西田 佐知子(にしだ さちこ/別名:西田佐智子/本名:関口 佐智子/1939年1月9日~)は、日本の元歌手。

 

 

 

1939年1月9日、西田佐智子が大阪府大阪市城東区で生まれる。

帝国女子高等学校(現:大阪国際滝井高等学校)中退。


「浪花けい子」の名で活動したこともあった。

 

1956年10月、SP盤のスプリット・シングルとして、藤島桓夫の“勘太郎天龍唄”のB面“伊那の恋唄”(作詞:牧喜代司/作曲:豊田一雄)を「西田佐智子」名義で発売し、マーキュリー・レコードからデビュー。

 

 

1959年12月10日、大関進“グッドナイトおやすみなさい”とのスプリット・シングルB面“いとはんの故郷”を歌唱。西田佐智子名義では11枚目にして最後のシングル・リリースとなった。

 

 

1960年3月1日、千草春美“わたしのばら”とのスプリット・シングルB面“ピンクレディ”を「西田佐知子」名義で歌唱、日活映画『海から来た流れ者』挿入歌。これ以降、西田佐知子として活動する。

 

4月、シングル“アカシアの雨がやむとき”(作詞:水木かおる/作・編曲:藤原秀行)を発売、B面は原田信夫“夜霧のテレビ塔”。本シングルは1968年時点で累計売上100万枚を記録する大ヒットとなった。また、村田英雄“王将”とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。本曲は、60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われており、そのハスキーで退廃的な魅力に満ちた歌声は現在でもニュース映像のBGMなどでしばしば使用される。

 

9月3日、“死ぬまで一緒に”を発売。

 

12月、“月影のキューバ”を発売。

 

 

1961年1月、ユナイト配給のギリシア映画『ネヴァー・オン・サンデー』の主題歌“日曜はいやよ”がスマッシュヒット。

 

6月20日、“刑事物語”を発売、東京放送TV(現:TBSテレビ)ドラマ『刑事物語』主題歌。

 

8月1日、続けて外国曲のカヴァー“コーヒールンバ”(日本語詞:中沢清二/作曲:ホセ・マンソ・ペローニ)を発売するとメガヒットを記録、西田は一躍その名を知られるようになる。

 

8月1日、“スク・スク”を発売。

 

12月31日、『NHK第12回紅白歌合戦』に初出場、“コーヒールンバ”を歌唱した。

 

 

1962年、“アカシアの雨がやむとき”で、村田英雄“王将”とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。

12月31日、『NHK第13回紅白歌合戦』に2年連続2度目の出場、“アカシアの雨がやむとき”を歌唱した。

 

 

1963年2月、シングル“浜辺の私/エリカの花散るとき”を発売。

 

3月、シングル“故郷のように”(作詞:永六輔/作曲:中村八大)を発売。

 

12月31日、『NHK第14回紅白歌合戦』に3年連続3度目の出場、“エリカの花散るとき”を歌唱した。

 

 

1964年1月10日、シングル“東京ブルース / サルビアの花は知っている”を発売、淡谷のり子の楽曲“東京ブルース”とは同名異曲。

 

8月、シングル“東京讃歌/泪のブルース”が発売、このシングルよりステレオ盤になる。

 

11月、“博多ブルース”を発売。

 

12月、“メリケン・ブルース”を発売。

 

12月31日、『NHK第15回紅白歌合戦』に4年連続4度目の出場、“東京ブルース”を歌唱した。

 

 

1965年10月5日、“赤坂の夜は更けて/女の意地”を発売、“赤坂の夜は更けて”は島倉千代子との競作。

 

 

12月31日、『NHK第16回紅白歌合戦』に5年連続5度目の出場、“赤坂の夜は更けて”を歌唱した。

 

 

1966年、“はてしなき恋/くちづけ”を発売。

 

10月20日、“信じていたい”を発売。

 

12月31日、『NHK第17回紅白歌合戦』に6年連続6度目の出場、“信じていたい”を歌唱した。

 

 

1967年、レコード売上1000万枚を突破した記念曲“たそがれの恋”発売。

 

9月30日、レコード売上1000万枚突破記念チャリティ・リサイタルを東京・新宿の東京厚生年金会館で開催した。

12月27日、“涙のかわくまで”を発売。

 

12月31日、『NHK第18回紅白歌合戦』に7年連続7度目の出場、“涙のかわくまで”を歌唱した。

 

 

1968年9月5日、“あの人に逢ったら”を発売。

 

12月31日、『NHK第19回紅白歌合戦』に8年連続8度目の出場、“あの人に逢ったら”を歌唱した。

 

 

1969年4月5日、“くれないホテル”を発売。

 

8月5日、“星のナイト・クラブ”を発売。

 

10月5日、“気になるあなた”を発売。

 

12月31日、『NHK第20回紅白歌合戦』に9年連続9度目の出場、“アカシアの雨がやむとき”を2度目となる歌唱。

 

 

1970年6月1日、“神戸で死ねたら”を発売。

 

12月31日、『NHK第21回紅白歌合戦』に10年連続10度目の出場、“女の意地”を歌唱。これが西田にとって現在のところ、最後の紅白出場となった。

 

 

1971年、関口宏(せきぐち ひろし/1943年7月13日-)との結婚を発表。これを機に芸能活動を大幅に縮小する。

 

 

1972年7月1日、一人息子の智宏(ともひろ)を出産。

 

 

1979年11月、シングル“初めての街で/ラストコール”を発売。“初めての街で”(作詞:永六輔/作曲:中村八大)は、菊正宗酒造のCMソング。CMには1975年から起用され、CMとシングルでは一部歌詞が違う。前者は非売品の宣伝盤として一部に配布、後者はシングル盤として1979年に発売。ともにCD化されている。

 

 

1982年、“テレビを見ている女”を発売。現在のところ最終シングル。

 


1982年以降表立った活動は無いが、一時は作詞家としても活動していた。

 

 

1990年、歌手・平井菜水のデビュー曲“めざめ”(作曲:来生たかお)の作詞を手掛ける。夫の関口宏が司会を務める日本テレビ系バラエティ番組『知ってるつもり?!』のエンディング曲。

 

 

現在は専業主婦となっている。

 

 

 

西田佐知子の“アカシアの雨がやむとき”や“コーヒールンバ”など代表的ヒット15曲を手軽に聴ける一枚、『西田佐知子エッセンシャル・ベスト』。

 

 

CD一枚にたっぷり20曲を収録、コンパクトな中に西田の魅力が詰まった『西田佐知子 全曲集』。

 

 

西田佐知子の歌の歴史を概観できる全112曲を収録したCD5枚組。文字通り西田の歌う歌謡曲の大全集。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「西田佐知子」

 

 

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