J.ガイルズ(J.GeilsまたはJay Geils/本名:JohnWarrenGeils Jr./1946年2月20日~2017年4月11日)は、アメリカ合衆国のギタリスト。J・ガイルズ・バンドのリーダーとして知られた。

 

 

 

1946年2月20日、ジョン・ウォーレン・ガイルズ・ジュニアは、アメリカ合衆国ニューヨーク市で生まれ、ニュージャージー州モリス・プレーンズで育った。彼はドイツ系であった。
父親はベル研究所のエンジニアであり、ジャズ・ファンであった。このため、幼い頃からベニー・グッドマン、デューク・エリントン、カウント・ベイシーといった父親のアルバムを聴き、また、ルイ・アームストロングのコンサートに連れて行かれた。 彼はトランペットとドラムでマイルス・デイヴィスの音楽を演奏することを学び、ラジオでブルーズ歌手のハウリン・ウルフとマディ・ウォーターズの曲を聴いた。


1959年、彼の家族はニュージャージー州ベッドミンスターのオールド ファーム レーンに引っ越した。彼はバーナーズビル近くのバーナーズ高校に通った。彼は数学クラブ、物理クラブ、生徒会、自動車クラブ、バンド クラブ、マーチング・バンドのメンバーであり、オートバイの大ファンでもあった。

 

 

1962年にバーナーズビルに引っ越してきたメリル・ストリープと付き合った。彼らは彼女が高校2年生と3年生の時に交際していた。

 

 

1964年、高校を卒業。

同年、ノースイースタン大学に通い始め、マーチング・バンドのトランペット奏者として活躍した。

その後、ボストンのフォーク・ミュージシャンに惹かれた時、彼は北東部を離れウースター工科大学へ行き、そこで機械工学を学んだ。

 

1967年、J・ガイルズはボストンで自身が率いるバンドを結成。当初は本格的なブルーズを演奏しており、バンド名も「J・ガイルズ・ブルース・バンド」を名乗っていたが、後にバンドは「J・ガイルズ・バンド」(The J. Geils Band)に名前を変更した。ラインナップは、J・ガイルズことジェローム・ガイルズ(J. Geils/G/1968-2012)、ピーター・ウルフ(Peter Wolf/Vo/1968-1983, 1999-2015)、ダニー・クレイン(Danny Klein/B/1968-2015)、マジック・ディック(Richard "Magic Dick" Salwitz / Herp,Sax,Tp/1968-2015)、ステファン・ジョー・ブラッド(Stephen Jo Bladd/ Ds/1968-1985, 2006)、セス・ジャストマン(Seth Justman/Key/1968-2015)。

 

 

1970年11月16日、1stアルバム『デビュー!』(The J. Geils Band)をAtlanticからリリースしてデビュー。ピーター・ウルフの野性的なヴォーカルとR&B色の濃いロックンロール・サウンドは「アメリカのストーンズ」と評された。アルバムは米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)に195位でランク・インした。

 

 

1971年10月2日、2ndアルバム『モーニング・アフター』(The Morning After)を発売、全米64位。ここからは、"Looking for a Love"が『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)39位・カナダ25位に入った。

 

 

1973年4月12日、3rdアルバム『ブラッドショット』(Bloodshot)をリリース、全米10位をマークする。ここからシングルは、"Give It to Me"が全米30位・カナダ39位、"Make Up Your Mind"が全米98位に入った。

 

 

 

11月9日、4thアルバム『招かれた貴婦人』(Ladies Invited)をリリース、全米51位。

 

 

1974年9月25日、5thアルバム『Nightmares...and Other Tales from the Vinyl Jungle』をリリース、全米26位に達した。ここからのシングル“マスタ・ガット・ロスト”(Must of Got Lost)が全米12位・カナダ27位のヒットとなり、バンドの知名度が高まった。

 

 

 

1975年9月9日、6thアルバム『Hotline』をリリース、全米36位をマークした。

 

 

 

1976月9日、7thアルバム『Monkey Island』をリリース、全米51位。ここからのシングルは、"You're the Only One"が全米83位に入ったが、"I Do"はチャート入りを逃した。

 

 


1978年、所属レコード会社をEMIに移籍。

11月、8thスタジオ・アルバム『Sanctuary』を移籍したEMIから発売し、全米49位を記録。ここからのシングルは、"One Last Kiss"が全米35位・カナダ58位・全英74位、"Take It Back"が全米67位・カナダ94位をマークした。

 

 

 

移籍後、1980年代から音楽性が少しずつ変化し始める。

 

 

1980年1月28日、9thアルバム『Love Stinks』をリリース、全米18位・カナダ4位を記録し、さらにMCからプラチナ、RIAAからゴールド認定を受けた。ここからのシングルは、"Come Back"が全米32位・カナダ19位、"Love Stinks"が全米38位・カナダ15位、"Just Can't Wait"が全米78位を記録した。

 

 

 

 

 

1981年9月13日、次作アルバムからのリード・シングル“堕ちた天使”(Centerfold)を発売、印象的なイントロのフレーズとセクシーなミュージックビデオが話題となり、翌年2月から6週間に渡り全米1位を記録、カナダをはじめ数か国で市hングル・チャート1位、全英でも3位に入る大ヒットとなった。だが同曲は産業ロックに走ったとの批評もあり、従来のファンや批評家などから賛否両論を招いた。

 

10月26日発表の10thスタジオ・アルバム『フリーズ・フレイム』(Freeze-Frame)も全米1位・カナダ1位、英国でも12位を獲得する。

 

 

1982年1月14日、アルバムのタイトル・トラック“Freeze-Frame”をリカット、全米4位、カナダ2位をはじめ各国でトップ10入りするヒットになった。

 

5月26日、アルバムから最後のシングル"Angel in Blue"をリカット、全米40位・カナダ39位・7全英55位を記録した。

 

同年、ガイルズはマサチューセッツ州グロトンに引っ越した。

11月23日、バンド3枚目のライヴ・アルバム『Showtime!』をリリースし、全米23位・カナダ21位を記録。ここからは、"I Do" (live)が全米24位・カナダ30位、"Land of a Thousand Dances" (live)が全米60位をマークした。

 


1983年、バンドの成功を機にピーター・ウルフがソロ活動のため脱退する。

 

 

1984年10月5日、11枚目のスタジオ・アルバム『ヒップ・アート』(You're Gettin' Even While I'm Gettin' Odd)をリリースするが、全米80位と不発に終わる。

 

 

1985年、最後のアルバムとなった『ヒップ・アート』から"Fright Night"をリカットするが、全米91位に終わる。

 

同年、バンドは活動を停止した。

 

 

1994年、ガイルズはMagic Dickと共同でアルバム『Bluestime』を制作、Rounderからリリース、ブルーズ・ナンバーを披露した。

 

 

1996年、Magic Dickと共同制作したブルーズ・アルバム第二弾『Little Car Blues』をリリース。

 

 

1999年、ドラムのステファン・ブラッドを除く5人のオリジナル・メンバーが久々に結集し、アメリカ東海岸を中心に13日間のツアーを行った。

この時バンドは、ツアー終了に再び活動を停止した。

 

 

2004年、ガイルズは、Duke Robillard、Gerry Beaudoin とともにプロジェクト「New Guitar Summit」をスタート。

 

同年、アルバム『New Guitar Summit - with Duke Robillard』をStony Plainからリリース。

同年、New Guitar Summitのライヴ・アルバム『Live at the Stoneham Theatre』をリリース。

 

 

2005年、ガイルズはソロ名義でジャズ・アルバム『Jay Geils Plays Jazz!』をStony Plainからリリース。

 

2005~2006年、J・ガイルズ・バンドはオリジナル・メンバー全員で散発的にライヴを開催した。

 

 

2006年、アルバム『Jay Geils, Gerry Beaudoin and the Kings of Strings featuring Aaron Weinstein』をArborsからリリース。

 

 

2007年、New Guitar Summitのアルバム『Jazzthing II - with Randy Bachman』をKochからリリース。

 

 

2008年、New Guitar Summitのアルバム『Shivers』をStony Plainからリリース。

 

 

2009年、ジャズ・アルバム第二弾『Toe Tappin' Jazz』をNorth Starからリリース。

同年からは、ブラッドを除く5人で本格的にバンド活動を再開した。

 

 

12月1日、J・ガイルズが長らく住んだマサチューセッツ州グロトンの町は、彼に敬意を表し、この日を「J・ガイルズの日」にすると宣言した。

 

 

2012年、バンドは米国ツアーを実施する計画を発表したが、肝心のJ・ガイルズはツアーに参加しない事を発表、残る4人は新たにギタリストを迎えてツアーを実施した。そのためガイルズが、自分の名前が付いたバンド名を使用しない様、裁判所に訴える事態となった。結果的に、ガイルズはそのままバンドを脱退した形となったが、バンド名は「J・ガイルズ・バンド」のまま2015年まで活動した。

 

2017年4月11日、J・ガイルズがマサチューセッツ州の自宅にて、グロトン警察が安否確認を実施、反応がない状態で発見された。71歳没。自然死だったという。

創始者の死去により、その名を冠したJ・ガイルズ・バンドは事実上、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「J. Geils」「J・ガイルズ・バンド」「The J. Geils Band」

 

 

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