並木栄子・並木葉子(出生名:長内栄子[姉:栄子]・長内敏子[妹:葉子]/1938年2月16日~)は、日本の双子演歌歌手。ともに「こまどり姉妹」の一員。

 

 

 

1938年2月16日、北海道厚岸郡厚岸町で炭鉱労働者をしている父親の元、一卵性双生児として、長内栄子が姉、長内敏子が妹として生まれた。

 

その後、家族は樺太へ渡り、第二次世界大戦の敗戦まで姉妹は当地で育つ。

 

第二次世界大戦後は、極貧生活の中、帯広市や釧路市の炭坑町を転々とし、小樽市の銭函(ぜにばこ/古文書では「錢凾」)でついに家賃が払えなくなり夜逃げをする。

移り住んだ釧路市の大楽毛(おたのしけ)で、姉妹は日銭を稼ぐために門付(かどづけ/日本の大道芸の一種で、門口に立ち行い金品を受け取る形式の芸能の総称)を始めた。

 

1951年、一家で上京。東京都山谷の木賃宿に住み、父親に連れられ、三味線を片手に台東区浅草の飲食街を流すようになる。

これが評判を呼び、姉妹はスカウトを受ける。

 

 

1959年、コロムビアに入社。作曲家・遠藤実に師事。

10月15日、“浅草姉妹”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)でデビュー。デビュー曲は当初“三味線姉妹”になるはずだったが、2人の声と歌い方に合うという理由で“浅草姉妹”に変更された。なお“浅草姉妹”は本来村田英雄のために書かれた曲で、歌詞の主人公を男性から女性に変更した上で姉妹のデビュー曲となった。

 

また、デビュー当時の芸名は、本名に由来する「並木姉妹」で、レコードジャケットでの表記は「並木栄子 並木葉子」)だったが、まもなく新たな芸名を一般公募、2人の意思で「こまどり姉妹」が選ばれた。愛称は「演歌版ザ・ピーナッツ」。同じ双子のザ・ピーナッツとは、歌謡ジャンルが違っていたものの、公私ともに交流が盛んであった。

11月15日、シングル“三味線姉妹”(作詞・曲:遠藤実)を発売。

 


1960年2月、島倉千代子の“炭鉱の子守唄”のカップリングとして、“とんがりお山”(作詞:西沢爽/作曲:遠藤実)を発表。

 

3月、“おけさ数え唄”(作詞:西沢爽/作曲:遠藤実)発売、小林旭“ダンチョネ節”のカップリング。

※映像の音源は小林旭との共演による“おけさ数え唄”。

 

11月、“船頭姉妹”(作詞:石川テル/作曲:遠藤実)発売。B面“湯の町姉妹”。

同年、ザ・ピーナッツが『こまどりジョッキー』という番組の構成、出演を行っている。ただし、こまどり姉妹の方がザ・ピーナッツより3歳上である。

なお、デビュー直後の地方公演のステージでグループサウンズ全勢前のジャッキー吉川とブルーコメッツがバックバンドを務めていた。

 

 

1961年2月20日、“浅草の鳩ポッポ”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)を発売。B面“さよなら棧橋”。

 

4月20日、“ソーラン渡り鳥”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)を発売。B面“おはら西郷さん”。

 

7月20日、“姉妹酒場”(作詞:石本美由起/作曲:船村徹)を発売。

 

12月31日、全国的な人気を得て、『第12回NHK紅白歌合戦』に“姉妹酒場”で初出場。ザ・ピーナッツに次いで紅白史上2組目の兄弟・姉妹での出場となった。紅白歌合戦にはこの年から7年連続で出場している。

 

 

1962年2月、“連絡船の出る港”(作詞:石本美由起/作曲:古賀政男)発売、林厚夫“おばこさよなら元気でナ”をB面に収録したスプリット・シングル。

3月、“涙の日の丸小旗”(作詞:石本美由起/作曲:古賀政男)発売。

6月20日、“おけさ渡り鳥”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)発売。B面“未練ごころ”(作詞:西沢爽/作曲:遠藤実)。

 

 

12月31日、『第13回NHK紅白歌合戦』に2年連続2回目の出場を果たし、“未練ごころ”を披露した。

 

 

1963年1月20日、“りんごっ子三味線”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)発売。

 

4月20日、“帯広の町よさようなら”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)発売。B面“ふたりぽっち”。

 

同年、“霧笛の街”(作詞:星野哲郎/作曲:遠藤実)発売。B面“歌は心で唄うもの”。

 

9月20日、“浮草三味線”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)を発売、カップリングの“涙のラーメン”(作詞・曲:遠藤実)もヒット。

 

12月31日、『第14回NHK紅白歌合戦』に3年連続3回目の出場、“浮草三味線”を歌唱した。

 

 

1964年9月、“祇園エレジー”(作詞:不詳/作曲:陸奥明)発売。B面“常連さん”。

 

9月、“女の恋”(作詞:西沢爽/作曲:安藤実親)発売。B面“曾我兄弟”。

 

12月31日、『第15回NHK紅白歌合戦』に4年連続4回目の出場、“女の恋”を披露。

 

 

1965年3月、“アリューシャン小唄”(作詞・曲:不肖)発売。B面は“泣くな裏町”。

7月、“アリラン波止場/こんな女になりました”発売。

11月、“恋に拍手を”(作詞:関沢新一/作曲:安藤実親)発売。B面“ひらがな便り”。


同年、“南国哀歌”(作詞:大矢弘子/作曲:塩瀬重雄)を発売。B面“山地恋しや”。

 

同年、“かんにんえ”(作詞:西沢爽/作曲:上原げんと)を発売。

12月31日、『第16回NHK紅白歌合戦』に5年連続5回目の出場、“恋に拍手を”を披露した。

 


1966年5月8日、人気絶頂のこまどり姉妹が鳥取県倉吉市で公演中に突然、18歳の男が舞台に駆け上り、葉子を刃物で刺した。この男は栄子のファンで、結婚を望んでいたが応じてもらえなかったので、無理心中を図ったというものであったが、刺されたのは葉子だった。葉子は腹部を刺され重傷を負ったが一命を取り止め、しばらくして舞台に復帰した。

6月、“なにわ盆唄”(作詞:矢野兼一/補詞:西沢爽/作曲:和田香苗)を、村田英雄“万国博音頭”のカップリングで発表。

 

7月30日、“幸せになりたい”(作詞:石本美由起/作曲:和田香苗)を発売。B面は“おんなの旅路”。

 

12月31日、『第17回NHK紅白歌合戦』に6年連続6回目の出場、“幸せになりたい”を披露した。

 

 

1967年3月、“三味線渡り鳥”(作詞:石本美由起/作曲:和田香苗)発売。B面は“ツーレロ恋唄”。

 

12月31日、『第18回NHK紅白歌合戦』に7年連続7回目の出場、“三味線渡り鳥”を披露した。

 

 

1969年、歌手生活10周年シングル“石狩川”(作詞:いではく/作曲:遠藤実)を発売。

 

 

しかし、その後の父母の死、葉子のガン、葉子の大怪我、栄子の交通事故、ブレーンの脱税問題などの不幸が相次ぐ。

 

 

1973年、大きな借金を抱えたまま、一時芸能界から引退。

 

 

1976年、『思い出のメロディー』へ出演した他、時折懐メロ番組出演するなど、徐々に活動を再開した。

 

 

1984年8月、久々の新曲“浪花節だよ人生は”(作詞:藤田まさと/作曲:四方章人)のカヴァーで再スタートを切った。カップリングは“浅草しぐれ”。“浪花節だよ人生は”は歌手16人、レコード会社13社による競作で、1984年に人気が最高潮に達した。同年大晦日の第26回日本レコード大賞では細川たかしが最優秀歌唱賞、木村友衛が特別賞を受賞し、同日の第35回NHK紅白歌合戦では水前寺清子と細川による同曲対決が行われた。

 

 

1996年10月19日、“二度目の春を信じます”(作詞:石本美由起/作曲:遠藤実)発売。カップリングは“あの頃に帰りたい”。

 

 

2008年、第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。

 

 

2009年、片岡英子監督によるドキュメンタリー映画『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』が公開された。

 

同年、CD2枚組ベスト・アルバム『決定盤 こまどり姉妹 大全集』を発売。

 

 

2013年12月31日、テレビ東京『第46回年忘れにっぽんの歌』に出演。

 

 

2014年3月19日、デビュー55周年を記念し、デビュー10周年時のアルバム『こまどり物語』を復刻発売。

 

同時に、18年ぶりの新曲“こまどりのラーメン渡り鳥”(作詞・曲:オオガタミヅオ)を発売。表題曲は、1963年のヒット曲“涙のラーメン”を彷彿とさせる、北から南へ各地のラーメンをテーマにした覚えやすい作品。カップリングには、コミカルで楽しい楽曲“こまどりサンバ”を、ボーナス・トラックとして“涙のラーメン”他のリミックス・ヴァージョンを収録。

 

 

同年、ベスト・アルバム『こまどり姉妹 プレミアム・ベスト 2014』を発売。代表曲に加え、新曲“こまどりのラーメン渡り鳥”と“こまどりサンバ~幸せになりました~”を含む12曲を収録した、手軽な一枚。

 

 

2015年7月17日、TBSテレビ『爆報! THE フライデー』では齢80を越えた初代コロムビア・ローズと鎌倉で葉山牛を堪能している模様が放送された。

その後も現役の歌手として芸能活動を続けている。

 

 

2019年にはデビュー60周年を迎えた。

 

 

2024年、デビュー65周年を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「こまどり姉妹」

 

 

 

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