エルモア・ジェームス(Elmore James/出生名:Elmore Brooks/1918年1月27日~1963年5月24日)は、アメリカ合衆国のブルーズ・ギタリスト、シンガー、ソングライター、バンドリーダー。

 

 

 

1918年1月27日、エルモア・ブルックスは、アメリカ合衆国ミシシッピ州ホームズ郡リッチランド(Richland, Holmes County, Mississippi)で、野良仕事で生計を立てていた母親は当時まだ15歳のレオラ・ブルックス(Leola Brooks)で、私生児として生まれる。彼の実の父親は恐らくレオラと一緒に引っ越してきたジョー・ウィリー・「フロスト」・ジェームズ(Joe Willie "Frost" James)であり、エルモアは後にジェームズ姓を選んだ。

 

12歳の時、ジェームズは、小屋の壁に張られたシンプルな1弦楽器 (ディドリー・ボウ[diddley bow]、またはジッターバグ[jitterbug]) を使って音楽を作り始めた。

 

 

10代の頃から、「クリーンヘッド」(Cleanhead)や、「ジョー・ウィリー・ジェームス」(Joe Willie James)といった名前でダンス・パーティーに出演するなど、音楽活動を始める。

影響を受けたのは、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)、ココモ・アーノルド(Kokomo Arnold)、タンパ・レッド(ampa Red)などだった。

自身はサニー・ボーイ・ウィリアムソンII(Sonny Boy Williamson II)、ハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)らと共演した。さらに、ロバート・ジョンソンにギターの手ほどきを受けたとも言われる。

 

 

ジェームズはタンパ・レッドの曲をいくつか録音した。 彼はまた、タンパ・レッドのバンドから、2人のミュージシャン、「リトル」ジョニー・ジョーンズ (Pf) とオーディ・ペイン (Ds) を継承し、後に彼自身のバッキング・バンドであるブルーム・ダスターズのメンバーとした。

 


1930年代後半、ジェームズはサニー・ボーイ・ウィリアムソン II とともに働いた。


第二次世界大戦中、ジェームズはアメリカ海軍に従軍、コックスウェインに昇進し、グアム侵攻に参加した。

 


除隊後、ジェームズはミシシッピ州中部に戻り、養子の兄弟ロバート・ホルストン(Robert Holston)とともにカントン(Canton)の町に定住した。

 


1951年1月、ジャクソンに程近い場所にあったトランペット・レコード(Trumpet Records)でレコーディングを開始し、最初はサニー ボーイ・ウィリアムソン II のサイドマンとして、また彼らの共通の友人であるウィリー・ラブ (Willie Love) や他のメンバーのためにレコーディングを行った。
8月、ジェームズは、一説によるとロバート・ジョンソンから直接教わったとも言われる"I Believe I'll Dust My Broom"のタイトルを変えてカヴァーした“ダスト・マイ・ブルーム”(Dust My Broom)をセッション・リーダーとしてレコーディングし、デビューを果たした。ジェームズののバックミュージシャンは「ブルーム・ダスターズ」(the Broomdusters)として知られるようになった。

 

“ダスト・マイ・ブルーム”は翌1952年に米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の「Rhythm and Blues」チャート(以下「R&B」)で9位と驚異的なヒットとなり、後に数多くのブルーズ・ロックのミュージシャンによって、アルバムやライヴ演奏でカヴァーされることになる。曲の冒頭で聴かれるワイルドな3連スライド・ギターリフは、元々はロバート・ジョンソンらがやっていたものだったが、ジョンソンがアコースティックであったのに対して、エレクトリック・ギターでこの技巧を用いたのはジェームズが最初とされ、曲名から「ブルーム調」とも呼ばれるようになり、他のブルーズ・ナンバーにも駆使された。

また、ドゥーワップ・ミュージシャンのジェシー・ストーンズの曲“Down in the Alley”でも多少変化させたリフが借用されている。なお、エルヴィス・プレスリーは、この“Down in the Alley”をレコーディングしている。


ジェームズはトランペット・レコードとの契約を破り、スカウトのアイク・ターナー(Ike Turner)を通してビハリ・ブラザーズ(the Bihari brothers)と契約した。

 

 

1952年、シングル“I Believe”をリリースし、1年後にR&B9位とヒットした。

 

 

1950年代、ジェームズはビハリ・ブラザーズのフレア・レコード、メテオ・レコード、モダン・レコードで録音を行った。彼はまた、チェス・レコード(Chess Records) と、Mel London の Chief Recordsでも録音した。


 

1954年、ビッグ・ジョー・ターナー(Big Joe Turner)の曲“TV Mama”で、ジェームズはリード・ギターを演奏、R&B6位をマークした。

 

同年、シングル"Standing at the Crossroads"、ジョンソン直伝の"Standing at the Crossroads" 等をリリース。

 

 

 

1955年、シングル"Dust My Blues"をリリース。“ダスト・マイ・ブルーム”(Dust My Broom)のタイトルを変えて録音したトラック。

 

 

1957年、シングル"It Hurts Me Too"をリリース。だが、この時はチャートにこの曲が顔を出すことはなかった。

 


1959年、ボビー・ロビンソンのファイヤー・レコーズ(Fire Records)からレコーディングを開始した。

 

 

1960年、コンピレーション・アルバム『ブルース・アフター・アワーズ』(Blues After Hours)をクラウン・レコードからリリース。本作は1954・1955年に録音した音源を収録したもので、1959・1960年録音のものを集めたコンピレーション第二弾も企画されていたが実現はされなかった。このため、本作『ブルース・アフター・アワーズ』が生前にジェームズがリリースした唯一のLPレコードとなった。“Dust My Blues”等を収録。

 

同年、シングル“スカイ・イズ・クライング”(The Sky Is Crying)をリリース、R&B15位を記録した。

 

同年のシングルは他に、“I Can't Hold Out”、"Rollin' and Tumblin'"、“ダン・サムバディ・ロング”(Done Somebody Wrong)などをリリース。

 

 

 

 

 

1961年、シングル“シェイク・ユア・マネーメーカー”(Shake Your Moneymaker)を、B面に“ルック・オン・ヨンダー・ウォール”(Look on Yonder Wall)を収録してリリース。

 

 

 

1962年、シングル“ストレンジャー・ブルース”(Stranger Blues)をリリース。

 


1963年5月24日、エルモア・ジェームズは、心臓発作により、シカゴの地で急逝した。45歳没。アメリカのアフリカ系ミュージシャンをヨーロッパに紹介するため前年に始まった「アメリカン・フォーク・ブルーズ・フェスティバル」(American Folk Blues Festival)でこの年欧州をツアーしようとしていた矢先の出来事だった。


ジェームズはミシシッピ州エベニーザーのニューポート・バプテスト教会墓地に埋葬された。Capricorn Records の Phil Walden は、ジェームズの墓に用いる花崗岩の墓石のための資金を集めた。
「キング・オブ・ザ・スライド・ギター」(King of the Slide Guitar)と書かれた墓石には、ギターを弾くジェームズのブロンズ・レリーフが飾られた。
それは、1992年にザイオン山記念基金が主催した奉献式で明らかにされた。

 

 

1965年、ジェームズの死から2年の時を経て、"It Hurts Me Too"がシングルとして1957年以来の再リリース。『ビルボード』誌「the Hot Rhythm & Blues Singles chart」で25位に入った。

この年、他にシングル“マイ・ブリーディング・ハート”(My Bleeding Heart)、"One Way Out"といったトラックが既発売の曲とのカップリングなどで発売された。

 

 

同年、コンピレーションアルバム『The Sky Is Crying』がリリース。

 

 

1969年、ジョン・ブリム(John Brim)とのスプリット盤『Whose Muddy Shoes』がリリース。

 


1975年、コンピレーションアルバム『Street Talkin'』がリリース。

 

 

1992年、ジェームズは死後30年経って、「アーリー インフルエンス」の殿堂入り者としてロックの殿堂入りを果たした。

 

 

2012 年、彼はエベニーザーのミシシッピ ブルース トレイルでマーカーを授与された。

 

 

 

 

エルモア・ジェームズの音源を集めたものに、CD3枚組の『Elmore James The Ultimate Collection』がある。


さらに、CD6枚組のボックスセット『Big Box Of Elmore James』もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「エルモア・ジェームス」「Elmore James」

 

 

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