B.B.キング(ビー・ビー・キング/B. B. King/本名:Riley B. King/1925年9月16日~2015年5月14日)は、アメリカ合衆国のブルーズギタリスト、歌手、作曲家。

 

 

 

1925年9月16日、ライリー・B.キングは、合衆国ミシシッピ州北西部のイッタベーナ(Itta Bena)のプランテーションに生まれる。幼少の頃は小作人として働く。

その後ギターを手にし、幼くして頭角を現し始める。T-ボーン・ウォーカー(T-Bone Walker)やロニー・ジョンソンと言ったブルーズギタリストの音楽だけでなく、ゴスペル音楽にも触れていたという。

 

1943年に州内のインディアノーラ(Indianola)に移住し、その3ヵ月後にはテネシー州メンフィス(Memphis)に移り住む。キングはそこで、いとこのブッカ・ホワイト(Bukka White)に教わりながらギター・テクニックを磨いていく。

 

やがて彼は、メンフィスのラジオ局WDIAでDJをするようになった。その時に番組のスポンサーだった飲料の名前から「The Pepticon Boy」と名乗っていたのが、後にメンフィスの通りの名を採って「Beale Street Blues Boy」となり、略して「Blues Boy」と呼ばれるようになった。これのさらなる略称が「B.B.」であり、名前の由来である。

 

 

1949年、ナッシュビルのレーベル「ブレット・レコード」(Bullet Records)で"Miss Martha King" など4曲を吹き込み、レコード・デビューを果たした。

 

 

1950年、ロサンゼルスのモダン/RPMと契約。

 

 

1951年末、シングル“3 O'clock Blues”が『ビルボード』誌R&Bチャート(以下「R&B」)1位を記録。これを機に数多くのヒットを世に送り出す存在となり、1951年から1985年までの間に実に74回もビルボードのR&Bチャートに曲を送り込んでいる。

 

 

1952年9月、シングル"Miss Martha King"をリリースし、R&B1位。

 

12月、シングル"Story from My Heart and Soul"をリリース、R&B9位。

 

 

1953年3月、シングル"Woke Up This Morning" (My Baby She Was Gone)をリリース、R&B3位。

 

6月、シングル"Please Love Me"をリリース、R&B1位。

 

8月、シングル"Please Hurry Home"をリリース、R&B4位。

 

 

1954年6月、シングル"When My Heart Beats Like a Hammer"をリリース、R&B8位。

 

9月、シングル"You Upset Me Baby"をリリース、R&B1位。

 

 

1955年9月、"Ten Long Years"をリリース、R&B9位。

 

 

1956年1月、シングル"Every Day I Have the Blues"をリリース、R&B8位。

 

6月、コンピレーションアルバム『Singin' the Blues』をリリース、RIAAゴールド認定。

 

7月、シングル"Sweet Little Angel"と"Bad Luck"をリリース、チャート動向は、それぞれR&Bで6位と3位。

 

 

 

1958年10月、シングル"Please Accept My Love"をリリース、R&B9位。

 

 

1959年12月、シングル"Sweet Sixteen, Pt. 1"をリリース、R&B2位。

 

 

1960年7月、シングル"Partin' Time"をリリース、R&B8位。

 

 

1961年、シングル"Someday"をリリース、R&B16位。

 

同年、シングル"Peace of Mind"をリリース、R&B7位。

 

 

1964年5月、“ロック・ミー・ベイビー”(Rock Me Baby)を発表、全米34位・R&B12位。ベースとなったのは、リル・ソン・ジャクソン(Lil' Son Jackson)による1951年の曲“ロッキン・アンド・ローリン”(Rockin' and Rollin)で、歌詞はほぼ同じだが、ジャクソンがヴォーカルとギター伴奏でソロ曲として演奏したのに対し、キングは“ロック・ミー・ベイビー”をアンサンブルで演奏。こうした編曲の秀逸さもあり、後に多くのアーティストが取り上げるスタンダード・ナンバーとなった。

 

 

1966年、シングル"Don't Answer the Door, Pt. I"をリリース、全米72位・R&B2位。

 

 

1967年、シングル"The Jungle"をリリース、全米94位・R&B17位。

 

 

1968年、シングル"Paying the Cost to Be the Boss"をリリース、全米39位・R&B10位。

 

 

1969年、“Thrill Is Gone”のリメイク(原曲はロイ・ホーキンス)をシングルリリース、翌年に全米15位・R&B3位を記録し、さらに翌1970年にはグラミー賞「Best Male R&B Vocal Performance」を受賞した。

 

12月5日、アルバム『Completely Well』をリリース、“Thrill Is Gone”収録。全米38位・R&B5位。

 

 

1970年、シングル"Chains and Things"をリリース、全米45位・R&B6位。

 

 

1971年1月、ライヴアルバム『Live in Cook County Jail』をリリース、全米25位・R&B1位・『ビルボード』誌ジャズ・チャート(以下「ジャズ」)3位。

 

6月にはロンドンでピーター・グリーン、クラウス・フォアマン、アレクシス・コーナー、リンゴ・スター等のゲストを迎えてアルバム『In London』を録音。

 

 

1972年、アルバム『L.A. Midnight』をリリース、全米53位・R&B21位。

同年、アルバム『Guess Who』をリリース、全米65位・R&B14位。

 

 

1973年、アルバム『To Know You Is to Love You』をリリース、全米71位・R&B13位。

 

 

1974年、シングル"I Like to Live the Love"をリリース、全米28位・R&B6位。

 

 

1979年、アルバム『Take It Home』をリリース、全米112位・R&B22位。

 

 

1980年代から2000年までの間は、アルバムのリリースは少なくなる一方、テレビのショーへの出演やライブへの出演が多くなり、特にライヴの回数は年に300回にも達していたという。

 

 

1982年、グラミー賞「Best Ethnic or Traditional Recording」を"There Must Be a Better World Somewhere"で受賞。

 

 

1983年、アルバム『Blues 'N' Jazz』をリリース、全米172位・R&B38位・ジャズ21位。

 

 

 

1984年、グラミー賞「Best Traditional Blues Recording」を『Blues 'n Jazz』で受賞。

 

 

1985年、アルバム『Six Silver Strings』をリリース、R&B31位・ジャズ23位。
 

 

1986年、グラミー賞「Best Traditional Blues Recording」を『Six Silver Strings』収録の"My Guitar Sings the Blues" で受賞。

 

 

1987年、ロックの殿堂入りを果たす。授賞式にはスティングがプレゼンターとして参加した。

 

 

1988年、U2と“When Love Comes To Town”で共演、同曲は翌1989年にはシングルとしてヒット、全米68位・全英6位、米国のロックチャートでは2位にランクインした。

 

 

1990年、ライヴアルバム『Live at San Quentin』をリリース。

 

 

1991年、グラミー賞「Best Traditional Blues Recording」をライヴアルバム『Live at San Quentin』で受賞。

4月16日、『Live at the Apollo』をリリース。

同年、米国立芸術基金(NEA)の選定するNational Heritage Fellowship(日本の人間国宝に相当)に選ばれている。  

 

 

1992年、グラミー賞「Best Traditional Blues Album」をライヴアルバム『Live at the Apollo』で受賞。

3月10日、ゲイリー・ムーア(Gary Moore)のアルバム『アフター・アワーズ』(After Hours)に客演、"Since I Met You Baby"でムーアと共演し、全英59位を記録した。

 

 

1993年、多くのブルーズマンをゲストに迎えたアルバム『ブルース・サミット』(Blues Summit)を発表。8歳年上のジョン・リー・フッカーから28歳年下のロバート・クレイまで、幅広い世代がゲスト参加した本作は、全米182位・R&B64位に達した。キングは本作でグラミー賞「最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞」を受賞、自身7度目のグラミー受賞を果たした。

 

 

なお、キングはメンフィスで同年、本作にも参加したゲストを大勢迎えたライヴを実施、その模様を映像作品『ブルース・サミット・コンサート』として発表した。

 

 

1994年、アカデミー賞「Best Traditional Blues Album」を『ブルース・サミット』(Blues Summit)で受賞。

 

 

1997年、グラミー賞「Best Rock Instrumental Performance」を"SRV Shuffle"で受賞。

11月4日、アルバム『Deuces Wild』を発表、ヴァン・モリソン、ドクター・ジョン、ローリング・ストーンズ、ウィリー・ネルソン等、B.B.キングを慕うアーティストが参加。全米73位・『ビルボード』誌ブルーズ・チャート(以下「ブルーズ」)1位、RIAAゴールド認定。

 

 

 

1998年10月20日、長いキャリアにおいて初のセルフ・プロデュース作品『Blues on the Bayou』を発表、全米186位・ブルーズ2位。同アルバムでグラミー賞を受賞。

 

 

同年に公開された映画『ブルース・ブラザース2000』では、エリック・クラプトン(Eric Clapton)と共演。

 

 

2000年、グラミー賞「Best Traditional Blues Album」を『Blues on the Bayou』で受賞。

6月13日、クラプトンとの共演アルバム『ライディング・ウィズ・ザ・キング』(Riding with the King)をリリース、全米3位になったのを始め、ノルウェー1位、ドイツとニュージーランドで2位、オーストリアとスイスでも3位、イタリア4位、オーストラリア5位、オランダと日本で6位、スウェーデン8位など、世界各国でチャート上位に入った。タイトルナンバー"Riding with the King"が『ビルボード』誌「Hot Rock & Alternative Songs」チャート26位に入った。

 

 

 

2001年、グラミー賞において、「Best Traditional Blues Album」を『ライディング・ウィズ・ザ・キング』で、「Best Pop Collaboration with Vocals」を"Is You Is or Is You Ain't (My Baby)"で、それぞれ受賞。

同年、アルバム『A Christmas Celebration of Hope – 20th Century Masters/The Christmas Collection: The Best of B.B. King』をリリース、全米151位・ブルーズ1位。

 

 

 

2003年、グラミー賞において、「Best Traditional Blues Album」を『A Christmas Celebration of Hope』で、「Best Pop Instrumental Performance』を"Auld Lang Syne" で、それぞれ受賞。

 

 

2005年9月13日、ボビー・ブランドやエルトン・ジョン、シェリル・クロウ、グロリア・エステファン、ヴァン・モリソン、そしてエリック・クラプトン等、様々なジャンルから多彩なゲストを迎えて制作されたアルバム『B.B. King & Friends: 80』をリリース、全米45位・ブルーズ1位。

 

 

 

2006年、グラミー賞「Best Traditional Blues Album」を『B. B. King & Friends: 80』で受賞。

 

 

2008年、アルバム『One Kind Favor』をリリース、全米37位・ブルーズ1位。

 

 

 

2009年、グラミー賞「Best Traditional Blues Album」を『One Kind Favor』で受賞。

 

 

2015年5月1日に、自身のホームページ及びFacebookでラスベガスの自宅で在宅介護を受けていることを表明した。

 

2015年5月14日、死去。89歳没。

 

5月25日、ネバダ州クラーク郡の検視局は、殺人の可能性で捜査が行われると発表した。司法解剖の結果、殺害に当たる証拠は認められず、アルツハイマー病に加え永らく患っていた糖尿病や冠動脈疾患といった要因が複合していたことが明らかとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「B.B.キング」「B.B. King」