アンディ・ウィリアムス(Andy Williams/出生名:Howard Andrew Williams/ 1927年12月3日~2012年9月25日)は、アメリカ合衆国のポピュラー歌手。

 

 

 

1927年12月3日、ハワード・アンドリュー・ウィリアムスは、アメリカ合衆国アイオワ州サク郡ウォールレイク(Wall Lake, Iowa)で生まれる。

ウィリアムズには、長男ボブを筆頭に、ドン、ディックという3人の兄がいた。

 

彼の最初の演奏は地元の長老派教会の児童合唱団であった。

 

1938年後半、ウィリアムスは3人の兄とともに、4人組の「ウィリアムズ・ブラザーズ」(the Williams Brothers or the Williams Brothers Quartet)を結成し、中西部のラジオ局に出演、最初はアイオワ州デモインのWHOで、その後シカゴのWLSとシンシナティのWLWで演奏した。

 

オハイオ州チェビオットに住んでいた間、ウィリアムスは同州シンシナティのウェスタンヒルズ高校に通っていた。

家族がカリフォルニアに引っ越したため、彼はウェストロサンゼルスのユニバーシティ高校に移り、卒業した。


1943年、ウィリアムズ・ブラザーズは、ロサンゼルスに拠点を移した。

 

1944年、ビング・クロスビー(Bing Crosby/1903年5月3日-1977年10月14日)のバックで兄弟が歌った“スウィンギング・オン・ア・スター” (Swinging on a Star)が全米1位、翌年には豪州でもチャート1位を獲得する大ヒット。

 

同年、彼らは、『ジャニー』、『カンザスシティ・キティ』と2つのミュージカル映画に出演した。

17歳の時、ウィリアムスは米国商船に入社、第二次世界大戦が終わるまで勤務した。

 

1945年、ウィリアムズ・ブラザーズは『アンカーズ・アウェイ』と『ジーグフェルド・フォリーズ』に出演するためにメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と契約したが、兄弟がカメラの前に立つ前に、長兄のボブが兵役に徴兵され、グループの契約はキャンセルされた。

 

元ラジオ・スターでMGMのヴォーカル部門責任者に転身していたケイ・トンプソン(Kay Thompson/1909年11月9日–1998年7月2日)は才能に敏感で、残りのウィリアムズ兄弟3人を雇い、合唱団としてMGM映画の多くのサウンドトラックで歌わせた。その中には『ハーベイ・ガールズ』(1946年)も含まれる。

 

1947年、ボブが兵役を終えると、ケイは4人の兄弟全員を改めて雇い、『グッド・ニュース』のサウンドトラックで歌わせた。

同年、ミュージカル映画『サムシング・イン・ザ・ウィンド』、『レディース・マン』に出演した。

しかし、ケイはMGMの裏方として働くことに辟易し、ウィリアムズ家の少年たち4人をバックシンガー兼ダンサーとして従え、ナイトクラブ・アクト「ケイ・トンプソン・アンド・ザ・ウィリアムズ・ブラザーズ」(Kay Thompson and the Williams Brothers)を結成。

同年、ラスベガスでデビューし、一夜にしてセンセーションを巻き起こした。

1年も経たないうちに、彼らは世界で最も高収入のナイトクラブ アクトとなり、どこに出演しても記録を更新した。
ウィリアムズは回想録『ムーン・リバー・アンド・ミー』の中で、トンプソンと年齢差(彼は当時19歳、彼女は38歳)にもかかわらず、ツアー中にロマンチックな関係になったと明かしている。

 

1949年、バンドは解散した。

 

1951年秋から1953年夏にかけて再び結成し、大成功を収めたツアーを行った。

その後、4人の兄弟はそれぞれ別々の道を歩んだ。両ツアーの完全な旅程はケイ・トンプソンの伝記ウェブサイトに掲載されている。

ウィリアムズとトンプソンは公私ともに非常に親密な関係を保っていた。

 

 

1952年、トンプソンはウィリアムスのソロ歌手スターとしての出現を手引きした。彼女は若いシンガーを指導し、編曲を書き、彼が録音した多くの曲を作曲した。その中には彼の1958年のトップ20ヒット曲“プロミス・ミー・ラヴ”や、その後の1964年の『ナンバーワン・アンディ・ウィリアムズ・クリスマス・アルバム』収録の“ケイ・トンプソンのジングルベル”も含まれる。

同年、ソロ・シンガーとして独立したウィリアムスは、テレビ番組『Tonight Starring Steve Allen』(1952-1955年)にレギュラー出演。これもトンプソンの業界人脈を利用した支援のお陰だった。このシリーズのプロデューサーであるビル・ハーバックがケイの元副官だったことも助けになった。

一方、ウィリアムズは、ニューヨークのプラザホテルに住むいたずら好きな少女についての彼女のベストセラー本を原作としたトップ40ヒット曲“エロイーズ”を含む、1950年代を通じてトンプソンの多くのレコーディングでバックを歌った。

 

 

1955年にはケイデンス・レコードと契約。トンプソンは、ウィリアムズのレコーディング契約を結ぶ手配をし、ケイデンス・レコードのオーナー、アーチー・ブライヤーはケイのおかげでキャリア初期にブレイクしており、彼女に「借り」があった。

 

 

1956年、アルバム『Andy Williams Sings Steve Allen』をリリース。

同年、シングル“カナダの夕陽” (Canadian Sunset)をリリース、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)7位をマークした。

 

 

1957年、シングル“バタフライ” (Butterfly)をリリース、自身初の全米1位・全英1位をマークした。

 

 

1958年、アルバム『Andy Williams Sings Rodgers and Hammerstein』をリリース。

同年の主なシングルは、“本気なのかい” (Are You Sincere?) が全米3位、トンプソン作の“プロミス・ミー・ラヴ”(Promise Me, Love)が全米17位になった。

 

 

 

1959年、アルバム『Two Time Winners』 をリリース、ここからカットした“ハワイの結婚の歌” (Hawaiian Wedding Song) が全米11位になった。

 

同年、アルバム『トゥ・ユー・スウィートハート、アロハ』(To You Sweetheart, Aloha) ※旧邦題『キラウエアの宵』をリリース。
同年、『Lonely Street』をリリース、『ビルボード』誌「Biiboard 200」(以下「全米」)38位、ここからタイトル・トラック、“ロンリー・ストリート” (Lonely Street)が全米5位に入った。

 

 

1960年3月、アルバム『The Village of St. Bernadette』をリリース、ここから先行リリースしたタイトル・トラック“聖ベルナデッドの村” (The Village of St. Bernadette) が全米7位になった。

 

同年、アルバム『Under Paris Skies』をリリース。

 

 

1962年1月、『ダニー・ボーイ』(Danny Boy and Other Songs I Love to Sing)をリリース、全米19位。ここからカットした“ダニー・ボーイ” (Danny Boy)が全米64位になった。

 

3月26日、『ムーン・リバー』(Moon River and Other Great Movie Themes) ※旧邦題『ムーン・リバーと映画主題曲集』をリリース、全米3位。ここからは、タイトル・トラック“ムーン・リバー”(Moon River)がヒットした。映画『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany’s)主題歌。劇中ではオードリー・ヘプバーンが歌唱しているが、一般によく知られているのはアンディ・ウィリアムスのバージョンである。映画サントラよりも彼のカヴァーの方が有名な主題歌としては、他に“モア”、“酒とバラの日々”、“シャレード”などがある。

 

 

同年、アルバム『Million Seller Songs』をリリース。
同年、シングル“白い渚のブルース” (Stranger on the Shore) が全米38位になった。

 

同年、“夏の日の恋”(Theme from A Summer Place)を発表。映画『避暑地の出来事』(A Summer Place)のテーマ。

 

同年、“慕情” (Love Is A Many Splendored Thing)がヒット。

 


1963年4月、『酒とバラの日々』(Days of Wine and Roses and Other TV Requests)をリリース、全米1位・全英16位。ここからは、“もう離さない” (Can't Get Used to Losing You) が全米2位・全英2位、“酒とバラの日々”(Days of Wine and Roses)が全米26位になった。

 

 

同年、シングル“ホープレス” (Hopeless)をリリース、全米13位に入った。

 

10月14日、クリスマス・アルバム『アンディ・ウィリアムス・クリスマス・アルバム』(The Andy Williams Christmas Album)をリリース、全米14位・『ビルボード』誌の「クリスマス・アルバム」(以下「クリスマス」)1位をマーク。“ホワイト・クリスマス” (White Christmas)や"It's the Most Wonderful Time of the Year"等のスタンダードや“ケイ・トンプソンのジングルベル”(Kay Thompson's Jingle Bells)といった新作のクリスマス・ナンバーを収録。中でも"It's the Most Wonderful Time of the Year"は2010年代になってなお、クリスマスの時期が近づくと世界各国のチャートで上位にランクイン、特に米国では2018年から2022年まで毎年全米トップ10にチャート・インしている。

 

 

 

 

1964年1月、アルバム『アンディの素敵な世界』(The Wonderful World of Andy Williams)をリリース、全米9位。

 

同年春、『アンディ・ウィリアムス・スクリーン・ヒット』(The Academy Award-Winning "Call Me Irresponsible" and Other Hit Songs from the Movies) ※旧邦題『パパは王様』をリリース、全米5位。ここから、“君住む街角”(On the Street Where You Live)が全米28位、“恋はのりおくれ” (A Fool Never Learns) が全米13位、“シャレード” (Charade) が全米100位になった。

 

 

 

9月、『マイ・フェア・レディとミュージカル集』(The Great Songs from "My Fair Lady" and Other Broadway Hits)をリリース、全米5位。
同年、イタリア映画『世界残酷物語』(原題:Mondo Cane/米題:A Dog's World)主題歌“モア”(More)をカヴァー。

 

 

1965年春、『ディア・ハート』(Andy Williams' Dear Heart)をリリース、全米4位・全英4位。ここから、"Dear Heart"が全米24位になった。

 

10月18日、クリスマス・アルバム『Merry Christmas」を発売、クリスマス1位、RIAAプラチナ認定。

 

同年、シングル“そしてバラが” (...and Roses and Roses)をリリース、全米36位・AC4位をマーク。B面収録の“ブルーレディに紅いバラ” (Red Roses for a Blue Lady)は日本で独自にヒットした。

 

 

 

1966年4月、アルバム『いそしぎ』(The Shadow of Your Smile) ※旧邦題『ニュー・スタンダード・アルバム』をリリース、全米6位・全英24位。ここから、タイトル・トラック“いそしぎ” (The Shadow of Your Smile)が全米49位・『ビルボード』誌「アダルト・コンテンポラリー」チャート(以下「AC」)1位に入った。

 

12月19日、アルバム『男と女』(In the Arms of Love)をリリース、全米21位。
同年、ビートルズの大ヒット曲“イエスタデイ” (Yesterday)、“ミッシェル” (Michelle)をカヴァー。

 

 

 

1967年4月10日、アルバム『野生のエルザ』(Born Free)をリリース、全米5位・全英22位。ここからは、“恋はリズムにのせて” (Music to Watch Girls By) が全米34位・AC2位・全英33位に入った。

 

10月16日、アルバム『ラブ、アンディ』(Love, Andy)をリリース、全米8位・全英1位。ここからは、"Holly"がAC4位、“君の瞳に恋してる”(Can't Take My Eyes Off You)のカヴァーが全英5位を記録した。

 

 

 

1968年、アルバム『アンディ、スカボロー・フェアを歌う』(Honey)をリリース、全米9位・全英4位。
同年、シングル“リパブリック讃歌” (The Battle Hymn of the Republic)が全米33位・AC11位。

 

同年、シングル"Sweet Memories"がAC4位になった。

 


1969年、アルバム『ハッピー・ハート』(Happy Heart)をリリース。タイトル・トラック“ハッピー・ハート” (Happy Heart) が全米22位・AC1位をマークした。

 

同年、アルバム『アンディーと歌おう/ゲット・トゥゲザー』(Get Together with Andy Williams)をリリース。

同年、"A Woman's Way"をリリース、全米109位・AC4位。

 

同年、味の素のCMに出演。CMへの出演交渉は難航したが、最終的に日本万国博覧会(大阪万博)公演への出演との引き換えに承諾したという。CM出演時のギャラは1年間で4万ドル(当時のレートで1440万円)だったとされる。CMソング“マイ・ファミリー 味の素”も歌唱。当時は市販されず、ピクチャーEPが景品として配布されたのみであった。2007年1月17日に初CD化され、ようやく市販された。

 

 

1970年、アルバム『雨にぬれても』(Raindrops Keep Fallin' on My Head)をリリース。
同年、アルバム『アンディ・ウィリアムス・ショー』(The Andy Williams Show)をリリース。

同年、コンピレーション・アルバム『Andy Williams' Greatest Hits』をリリース、全米42位・全英1位、RIAAゴールド。

同年、シングル"Can't Help Falling in Love"をリリース、全英3位。

 

 

1971年2月3日、アルバム『ある愛の詩』(Love Story)をリリース、全米3位・全英1位、RIAAプラチナ。ここから、“ある愛の詩” ([Where Do I Begin?] Love Story)が全米9位・AC1位・全英4位をマーク。

 

8月、アルバム『君の友だち』(You've Got a Friend)をリリース、全米54位。

同年、“マイ・スウィート・ロード” (My Sweet Lord)でビートルズをカヴァー。

 

 

1972年3月21日、アルバム『ゴッドファーザーの愛のテーマ』(Love Theme from "The Godfather")をリリース、全米29位・全英11位。ここから、“ゴッドファーザーの愛のテーマ”(Speak Softly Love [Love Theme from The Godfather])が全米34位・AC7位・全英42位をマーク。

 

9月、アルバム『アローン・アゲイン』(Alone Again [Naturally])をリリース、全米86位。

 

 

1973年、アルバム『新しい出発 (たびだち)』(Solitaire)をリリース。ここからは“ソリテアー”(Solitaire)が全英4位をマークした。

 

 

1974年、アルバム『追憶』(The Way We Were)をリリース。ここから、"Love's Theme"がAC16位になった。

 

同年、アルバム『クリスマス・プレゼント』(Christmas Present)をリリース。
同年、アルバム『歌にたくして』(You Lay So Easy on My Mind)をリリース。

 

 

1975年、アルバム『愛ある限り』(The Other Side of Me)をリリース。ここから、"Sad Eyes"がAC11位、"The Other Side of Me"が全英42位になった。

 

 

 

1976年、アルバム『アンディより愛をこめて』(Andy)をリリース。

同年、シングル"Tell It Like It Is"がAC17位になった。

 

 

1980年、アルバム『Let's Love While We Can』を発売。これがコロムビアからの最後のリリースとなった。
 

 

1984年、アルバム『ラヴ・クラシックス』(Greatest Love Classics)をリリース。

 

 

1986年、アルバム『クロース・イナフ・フォー・ラヴ』(Close Enough for Love)をリリース。

 

 

1990年、アルバム『アンディ・ウィリアムスのクリスマス』(I Still Believe in Santa Claus)をリリース。

 

 

1991年、アルバム『Nashville』をリリース。

同年、『第42回NHK紅白歌合戦』に出場した。

 

 

1992年、自身の劇場がオープン。

 

 

1995年、アルバム『We Need a Little Christmas』をリリース。

 

 

1999年、“恋はリズムに乗せて”(Music to Watch Girls By)がイギリスで車のCMに使用され、全英9位のヒットになった。

 

 

2007年、アルバム『I Don't Remember Ever Growing Up』をリリース。

 

 

晩年は膀胱癌を患う。

 

 

2012年9月25日、アンディ・ウィリアムスことハワード・アンドリュー・ウィリアムスが死去。84歳没。

 

アンディの死後、彼が建てた劇場は「Andy Williams Peforming Arts Center」と名前を変えて演奏会場として利用されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アンディ・ウィリアムス」「Andy Williams」

 

 

(関連記事)