ども用のグランド・ピアノを贈られた。

5歳の時、彼は誕生日プレゼントにレコード・プレイヤーが贈られ、ファルコはこれでエルヴィス・プレスリーやクリフ・リチャード、ビートルズの音楽を聴いた。

こうした暮らしの中でファルコは幼い頃からポップスターになりたいと願うようになる。


1963年、ファルコはローマ カトリックの私立学校で教育を受け始めた。

4年後、10歳の時、彼はマルガレーテンのRainergymnasiumに切り替えた。

16歳でウィーン音楽院に入学するが挫折し、すぐに退学。

母親は、彼がオーストリアの従業員年金保険協会で見習いを始めるよう勧めた。だがこれも短期間しか続かなかった。

17歳の時、彼はオーストリア軍に8か月の兵役を課された。

1970年代後半のウィーンで、彼はウィーンのナイトライフにどっぷり漬かった。これには、音楽だけでなく、ストリップショー、パフォーマンス アート、政治を風刺し、カオスを祝う一般的な雰囲気も含まれていた。

彼は、「ジョン・ハドソン」や「ジョン・ディファルコ」など、様々なステージネームを名乗り、多くのバンドでベースギターを演奏した。彼が出演したそのようなバンドの1つに、衝撃的な戦術とステージのふざけた態度を採用したオーストリアのグループである「Drahdiwaberl」があった。

 

この頃から「ファルコ」(Falco)の芸名で活動を始める。

ウィーンのアンダーグラウンド クラブ シーンと密接に結びついているにもかかわらず、ファルコはいつもこざっぱりとして見えた。周囲のみすぼらしいファッションとは対照的に、(兵役のために)髪を短くし、レイバンのサングラスとスーツを着ていたファルコは、独自の存在感を放っていた。

 

 

1981年、彼の独特のスタイルと“Ganz Wien”(「ウィーンのすべて」の意) の歌唱力に可能性を見出したマネージャーの Markus Spiegel は、ファルコに契約を申し出た。

同年、ファルコはシングル"Ganz Wien"でソロアーティストとしてデビュー。

 

同年、続くシングル“秘密警察”(原題: Der Kommissar)を欧州でヒットさせる。本曲は「アフター・ザ・ファイアー」による英語版もリリースされ、アメリカでヒットした。本曲が出た頃はまだラップやヒップホップという言葉が一般に馴染む前であった。

 

 

1982年、“秘密警察”を収録した1stアルバム『デア・コミッサー』(原題: Einzelhaft)をリリース、オーストリア1位となった。

 

 

1984年6月1日、2ndアルバム『Junge Roemer』をリリース、オーストリア1位。

 

 

1985年、“ロック・ミー・アマデウス”(原題: Rock Me Amadeus)をリリース。オランダ人のボーランド兄弟と共作した本楽曲は、刺激的なヒップホップのビートに乗せてモーツァルトの生涯をラップで歌い込んだ当時はユニークな構成で、地元オーストリアやドイツをはじめヨーロッパ各国でチャート1位を獲得した。翌1986年3月29日にはアメリカでも米音楽誌『ビルボード』(Billboard Magazine)の総合シングルチャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)で1位の大ヒットを記録、ドイツ語の楽曲が同チャートで首位を獲得した唯一の事例となった。アメリカでは英語圏以外の出身である外国人アーティストが大ヒットを飛ばすのは難しく、しかも色物扱いされる類の曲であったが、英語とドイツ語を交互に操ったラップの面白さと、1984年の映画『アマデウス』(Amadeus)のヒットを受けた話題性、クラシックの偉人を茶化した痛快さが、異例の大ヒットにつながったといわれている。また、日本では木村拓哉出演のマンダム「ギャッツビー」CMで本曲の替え歌が使用された。

 

10月15日、3rdアルバム『ロック・ミー・アマデウス』(Falco 3)をリリース。大ヒットシングル“ロック・ミー・アマデウス”を収録し、オーストリア1位・ドイツ2位・スイス1位・全米3位をマークした。本アルバムからは他に、"Vienna Calling"がオーストリア4位・ドイツ3位・全英10位・全米18位、"Jeanny"がオーストリア・ドイツ・スイス・ノルウェー・オランダで1位に達した。

 

 

 

 

1986年11月1日、4thアルバム『エモーショナル』(Emotional)をリリース、オーストリア1位・ドイツ1位。ここからのシングルは、"The Sound of Musik"がオーストリア4位・ドイツ4位、 "Coming Home (Jeanny Part 2)"がオーストリア4位・ドイツ1位・スイス3位・ノルウェー4位となった。

 

 

 

 

1987年、Brigitte Nielsenとのデュエット・シングル"Body Next to Body"をリリース、オーストリア6位を記録した。

 

 

1988年9月15日、5thアルバム『ウィーナー・ブラッド』(Wiener Blut)をリリース、オーストリア2位・ドイツ9位。ここからのシングルは、"Wiener Blut"がオーストリア4位・ドイツ9位をマーク。

 

 

1990年、6thアルバム『データ・デ・グルーヴ』(Data de Groove)をリリース、オーストリア5位。タイトル・トラック"Data de Groove"が、オーストリアで12位をマークした。

 

 

1992年、7thアルバム『Nachtflug』をリリース、オーストリア1位。ここから"タイタニック"(Titanic)がオーストリア3位・ドイツ47位、"Dance Mephisto"がオーストリア17位に達した。

 

 

 

 

1996年にドミニカ共和国に移住。

同年、"Mutter, der Mann mit dem Koks ist da"がオーストリア3位・ドイツ11位、 "Naked"がオーストリア4位を記録した。

 

 

 

1998年2月6日、ドミニカ共和国サント・ドミンゴ、プエルト・プラタのハイウェイにて、大型バスがファルコの運転する愛車(2代目パジェロ)に衝突。頭部に激しい損傷を負ったファルコは、プエルト・プラタ病院に運ばれたが、意識が戻ることなく息を引き取った。40歳没。41歳の誕生日を迎える2週間ほど前のことだった。

なお、検死結果では、血液中から高濃度のアルコールとコカインが検出された。遺体はオーストリアのウィーン中央墓地に埋葬されており、墓には『Nachtflug』のジャケットに使われた写真が飾られている。

 

 

1998年2月27日、死後約3週間後にアルバム『Out of the Dark (Into the Light)』をリリース。オーストリア1位・ドイツ3位・スイス4位。先行シングルの他に、ここからリカットされた"Out of the Dark"がオーストリア2位・ドイツ2位・スイス3位、"Egoist"がオーストリア6位・ドイツ4位をマークした。

 

 

 

 

1999年、アルバム『Verdammt wir leben noch』をリリース。オーストリア3位。生前に収録済みだった楽曲が含まれている。「ちくしょう、私たちはまだ生きている」という意味のアルバムタイトルは伝記映画のサブタイトルに使われている。

 

 

2000年にドイツ・ベルリンでミュージカル『Falco meets Amadeus』が初上演され、その後もドイツ語圏各地で上演されている。

 

 

2008年、没後10年となったこの年、最後のアルバム名をタイトルとした伝記映画『Falco - Verdammt wir leben noch!』が製作され、オーストリア、ドイツ、チェコにて公開(日本では未公開だが2010年にキュリオスコープより『ROCK ME AMADEUS - ファルコ 運命に翻弄されたスーパースター』のタイトルでDVD発売)。

2月2日、アルバム『Symphonic』がリリース、オーストリア1位。

 

 

2009年、アルバム『The Spirit Never Dies』がリリース。一緒に仕事をしたことがあるプロデューサーのレコーディングスタジオが浸水した際に発見された楽曲が収録された。オーストリア1位・ドイツ3位。ここからは、タイトル・トラック"The Spirit Never Dies (Jeanny Final)"がオーストリアで3位になった。

 

 

 

2010年10月、ヨーロッパ圏では代表作『Falco 3』の発売25周年を記念して、スペシャル・エディションがデジタルリマスター盤として再発売された。これは“ロック・ミー・アマデウス”が収録された通算3作目のアルバムで、日本盤のタイトルも『ロック・ミー・アマデウス』であった。

 

 

2017年2月17日、生誕60年を記念するコンピレーションアルバム『Falco 60』がリリース、オーストリア1位・ドイツ3位・スイス3位をマークした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ファルコ (ミュージシャン)」「Falco (musician)」

https://www.falco.at/

 

 

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