C・C・デヴィル(C.C. DeVille/出生名:Bruce Anthony Johannesson/5月14日~)は、アメリカ合衆国のギタリスト。ロックバンド「ポイズン」のメンバー。

 

 

 

1962年5月14日、ブルース・アンソニー・ヨハネソンは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン(Brooklyn, New York City, New York)のベイリッジ地区(Bay Ridge)で生まれた。

 

5歳の時、デヴィルは27ドルの日本製テレキャスターのコピー・モデルを与えられた後、ギターを弾き始めた。

 

音楽への愛情が高まるにつれて、彼はレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、ザ・フー、チープ・トリック、ニューヨーク・ドールズ、クイーンなどのバンドを聴くようになり、特にキッスを熱心に聴いた。

18歳の時、デヴィルはオーディションを受け、地元のバンド「レース」(Lace)に参加した。

 

デヴィルはニューヨーク大学(New York University)に進み音楽理論を学び始めたが、学業を完了することはなかった。

 

1981年、ロサンゼルスに移り、スクリーミング・ミミ、レース・スリップ、セント・ルイスなどの様々なバンドで演奏した。

デヴィルは、バンド「Stryper」のオーディションも受けた。

 

1985年、デヴィルは「ポイズン」(Poison)のオーディションを受ける機会を得た。ポイズンは1983年に結成、その後西海岸に拠点を移し、所謂「LAメタル」として活動、バンド名をポイズンとしたのもこの頃だった。オーディションはドラマーのリッキー・ロケットとベーシストのボビー・ドールに感銘を与えたが、ヴォーカリストのブレット・マイケルズは激怒した。デヴィルはオーディションの準備として事前に渡された曲を演奏することを拒否し、代わりに自分が書いたギター・リフでジャムをしたのだった。このリフは最終的にポイズンのシングル“トーク・ダーティ・トゥ・ミー”に採用され、最終的にデヴィルはバンドのキャリアを開始することになる。

3月23日、デヴィルがポイズンに正式に加入。

加入早々、デヴィルはブレット・マイケルズ、ボビー・ドール、リッキー・ロケットとポイズンのデビュー・アルバムを共作した。

 

 

1986年8月2日、 1stアルバム『ルック・ホワット・ザ・キャット・ドラッグド・イン』(Look What the Cat Dragged In/旧邦題:ポイズン・ダメージ)をリリース、米音楽誌『ビルボード』の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)にて3位を記録した。本アルバムには、『ビルボード』誌の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)9位になった“トーク・ダーティ・トゥ・ミー”(Talk Dirty to Me)をはじめ、全米50位に入った“アイ・ウォント・アクション”(I Want Action)、全米13位に達した“アイ・ウォント・フォーゲット・ユー”(I Won't Forget You)が含まれていた。 本アルバムの売り上げは米国で300万枚を突破した。 

 

 

 

 


1988年5月21日、2ndアルバム『オープン・アップ・アンド・セイ…AHH!』(Open Up and Say... Ahh!/旧邦題:初めての***AHH)をリリース、全米2位をマーク。デヴィルは本アルバムの素材の多くを書いた。本アルバムはマルチ・プラチナ・セールスを記録し、最終的に全世界で800万枚を売り上げることになる。ここからは、デヴィルと共作した“ナッシン・バット・ア・グッド・タイム”(Nothin' But a Good Time)が全米6位・全英35位、"Fallen Angel"が全米12位、"Your Mama Don't Dance"が全米10位・全英13位、そして“エブリ・ローズ・ハズ・イッツ・ソーン”(Every Rose Has Its Thorn)がポイズンの唯一のナンバー1シングルとなった。




 

 


1990年7月2日、バンドは3rdアルバム『フレッシュ・アンド・ブラッド』(Flesh & Blood)を発表。全米2位・全英3位の大ヒットとなり、マルチ・プラチナ・セールスを記録した。本アルバムも主にデヴィルが書いたものである。ここからは、 "Unskinny Bop"が全米3位・全英15位、"Something to Believe In"が全米4位・全英35位、さらには"Ride the Wind"が全米38位、"Life Goes On"が全米35位に入った。

 

 

 

 

 

同年、ポイズンはドニントンパークでの「モンスターズ・オブ・ロック」にも出演。続いてウォレントとのジョイント・ツアーを行った。

フレッシュ・アンド・ブラッドをサポートするツアー中、ポイズンの成功とは裏腹に、デヴィルは麻薬乱用といった薬物問題を抱えるようになる。加えて、バンドの他のメンバー、特にリード・シンガーのブレット・マイケルズとの間に緊張が生じ、バンド内で対立を引き起こした。

 

 

1991年11月12日、初のライヴ・アルバム『スワロー・ディス・ライヴ』(Swallow This Live)を発表、全米51位・全英52位をマークした。

しかしこの頃、デヴィルの薬物問題とマイケルズとの軋轢は深刻さを増す一方だった。そうした状況下、MTVビデオ・ミュージック・アワードでデヴィルが曲を間違え、“アンスキニー・バップ”の代わりに“トーク・ダーティ・トゥ・ミー”を演奏し、さらにパフォーマンス中にハイになって酩酊状態になったため、舞台裏で殴り合いの喧嘩に発展した。

ついに脱退を求められるに至ったデヴィルはポイズンから去ったが、実質的には解雇だった。後任ギタリストにはリッチー・コッツェンが迎えられた。



ポイズン脱退後、デヴィルはクワイアボーイズのヴォーカリスト・スパイク、ベーシストのトミー・ヘンリクセン、ドラマーのジェイムズ・コタック(後のスコーピオンズ)をフィーチャーしたバンド「ニードル・パーク」(Needle Park)を結成。

 

 

1993年、ポーリー・ショアの映画『義理の息子』(Son in Law)のサウンドトラックとして“ヘイ・グッド・ルッキン”(Hey, Good Lookin)を録音した。

 

 

1996年、デヴィルはポイズンのバンド仲間と再び連絡を取る。

 

 

1998年、デヴィルは、ギタリストのタイ・ロングリー、ベーシストのクリス・バラット、ドラマーのフランシス・ルイスで構成されたバンドを結成。元々のバンド名は「ザ・ステップマザーズ」(The Stepmothers)だった。なお、デヴィルはビハインド・ザ・ミュージックのインタビューでこのバンドをザ・ステップマザーズと呼んでいるのが聞こえる。

だが、同名の別のバンドとの法的紛争を受けてバンド名を変更せざるを得なくなり、彼らは「サマンサ7」(Samantha 7)と改名した。

 

 

1999年、サマンサ7はウッドストックで演奏した。

同年、デヴィルはマイケルズと和解、ギタリストとしてポイズンに復帰する。

その後、ポイズンのアメリカ・ツアーが行われ、デヴィルも参加した。

ポイズンは新作のレコーディングに取り組んだ。

 

 

2000年、サマンサ7はセルフ・タイトルのアルバム『サマンサ 7』(Samantha 7)をコロンビア/ポートレート レコードからリリースし、レコードをサポートするために米国と英国をツアーした。
また、サマンサ7の曲“I Wanna be Famous”は、後にデヴィルが主演したリアリティ番組『シュールリアル ライフ: フェイム ゲーム』のオープニングで使用された。
 

 

3月14日、デヴィル不在時の1994年に発売されるはずだった5枚目のスタジオ・アルバム『クラック・ア・スマイル…アンド・モア!』(Crack a Smile... and More!)が、6年の時を経て発表、全米131位を記録した。"Shut Up, Make Love"をカット。

 

6月13日、ポイズンのいくつかのショーが録音され、ハイブリッド・スタジオ&ライヴ・アルバムが『パワー・トゥ・ザ・ピープル』(Power to the People)というタイトルでリリース、全米166位を記録した。

 

 

2002年5月21日、デヴィルの正式復帰作となる6thスタジオ・アルバム『Hollyweird』をリリース、全米103位。ここからは、"Rockstar"、"Squeeze Box"、"Shooting Star"をカットした。

 

 

2005年、2ndアルバム収録の“Nothin' But A Good Time”が映画『Mr.&Mrs. スミス』(出演:ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー)のサウンドトラックに起用された。

 

 

2007年6月5日、ローリング・ストーンズやデヴィッド・ボウイ等の楽曲を収録したカヴァー・アルバム『Poison'd!』をリリース、全米32位。ここからは、"What I Like About You"と"SexyBack"をカットした。

 

 

 

 

 

2008年7月15日、ライヴ・アルバム『Live, Raw & Uncut』をリリース、全米8位。

 

 

2009年には、チープ・トリック、デフ・レパードとともに全米ツアーを行った。

 

 

2022年、ポイズンはデフ・レパード、ジョーン・ジェット、モトリー・クルーとともに全米のスタジアムを回る36日間のツアーであるザ・スタジアム・ツアーを完了、チケットの売り上げは1億7,350万ドルに達した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「C.C. DeVille」「ポイズン」「Poison (band)」「Samantha 7」

 

 

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