ココ・テイラー(Koko Taylor/出生名:Cora Walton/1928年9月28日~2009年6月3日)は、アメリカ合衆国のブルーズ歌手。

 

 

 

1928年9月28日、コラ・ウォルトンは、アメリカ合衆国テネシー州メンフィス(Memphis, Tennessee)郊外の綿花農場で、小作人として働く夫婦、ウィリーとアニー・メイ・ウォルトンの家庭に生まれた。

 

1939年、10歳の頃に母親を亡くし、父親に育てられた。農場の手伝いをしながらバプテスト教会に通いゴスペルを歌うようになり、その後ラジオで聴いた音楽に触発されて兄弟とともに自作の楽器でブルーズを演奏するようになった。

チョコレートが好きであったことから「ココ」(Koko)のニックネームがついた。

 

1953年、トラック運転手のロバート・“ポップス”・テイラー(Robert “Pops” Taylor)と結婚し、仕事を求めてシカゴに移住。メイドの仕事をしながらクラブで歌手として活動するようになっていく。

彼女はニックネームと夫の姓を組み合わせ、ココ・テイラー(Koko Taylor)を名乗る。

 

 

1962年、ベーシスト、プロデューサーとして著名なブルーズマン、ウィリー・ディクソン(Willie Dixon/1915年7月1日-1992年1月29日)と出会う。

 

 

1963年、ディクソンのプロデュースにより、USAレコード(USA Records)からシングル“Like Heaven to Me”をリリース。

 

 

1964年、「スパイビー・レコード」(Spivey Records)の「シカゴ・ブルース・コレクション」(Chicago blues collection)から『シカゴ・ブルース』(Chicago Blues)をリリースした。

同年、ディクソンはテイラーを名門「チェス・レコード」(Chess Records)の子会社レーベルである「チェッカー・レコード」(Checker Records)へ連れて行き、彼のプロデュースおよび楽曲提供により、“ワン・ダン・ドゥードゥル”(Wang Dang Doodle)を録音、レコード・リリースする。本楽曲は1959年にハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)のために書かれた曲であったが、テイラーによるカヴァーは1966年に米音楽誌『ビルボード』のR&Bシングル・チャート(以下「R&B」)4位、同誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」で58位に到達、100万枚の売り上げを記録する大ヒットとなり、彼女の代表曲として定着した。彼女は長年にわたってこの曲のいくつかのバージョンを録音した。このヒットの効果でココの仕事は劇的に増え、夫のポップスは彼女の専属マネージャーとして活動を支えるようになる。

 

 

1967年、彼女はアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル(American Folk Blues Festival)に参加、ここでも“ワン・ダン・ドゥードゥル”のライヴ演奏による音源を残した。なお、同フェスタバルでは、ブルース・ハーブにリトル・ウォルター(Little Walter)、ギタリストにハウンド・ドッグ・テイラー(Hound Dog Taylor)を従えて歌った。

 

 

1968年11月30日、"Love You Like a Woman"をCharly Recordsからリリース。

 

 

1969年、セルフ・タイトルの1stアルバム『Koko Taylor』をチェスからリリース。 

 

 

 

1960年代後半から1970年代初頭にかけて、テイラーはアメリカでツアーを行ったことでよく知られるようになる。

 

 

1972年、アルバム『Basic Soul』をチェスからリリース。

 

 

1973年、アルバム『South Side Lady』をBlack & Blue Recordsからリリース。

 

 

 

1975年、2枚のアルバム(LP)と最大のヒット・シングルを録音したチェスが倒産。

これを受けて、ココはシカゴのインディー系ブルーズ・レーベル「アリゲーター・レコード」 (Alligator Records) と契約。これによりレコーディングも活発に行い、より広範な層に自身の歌声を届けることができるようになった。

同年、アルバム『I Got What It Takes』をリリースして同レーベルからのデビューを果たし、グラミー賞にも初めてノミネートされている。なお、以下は特記がない限りアリゲーターからのリリース。

 

 

以後、彼女は亡くなるまで20年以上の長きに渡り、同レーベルの主要アーティストとして多くの作品をリリースした。

彼女は自身のバンド「ブルース・マシン」(The Blues Machine)を結成、「ココ・テイラーと彼女のブルース・マシン」(Koko Taylor & Her Blues Machine)名義で活動した。かつてバーナード・アリソン(Bernard Allison/G)が参加した他、ルリー・ベル(Lurrie Bell/1958年12月13日-)も数年間在籍した。2000年からは、シカゴ在住の日本人ギタリスト菊田俊介が在籍した。

 

 

1978年、アルバム『The Earthshaker』をリリース。

 

 


1980年、W.C.ハンディ賞(W. C. Handy Award/2006年から名称変更でブルース音楽賞=Blues Music Award)を初受賞、これ以降、延べ32ノミネートを受け、各カテゴリーで延べ29の受賞を果たす。主な受賞カテゴリーと受賞年は以下の通り。Entertainer of the Year (1985)、Female Artist (1981, 1995)、Song of the Year (2008)、Traditional Blues Album (2008)、Traditional Blues Female Artist (1992, 1993, 1999–2005, 2008, 2009)、Vocalist of the Year (1985)。

同年、アルバム『From the Heart of a Woman』をリリース。
 

 

1984年、コンピレーション・アルバム『Blues Explosion』(アトランティック)をリリース.

 

 

1985年のグラミー賞にて、『Blues Explosion』が最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム部門を受賞。

同年、アルバム『Queen of the Blues』をリリース。

 

 

1987年、アルバム『An Audience with Koko Taylor』とライヴ・アルバム『Live From Chicago - An Audience With The Queen』をリリース。


1989年、ツアー中に交通事故に遭い、重症を負う。同乗していた夫のポップスも一時心肺停止の重症を負い、数ヵ月後に亡くなってしまう。ココは回復し、6ヶ月後のシカゴ・ブルース・フェスティバル(Chicago Blues Festival)で復活を果たした。

 

 

1990年、アルバム『Jump for Joy』をリリース。

 

同年、アルバム『Love You Like a Woman』をCharlyからリリース。

同年、アメリカ映画『ワイルド・アット・ハート』(Wild at Heart)に出演、「Zanzibar Singer」役を演じた。

 

 

1991年、アルバム『Wang Dang Doodle』をHuubからリリース。
5月18・19日、初めて来日し、第6回ジャパン・ブルース・カーニバルに出演。アルバート・コリンズ、ジェイムズ・コットン、ロニー・ブルックス、ヴァレリー・ウェリントン&アリヨ、憂歌団、ウエスト・ロード・ブルース・バンドとともに、日比谷野外音楽堂のステージに立った。

 

 

1993年、アルバム『Force of Nature』をリリース。リード・トラック"Mother Nature"はリトル・ミルトン(Little Milton)によって書かれた。また、彼女は"Born Under a Bad Sign"のカヴァーでバディ・ガイとデュエットした。

 

 

 

同年、B.B.キング(B.B. King/1925年9月16日-2015年5月14日)のアルバム『ブルース・サミット』(Blues Summit)にフィーチャリング・ゲストとして参加。キングは本作でグラミー賞最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞を受賞し、自身7度目のグラミー受賞を果たした。

 

 

1994年、シカゴのディヴィジョン・ストリート(Division Street)に自身のブルーズ・クラブ「ココ・テイラーズ・セレブリティ」をオープン、2000年に同じシカゴでも中心エリアのサウス・ループにあるウォバッシュ・アベニュー(Wabash Avenue)に移転する。なお、現在は閉店した。

 

 

1996年、ヘイズ・ハリスと再婚。ただし、ステージ・ネームは死別した前夫のテイラー姓を引き続き名乗った。

同年、Howlin' Wolf Awardを受賞。

 

 

1997年、「ブルースの殿堂」(Blues Hall of Fame)入りを果たした。

 

 

1998年、アメリカ映画『ブルース・ブラザース2000』(The Blues Brothers 2000)に出演。1980年に公開された映画『ブルース・ブラザース』(The Blues Brothers)の続編にあたる本作において、劇中バンド「ルイジアナ・ゲーター・ボーイズ」(The Louisiana Gator Boys)のメンバーとしてヴォーカルを披露した。

 

 

1999年、Blues Foundation Lifetime Achievement Awardを受賞。

 

 

2000年、アルバム『Royal Blue』と『Deluxe Edition』をリリース。

 


キャリアの終盤、彼女は年間70以上のコンサートを行い、シカゴのすぐ南に位置するイリノイ州カントリー・クラブ・ヒルズ(Country Club Hills, Illinois)に住んでいた。
 

 

2003年、彼女はテレビシリーズ『アーサー』(Arthur)のエピソードにタージ・マハル(Taj Mahal)とともにゲストとして出演した。

 

晩年は体調不良から活動のペースが落ちる。

 

 

2004年、NEA National Heritage Fellowshipを受賞。

 

 

2007年4月、ココ・テイラー復活の証となる7年ぶりの新作アルバム『オールド・スクール』(Old School)をリリース。

 

 

7月、16年ぶりに来日。

7月22日、第22回ジャパン・ブルース・カーニバルに出演、日比谷野外音楽堂のステージに再びその姿を見せた。

 

 

2009年5月7日、ブルース音楽賞(the Blues Music Awards)授賞式で“Wang Dang Doodle”を披露、力強い歌唱を見せたが、これが公の場におけるココ・テイラーの最後のパフォーマンスとなった。

5月19日、ココは消化器からの出血を治療するため手術を受けた。

 


6月3日、ココ・テイラーは術後の合併症のために亡くなった。80歳没。

 

 

 

 

ココ・テイラーは、ボニー・レイット(Bonnie Raitt)、シェメキア・コープランド(Shemekia Copeland)、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)、シャノン・カーフマン(Shannon Curfman)、スーザン・テデスキ(Susan Tedeschi)に影響を与えた。

 

 

2023年、ココ・テイラーによる1960年代の“Wang Dang Doodle”のパフォーマンスが米国国立録音登録簿に追加された。

5月、歌手のボニー・レイット、『ブルース・ブラザーズ2000』主演俳優ダン・エイクロイド、アーティストのシェメキア・コープランドらを含むNPR(National Public Radio)の長編プロフィール『The Sounds Of America: 'Wang Dang Doodle'』が放送された。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ココ・テイラー」「Koko Taylor」

 

 

 

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