ナイジェル・ゴッドリッチ(Nigel Godrich/出生名:Nigel Timothy Godrich/1971年2月28日~)は、イギリス出身のプロデューサー / エンジニア、アトムス・フォー・ピースのメンバー。

 

 

 

1971年2月28日、ナイジェル・ティモシー・ゴドリッチは、ロンドンのウェストミンスターで、BBC のサウンド・スーパーバイザーであるビクター・ゴドリッチとブレンダ・ゴドリッチの息子として生まれた。

子どもの頃、彼がレコードを作るための機械を欲しがると、父親は息子にカセット マシンを買い与えた。ゴドリッチはそれを使って、テレビと電車のセットや、流水のレコードを作成した。

ゴッドリッチはロンドン北西部のウィリアム・エリス・スクールで教育を受け、クラスメイトのヘンリー・ビンズと友人となるが、彼は将来ゼロ7のメンバーとなり、ゴッドリッチと一緒に仕事をすることになる。

自身のバンドがワッピングのエレファント スタジオでデモを録音した時、初めてレコーディング スタジオを訪れたゴッドリッチは、まだ16歳だったが、エンジニアに質問することに時間を費やした。 

彼はロンドンのオーディオ エンジニアリング学校 (SAE) で学んだ。

 

SAE を卒業した後、ゴッドリッチはオーディオ ワン スタジオ コンプレックスのジュニア スタッフ メンバーになり、ティー ボーイとして働いた。彼はそこでの時間を楽しんでいませんでした。ゴッドリッチによれば、「ブザーをポケットに入れて、やかんの横で温かい飲み物を届ける準備ができているのを待っていました。私はスタジオに入ることさえ許可されていませんでしたが、 私はそこにぶら下がって、「OK、それは最初のラングにすぎませんが、少なくとも私ははしごに乗っています.」」

1990年、Audio One の閉鎖後、ゴッドリッチはロンドンの RAK Studios で、最初はメッセンジャーとして、後にスタジオ アシスタントとして働いた。彼は夜遅くまで滞在し、レコーディングの練習をしている間、ミュージシャンの友人をそこで演奏するように誘っていた。RAK で、彼はプロデューサーのジョン・レッキーのテープ・オペレーターになり、ライドとデニムのアルバムで一緒に仕事をした。

4 年後、ゴドリッチは RAK を離れてフリーランスになり、自身のスタジオ Shabang を立ち上げ、そこでダンス ミュージックの制作を計画した。

6 か月後、彼は McAlmont & Butler のデビュー アルバム『The Sound Of... McAlmont & Butler 』(1995年) のエンジニアとミキシングに起用された。ゴドリッチはそれが「素晴らしい経験」だったと語り、バーナード・バトラーが彼にレコードの作り方を教えてくれたと信じている。

 

 

ゴドリッチが最初にロック・バンド「レディオヘッド」(Radiohead)と仕事をしたのは、レッキーによってRAKで雇われ、彼らの1994年発表ののEP『My Iron Lung』と1995年リリースの2ndアルバム『ザ・ベンズ』 (The Bends) のエンジニアを務めた時であった。バンドは彼に「ニヒリスト」というあだ名をつけたが、サウンドを新しい方向に向かわせようとする彼の努力を認めていた。 レッキーが社交行事に出席するためにスタジオを離れた時、レディオヘッドとゴッドリッチはB面を録音するために滞在、1曲“Black Star”が代わりに『ザ・ベンズ』に収録された。

 


レディオヘッドは、ゴッドリッチに3rdアルバム『OK コンピューター』(OK Computer) を共同プロデュースするよう依頼、その結果、1997年に発売直後のメディア/プレスの評価自体は軒並み高く、本国イギリスでは初のアルバムチャート首位をマーク、同年の年間チャート8位を記録した。アメリカでは最高位21位ながら年明けには100位以内に復帰し、最終的には発売からちょうど1年後にビルボード37位まで再浮上するなど、最終的に55週チャートインするロングヒットになり、世界中で少なくとも780万枚ほど売り上げ、バンド史上最大のヒットとなった。第40回グラミー賞でベスト オルタナティヴ アルバムを受賞した。ゴッドリッチとバンドは、監督なしで即興のスタジオで作業を行いながら学び、オープンなプロセスがレコードの成功に貢献したと考えている。2013年、ゴドリッチは『ガーディアン』紙に次のように語った。「彼らのために離れて、私たちは一緒に、当時の私たち全員がどこにいたかを表す何かをしました。そして、それは何らかの理由で行き詰まった. 人々はそれを理解したので、それは私の人生を変えました。」

 

 

ゴッドリッチはそれ以来、すべてのレディオヘッドのスタジオ アルバムをプロデュースしている。

彼はまた、ライヴで6人目の人手が必要な際には楽器を演奏することもある。さらにゴッドリッチは、レディオヘッドの宣伝用資料に長年にわたり登場しているキャラクター「チーフテン・ミューズ」も演じている。こうしたことから、ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンが「5番目のビートル」と呼ばれているように、ゴッドリッチはしばしば、レディオヘッドの「6番目のメンバー」と称される。

 

 

1998年、ベック(Beck)のアルバム『Mutations』のプロデュースとミキシングを担当。

同年、R.E.M.のアルバム『Up』のミキシングを担当。

 

 

1999年、トラヴィス(Travis)の『The Man Who』のプロデューサー、ミキシングを担当。

 

同年、ペイヴメント(Pavement)のアルバム『Terror Twilight』をプロデュース。

 

 

2000年、レディオヘッドの『キッド A』(Kid A)のプロデューサー、エンジニア、ミキシングを担当。

 

 

2001年、U2の楽曲"Walk On"のリミックスを担当。

 

同年、レディオヘッドのアルバム『アムニージアック』(Amnesiac)のプロデューサー、ミキシングを担当。

 

 

2002年、ベックの『Sea Change』でプロデュース、エンジニアリング、ミキシングに加え、シンセサイザーやパーカッションなども担当。

 

 

2003年、レディオヘッドの6thアルバム『『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』(Hail To The Thief) でグラミー賞のベスト エンジニアド ノン クラシック アルバムを受賞している。

 

 

同年、Air & Alessandro Bariccoのアルバム『City Reading』のミキシングを担当。

 

 

2004年、Zero 7の『When It Falls』にギタリストなどとして参加。

同年、Band Aid 20として20年ぶりのリリースとなった"Do They Know It's Christmas?"をプロデュース。全英を始め欧州各国でナンバー1を獲得した。

 

同年、エール(Air)のアルバム『Talkie Walkie』にて、プロデュース、エンジニアリング、ミキシングを担当。

 

 

2005年、ポール・マッカートニーのアルバム『Chaos and Creation in the Backyard』にプロデュースと、ピアノやアコースティック・ギター等の楽器演奏でも参加。全英10位・全米6位。

 

 

 

2006年、トム・ヨークの1stソロ・アルバム『ジ・イレイザー』(The Eraser)もゴッドリッチがプロデュース、ミキシング、アレンジ、そして楽器演奏も担当。ツアーのために組んだバンドにも参加したが、これが「アトムス・フォー・ピース」(Atoms for Peace)として独立したプロジェクトとして活動することなる。ラインナップは、トム・ヨーク (Thom Yorke/Vo,G,Key,Prog)、レッチリのフリー (Flea/B,鍵盤ハーモニカ)、プロデューサー兼任のナイジェル・ゴッドリッチ (Nigel Godrich/Key,Prog)、ジョーイ・ワロンカー (Joey Waronker/Ds)、マウロ・レフォスコ (Mauro Refosco/Perc)。

 

 

同年、Zero 7のアルバム『The Garden』にアコースティックギターその他で参加。

 

同年、ベックのアルバム『The Information』にプロデュース、ミキシングに加え、様々な楽器演奏で参加。全米7位。

 

 

 

2007年、エールのアルバム『Pocket Symphony』のプロデュースを担当。

同年、トラヴィスのアルバム『The Boy With No Name』のプロデュースを担当。

 

この年発表されたレディオヘッドの7thアルバム『イン・レインボウズ』(In Rainbows)にゴッドリッチは当初かかわる予定はなかった。しかしバンドは、別のプロデューサーSpike Stent とのセッションが実を結ばなかったことが判明した後、結局ゴッドリッチを急遽参加させることとなった。結果、バンド初の全英・全米ともに1位を獲得。なお、レディオヘッドの作品において本作はゴッドリッチが単独でプロデューサーとしてクレジットされた最初のスタジオアルバムでもある。

 

 

 

2008年、アトムス・フォー・ピースのジョーイ・ワロンカーとコラボレーション・ユニット「ウルトライスタ」(Ultraísta) を結成。ユニット名は、スペインの文学運動のウルトラリズムに由来している。



2009年10月2日、アトムス・フォー・ピースがロサンゼルスにて初ライヴを行う。

 

 

2010年、ウルトライスタにローラ・ベッティンソン (Laura Bettinson/Vo,Synth)が加わり、3人組のバンドとなった。

同年、ホットラッツ(The Hotrats)のアルバム『Turn Ons』のプロデュース、エンジニアリング、ミキシング等を手掛ける。

 

 

2012年9月、アトムス・フォー・ピースのデビュー・シングル“Default”を発表。

 

10月2日、ウルトライスタの1stアルバム『ウルトライスタ』(Ultraísta)をTemporary Residenceからリリース。

 

 


2013年1月、アトムス・フォー・ピースはアルバムからの先行シングル“Judge Jury and Executioner”を解禁。

 

2月20日、アトムス・フォー・ピースのデビュー・アルバム『アモック』(AMOK)を発表。リリースに先立ってオフィシャルサイトで全曲のストリーミング公開を行った。バンドは2月22日にロンドンでライヴを行い、夏にはヨーロッパ・ツアーに出ることが明らかになった。

 

同年、ウルトライスタのリミックス・アルバム『Ultraísta Remixes』をリリース。

 

 

2014年、トム・ヨークの2ndソロ・アルバム『Tomorrow's Modern Boxes』をプロデュース、作曲でも貢献した。

 

 

2016年、自分の父親が亡くなった時、ゴッドリッチはレディオヘッドの9thアルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』(A Moon Shaped Pool)のレコーディング中であった。ゴドリッチは次のように書いている。
「このアルバムを作ることは、私にとって非常に強烈な経験でした。私はその過程で父を亡くしました。そのため、私の魂の大きな部分がここに良い方法で住んでいます。」

 

同年、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(Red Hot Chili Peppers)のアルバム『The Getaway』のミキシングを担当。

 

 

2019年、トム・ヨークのソロ・アルバム『Anima』をプロデュース、曲作りでも参加した。

 

 

2020年、ウルトライスタ8年ぶりの2ndアルバム『シスター』(Sister)をPartisanからリリース。

 

 

 

 

2022年、Arcade Fireのアルバム『We』をプロデュース。

 

同年、The Smileのアルバム『A Light for Attracting Attention』のプロデュースと、作曲でも参加。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ナイジェル・ゴッドリッチ」「Nigel Godrich」「レディオヘッド」

 

 

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