トム・ヨーク(Thom Yorke/出生名:Thomas Edward Yorke/1968年10月7日~)は、イギリスのミュージシャン。オルタナティヴ・ロックバンド「レディオヘッド」のヴォーカル・ギター・ピアノ他多くの楽器演奏とソングライターを担当。

 

 

 

1968年10月7日、トーマス・エドワード・ヨークは、原子物理学者を経て化学関係に勤めていた父グレアムと教師である母バーバラの間に、英国イングランドのノーサンプトンシャー州ウェリングバラ(Wellingborough, Northamptonshire.)にて生まれる。生まれた時、左目は完全に麻痺していた。

 

生後間もなく、父グレアムの仕事の関係でスコットランドに転居した。

半年に2回の引っ越しと、年中着けている眼帯のせいで、子どもの頃のストレスは相当なものだった。

トムは、「僕の瞼は閉じたままで、誰もが一生このままだと思ってた。その後ある専門医が義眼みたいに筋肉を移植できる事を思いついた。そして僕は生まれて間もなくから6歳までの間に大きな手術を5回受けたんだ。でも彼らは最後の手術をしくじりやがった。それで僕の目は半分見えなくなったんだ」とインタビューで語っている。

 

1972年、弟アンディ・ヨーク(Andy Yorke/1972年1月10日‐)が生まれる。


1976年、父の仕事の関係でイングランド南部へ再び転居した。

10月7日、8歳の誕生日に安いスパニッシュ・ギターをプレゼントされる。人生で初めて熱中した楽器となり、短期間だがギタースクールにも通った。

 

1978年、引っ越し続きだった一家は、ようやくオックスフォードに定住。1980年まで、オックスフォードはウィットニーのスタンドレイク聖公会小学校に通学。後に弟のアンディ・ヨークも入学した。母は教師として同学校の教壇に立った。
同年、10歳で学校の友達と初めてのバンドを結成。しかし楽器が出来るのがそもそもトムだけで、「バンドというよりギターの配線を面白おかしくして燃やしたりする科学グループ」(Q誌)だったらしい。

 

1979年、11歳で生まれて初めて作曲を行う。曲名は“Mushroom Cloud”で、原子爆弾の爆発を歌った曲。「(きのこ雲の)恐ろしさではなく、ただ単純にその見た目について書いた曲」と、後年インタビューで話している。(1998年Opinion誌)

 

1980年、スタンドレイク聖公会小学校を卒業。

 

1981年、男子全寮制のパブリックスクール、アビントン・スクールに入学した。

 

1982年、コリン・グリーンウッドらスクールの友人達とパンクバンド「TNT」を結成。その後、トムとコリンの2人は他のメンバーの進歩の遅さに耐えきれず脱退した。

 

1985年、トムとコリンはエド・オブライエンをギタリストとして勧誘し、この3人をオリジナル・メンバーにバンドを結成した。ただし他のメンバーや編成は流動的で、一時はホーンセクションが在籍していたこともあった。

その後、リズムを刻んでいたドラムマシンが故障したため、上級生のドラマー、フィル・セルウェイを勧誘してレディオヘッドの前身「オン・ア・フライデー」(On a Friday)を結成。バンド名の由来は、毎週金曜日に集まり練習していたから。

また、コリンの弟で当時15歳のジョニー・グリーンウッドが兄のバンドに参加したがっていたため、キーボードのサポートメンバーとして入れる。

1987年、アビントン・スクールを卒業。

1年間いくつかのアルバイトを転々として生計を立てるが、ほぼ全てクビになるか自分から辞めており、一つも長続きしていない。

 

1988年末、名門エクセター大学に入学し英語と美術を学ぶため、トムは単身でイギリス南西部のエクセターに移り、オン・ア・フライデーは一時休止した。

大学にて、将来の妻レイチェル・オーウェンと出会う。

大学では一時的に「フリッカーノイズ」(Flickernoise)というテクノ・グループで演奏し、「ヘッドレス・チキンズ」(Headless Chickens)というバンドと共演。メンバーの一人、ジョン・マティアスはザ・ベンズではコーラス・ストリングスに参加しメジャーデビューしており、現在も活動中である。ザ・ベンズの“High & Dry”はこのバンドでトムが書き下ろした曲である。

 

1991年春、単位取得後に大学を卒業したヨークは、ヘッドレスを抜けオックスフォードに帰郷した。なお、コリン・グリーンウッドはケンブリッジ大学で英語の学位を取得、エドはマンチェスター大学で経済学の学位を、フィル・セルウェイはリバプール大学で英語と歴史の学位を取得している。

メンバーが再びそろったオン・ア・フライデーは活動を再開、ヘルプ扱いだったジョニーはオックスフォード・ブルックス大学で音楽を専攻していたが、バンドのために中退し、ギター兼キーボードで正式加入した。

これによりラインナップは、トム・ヨーク (Thom Yorke/ 1968年10月7日-/ Vo,G,Pf,Key)、ジョニー・グリーンウッド (Jonny Greenwood/ 1971年11月5日-/ G,Key)、コリン・グリーンウッド (Colin Greenwood/ 1969年6月26日-/ B)、エド・オブライエン (Ed O'Brien/ 1968年4月15日-/ G,Cho)、フィル・セルウェイ (Philip Selway/ 1967年5月23日-/ Ds,Perc)の5人となった。



1992年、バンドはEMI傘下のパーロフォン(Parlophone)と契約する。この時、バンド名を「レディオヘッド」(Radiohead)と変えている。このバンド名は、敬愛するロック・バンド「トーキング・ヘッズ」(Talking Heads)の1986年作品『トゥルー・ストーリーズ』(True Stories)の収録曲“Radio Head”に由来。

9月21日、1stシングル“クリープ"(Creep)をパーロフォンからリリースしてデビュー。全英7位をはじめ各国でヒットし、若者から熱烈な支持を受ける。当時はUSオルタナティヴ・ロック、UKシューゲイザーなどの影響が頻繁に語られるような、トリプルギターにベース、ドラムという比較的オーソドックスなロックバンドであった。

 

 

1993年2月22日、1stアルバム『パブロ・ハニー』(Pablo Honey)を発表してメジャー・デビュー、全英22位・米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)32位をマークした。ここからは他に"Anyone Can Play Guitar"をリカット、全英32位をマークした。

 

 

1993年、シングル"Pop Is Dead"をリリース、全英42位。

 

 

1995年3月8日、2ndアルバム『ザ・ベンズ』(The Bends)をリリース、全英4位をマークした。ギターロックをより押し進めつつもアコースティックソングやサイケデリック・ロックからの影響を昇華した本作により、人気を不動のものとする。この作品からプロデューサーのナイジェル・ゴッドリッチと組むようになる。ここからは、"My Iron Lung"が全英24位、"High and Dry"/"Planet Telex"が全英17位・『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)78位、“Fake Plastic Trees"が全英20位、"Just"が全英19位、"Street Spirit (Fade Out)"が全英5位をマークした。

 

 

 

 

 

 

 

ヨークはバンドの楽曲のすべての作詞を手掛ける。作曲もメンバーで最も貢献度が高いと言えるが、レディオヘッドの楽曲の多くはデモや大枠をトムが作り、アレンジをメンバー5人とナイジェル・ゴッドリッチで議論しながら行うというスタイルをとっているため、一人でバンドのすべての曲を一から十まで作曲しているわけではない。

 

この頃から次第にロックミュージック以外の音楽と接近していき、メンバー各自が様々な楽器を使い分けるようになる。

 

 

1996年明けには映画音楽・サイケデリック・トリップ・ホップなどからの影響をシングルのB面や限定シングルカット“Lucky”などに表出し始める。

 

 

1997年5月21日、それまでの実験的な試みの結晶ともいえる3rdアルバム『OK コンピューター』(OK Computer)を発表。本アルバムは全世界で大きな評価を獲得し、1990年代のポップ・ミュージックを代表する金字塔としばしば評される、バンドの出世作となる。また、英国をはじめアイルランドとベルギーで1位、カナダとオランダで2位、フランス3位、その他各国でトップ10に入り、全米でも26位を記録した。

 

5月26日、"Paranoid Android"をリカット、全英3位をマークした他、アイルランドで4位に達した。

 

8月25日、"Karma Police"をリカット、全英8位を記録。

 

アルバムの世界的な成功により名声を得たメンバーだったが、評価を得たそれらのサウンドを捨て去り、当時ポップミュージックの分野ではほぼ未踏のジャンルであったエレクトロニカや現代音楽などに大きく傾倒、長いスタジオ作業に取り組む。

 

 

1998年1月12日、"No Surprises"を『OK コンピューター』からリカット、全英4位を記録した。

 

 

2000年、「商業的自殺」とも言われた4thアルバム『キッド A』(Kid A)を発表し、2作連続で全英1位、そして全米でも初の1位を獲得するなど、大方の予想を裏切り再度成功を収める。実験的な電子音楽とバンド・サウンドを融合させ、前作『OK コンピューター』からの劇的な変化を遂げた作品となった。

 

 

 

 

 

同年、ヨークは、ビョークのアルバム『セルマソングス〜ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』(Selmasongs: Music from the Motion Picture Soundtrack Dancer in the Dark)収録曲“アイヴ・シーン・イット・オール”(I've Seen It All)にゲスト参加した。

 

 

2001年2月、学生時代からの恋人レイチェル・オーウェンとの間に息子ノアが誕生。

5月30日、5thアルバム『アムニージアック』(Amnesiac)を発表、全英1位・全米2位。『キッド A』と同時期に制作された本作では、1920年代のスウィング・ジャズを取り入れるなど、ジャンルに固執しないバンドの音楽性をより明確にした。ここからは、"Pyramid Song"が全英5位、"Knives Out"が全英13位に入った。

 

 

 

同年、バンド初の公式ライヴ・アルバム『I Might Be Wrong - Live Recordings』をリリース、全英23位・全米44位を記録した。

 

 

2003年5月、ヨークとオーウェンがオックスフォードシャーで密かに式を挙げ結婚したと、『タイムズ』紙が報じた。

6月9日、6thアルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』(Hail to the Thief)を発売、全英1位・全米2位。本作では、これまでの実験性を包括したうえで改めてバンドサウンドに立ち返った。ここからは、"There There"が全英4位、"Go to Sleep"が全英12位、"2 + 2 = 5"が全英15位をマークした。

 

 

なお、レディオヘッドは本アルバムを最後にEMIとの契約を終了。契約金額で折り合わなかったことが理由と報じられている。

同年、ジョニーが初のソロ作品としてテレビ・ドキュメンタリー『Bodysong』のサウンドトラックを発表。

 

 

2004年、娘アグネスが誕生。

 

 

2005年、新作に向けてレディオヘッドが活動を再開。

 

 

2006年、欧米でのツアーも行われた。

7月5日、トム・ヨークは、初のソロ・アルバム『ジ・イレイザー』(The Eraser)を発表、全英3位・全米2位をはじめ各国でトップ10上位に入った。主に電子音楽で構成された本作のプロデュースは、バンドと同じくナイジェル・ゴドリッチが担当。ここからは"Harrowdown Hill"が23位、"Analyse"が全英136位をマークした。本作品は2004年に生まれた娘アグネスに捧げられている。

 

 

 

 

2007年10月10日、公式ブログで7thアルバム『イン・レインボウズ』(In Rainbows)を突然発表、全英1位・全米1位。期間限定専用サイトを通じ、MP3形式で先行ダウンロード販売を行った。購入価格を買い手が自由に決める斬新な方式が話題になった。同時に、豪華版のディスクボックスも40ポンド定額で発売、同年12月3日より発送開始された。その後、TBDレコード(北米のみ)、ホステス・エンタテインメント(日本のみ)、XLレコーディングス(それ以外の全世界)と契約し、通常のCDフォーマットでも発売(内容はダウンロード版、豪華版Disc1と同様)。ここからは、"Jigsaw Falling into Place"が全英30位、"Nude"が全英21位・全米37位を記録した。

 

 

 

2008年6月2日、初のベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ』(Radiohead: The Best Of)と同タイトルのベストDVDを発売。バンド自身は曲順やアートワークなどの制作全般に関わっておらず、EMIとの間に残されたアルバム契約を消化するため行われた。全英4位・全米26位。


2009年、ヨークは Latitude Festival でソロ演奏を行い、『ジ・イレイザー』の曲をアコースティック楽器で演奏できることを発見。彼はゴドリッチに、シーケンサーを使わずラテンパーカッションで電子ビートを再現し『ジ・イレイザー』を演奏するバンドというアイデアを持ちかけた。トムはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやゴッドリッチとともに新バンド「アトムス・フォー・ピース」(Atoms for Peace)を結成。バンド名はソロ・アルバム収録曲"Atoms for Peace"に由来。ドラマーはベックやR.E.Mなどと共演したジョーイ・ワロンカー、そしてパーカッショニストはデヴィッド・バーンなどと共演したマウロ・レフォスコが参加。

同年、ソロ・シングル"FeelingPulledApartByHorses"/"TheHollowEarth"をリリース、全英113位になった。

 

 

10月2日、ロサンゼルスで初ライヴを実施。

セットリストはソロアルバムの曲を中心に、他バンドのカヴァーや新曲をちりばめたようなもので、各所でライヴを精力的に行っている。


2010年、アトムス・フォー・ピースが「辞めるには楽しすぎる」という理由からライヴを継続。コーチェラ・フェスティバルやフジロック・フェスティバルに出演し、オリジナル曲やジョイ・ディヴィジョンのカヴァー“ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート”などを披露した。


2011年2月18日、8thアルバム『ザ・キング・オブ・リムズ』(The King of Limbs)を発表。専用サイトにて、アルバムダウンロード(MP3又WAV)と豪華版ニュースペーパー・アルバムの予約受付を開始した。全英7位・全米3位。ここからのシングルは、"The Daily Mail"/"Staircase"が全英71位に入った。

 

 

7月4日、『ザ・キング・オブ・リムズ』のリミックスシリーズ発売が決定。完全生産限定12インチ・アナログシングル(輸入盤のみ)と、デジタル・シングルでの発売となる。“リトル・バイ・リトル”と“ロータス・フラワー”のリミックスが収録された。
同年春に始まり、2013年夏、2015年夏と断続的にスタジオ入りが報じられており、ジョニーはインタビューで新作には未発表曲の“Lift”を収録する予定だと答えている。

 

 

2012年9月、アトムス・フォー・ピースのデビュー・シングル“Default”を発表、英インディーズ・チャート31位、日本ではチャート93位に入った。

 

同年秋、デビュー・アルバムをリリースすることが予告された。

 

 

2013年1月、アルバムからの先行シングル“Judge Jury and Executioner”が解禁、ベルギーで43位になった。

 

2月20日、アトムス・フォー・ピースのデビュー・アルバム『アモック』(Amok)を発表、全英5位・全米2位をはじめ欧米でトップ10入りを記録した。リリースに先立ってオフィシャルサイトで全曲のストリーミング公開を行った。

2月22日、ロンドンでライヴを行う。

同年、3rdシングル"Before Your Very Eyes..."をリリース、ベルギー61位。

 

夏にはヨーロッパ・ツアーに出ることが明らかになった。

 

 

2014年9月26日、2ndソロ・アルバム『Tomorrow's Modern Boxes』をリリース。

 


2015年、映画『007 スペクター』の主題歌候補として“スペクター”を歌うが、最終選考でサム・スミスに敗れた。

8月、ヨークはオーウェンと友好的に別れたと発表した。


2016年5月8日、9thアルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』(A Moon Shaped Pool)を発表、全英1位・全米3位をマークした。ここからは、"Burn the Witch"が全英64位、"Daydreaming"が全英74位を記録。だが“Lift”は収録されなかった。

 

 

 

12月18日、ヨークの元妻オーウェンが、癌のため死去。48歳没。

 

 

2017年、ヨークはイタリア人女優のダジャナ・ ロンシオーネ(Dajana Roncione)と交際を始めた。


2019年、レディオヘッドがロックの殿堂入りを果たした。

6月27日、3rdソロ・アルバム『Anima』を発表、全英5位・全英59位を記録した。

 


2020年、ヨークはBurial and Four Tetと共演した2曲をシングルとしてリリース、 "Her Revolution"が米国で『ビルボード』誌ダンス・チャート37位、"His Rope"が同26位をマークした。

 

 

9月、トム・ヨークとダジャナ・ ロンシオーネはシチリア島のバゲリーアにて結婚。

同年、レディオヘッドのトム・ヨーク(Vo,G,B,Key)とジョニー・グリーンウッド(G,B,Key)、そして「サンズ・オブ・ケメット」のトム・スキナー(Ds)、ロベルト・スティルマン(Robert Stillman/Sax)により、「ザ・スマイル」(The smile)が結成。

 

 

2021年3月、ヨークは日本のファッションデザイナー高橋盾のショーに“Creep”のリミックスバージョンを含む音楽を提供した。

5月、ヨークはジョニー・グリーンウッドとジャズドラマーのトム・スキナーとともに、ゴッドリッチのプロデュースで新バンド「ザ・スマイル」(The Smile)を結成。

5月22日、新型コロナ禍で新たな音楽発信方法を模索して結成されたザ・スマイルは、グラストンベリー・フェスティバルでの演奏をストリーミング配信してサプライズ・デビュー、ヨークはギター、ベース、モーグ・シンセサイザー、ローズ・ピアノを弾きながら歌った。『ガーディアン』紙の評論家アレクシス・ペトリディスは、ザ・スマイルは「レディオヘッドのより骨太で節度の高いバージョンのように聞こえる」と述べ、珍しい拍子記号、複雑なリフ、そして「ハードドライブ的な」モーターリック・サイケデリアなど、よりプログレッシブ・ロックの影響を探求している。


2021年10月、ヨークはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催されたイベント「レターズ・ライブ」でスマイルの曲“フリー・イン・ザ・ナレッジ”を披露。

同月、ヨークとレディオヘッドのカヴァーアーティストであるスタンリー・ドンウッドは、『キッドA』と『アムネジア』のアルバム『キッド・ア・ムネジア』のパッケージ再販に先立ち、ロンドンのクリスティーズ本社でキッドAのアートワークと歌詞の展示会を企画した。 二人はまた、PlayStation 5、macOS、Windows向けの無料デジタル体験であるKid A Mnesia Exhibitionに歌詞とアートワークを提供した。


2022年4月9日、ヨークはスイスのツェルマットで開催されたツェルトビューネ・フェスティバルでソロコンサートを行い、レディオヘッド、スマイル・アンド・アンクルとの作品やソロレコードからの曲を演奏した。

5月13日、ザ・スマイルはデビュー・アルバム『ア・ライト・フォー・アトラクティング・アテンション』(A Light for Attracting Attention)をリリースし、全英5位・全米19位になった。

 

 

5月、ザ・スマイルはアルバムを擁してヨーロッパ・ツアーを開始した。

同年、ヨークはテレビドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』の第6シリーズのために、“5.17”と“ザッツ・ハウ・ホース・アー”の2曲を提供した。

同年、彼はクラークの10枚目のアルバム『Sus Dog』を制作総指揮した。ヨークはクラークのヴォーカルの指導者として活動し、ヴォーカルとベースを提供した。

 

2023年6月、ザ・スマイルはアルバム未収録のシングル“Bending Hectic”をリリース、英国のダウンロード・チャートで31位を記録した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「トム・ヨーク」「Thom Yorke」「レディオヘッド」「Radiohead」「アトムス・フォー・ピース」「Atoms for Peace (band)」「ザ・スマイル」「The Smile (band)」

 

 

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