真島 昌利(ましま まさとし/1962年2月20日~)は、日本のミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライター。

 

 

 

1962年2月20日、真島昌利は、東京都日野市で誕生。兄が一人いる。

1965年、それまで住んでいた東京都豊島区池袋から東京都小平市花小金井に引っ越し、当地で育つ。

子どもの頃に初めて自分のお金で買ったシングル盤はピンキーとキラーズの“恋の季節”だった。

 

1974年、友達の家でビートルズのレコードを初めて聴いたのがきっかけで、ギターを始める。モーリスのフォークギターを1万円で購入。
 

1975年4月13日、東京都台東区秋葉原で初めてエレキギターを購入。買ったのは、グレコEG480 レスポール・モデル。ギター演奏はチャック・ベリーやローリング・ストーンズのキース・リチャーズに影響を受けた。

 

1976年、中学校の文化祭にて、人前で初めて演奏。

池袋の西武百貨店が開催したアマチュア・バンド・コンテストに、「ジョニー&スリー・クール・キャッツ」というバンドを組んで出場。真島はヴォーカルとリズムギターを担当。コピーを2曲演奏したが、バンドはこの日のライヴ一回のみで解散する。


1978年、杉浦光治(G)と真島(B)が中心となり、トリオバンドを結成。初期の頃はラブソングを中心に歌っていた。

12月24日のライヴに、「THE BREAKERS」名義で出演。

 

1980年、東京都立久留米西高等学校を卒業。同級生に、後にロック・ヴォーカリストとして活躍する「宙也」(ちゅうや/本名:中野浩/1962年2月4日-)がいた。

高校卒業後、地元でバンドを結成、「THE BREAKERS」と命名した。

 

1982年、初代ドラマーの加藤が真島、杉浦との意見の相違から脱退。篠原がドラムとして参加。その後、篠原が加入前にやっていたベース担当になり、真島はギターとなる。そして大槻がドラムで参加。

新宿、原宿のライブ・ハウスを中心に活動し、ザ・コーツ、THE LONDON TIMES、ザ・シャムロックなどのバンドと共演し、モッズ族のヒーロー的存在として人気を集めていた。先駆者的に、原宿の歩行者天国でのバンド演奏を行っていた。

シーナ&ザ・ロケッツやRCサクセションが所属していた音楽事務所「りぼん」に所属。


1983年、ビクター系列のレコード会社「フィリップス・レコード」よりメジャーデビューが決定する。しかし、所属事務所「りぼん」とレコード会社間で、初回プレス数について折り合いがつかず、デビューの話は白紙となる。
なお、デビューシングルとして発売予定だった“涙のCOOL DANCING/ダイヤルを廻すだけでいいのに”はプレス直前であり、業界向けサンプル版カセットテープなどは出回っていたが、結局、発売には至らなかった。

 

1984年2月19日、杉浦が脱退。その後は真島・篠原・大槻の3人で活動を継続。
3月21日、前年に白紙となったシングルを自主制作で発表する話もあったが、それも白紙となった。

11月11日、真島は、ザ・コーツの甲本ヒロトや、河口純之助と原宿の歩行者天国でのイベント「ロードサイド・ロッカーズ」で初セッションを行う。この時河口はギターを演奏していた。


1985年1月25日、新宿JAM STUDIOのイベント「マーチ・オブ・ザ・モッズ」での演奏を最後にバンドは解散。なお、この日のライヴにはヒロトが飛び入りで参加した。

2月、ほぼ同時期にザ・コーツを解散していたヒロトが当時住んでいた東京都渋谷区笹塚の廃屋(工場跡)でのパーティーの際、新しいバンドの結成をもちかけ、「THE BLUE HEARTS」(ザ・ブルーハーツ)を結成。その後、真島もギターと家財道具を持って工場跡に押し掛けるように引っ越し、ヒロトと同居することになる。

6月、初代ベーシスト望月正水(もちづき まさみ)が脱退。 元ザ・コーツの山川のりを(やまかわ のりを/1965年11月11日-/B)が2か月程サポートとして参加。

8月17日、渋谷屋根裏のライヴより、当初はバンドのマネージメント担当だった河口がベーシストとして正式加入。

真島のトレードマークともいえるバンダナは、キース・リチャーズに影響を受けたもので、ブルーハーツ結成後間もない頃、汗が垂れてこないようにと巻き始めた。

 

1986年3月、ドラマーの英竜介(はなぶさ りゅうすけ/1961年3月11日-2017年1月24日)が脱退。元THE POGOの佐藤シンイチロウ(さとう しんいちろう/1964年8月16日-)がサポートドラマーとして一時参加。

4月頃、梶原徹也がヒロトに加入を懇願し、オーディションを経てドラマーとして参加。これでメンバー4人、甲本ヒロト(Vo,Harp)、真島昌利(G,Vo,Cho)、河口純之助(B,Cho,Vo)、梶原徹也 (Ds,Cho)が揃い、このラインナップは解散まで続いた。

 

 

1987年2月、シングル“人にやさしく”(作詞・曲:甲本ヒロト)を自主制作で発表。

 

5月1日、1stシングル“リンダリンダ”(作詞・曲:甲本ヒロト)で、メルダックよりメジャーデビュー。オリコン38位。

 

5月21日、1stアルバム『THE BLUE HEARTS』リリース、オリコン31位。

11月21日、2ndシングル“キスしてほしい”(作詞・曲:甲本ヒロト)と2ndアルバム『 YOUNG AND PRETTY 』を同時発売。シングルはオリコン48位、アルバムは同10位。シングルのB面は、“チェインギャング”(作詞・作曲: 真島昌利)。

 

 

 

 

1988年7月1日、“ブルーハーツのテーマ”(作詞・曲:甲本ヒロト)と“チェルノブイリ”(作詞・曲:真島昌利)をカップリングしたシングルと、“チェルノブイリ”単独で片面に収録されたものとが自主レーベルから同時発売。前者はオリコン39位、後者は55位。当時、ブルーハーツが所属していたレコード会社(メルダック)の親会社が、原子力発電事業を展開している三菱電機であったため、“チェルノブイリ”の発売許可がおりず、所属事務所の自主レーベルから発売された。


11月23日、アルバム『TRAIN-TRAIN』とタイトルトラックをリカットした“TRAIN-TRAIN”(作詞・曲:真島昌利)を同時発売。前者はオリコン3位、シングルは5位。

 


 

1989年2月21日、シングル“ラブレター”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売、オリコン23位。

 

6月21日、シングル“青空”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン8位。

 

8月16日、初の海外ツアー「PORTLAND TOUR'89」敢行。

9月、レコード会社をメルダックからイーストウエスト・ジャパンに移籍。

10月21日、1stシングル“アンダルシアに憧れて”(作詞・曲:真島昌利)をリリースしてソロ・デビュー、オリコン13位。本曲は近藤真彦にカヴァーされ、同年11月10日にシングル発売された。

 

11月21日、ソロアルバム『夏のぬけがら』を発売、オリコン4位。

 

 

1990年7月25日、移籍後第一弾となるシングル“情熱の薔薇”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、TBS系ドラマ『はいすくーる落書2』主題歌。バンド初、そして唯一のオリコン週間シングルチャート1位。

 

9月10日、4thアルバム『BUST WASTE HIP』リリース、オリコンアルバムチャート初の1位。

 

 

1991年3月21日、2ndソロシングル“オーロラの夜”(作詞・曲:真島昌利)を発売。

 

4月10日、2ndソロアルバム『HAPPY SONGS』を発売。

4月10日、シングル“首つり台から”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン13位。

 

8月21日、3rdソロシングル“夜空の星くず”(作詞・曲:真島昌利)を発売。

 

11月28日、シングル“あの娘にタッチ”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン24位。

 

12月21日、5thアルバム『HIGH KICKS』リリース、オリコン3位。

 

 

1992年3月10日、シングル“TOO MUCH PAIN”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン29位。

 

10月1日、4thソロシングル“GO!GO!ヘドロマン”(作詞・曲:真島昌利)を発売。

 

10月25日、メジャー10枚目となるシングル“夢”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン14位。 

 

11月1日、3rdソロアルバム『RAW LIFE』を発売。

 

 

1993年1月21日、5thソロシングル“俺は政治家だ”(作詞・曲:真島昌利)を発売、カップリングはクラッシュのカヴァー“I FOUGHT THE LAW”。

 

2月10日、6thアルバム『STICK OUT』リリース、自身2度目のオリコン1位。

2月25日、シングル“旅人”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン50位。 

 

5月25日、シングル“1000のバイオリン”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン47位。 

 

7月10日、7thアルバム『DUG OUT』リリース、オリコン2位。

8月25日、シングル“パーティー”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン80位。

 

10月25日、通算17枚目、メジャーからは14枚目となるシングル“夕暮れ”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売。THE BLUE HEARTSとしての最後のシングルとなる。

 

 

1994年、THE BLUE HEARTSが活動休止。

10月21日、6thソロシングル“カレーライスにゃかなわない”(作詞・曲:真島昌利)と、4thソロアルバム『人にはそれぞれ事情がある』を同時発売。

 

 

1995年、ヒロトとともに事務所から独立、有限会社ハッピーソングを設立した。 

6月1日、NHK-FM音楽番組『ミュージックスクエア』で解散発表(出演部分は5月17日収録)。

7月10日、ラストオリジナルアルバム『PAN』発売、オリコン2位。

同年夏、ヒロトを誘って新しいバンド「↑THE HIGH-LOWS↓」(ザ・ハイロウズ)を結成。メンバーは、甲本ヒロト、真島昌利、調先人(しらべ さきと/1963年9月14日-/B,Cho)、大島賢治(おおしま けんじ/1964年12月30日-/Ds,Cho)、そして白井幹夫(しらい みきお/1950年5月31日-/Key,Cho)がデビュー時はサポートだったが後に正式加入した。 

7~11月、イベント、学園祭などに出演。 

10月25日、デビューシングル“ミサイルマン”(作詞・曲:甲本ヒロト)、1stアルバム『THE HIGH-LOWS』を同時発表。 TBS系ドラマ『未成年』第一話OPに登場。

 

 

1996年2月21日、シングル“胸がドキドキ”(作詞・曲:甲本ヒロト・真島昌利)リリース、『名探偵コナン』初代オープニングテーマ。オリコン10位。

 

6月24日、シングル“相談天国”(作詞・曲:真島昌利)リリース、日産・シルビアCMソング。オリコン10位。

 

11月16日、セックス・ピストルズ初来日の日本武道館ライヴでオープニング・アクトを務める。

12月6日、シングル“ロッキンチェアー”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、 「Q99」オープニングテーマ。オリコン45位。

 

 

1997年6月11日、シングル“月光陽光”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、『ミュージックスクエア』6・7月オープニングテーマ、カップリングの“開かないドア”(作詞・曲:甲本ヒロト)がJR東日本CMソング。オリコン44位。

 

9月、真島とともに資金を出して機材倉庫を改装して造った「アトミック・ブギー・スタジオ」が完成。 

 

 

1998年12月16日、シングル“ローリング・ジェット・サンダー”(作詞・曲:真島昌利)リリース、「ストリートファイターZERO3」CMソング。オリコン27位。

 

 

1999年6月9日、ヒロトとマーシーが自前のスタジオ(アトミック・ブギー・スタジオ)で録音したアルバム『バームクーヘン』を発表。 

 

 

2000年5月24日、テレビドラマ『伝説の教師』のタイアップを得て、シングル“青春”(作詞・曲:真島昌利)がオリコン8位のヒット。

 

6月9日、5thアルバム『Relaxin' WITH THE HIGH-LOWS』をリリース、アルバムタイトル・ジャケットともにマイルス・デイヴィスが1958年に発表したアルバムRelaxin' with the Miles Davis Quintetのパロディである。オリコン3位。

 

 

2001年8月8日、シングル“十四才/フルコート”リリース、“十四才”(作詞・曲:甲本ヒロト)が『王様のブランチ』エンディングテーマに採用、オリコン15位。

 

9月5日、6thアルバム『HOTEL TIKI-POTO』をリリース、オリコン4位。

10月11日、シングル“ニューヨーク”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売。その1か月前、偶然にもアメリカ同時多発テロ事件が起き、テロをモチーフにしたと勘違いされる。曲はテロが起きる前からできており、歌の内容もテロとは無関係だったが、「100年経ったらウンコも残らないニューヨーク」という虚無的な歌詞が含まれていたため、テロが起きる前に作られたが故に一層、物議を醸した。

 

 

2002年2月20日、シングル“いかすぜOK”(作詞・曲:真島昌利)リリース、コカ・コーラ「アクエリアス」CMソング。オリコン15位。

 

9月4日、シングル“Too Late To Die”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、 「カレーハウスCoCo壱番屋」CMソング。オリコン15位。

 

11月26日~2003年7月13日にかけて行われたツアー「2002-2003 angel beetle」の最終日、大阪城野外音楽堂でのライヴをもって白井幹夫が脱退。 

 

 

2003年6月25日、シングル“夏なんだな”(作詞・曲:真島昌利)をリリース、コカ・コーラ「アクエリアス」CMソング。オリコン9位。

 

 

2004年2月11日、シングル“日曜日よりの使者”(作詞・曲:甲本ヒロト)をリリース、オリコン20位。Honda「Do You Have a HONDA?」イメージソング、映画『ゼブラーマン』主題歌、北日本放送『ゼロいち』ジングル。

 

2004年、レコード会社をユニバーサルミュージックからBMG JAPANに移籍(所属事務所である有限会社ハッピーソングがBMG JAPANと提携したため)。プライベートレーベル「HAPPYSONG RECORDS」を立ち上げる。 

6月9日、移籍後第一弾シングル“荒野はるかに/ズートロ (69バージョン)”リリース、オリコン10位。“荒野はるかに”(作詞・曲:真島昌利)がJOC(日本オリンピック委員会)「アテネオリンピック 自転車競技」応援ソングに、“ズートロ”(作詞・曲:甲本ヒロト)がPOKKA「キレートレモン」CMソングに各々採用。

 

9月1日、事実上のラストオリジナルアルバムとなった『Do!! The★MUSTANG』を発表。 

 

 

2005年 5月18日、シングル“サンダーロード”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売。これがTHE HIGH-LOWSとしてのラストシングルとなった。

 

11月5日、中央大学の学園祭「中大炎上!!↑THE HIGH-LOWS↓LIVE」に出演、これがラストライヴとなった。なお、最後に演奏した曲は“ハスキー(欲望という名の戦車)”であった。 

11月11日、↑THE HIGH-LOWS↓の活動休止を発表、そのまま解散状態となる。ファンクラブ会員にはダイレクトメールで事前に発表済みだった。休止及び解散理由等は発表されていない。 

 

 

2006年 1月1日、シングルを集めた↑THE HIGH-LOWS↓にとって初のベストアルバム『FLASH 〜BEST〜』発売、オリコン6位。

 

 

2006年、ヒロトにバンド結成の話を持ち掛け、2人と仕事・プライベートでTHE BLUE HEARTS時代から親交のあるレコーディング・エンジニアの川口聡の紹介により、小林勝(こばやし まさる/1967年12月9日-/B,Cho)、桐田勝治(きりた かつじ/1971年9月11日-/Ds,Cho)が加わって「ザ・クロマニヨンズ」を結成。

春、クロマニヨンズとしてレコーディングを行う。

7月23日を皮切りに大型ロックフェスの出演とツアーを敢行した。

9月20日、シングル“タリホー”(作詞・曲:甲本ヒロト)を発表。オリコン3位。

 

10月25日、1stアルバム『ザ・クロマニヨンズ』をリリース、オリコン3位。

 

 

2007年4月25日、シングル“紙飛行機”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン7位。

 

8月15日、シングル“ギリギリガガンガン”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン8位。

 

9月12日、2ndアルバム『CAVE PARTY』リリース、オリコン7位。

10月に急性疾患に罹り、予定していたライヴを延期。その後、復帰した。 

 

 

2008年5月21日、シングル“エイトビート”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン7位。

 

8月27日、シングル“スピードとナイフ”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン13位。

10月15日、3rdアルバム『FIRE AGE』リリース、オリコン3位。

 

 

2009年10月7日、シングル“グリセリン・クイーン”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン7位。

 

10月28日、4thアルバム『MONDO ROCCIA』リリース、オリコン5位。

 

 

2010年10月20日、シングル“オートバイと皮ジャンパーとカレー”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン9位。

 

11月10日、5thアルバム『Oi! um bobo』リリース、オリコン7位。

 

 

2011年3月2日、シングル“流線型/飛び乗れ!!ボニー!!”リリース、“流線形”(作詞・曲:真島昌利)は、サッポロビール「トライアングル ジンジャーハイボール」CMソング。オリコン10位。

 

9月14日、シングル“ナンバーワン野郎!”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン8位。

 

12月14日、シングル“雷雨決行”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン8位。

 

 

2012年1月18日、6thアルバム『ACE ROCKER』リリース、オリコン6位。

5月23日、シングル“突撃ロック”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン18位。

 

12月12日、シングル“炎”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン13位。

 

 

2013年2月6日、7thアルバム『YETI vs CROMAGNON』リリース、オリコン4位。

 

 

2014年8月6日、シングル“キスまでいける”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン16位。

 

 

2015年、ヒックスヴィルの真城めぐみ、中森泰弘と新バンド、「ましまろ」を結成。

5月13日、ましまろが“ガランとしてる”(作詞・曲:真島昌利)でデビュー。

 

9月9日、シングル“エルビス(仮)”(作詞・曲:真島昌利)リリース、土曜ドラマ『ど根性ガエル』の主題歌。オリコン15位。

 

10月21日、9thアルバム『JUNGLE 9』を発売、オリコン3位。

 

 

2016年9月14日、シングル“ペテン師ロック”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン12位。

 

 

2017年7月、ヒロトがバイクより転倒し鎖骨、肋骨を骨折。予定していたライヴを延期する事態となった。 

8月30日、シングル“どん底”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン15位。

 

 

2018年8月29日、シングル“生きる”(作詞・曲:真島昌利)リリース、日本テレビ系テレビドラマ『3年A組-今から皆さんは、人質です-』の主題歌。オリコン12位。

 

 

2020年10月28日、↑THE HIGH-LOWS↓の結成25周年を記念してオリジナル・アルバム8作品と編集盤2作品のリマスター盤を発売。

11月4日、シングル“暴動チャイル(BO CHILE)”(作詞・曲:甲本ヒロト)リリース、オリコン10位。

12月2日、アルバム『MUD SHAKES』リリース。

 

 

2021年5月28日、6ヵ月連続でシングルを発売するプロジェクト「SIX KICKS ROCK&ROLL」発表。
6月18~27日、後述DVD発売に先駆け、「ザ・クロマニヨンズ ライブ!MUD SHAKES 2021 爆音上映会」(全国26ヶ所)開催。
6月30日、5作目となるライヴDVD『ザ・クロマニヨンズ ライブ!MUD SHAKES 2021』発売。
8月25日、20thシングル“ドライブ GO!”(作詞・曲:真島昌利)発売、オリコン10位。

 

9月29日、21stシングル“光の魔人”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売、オリコン10位。
10月27日、22ndシングル“大空がある”(作詞・曲:真島昌利)発売、オリコン7位。

 

11月24日、23rdシングル“もぐらとボンゴ”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売、オリコン12位。
12月22日、24thシングル“縄文BABY”(作詞・曲:真島昌利)発売、オリコン11位。

 

 

2022年1月19日、25thシングル“ごくつぶし”(作詞・曲:甲本ヒロト)発売、オリコン6位。15thアルバム『SIX KICKS ROCK&ROLL』も同時発売、オリコン3位。

 

1月24日~5月5日、ツアー「ザ・クロマニヨンズ ツアー SIX KICKS ROCK&ROLL」(全国26公演)開催。

12月14日、26thシングル“イノチノマーチ”(作詞・曲:甲本ヒロト)を発売、オリコン11位。

 

 

2023年1月18日、16thアルバム『MOUNTAIN BANANA』を発売。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「真島昌利」「THE BREAKERS」「THE BLUE HEARTS」「THE HIGH-LOWS」「ザ・クロマニヨンズ」「ましまろ」

 

 

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