山下 達郎(やました たつろう/1953年2月4日~)は、日本のシンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー。

 

 

 

1953年2月4日、山下達郎は池袋駅西口界隈で居酒屋経営の両親の下に生まれ、一人っ子として育つ。飲食業を嫌がる母の希望もあり、達郎の誕生を機に父親は転業を決意、元々電気職工であった祖父が経営し倒産した工場を引き継ぐ形で再興を図った。

 

1957年7月、景気が急速に冷え込み、なべ底不況(57年不況)が到来、1954年からの神武景気を当て込んだ山下家の工場はその煽りを受けて倒産。不況は1958(昭和33)年6月まで続くので、倒産したのはこの間と思われる。山下家は池袋のアパートに転居、両親は共働きとなり、達郎はカギっ子として生活することになった。

 

1959年4月1日、豊島区立池袋第五小学校(現:豊島区立池袋小学校)に入学。小学生時代の達郎は宇宙と読書が大好きな典型的優等生で、児童会役員にも選出された。
 

1964年、小学6年生の時、音楽教師に勧められクラブとマーチングバンドに所属し、太鼓を担当。楽器に興味を持ったが、音楽そのものに関してはそれ程でもなかった。
 

1965年4月1日、豊島区立高田中学校(現:豊島区立千登世橋中学校)へ入学、ブラスバンド部で小太鼓を担当。以降中高6年間をブラバン部員として打楽器を演奏した。

この頃ウクレレを買ってもらったのを機にギターにも興味を持ち独学で練習を開始。

また、友人の影響でベンチャーズを手始めに洋楽を聴くようになり、熱心なトップ40リスナーになった。ベンチャーズの公演プログラムの曲目リストを見て、自分の好きな曲が特定作家の作品であったことを知り、ポップスを系統立てて聴くようになる。
 

1966年1月末、山下家は練馬区平和台へ転居、商売を希望する父親の意向で菓子屋を開店。達郎は転校せず、越境通学する。
同年、中学2年生の時、友人らとアマチュアバンド「ディー・バウエルン」を結成。ドラムス、ベース、ギター2本という編成で、達郎はドラムスを担当。後にキーボードも加わるが、当時としては珍しい、全員ヴォーカルというコーラス・グループだった。

 

1968年4月1日、都立竹早高等学校へ進学。前年から都立高校入試に採用された学校群制度の影響で竹早高校へ進学することになったという経緯から、達郎は別の高校に入っていたら自分の人生は大きく変わっていただろうと述懐している。
都立進学校に入学できた褒美に、以前から欲しかったドラムセットを買ってもらう。その後は昔から興味のあった宇宙物理学者・天文学者を目指す一方、音楽に傾倒。加えて進学校特有の管理体制への違和感と当時の国立一期校を目指し受験一辺倒になる級友達の中で孤立感に悩み、教員からは長髪を理由に恫喝を受ける学校生活が続く。
 

1969年、成績が下降して留年も危ぶまれた達郎は、なんとか進級を果たすも、この時点で目指していた学問の道を断念することとなり、挫折を味わう。
5月、学内で教員らによる学校ぐるみの収賄が発覚。すると、70年安保という社会情勢を背景に全校集会が連日続き、学校の機能は一時完全に停止する。

混乱の中迎えた2学期、校舎改築工事のため都立新宿高校旧校舎が1年間仮校舎とされた。当時、学生集会が盛んだった新宿で自らも学生運動や学生サークルに関わるようになり高校生活から完全に落伍、「音楽、バイト、学生サークル、ジャズ喫茶に名画座」の毎日を過ごす。高校時にドロップアウトしたトラウマは、後に「学校という社会の中から逸脱していく絶望感は、この年になっても高校を出られない夢を見る」と語る程大きく影響を与えた。
この時期、松井道夫(後の松井証券社長)や、後にプロモデラー、ジオラマ作家となり“クリスマス・イヴ”等のジャケットデザインも手掛けた金子辰也らと交友を持つ。

 

1971年3月、学内の混乱が収束する中、出席日数が足りないながらも達郎、追い出されるように高校を卒業。その後は、音楽にのめり込む日々が始まる。とは言え、「裏方ぐらいにしかなれないだろうし、ならば、せめて音楽著作権でも学んで音楽出版社にでも入ろうか」と考えた達郎は、法学部受験を目指して予備校に入学、1年間の浪人生活を送る事になった。もっとも実際は予備校へはほとんど通っていなかった。
 

1972年4月、明治大学法学部へ入学。だが講義にほとんど出席せず、3か月で中退。
8月、アマチュアバンドの友人達とアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を自主制作。この中にシュガー・ベイブのメンバーとなる村松と鰐川がいた。
 

 

1973年春、『ADD SOME〜』が縁で知り合った大貫妙子(1953年11月28日-)、野口明彦(1953年3月6日-)に、村松邦男(1952年3月17日-)、鰐川己久雄を加え、「シュガー・ベイブ」を結成。
9月21日、文京公会堂での、はっぴいえんどラスト・コンサート「CITY -Last Time Around-」にて、大滝詠一 &ココナツ・バンクのステージに、シュガー・ベイブ(山下・大貫・村松)がバック・コーラスで参加。
12月17日、シュガー・ベイブ1stコンサート「Hello! We are SUGAR BABE」開催。

 

1974年1月、音楽事務所と契約するも給料をもらえず経済的に困窮。だが、この頃始めたCM音楽やスタジオでのコーラス・ワークの仕事を通じて達郎の声は徐々に認知され、シュガー・ベイブも学園祭やライヴハウス等の場で次第に知名度を増す。
10月、大瀧詠一のナイアガラ・レーベルに所属が決定し、レコーディングを開始。
10月5日、シュガー・ベイブ(山下・大貫・村松)がコーラスで参加した荒井由実のアルバム『MISSLIM』が発表、達郎は他にも一部の曲でギターを演奏した。ユーミン作品にはソロになって以降も、1979年『OLIVE』まで参加。

 

1975年4月25日、アルバム『SONGS』とシングル“DOWN TOWN”(作詞:伊藤銀次/作曲:山下達郎)をナイアガラから同時発売しシュガー・ベイブがデビュー。

 

前後して、野口・鰐川が脱退、上原裕・伊藤銀次・寺尾次郎が加入、6人編成となる。
6月、伊藤が抜け、再び5人組となる。
11月、黒木真由美のアルバム『12のらくがき』が発売、山下が初めて他のシンガーに書き下ろした“恋人と呼ばれて”と“北極回り”の2曲を提供した。

 

 

1976年1月8日~3月25日、ニッポン放送『オールナイトニッポン』水曜2部(木曜深夜3時〜5時)を担当。3月27日は臨時で金曜1部のパーソナリティーを務めた。
3月25日、ナイアガラ・トライアングル(山下・伊藤銀次・大滝詠一)によるオムニバス・アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』リリース。

3月31日・4月1日、荻窪ロフトにてシュガー・ベイブ解散コンサートを行う。
4月1日、ナイアガラ・トライアングル『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』からシングル“幸せにさよなら”をリカット。

 

8月16日、アルバム『CIRCUS TOWN』レコーディングのため渡米(8月17-26日ニューヨーク/30日-9月3日ロサンゼルス/5日帰国)。デビュー・アルバムにもかかわらず米国レコーディングという破格の待遇だったが、実現にはディレクター小杉理宇造(こすぎ りゅうぞう/1947年11月10日-)の2年に及ぶアメリカ留学経験と、その後日音でミュージシャン招聘や洋楽の版権管理などで培った人脈が背景にあった。
12月25日、1stアルバム『CIRCUS TOWN』でRCA ⁄ RVCよりソロ・デビュー。

 

 

1977年3月25日、吉田美奈子と共同でプロデュースした吉田のアルバム『TWILIGHT ZONE』と、アルバムからのリカット・シングル“恋は流星Part I・II”が同時発売。

 

5月25日、アルバム『SPACY』リリース。前作『CIRCUS TOWN』での海外レコーディング経験に大きな音楽的刺激を受け、自分が書いたスコアでスタジオ・ミュージシャンとともにレコードを制作するという実験的かつ内省的なアルバムとなり、売り上げは芳しくなかったが、後のセールス・ポイントとなる一人多重録音によるコーラスが登場。古くからのファンには本作がベストと評する人も少なくない。
11月20日、山下編曲・プロデュースによるマザー・グースのシングル“貿易風にさらされて/マリン・ブルー”リリース。他のシンガーを手掛けた初プロデュース作品。

 

 

1978年5月25日、六本木PIT INNでの公演を収録したライヴアルバム『IT'S A POPPIN' TIME』を発売。
12月、コンサート・イベンター、ソーゴー東京の資金援助を受け、自身の所属事務所「ワイルド・ハニー」を渋谷区神宮前の和合ハイツ2階302号室に設立。社名はビーチ・ボーイズ1967年の同名アルバムから。ソロ・デビュー時の所属事務所であったアワ・ハウスは山下・大貫のソロ・デビュー後、資金難に陥り倒産。その後山下は、自身の事務所設立まで音楽出版社のパシフィック音楽出版 (PMP) に在籍。
12月20日、アルバム『GO AHEAD!』を発売。ソロ・アルバムを作れるのもこれで最後かもしれないとの思いから、好きなことをやって終わりにしようと様々な曲調の作品をあれこれ詰め込んだごった煮サウンドの一枚となった。

 


1979年1月25日、1stソロ・シングル“LET'S DANCE BABY”(作詞:吉岡治)リリース。アルバム4枚目にして初のシングル・カット。

 

春、“LET'S DANCE BABY”B面“BOMBER”(作詞:吉田美奈子)が大阪のディスコを中心にヒットし、AB面入れ替えシングル盤を大阪で臨時発売。思うようにレコードが売れずこの先作曲家で生きて行こうと考えていた矢先、次第に状況が好転し始める。

 

3月25日、山下編曲・プロデュースによる「COOLS ROCKABILLY CLUB」のアルバム『NEW YORK CITY, N.Y.』発売。メンバーの希望でニューヨーク録音を敢行したが、コーディネーターの不手際から事前準備がされておらず、山下は録音1週間前に単身渡米。スタジオやミュージシャンの手配等をすべて一人で行い、その後現地で急遽行われたライヴではローディーまで担当。最初で最後のオール・プロデュースとなった本作品に達郎は「SOUND CREATIVE PRODUCER」とクレジットされている。
4月5日、2ndシングル“愛を描いて -LET'S KISS THE SUN-”(作詞:吉田美奈子)を発売、JAL「沖縄キャンペーン“Let's Kiss The Sun”」イメージソングに初タイアップ。

 

6月2日、自身初の全国ツアー「FLYING TOUR '79 PART-1」スタート。全4公演。
6月27日、“BOMBER”のヒット後初の大阪公演を大阪サンケイホールで開催。直接的反応が新鮮で嬉しいものであったため、作品創作の意欲が湧くことになった。
8月5日、山下プロデュースによるアン・ルイスのアルバム『PINK PUSSYCAT』が発売。後にアルバム『POCKET MUSIC』でセルフ・カヴァーする“シャンプー”を収録。
10月21日、担当ディレクター小杉理宇造がRVC内に設立した独立レーベル「AIR」にプロデューサー兼ミュージシャンとして参加、第一弾としてアルバム『MOONGLOW』とシングル“永遠のFULL MOON”を同日発売。レコード販売の現場を知るため、地方ラジオ局や有線放送回り、大手販売店との販促会議への参加など、プロモート活動を積極的に行った。
12月20日、山下作・編曲・プロデュースによるアン・ルイスのシングル“恋のブギ・ウギ・トレイン”がリリース。
 

 

1980年3月21日、前年夏にプロモ用に制作したLPが評判となり、『COME ALONG』の題名でカセットのみで発売、DJ入りコンピレーション・アルバムの先駆けとなる。
5月1日、作詞作曲編曲を自身で手掛けたシングル“RIDE ON TIME”(以下山下の作詞も省略)を発売。自ら出演したmaxellカセットテープCMソングとして初のトップ10ヒットを記録。その後長きにわたり山下のレコーディングとライヴのパートナーとなる青山純・伊藤広規・椎名和夫・難波弘之というラインアップで行った最初のレコーディング曲。

 

5月21日、山下プロデュースの水口晴幸『BLACK or WHITE』発売。COOLS ROCKABILLY CLUBから独立後、初のソロ・アルバム。
8月2日、神奈川県葉山マリーナ・エメラルドプールで「RIDE ON TIME CONCERT in HAYAMA」開催。同年の冷夏の影響を受け、寒さと豪雨という最悪のコンディションの中約4時間決行されたため、山下にとって最も印象深いコンサートの一つになった。
9月19日、アルバム『RIDE ON TIME』発売、オリコン1位を記録、ソロ・デビュー4年目にしてブレイクを果たす。

10月21日、『RIDE ON TIME』収録曲“MY SUGAR BABE”が日本テレビ系ドラマ『警視-K』主題歌に起用され、シングルとしてリカット。楽曲を気に入った番組プロデューサー兼主演の勝新太郎が山下に電話で直接交渉し、ほぼ強引に使用を決めた。後に行われた番組の制作発表会見では他の出演者とともに同席させられ、後日の芸能紙やスポーツ新聞には、会見で憮然とした表情の山下の写真が掲載された。
12月5日、多重録音のア・カペラによるドゥーワップ作品を収録したアルバム『ON THE STREET CORNER』を10万枚限定でリリース。
12月31日、前年10月発表アルバム『MOONGLOW』が第22回日本レコード大賞のベストアルバム賞を受賞。担当スタッフの強い希望もあり授賞式に出席。壇上で表彰楯を受け取った(NHK-FM「今日は一日 山下達郎三昧」(2011年9月19日放送)。

 

 

1981年3月17日、初の自社スタジオ「スマイルガレージ」オープン。ガレージ・スタジオの草分け的存在だが、改修に時間がかかり、自身の作品では1986年のアルバム『POCKET MUSIC』レコーディングから使用開始。
 

 

1982年1月21日、アルバム『FOR YOU』発売。オリコン週間アルバムチャート1位、年間アルバムチャートでも2位となり、評価を確立した。

4月5日、シングル“あまく危険な香り”発売、TBS系の同名金曜ドラマ主題歌。

 

4月6日、竹内まりやと結婚。同じRVC所属で楽曲提供等、関わる機会が多くなる中で懇意となり、既に結婚の約2年前から山下のマンションで同棲生活を送っていた。
4月10日、TBSラジオ『サウンズウィズコーク』担当開始(~1983年4月2日)。
6月21日、作詞作曲編曲プロデュースしたフランク永井のシングル“WOMAN”発売。
6月30日、松本隆作詞、山下作・編曲の近藤真彦7枚目シングル“ハイティーン・ブギ”発売。近藤主演の同名映画の主題歌。近藤も小杉の担当シンガーの一人であった。
7月21日、初のベスト・アルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』リリース。RVC最後の作品。
秋、RVCとの契約を解消。小杉が独立、アルファレコード村井邦彦とヤナセ梁瀬次郎の資金援助で設立したレコード会社「アルファ・ムーン」に役員兼ミュージシャンとして移籍。

 

 

1983年4月7日、NHK-FM『サウンド・ストリート』木曜日のレギュラー開始(~1986年3月20日)。
4月23日、ムーン・レコード移籍第一弾シングル“高気圧ガール”をリリース、全日空沖縄イメージソング。

 

5月21日、山下プロデュースによる村田和人のアルバム『ひとかけらの夏』が発売。
6月8日、移籍後初オリジナル・アルバム『MELODIES』発売。作詞も自ら手掛ける。
9月28日、シングル“スプリンクラー”リリース。

12月14日、シングル“クリスマス・イブ”12インチ限定ピクチャー・ディスクで発売。

 

 

1984年4月、小杉が所属事務所社長に就任。これに伴い「スマイルカンパニー」に社名変更、出版社名を「スマイル音楽出版」、企業グループ名を「スマイルグループ」に統一。社名はビーチ・ボーイズ1967年の未発表アルバム『スマイル』に由来。以降ワイルド・ハニーの名称は、通信販売CDのプライベート・レーベル名として使用。
5月、小杉が「スマイル音楽出版」の社長も兼務となり、スマイルグループ代表に就任。同時期、スマイル音楽出版とは別に、山下は自身の楽曲の著作権管理等のための個人事務所「テンダベリーミュージック(Tenderberry Music)」を設立。竹内まりやも「有限会社ミュージック・ハーヴェスト」設立、後に夫婦共同事務所として「テンダベリー & ハーヴェスト」に改称。ただし「有限会社ミュージック・ハーヴェスト」は竹内の実家である島根県出雲市の旅館「竹野屋」内に事務所が所在。
4月25日、竹内まりやのムーン・レコード移籍第一弾アルバム『VARIETY』発売。81年の活動休止から2年半、竹内が結婚前から書き溜めていた曲を聴いた山下がアルバム化を提案、全曲竹内のオリジナル曲による初のアルバム。この復帰作で、オリコン1位を記録。以後、達郎は竹内の楽曲アレンジとプロデュースを手がける。
5月25日、シングル“THE THEME FROM BIG WAVE”(作詞・曲:ALAN O'DAY・TATS YAMASHITA)を発売、日本ヘラルド配給映画『ビッグウェイブ』テーマ曲。

6月20日、アルバム『BIG WAVE』発売。ビーチ・ボーイズのカヴァーを含む全曲英語詞による同名映画のサウンドトラック。
同年、娘が誕生。

 

 

1985年3月25日、シングル“風の回廊(コリドー)”発売、ホンダ・クイント インテグラCFイメージソング。

 

11月18日、シングル“土曜日の恋人”発売、フジテレビ系『オレたちひょうきん族』EDテーマ曲。

 

 

1986年4月23日、初の打ち込みによる楽曲制作とデジタル・レコーディング導入によるオリジナル・アルバム『POCKET MUSIC』発売。
10月25日、1980年発表のアルバム『ON THE STREET CORNER』を全曲リミックス、『ON THE STREET CORNER 1 ('86 VERSION)』として発売。
11月28日、1983年に12インチ・シングルとして限定発売した“クリスマス・イブ”を7インチEPとして再リリース。
12月10日、6年ぶり一人アカペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER 2』発表。

 

 

1987年5月10日、シングル“踊ろよ、フィッシュ”発売、全日空沖縄キャンペーン・イメージソング。

 


1988年4月25日、シングル“GET BACK IN LOVE”発売、TBS系ドラマ『海岸物語 昔みたいに…』主題歌。

 

10月19日、アルバム『僕の中の少年』をリリース。“蒼氓”等を収録。オリコン1位、Wプラチナを獲得。

 

 

12月、JR東海「クリスマス・キャンペーン」CMソングに“クリスマス・イブ”が使われリバイバルヒット。以後、日本のクリスマス・ソングの定番曲となる。

 

 

1989年3月10日、『僕の中の少年』から“新・東京ラプソディー”をリカット。
9月25日、シングル“おやすみロージー -Angel Babyへのオマージュ-”発売。
11月1日、80年代のホールツアーの記録を集大成したライヴアルバム『JOY –TATSURO YAMASHITA LIVE–』発売。
12月、“クリスマス・イブ”が、JR東海のクリスマスCMに再度使用。
12月25日、“クリスマス・イブ”が、オリコンでランクインから30週かけて1位を獲得。以後4週連続で1位を記録。

 

 

1990年4月25日、シングル“Endless Game”発売、TBS金曜ドラマ『誘惑』主題歌。

 

10月1日、TBS系テレビ『ビッグモーニング』テーマ曲“モーニング・シャイン”オンエア開始。本曲は翌年のシングル“さよなら夏の日”カップリング曲として発売。

 

 

1991年5月10日、シングル“さよなら夏の日”をリリース、第一生命企業CMソング。

 

6月18日、アルバム『ARTISAN』発売。
8月25日、『ARTISAN』からのリカット・シングル“ターナーの汽罐車 -Turner's Steamroller-”発売、「NISSAN NEW SKYLINE」CMソング。

 

12月7日、コンサート・ツアー「PERFORMANCE '91-'92」開始。全38公演。
12月31日、『ARTISAN』が第33回日本レコード大賞のアルバム大賞(ポップス・ロック部門)を受賞。受賞の際、本人の電話コメントとともに、ソロ・デビュー以降唯一、本人出演による“さよなら夏の日”のミュージック・ビデオが放映された。

 

 

1992年2月25日、シングル“アトムの子”を発売、表題曲は1989年に死去した手塚治虫へのトリビュート・ソングとして鉄腕アトムをモチーフに書いた作品、キリンゴールデンビターCMソング。カップリング“BLOW”はTBS系TV『アメリカズ カップ'92』テーマソング。

 

10月3日、JFN系『サタデー・ソングブック』開始(~1994年3月26日)。
10月22日、竹内まりやのアルバム『Quiet Life』発売。オリコン1位を記録。

 

 

1993年6月8日、シングル“MAGIC TOUCH”発売、「maxell CD-XL」CMソング。
6月14日、TBS系テレビ『ビッグモーニング』テーマ曲“鳴かないでHERON”オンエア開始。
10月25日、シングル“ジャングル・スウィング”発売、日産SKYLINEイメージ・ソング。

 

11月18日、一人ア・カペラとフル・オーケストラで構成されたクリスマス・シーズン向けの企画アルバム『SEASON'S GREETINGS』発売。
12月、“クリスマス・イブ”が、TBC「クリスマス編」CMに使用される。
12月11日、TBSラジオの番組『赤坂ライブ』の150回記念スペシャルとしてTBSホールで開催された「山下達郎 〜クリスマスイブ・スペシャルミニライブ〜」に出演。

 

 

1994年1月25日、シングル“パレード”発売、フジテレビ『ポンキッキーズ』ED曲。

 

4月3日、『サンデー・ソングブック』が従来の土曜から毎週日曜14:00〜に移行。
4月10日、シュガー・ベイブ『SONGS』オリジナル・マスターで初CD化、オリコン3位。
同年、再開発によるビル取り壊しで、スマイルガレージが閉鎖。その後新自社スタジオ開設まで、デジタル・レコーディングに関して充分なスタジオ環境が確保できず、これが活動が一時停滞した一因となった。この期間のことを自ら「空白の三年間」と語っている。
11月14日、NHKドラマ新銀河『赤ちゃんが来た』主題歌“LAI-LA -邂逅-”オンエア開始。
12月、“クリスマス・イブ”が、TBCクリスマス編CMに再度使用される。

 

 

1995年1月、“SOUTHBOUND #9”が、日産スカイラインのCMに使用される。
11月1日、シングル“世界の果てまで”発売、読売テレビ・日本テレビ系連続ドラマ『ベストフレンド』主題歌。以後、本シングルから本格的にMV製作を始める。

 

11月13日、ムーン・レーベル移籍後初のベスト・アルバム『TREASURES』発売。ミリオン・セラーとなる。
11月26日、『サンデー・ソングブック』3周年記念ミニライヴを開催。

 

 

1996年、港区六本木に新たな自社系列スタジオ「プラネット・キングダム」開設。
2月10日、メリサ・マンチェスターとのデュエット・シングル“愛の灯〜STAND IN THE LIGHT”発売、フジテレビ系ミュージック・キャンペーン・ソング。

 

5月1日、シングル“DREAMING GIRL”発売、NHK連続テレビ小説『ひまわり』主題歌。
6月、“DONUTS SONG”が、ミスタードーナツのCMに使用される。
8月、“さよなら夏の日”が、NTT「Greeting Call」CMソングに起用される。

 

10月、“蒼氓”がJACCSカードのCMに使用される。

 

 

1997年6月4日、1982年発売のベストアルバム『GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA』をボーナス・トラック付きデジタルリマスター盤で再販。これを機に達郎自身監修でRCA ⁄ AIR時代のカタログのリマスター作業が始まる。
7月21日、松本隆作詞、山下作・編曲、プロデュースのKinKi Kidsデビュー・シングル“硝子の少年”発売。オリコン初登場1位、100位以内に31週間入るロングヒットに。
12月、“ひととき”がJACCSカードCMに採用される。

 

 

1998年1月28日、シングル“ヘロン”発売、キリン ラガービールCMソング。

 

2月26日、九州朝日放送の元ディレクター岸川均の定年退職を記念し、2月26日〜3月1日の4日間福岡サンパレスで行われた伝説ライヴ初日「MIRACLE NIGHT」にスターダスト・レビュー、浜田省吾とともに出演。約3年10か月ぶりにライヴを行う。
4月22日、松本隆作詞、山下作曲によるKinKi Kids3作目シングル“ジェットコースター・ロマンス”発売。達郎は自分のレコーディング等で多忙のため編曲は船山基紀が担当したが、自身のデモと全く違うアレンジにとても驚いたという。
4月29日、シングル“いつか晴れた日に”を発売、TBS系ドラマ『先生知らないの?』主題歌。

 

8月26日、7年ぶりのオリジナル・アルバム『COZY』を発売、オリジナル・アルバムとしては自身初のミリオンセラーとなる。

 

10月8日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE '98-'99』スタート。全48公演。
10月25日、アルバム『COZY』2枚組アナログLP盤リリース。
12月28日、松本隆作詞、山下作・編曲、プロデュースによるKinKi Kids5作目シングル“Happy Happy Greeting”発売。

 

 

1999年7月14日、“アトムの子”がフジテレビ系『サタ☆スマ』テーマソングに起用されたのを受け、品番改定の上シングルを再販、8センチCDとしては最後のリリース。
11月10日、シングル“LOVE CAN GO THE DISTANCE”発売、NTTコミュニケーションズ TV-CMソング。『ON THE STREET CORNER 3』からの先行シングルとなる、オン・スト・シリーズ初のオリジナル曲。

 

11月25日、13年ぶりの一人ア・カペラ・アルバム『ON THE STREET CORNER 3』発売。12月、“クリスマス・イブ”が、ケンタッキー・フライド・チキン・クリスマス・キャンペーンCMに使用される。

 

 

2000年1月26日、1980年『ON THE STREET CORNER 1』と1986年『ON THE STREET CORNER 2』に、ボーナス・トラックを各2曲追加、デジタルリマスター盤で再販。
7月12日、シングル“JUVENILEのテーマ〜瞳の中のRAINBOW〜”発売、映画『ジュブナイル』主題歌。

7月11・12日、31日、日本武道館と大阪城ホールで開催の「TOKYO FM & FM OSAKA開局30周年記念イベント」(共演:canna、SING LIKE TALKING)に、竹内まりやのバンド・マスター(G,Cho,Perc,Key)として参加、アンコールで夫婦でのデュエットも披露した。
同日、“クリスマス・イブ”をマキシ・シングルでリリース。英語版と、初CD化となるオリジナル・カラオケを収録。8年ぶりに復活したJR東海「クリスマス・エクスプレス2000」キャンペーンCMソングとして使用される。

 

 

2001年4月、“SO MUCH IN LOVE”がアサヒ スーパーモルトのCMに使用される。
6月27日、シングル“君の声に恋してる”発売、NTTコミュニケーションズCMソング。

 

 

2002年1月23日、“LOVELAND, ISLAND”がフジテレビ系ドラマ『ロング・ラブレター〜漂流教室〜』主題歌に採用、RCA ⁄ AIR時代の旧譜再発のプロモも兼ね1982年アルバム『FOR YOU』からリカット。カップリングに同じ『FOR YOU』から“YOUR EYES”を収録。

 

2月14日、BMG JAPANよりRCA ⁄ AIR時代のアルバム7タイトルが初の本人監修によるデジタルリマスター、ボーナス・トラック付きで再発。同月25日付のオリコンアルバムチャートでは7タイトルすべてがトップ30以内にランクイン、発売から2年を経過したアルバムが対象のカタログチャートでは2位から8位を独占した。
3月2日、RCA ⁄ AIR時代のアルバム・リイシューにあわせ、この時代の曲のみで構成されたコンサート・ツアーを初の沖縄公演を追加日程含め実施。
10月30日、アルバム未収録シングルや未発表音源をまとめたベストアルバム『RARITIES』発売。
 

 

2003年2月19日、“RIDE ON TIME”がTBS系日曜劇場『GOOD LUCK!!』主題歌に使用され、デジタルリマスター盤として再度シングル・カット。カップリングに“あまく危険な香り”を収録。
6月11日、シングル“2000トンの雨 ⁄ フェニックス”発売。“2000トンの雨”は松竹映画『恋愛寫眞 Collage of Our life』主題歌で、1978年のアルバム『GO AHEAD!』収録曲の“2003 NEW VOCAL MIX”。カップリングの“フェニックス”は、NHK総合テレビ『地球だい好き 環境新時代』テーマソング。

 

 

2004年8月4日、シングル“忘れないで”を発売、NHKアニメ劇場『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』エンディングテーマ曲。カップリングには同番組のオープニングテーマ曲“ラッキー・ガールに花束を”を収録。

 

 

2005年1月19日、シングル“FOREVER MINE”をリリース、東宝映画『東京タワー』主題歌。カップリングにはフジテレビ系『金曜エンタテイメント』オープニングテーマ“ MIDAS TOUCH”を収録。

4月27日、シングル“太陽のえくぼ”発売、フジテレビ系『めざましテレビ』テーマソング。
9月14日、レコーディングにPro Toolsを導入した7年ぶりのオリジナル・アルバム『SONORITE』発売。
10月11日、竹内まりや作詞、山下作曲によるタイトル曲収録の森光子『月夜のタンゴ』(舞台『ツキコの月 そして、タンゴ』主題歌)発売。森にとって10年ぶりの新曲となったが、10月17日付でオリコン初登場45位を記録。歌手デビュー64年で初のチャートインは史上最長期間記録。85歳5か月での初登場トップ50入りも最年長記録でダブル快挙となった。
10月26日、アルバム『SONORITE』からのシングル“白いアンブレラ ⁄ ラッキー・ガールに花束を”を発売、HONDA LIFE CMソング/HONDA LIFE DIVA CMソング。

 

12月7日、シュガー・ベイブ『SONGS』が大瀧詠一自らのリマスタリングの下、新たなボーナス・トラックを加えた30周年記念盤『SONGS -30th Anniversary Edition-』も発売。
同年、日本民間放送連盟 「CMのCMキャンペーン」のCMソングを手がける。

 

 

2006年3月21日、山下・伊藤銀次・大滝詠一によるオムニバス・アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』の30周年記念盤が大瀧自身のリマスタリングで『NIAGARA TRIANGLE Vol.1 -30th Anniversary Edition-』として発売。
 

 

2007年4月6日、銀婚式を桑田佳祐・原由子夫妻と合同で行う。
5月23日、山下との共同プロデュースによる竹内まりやのアルバム『Denim』発売。
 

 

2008年3月12日、シングル“ずっと一緒さ”を発売、表題曲はフジテレビ系ドラマ『薔薇のない花屋』主題歌。カップリングの“バラ色の人生〜ラヴィアンローズ”はTBS系『ブロードキャスター』テーマソング、“ANGEL OF THE LIGHT”はNikon 企業CMソング。

 

10月1日、山下プロデュースの竹内まりやオールタイム・ベストアルバム『Expressions』発売。

 

 

2009年3月21日、1980年に発表した『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』がタイトルを『TATSURO FROM NIAGARA』と改め、ナイアガラ公認盤として発売。
8月19日、シングル“僕らの夏の夢”を発売、劇場版アニメ『サマーウォーズ』主題歌。カップリング“ミューズ”はTBS系テレビ全国ネット『総力報道!THE NEWS』テーマ曲。

 

12月、“クリスマス・イブ”がオリコンシングルチャートに24年連続ランクインを達成。

 

 

2010年4月14日、シングル“希望という名の光”を発売、映画『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』主題歌。カップリングはKinkiKidsへの提供曲のセルフカヴァー“Happy Gathering Day”でケンタッキー40周年記念テーマソング。

4月25日、シュガー・ベイブのアルバム『SONGS』発売から35周年を迎える。
6月2日、シングル“街物語(まちものがたり)”を発売、TBS系ドラマ 日曜劇場『新参者』主題歌。
10月30、31日、日本武道館で行われた、ワーナーミュージック・ジャパン創立40周年イベント『WARNER MUSIC JAPAN 40th. Anniversary 〜100年 MUSIC FESTIVAL〜』に出演。1日目はシークレット・ゲストとして竹内まりやと登場し、夫婦でデュエットを披露。2日目には自身の曲“SPARKLE”、“希望という名の光”を武道館のステージで初めて歌う。

 


2011年3月9日、シングル“愛してるって言えなくたって”を発売、TBS系ドラマ 日曜劇場『冬のサクラ』主題歌。
8月10日、6年ぶりのオリジナル・アルバム『Ray Of Hope』発売。8月22日付オリコン・アルバムチャートで8年9か月ぶりに初登場1位を獲得。松任谷由実、徳永英明、桑田佳祐に次ぎ史上4人目となる、80、90、00、10年代と4年代連続での同ランキング首位を獲得。
11月2日、アルバム『Ray Of Hope』2枚組アナログLP盤リリース。
12月、“クリスマス・イブ”が、モバゲーのクリスマスCMに起用、オリコンチャートトップ100入りを記録し、連続記録を26年に更新した。
12月11日、『サンデー・ソングブック』が放送1000回を迎える。

 


2012年4月6日、結婚30周年(真珠婚)を迎える。
6月22日、3月11日放送の『サンデー・ソングブック』“東日本大震災1周年 追悼と復興祈念のプログラム”が、『第38回 放送文化基金賞』(主催:公益財団法人 放送文化基金)にて、ラジオ番組 優秀賞(番組部門)と出演者賞(番組部門 個別分野)の2部門を受賞。贈呈式には山下の代理で小杉理宇造が出席し、本人のメッセージを代読。この中で出演者賞の賞金(10万円)を震災復興支援のため日本赤十字社へ全額寄付することが併せて発表。
8月25日、全国13か所のティ・ジョイ系シネコンで、ライヴ映像による初のシアター・ライヴ『PERFORMANCE 1984-2012』(制作:ワーナーミュージック・ジャパン / スマイルカンパニー、配給:東映)を9月1日までの1週間限定で開催。ミニシアターランキング(興行通信社発表)で興行成績1位を獲得するなど予想を越える大ヒットとなり、9月2日まで開催が延長された他、9月15日からは渋谷TOEIで1週間の追加上映が行われた。
9月26日、シュガー・ベイブ“DOWN TOWN”から新作“愛を教えて”まで、レーベルを超えて選曲された初のオールタイム・ベスト『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』発売。
10月7日、『サンデー・ソングブック』が放送20周年を迎える。
11月20日、『OPUS』通常盤にクリスマス・デザインの三方背ボックスで包装した、クリスマス期間限定パッケージが販売開始(12月25日まで)。
12月11日、2003年リマスター盤シングルをクリスマス特別ボックス包装した、シングル“クリスマス・イブ”のクリスマス期間限定パッケージが販売開始(12月25日まで)。

 

 

2013年8月28日、『MELODIES 30th Anniversary Edition』と『SEASON'S GREETINGS 20th Anniversary Edition』リリース。2013年リマスター、ボーナス・トラック収録。
10月9日、シングル“光と君へのレクイエム”を発売、映画『陽だまりの彼女』 主題歌。カップリング“コンポジション”はNHKドラマ10『第二楽章』 主題歌。

 

11月20日、『MELODIES 30th Anniversary Edition』と『SEASON'S GREETINGS 20th Anniversary Edition』のアナログ盤、“クリスマス・イブ 30th Anniversary Edition”を同時発売。
12月2日、オリコン週間シングルランキングで“クリスマス・イブ 30th Anniversary Edition”が初登場10位を獲得。同曲のトップ10入りは、2001年1月以来12年11か月ぶり。1980年代から2010年代までの4年代でのトップ10入りは史上初。
12月31日、前日急逝した大瀧詠一への追悼コメントを自身の公式サイトで発表。

 

 

2014年7月23日、『BIG WAVE 30th Anniversary Edition』リリース。2014年リマスター、ボーナス・トラック収録。
7月25日、コンサート・ツアー『Maniac Tour 〜PERFORMANCE 2014〜』スタート。全29公演。
8月20日、『BIG WAVE 30th Anniversary Edition』アナログ盤リリース。
9月10日、山下との共同プロデュースによる竹内まりやのアルバム『TRAD』リリース。
11月19日、“クリスマス・イブ”が主題歌として使用される映画『MIRACLEデビクロくんの恋と魔法』劇中歌、竹内まりや“ザ・クリスマス・ソング”と“ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス”のメドレーを追加収録したシングル“クリスマス・イブ2014年限定バージョン”を発売。同日、竹内まりやの『TRAD』アナログ盤と、『VARIETY -30th Anniversary Edition-』リリース。
11月22日、音楽監修を務めた映画『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』。

同日、竹内まりや33年ぶりの全国ツアー『SOUVENIR 2014』スタート(全6会場9公演)。バンド・マスターとして参加。
11月、“踊ろよ、フィッシュ”がSUBARU インプレッサSPORTのCMに使用される。
12月10日、竹内まりや『VARIETY -30th Anniversary Edition-』のアナログ盤リリース。

 

 

2015年3月12日、平成26年度(第65回)芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。4月25日、音楽活動40周年を迎える。同日、テレビ朝日系ドラマ・木曜ミステリー『京都人情捜査ファイル』主題歌“マイ・ガーディアン・エンジェル(ドラマサイズ ver.)”の着うたフル配信スタート。
8月5日、シュガー・ベイブ『SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-』発売。オリジナル・トラックの2015年リマスター音源+ボーナス・トラックのディスク1と、オリジナル・トラックの2015年リミックス音源+ボーナス・トラックのディスク2による2枚組仕様。ディスク1相当の2枚組アナログ盤も同時リリース。
10月9日、コンサート・ツアー『PERFORMANCE 2015-2016』スタート。全国35都市64公演。
10月10日、デビュー40周年を記念したオフィシャル・バンドスコア『山下達郎/40th Anniversary Score Book Vol.1/Vol.2』(ドレミ楽譜出版社)発売。
11月、“高気圧ガール”がSUBARU インプレッサSPORTのCMに使用される。
12月14日、“クリスマス・イブ 30th Anniversary Edition”に、金子辰也イラストによる三方背ボックスをかぶせた「2015 クリスマス・スペシャル・パッケージ」を12月25日までの期間限定で販売開始。

 

2016年2月24日、竹内作詞、山下作・編曲による、嵐48作目のシングル“復活LOVE”発売。

同日、シュガー・ベイブ『SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-』のDisc2「2015 Remix」収録のオリジナル『SONGS』楽曲を、「ハイレゾリューション・オーディオ音源」にて配信開始。
3月24日、『PERFORMANCE 2015-2016』NHKホール公演にて、“クリスマス・イブ”が、1986年から30年連続で日本の週間シングルランキングTOP100に入ったとして、同日付でギネス世界記録に認定されたことを発表。
同日、山下と竹内によるデュエット・ナンバー“Let It Be Me”を配信リリース、フジテレビ系木曜22時ドラマ『早子先生、結婚するって本当ですか?』劇中歌。
8月18日、シングル“CHEER UP! THE SUMMER”の先行配信スタート。
9月14日、シングル“CHEER UP! THE SUMMER”を発売、フジテレビ系木曜22時ドラマ『営業部長 吉良奈津子』主題歌。

 

12月8日、PlayStation 4用ゲームソフト『龍が如く6 命の詩。』に楽曲を提供。

 

 

2017年8月2日、『COME ALONG 3』リリース。33年ぶりの続編となる「COME ALONG」シリーズの第3弾。『COME ALONG』『COME ALONG 2』も2017年最新リマスタリング音源で同時発売。
9月13日、シングル“REBORN”発売、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』主題歌。

 

11月28日、『山下達郎のサンデー・ソングブック』放送開始25周年を記念したスペシャルライブ「山下達郎のサンデー・ソングブック25th Anniversaryアコースティック・ライヴ&トークショー」開催(東京・半蔵門 TOKYO FM ホール)。

 

 

2018年7月11日、シングル“ミライのテーマ/うたのきしゃ”を発売、アニメーション映画『未来のミライ』主題歌&オープニングテーマ。

 

 

2019年11月27日、シングル“RECIPE (レシピ)”を発売、TBS系ドラマ 日曜劇場『グランメゾン★東京』主題歌。

 

12月、オリコン週間シングルチャートで“クリスマス・イブ”が34年連続ランクイン。

 

 

2020年11月25日、アルバム『POCKET MUSIC』『僕の中の少年』のリマスター盤を『POCKET MUSIC (2020 Remaster)』『僕の中の少年 (2020 Remaster)』として同時発売(2枚組アナログ盤も同時発売)。
 

 

2021年8月18日、アルバム『ARTISAN』発売30周年を迎え、『ARTISAN -30th Anniversary Edition-』としてリマスター盤を発売(初アナログ盤も同時発売)。
12月15日、“クリスマス・イブ”の2021年バージョンを、期間限定商品として発売。

 

 

2022年1月、2021年末をもって黒岩利之がスマイルカンパニー代表取締役社長を退任。後任には小杉周水が就き、スマイル音楽出版社長と兼任、スマイルグループ代表となる。
1月19日、山下の書き下ろし3曲を含む木村拓哉2ndアルバム『Next Destination』発売。
4月6日、結婚40周年(ルビー婚)を迎える。
6月22日、11年ぶりのオリジナル・アルバム『SOFTLY』リリース、オリコン1位。

 

7月21日、新型コロナウイルスに感染したことを自身の公式サイトで発表。実施中のコンサート・ツアーのうち7月23・24日札幌、7月29日盛岡、7月31日いわきの各公演を開催見送りとした。ただし、レギュラーの『サンデー・ソングブック』についてはライヴツアー開催期間中に伴う事前収録分をそのまま放送し、代役を立てずに済んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「山下達郎」「シュガー・ベイブ」

 

 

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