甲本 ヒロト(こうもと ひろと/本名:甲本 浩人/1963年3月17日~)は、日本のミュージシャン。

 

 

 

岡山県岡山市出身。

俳優の甲本雅裕(こうもと まさひろ/1965年6月26日~)は実弟。

 

岡山大学教育学部附属小学校、岡山大学教育学部附属中学校卒業。中学の同級生に、浅草キッドの水道橋博士(すいどうばしはかせ/本名:小野 正芳[おの まさよし])がいる。

中学生時代、セックス・ピストルズやマンフレッド・マン (バンド)に衝撃を受け、「中学を卒業したら高校へは行かずに、上京してロックンローラーになりたい」と親に言うも、反対される。

 

岡山に大好きなシーナ&ザ・ロケッツがツアーで来た際、親に反対されライヴには行けなかったが諦めきれず、ライヴ後にシーナ&ロケッツがラジオに出ると聞いて放送局の裏口に父親と一緒に待ち伏せし、「サインをください」と駆け寄ったエピソードが有名。その際、鮎川誠とシーナに初めてラジオ局の中に連れて行ってもらい内部を見学した後、鮎川に「僕、まだロック未体験ですけど、僕にもロックンロールが出来るような気がするんです」と発言。「大丈夫。きっと出来るよ!」と強く言われたことが、THE BLUE HEARTS結成のきっかけである。

 

1980年、高校3年生の夏休みに、ヴォーカリストが抜けた友人のバンド「ラウンド・アバウト」に誘われて加入。これがバンド初体験だった。加入後、地元、岡山で活動。

セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスに影響を受け、ベーシストに憧れていたが、「誰にでも出来る」という理由でヴォーカリストになった。


岡山県立岡山操山高等学校卒業。

法政大学経済学部経済学科に進学するために上京。

ラウンド・アバウトは東京でも活動を展開する。大学は後に中退。 

 

1982年、ラウンド・アバウト解散。その後、モッズ・バンド「ザ・コーツ」(THE COATS)を結成。後にブルーハーツで演奏される“NO NO NO”、“人にやさしく”(当時は“がんばれのうた”)、“少年の詩”、“ロマンチック”などは既にこの頃演奏されていた。

 

1984年11月11日、甲本は、真島昌利、河口純之助と原宿の歩行者天国でのイベントロードサイド・ロッカーズ」で初めてセッションを行う。この時河口はギターを演奏していた。

同年、ザ・コーツ解散。

 

1985年2月、真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成。

6月、初代ベーシストが脱退。 

8月17日、渋谷屋根裏のライヴより、当初はバンドのマネージメント担当だった河口がベーシストとして正式加入。

 

1986年4月頃、梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラマーとして参加。これでメンバー4人がそろった。甲本ヒロト(Vo,Harp)、真島昌利(ましま まさとし/1962年2月20日~/G,Vo,Cho)、河口純之助(かわぐち じゅんのすけ/1961年4月26日~/B,Cho,Vo)、梶原徹也 (かじわら てつや/1963年9月26日~/Ds,Cho)

 

1987年2月、シングル“人にやさしく”(作詞・曲:甲本ヒロト/以下、特記がない限り同じ)を自主制作で発表。

5月1日、シングル“リンダリンダ”で、メルダックよりメジャーデビュー。オリコン38位。

 

5月21日、1stアルバム『THE BLUE HEARTS』リリース、オリコン31位。

 

11月21日、2ndシングル“キスしてほしい”と2ndアルバム『 YOUNG AND PRETTY 』を同時発売。シングルはオリコン48位。アルバムはオリコン10位。

 

 

1988年7月1日、“ブルーハーツのテーマ”と“チェルノブイリ”(作詞・曲:真島昌利)をカップリングしたシングルと、“チェルノブイリ”単独で片面に収録されたものとが自主レーベルから同時発売。前者はオリコン39位、後者は55位。当時、ブルーハーツが所属していたレコード会社(メルダック)の親会社が、原子力発電事業を展開している三菱電機であったため、“チェルノブイリ”の発売許可がおりず、所属事務所の自主レーベルから発売された。


11月23日、アルバム『TRAIN-TRAIN』とタイトルトラックをリカットした“TRAIN-TRAIN”(作詞・曲:真島昌利)を同時発売。前者はオリコン3位、シングルは5位。

 

 

 

1989年2月21日、シングル“ラブレター”リリース、オリコン23位。

 

6月21日、シングル“青空”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン8位。

 

8月16日、初の海外ツアー「PORTLAND TOUR'89」敢行。

9月、レコード会社をメルダックからイーストウエスト・ジャパンに移籍。

 

 

1990年7月25日、移籍後第一弾となるシングル“情熱の薔薇”リリース、TBS系ドラマ『はいすくーる落書2』主題歌。バンド初、そして唯一のオリコン週間シングルチャート1位。

 

9月10日、4thアルバム『BUST WASTE HIP』リリース、オリコンアルバムチャート初の1位。

 

 

1991年4月10日、シングル“首つり台から”リリース、オリコン13位。

 

11月28日、シングル“あの娘にタッチ”リリース、オリコン24位。

 

12月21日、5thアルバム『HIGH KICKS』リリース、オリコン3位。

 

 

1992年3月10日、シングル“TOO MUCH PAIN”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン29位。

 

10月25日、メジャー10枚目となるシングル“夢”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン14位。 

 

 

1993年2月10日、6thアルバム『STICK OUT』リリース、自身2度目のオリコン1位。

 

2月25日、シングル“旅人”リリース、オリコン50位。 

 

 

5月25日、シングル“1000のバイオリン”(作詞・曲:真島昌利)リリース、オリコン47位。 

7月10日、7thアルバム『DUG OUT』リリース、オリコン2位。

8月25日、シングル“パーティー”リリース、オリコン80位。

 

10月25日、通算17枚目、メジャーからは14枚目となるシングル“夕暮れ”発売。THE BLUE HEARTSとしての最後のシングルとなる。

 

 

1994年、THE BLUE HEARTSは活動休止。

 

 

1995年、真島とともに事務所から独立、有限会社ハッピーソングを設立した。 

6月1日、NHK-FM音楽番組『ミュージックスクエア』で解散発表(出演部分は5月17日収録)。

THE BLUE HEARTSが活動休止中(実際には解散状態)の同年、ヒロトはソロアルバムを制作し、ジャケットデザインやレコーディングも完了していたが、前所属事務所との契約上のトラブルにより未発表に終わった。

7月10日、ラストオリジナルアルバム『PAN』発売、オリコン2位。

同年夏、真島に誘われ「↑THE HIGH-LOWS↓」を結成。メンバーは、甲本ヒロト、真島昌利、調先人、大島賢治、白井幹夫(デビュー時はサポートだったが、後に正式加入。) 

7月 - 11月、イベント、学園祭などに出演。 

10月25日、デビューシングル“ミサイルマン”、1stアルバム『THE HIGH-LOWS』を同時発表。 TBS系ドラマ『未成年』の第一話オープニングに登場。

 

 

1996年2月21日、シングル“胸がドキドキ”(作詞・曲:甲本ヒロト・真島昌利)リリース、『名探偵コナン』初代オープニングテーマ。オリコン10位。

 

6月24日、シングル“相談天国”(作詞・曲:真島昌利)リリース、日産・シルビアCMソング。オリコン10位。

 

11月16日、セックス・ピストルズ初来日の日本武道館ライヴでオープニング・アクトを務める。

12月6日、シングル“ロッキンチェアー”リリース、 「Q99」オープニングテーマ。オリコン45位。

 

 

1997年6月11日、シングル“月光陽光”リリース、『ミュージックスクエア』6・7月オープニングテーマ、カップリングの“開かないドア”がJR東日本CMソング。オリコン44位。

 

9月、真島とともに資金を出して機材倉庫を改装して造ったアトミック・ブギー・スタジオ完成。 

 

 

1998年12月16日、シングル“ローリング・ジェット・サンダー”(作詞・曲:真島昌利)リリース、「ストリートファイターZERO3」CMソング。オリコン27位。

 

 

1999年6月9日、甲本と真島が自前のスタジオ(アトミック・ブギー・スタジオ)で録音したアルバム『バームクーヘン』を発表。 

 

 

2000年、テレビドラマ『伝説の教師』のタイアップを得て、シングル“青春”(作詞・曲:真島昌利)がオリコン8位のヒット。

 

 

2001年8月8日、シングル“十四才/フルコート”リリース、“十四才”が『王様のブランチ』エンディングテーマに採用、オリコン15位。

 

10月11日、シングル“ニューヨーク”発売。その1か月前、偶然にもアメリカ同時多発テロ事件が起き、テロをモチーフにしたと勘違いされる。曲はテロが起きる前からできており、歌の内容もテロとは無関係だったが、「100年経ったらウンコも残らないニューヨーク」という虚無的な歌詞が含まれていたため、テロが起きる前に作られたが故に一層、物議を醸した。

 

 

2002年2月20日、シングル“いかすぜOK”(作詞・曲:真島昌利)リリース、コカ・コーラ「アクエリアス」CMソング。オリコン15位。

 

9月4日、シングル“Too Late To Die”リリース、 「カレーハウスCoCo壱番屋」CMソング。オリコン15位。

 

11月26日~2003年7月13日にかけて行われたツアー「2002-2003 angel beetle」の最終日、大阪城野外音楽堂でのライヴをもって白井幹夫脱退。 

 

 

2003年6月25日、シングル“夏なんだな”(作詞・曲:真島昌利)をリリース、コカ・コーラ「アクエリアス」CMソング。オリコン9位。

 

 

2004年2月11日、シングル“日曜日よりの使者”リリース、オリコン20位。Honda「Do You Have a HONDA?」イメージソング、映画『ゼブラーマン』主題歌、北日本放送『ゼロいち』ジングル。

 

2004年、レコード会社をユニバーサルミュージックからBMG JAPANに移籍(所属事務所である有限会社ハッピーソングがBMG JAPANと提携したため)。プライベートレーベル「HAPPYSONG RECORDS」を立ち上げる。 

6月9日、移籍後第一弾シングル“荒野はるかに/ズートロ (69バージョン)”リリース、オリコン10位。“荒野はるかに”(作詞・曲:真島昌利)がJOC(日本オリンピック委員会)「アテネオリンピック 自転車競技」応援ソングに、“ズートロ”がPOKKA「キレートレモン」CMソングに各々採用。

 

9月1日、事実上のラストオリジナルアルバムとなった『Do!! The★MUSTANG』を発表。 

 

 

2005年 5月18日、シングル“サンダーロード”発売。これがTHE HIGH-LOWSとしてのラストシングルとなった。

 

11月5日、中央大学の学園祭「中大炎上!!↑THE HIGH-LOWS↓LIVE」に出演。これがラストライヴとなった。なお、最後に演奏した曲は“ハスキー(欲望という名の戦車)”であった。 

11月11日、↑THE HIGH-LOWS↓活動休止発表。そのまま解散状態となる。ファンクラブ会員にはダイレクトメールで事前に発表済みだった。休止及び解散理由等は発表されていない。 

 

 

2006年 1月1日、シングルを集めた↑THE HIGH-LOWSにとって初のベストアルバム『FLASH 〜BEST〜』発売、オリコン6位。

 

7月、ソロ・シングル“真夏のストレート/天国うまれ”発表。ギターのみならず、ベースやドラムスなど、ほぼ全てのパートを一人で演奏。

 

 

2006年春、真島らと「ザ・クロマニヨンズ」を結成、7月23日を皮切りに大型ロックフェスの出演とツアーを敢行した。

9月20日、シングル“タリホー”を発表。オリコン3位。

 

10月25日、1stアルバム『ザ・クロマニヨンズ』をリリース、オリコン3位。

 

 

2007年4月25日、シングル“紙飛行機”リリース、オリコン7位。

 

8月15日、シングル“ギリギリガガンガン”リリース、オリコン8位。

 

9月12日、2ndアルバム『CAVE PARTY』リリース、オリコン7位。

10月に急性疾患に罹り、予定していたライヴを延期。その後、復帰した。 

 

 

2008年5月21日、シングル“エイトビート”リリース、オリコン7位。

 

8月27日、シングル“スピードとナイフ”リリース、オリコン13位。

 

2008年10月15日、3rdアルバム『FIRE AGE』リリース、オリコン3位。

 

 

2009年10月7日、シングル“グリセリン・クイーン”リリース、オリコン7位。

 

10月28日、4thアルバム『MONDO ROCCIA』リリース、オリコン5位。

 

 

2010年10月20日、シングル“オートバイと皮ジャンパーとカレー”リリース、オリコン9位。

 

11月10日、5thアルバム『Oi! um bobo』リリース、オリコン7位。

 

 

2011年3月2日、シングル“流線型/飛び乗れ!!ボニー!!”リリース、オリコン10位。

9月14日、シングル“ナンバーワン野郎!”リリース、オリコン8位。

 

12月14日、シングル“雷雨決行”リリース、オリコン8位。

 

 

2012年1月18日、6thアルバム『ACE ROCKER』リリース、オリコン6位。

5月23日、シングル“突撃ロック”リリース、オリコン18位。

 

12月12日、シングル“炎”リリース、オリコン13位。

 

 

2013年2月6日、7thアルバム『YETI vs CROMAGNON』リリース、オリコン4位。

 

 

2014年8月6日、シングル“キスまでいける”リリース、オリコン16位。

 

 

2015年9月9日、シングル“エルビス(仮)”(作詞・曲:真島昌利)リリース、土曜ドラマ『ど根性ガエル』の主題歌。オリコン15位。

 

 

2016年9月14日、シングル“ペテン師ロック”リリース、オリコン12位。

 

 

2017年7月にバイクより転倒し鎖骨、肋骨を骨折。予定していたライヴを延期する事態となったがその後復帰し、アームホルダーで腕を吊りながらライヴを行った。 

8月30日、シングル“どん底”リリース、オリコン15位。

 

 

2018年8月29日、シングル“生きる”(作詞・曲:真島昌利)リリース、日本テレビ系テレビドラマ『3年A組-今から皆さんは、人質です-』の主題歌。オリコン12位。

 

 

2019年、憂歌団のギタリスト内田勘太郎とブルーズユニット「ブギ連」を結成。

6月26日、1stアルバム『ブギ連』を発表。

 

 

2020年11月4日、シングル“暴動チャイル(BO CHILE)”リリース、オリコン10位。

12月2日、アルバム『MUD SHAKES』リリース。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「甲本ヒロト」「THE BLUE HEARTS」「THE HIGH-LOWS」「ザ・クロマニヨンズ」