ロビン・ザンダー(Robin Zander/1953年1月23日~)は、

アメリカ合衆国出身の歌手、ギタリスト。

 

 

ロビン・ザンダーはウィスコンシン州ベロイトで生まれ、近くのイリノイ州ラブズパークで育った。

彼は12歳までにギターを弾くことを学んだ。

 

ロビンはイリノイ州マッシェズニーパークのハーレム高校を卒業した。

1960年代に高校のバンドで演奏した後、彼は「ブライアンビーベ」(Brian Beebe)に加わり、1970年代初頭にフォークデュオ「ザンダー&ケント」(Zander & Kent)を結成した。

 

1969年、リック・ニールセンとトム・ピーターソンが「Fuse」というバンドのメンバーとしてメジャー・デビューするが、商業的成功には恵まれず、一時はフィラデルフィアに拠点を移す。

1973年、イリノイ州に戻ったリックとトムは、バン・E・カルロスやランディ・ホーガンとともに

バンドを結成。

8月15日、バンドは「チープ・トリック」(Cheap Trick)を名乗り始める。しかしヴォーカルのランディが間もなく脱退。

1974年に後任として加入したのが、ロビン・ザンダーだった。これによりラインナップが固まる。 

ロビン・ザンダー(Vo、G)、リック・ニールセン(Rick Nielsen/G/1948年12月22日~)、トム・ピーターソン(Tom Petersson/B)、バン・E・カルロス(Bun E. Carlos/Ds/1950年6月12日~)。

 

1975年にデモ・テープを作成。

 

1976年初頭、エピック・レコードと契約。

 

1977年2月、デビュー・アルバム『チープ・トリック』(Cheap Trick)発表。しかし、本国アメリカでは成功せず。唯一のシングル“Oh、Candy”も、アルバムと同様にチャートに失敗した。

 

 

9月、『蒼ざめたハイウェイ』(In Color)をリリース。本作で自身初のBillboard 200入りを果たしたが最高73位止まり、シングル“甘い罠” (I Want You To Want Me)と“SouthernGirls”は本国ではチャート・インしなかった。しかし、日本ではアルバム、シングルともに評判となり、バンドは本作で初めてオリコンLPチャート入りを果たした。アルバムには“今夜は帰さない”(Clock Strikes Ten)も収録。

 

 

 

1978年、サードアルバム『天国の罠』(Heaven Tonight)を発売。アメリカでは48位止まりだったが日本ではオリコン11位と前作を上回った。第一弾シングル“サレンダー”(Surrender)は全米62位。

 

 

4月、初の日本公演を行う。

10月8日、日本公演の模様を収録したライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館』(Cheap Trick at Budokan)を発売、当初は日本限定企画だったが、本国アメリカで日本からの輸入盤が売れ出したため、同年2月に本国でもリリース、最高4位をバンド初の全米トップ10入りを果たした。また、本アルバムからシングル・カットされた“甘い罠”は、Billboard Hot 100 で7位まで上昇、バンドにとって初の大ヒット・シングルとなった。

 

 

1979年9月21日、4thアルバム『ドリーム・ポリス』(Dream Police)を発売、本作は彼らのスタジオ・アルバムとしては最高位の全米6位に達した。第1弾シングルとなったタイトルトラック“ドリーム・ポリス”(Dream Police)は全米26位、第2弾シングル“ヴォイシズ”(Voices)は全米32位。日本では、チープ・トリックのアルバムとしては唯一オリコンLPチャートでトップ10入りした。

 

 

 

1980年、ロビン以外の3人は、ジョン・レノン“アイム・ルージング・ユー”のレコーディング・セッションに参加。チープ・トリックが参加したヴァージョンは、ジョンのアルバム『ダブル・ファンタジー』には収録されず、後にボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー』で発表される。

8月25日、ニュー・アルバム発売を前にトムが脱退。

10月24日発表の5thアルバム『オール・シュック・アップ』(All Shook Up)は、ビートルズとの仕事で知られるジョージ・マーティンがプロデュースを担当。Billboard 200で24位に達し、バンドにとって4作目の全米トップ40アルバム(EPを含む)となった。また、シングル“ストップ・ディス・ゲーム”(Stop This Game)はBillboard Hot 100で48位を記録した。日本盤LPは1980年11月1日に発売され、オリコンLPチャートでは6週トップ100入りし、最高21位を記録した。

 

 

バンドはピート・コミタを迎えてツアーを行い、その後ピートに代わってジョン・ブラントが加入。

 

1982年4月、『ワン・オン・ワン』(One on One)発売。全米39位に達し、EPを含めれば自身5作目の全米トップ40アルバムとなった。本作からのシングルは、“永遠のラヴ・ソング”(If You Want My Love)が全米45位、“シーズ・タイト”(She's Tight)が全米65位を記録。日本のオリコンLPチャートでは77位、英国では全英アルバムチャートで95位となり、“永遠のラヴ・ソング”は全英シングルチャートで57位に達した。

 

 

1983年、トッド・ラングレンがプロデュースを担当した『ネクスト・ポジション・プリーズ』(Next Position Please)を発表し、全米61位、日本でオリコン75位となった。

 

 

1985年、『スタンディング・オン・ジ・エッジ』(Standing on the Edge)を発売。アメリカのBillboard 200では35位に達し、2作ぶりにトップ40入りを果たした。本作からのシングル“トゥナイト・イッツ・ユー”(Tonight It's You)はBillboard Hot 100で44位、『ビルボード』のメインストリーム・ロック・チャートで8位を記録。

 

 

1986年には、映画『トップガン』のサウンドトラックに“Mighty Wings”を提供。

 

1987年、トムがバンドに復帰。

 

1988年、アルバム『永遠の愛の炎』(Lap Of Luxury)が全米16位のヒットとなり、外部ソングライターにより書き下ろされた第一弾シングルとなったバラード“永遠の愛の炎”(The Flame)は、バンドにとって初の全米1位シングルとなった。第二弾シングルのエルヴィス・プレスリーのカヴァー“冷たくしないで”(Don't Be Cruel)は全米4位。 続く“ゴースト・タウン”(全米33位)、“ネヴァー・ハド・ア・ロット・トゥ・ルーズ”(全米75位)もシングル・ヒット。

 

 

 

同年、映画『テキーラ・サンライズ』サウンドトラックに“サレンダー・トゥ・ミー”(Surrender To Me)を提供、アン・ウィルソンと共演した。同曲はBillboard Hot 100で6位、Billboard's Mainstream Rockで42位を記録した。

 

その後、バンドはワーナー・ブラザース・レコードに移籍。

 

1993年6月6日、1stソロアルバム『ロビン・ザンダー』(Robin Zander)を発売。 シングル"I've Always Got You" が『Billboard』誌の「Mainstream Rock」vハートで13位を記録。

 

 

1994年、移籍第一弾アルバムとして、テッド・テンプルマンのプロデュースによる『蒼い衝動』(Woke up with a Monster)を発表するが、全米123位と商業的には成功しなかった。本作からのシングル“蒼い衝動”は、『ビルボード』誌のメインストリーム・ロック・チャートで16位に達した。結果としてバンドはこの一枚のリリースだけでくワーナー・ブラザースを離れる。

 

 

1997年2月14日、アルバム『チープ・トリック』(Cheap Trick)を日本で先行発売、本国アメリカでは4月28日に発売され、全米99位。

 

以後、バンドはライヴ中心の活動に移行し、サブ・ポップ(Sub Pop)からシングル“Baby Talk”をリリースした後は、Red AntやBig3といったインディーズ・レーベル(日本ではビクターエンタテインメント)から作品発表を継続する。

 

2003年 来日しサマーソニック03に出演。競演していた多くのパワーポップ系若手バンドからリスペクトを集める。

 

2008年、バンドの人気上昇のきっかけとなった1978年のアルバム『at 武道館』発売30周年を記念し、4月24日に再び日本武道館で公演。

 

2009年、ラスベガスにて2週間にわたり、ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 』全曲を演奏するショー、Sgt. Pepper Liveを開催。フルオーケストラと競演、ジョーン・オズボーンなどがゲスト参加した。

 

2010年、ロビンの2ndソロアルバム『Countryside Blvd』を発売。

同年、従来より身体的な問題が伝えられていたバン・E・カルロスについて、バンドは、バン・E がメンバーとして籍は残すもののツアーには参加しないことを発表。以降、リック・ニールセンの息子ダックスがツアードラマーとして迎えられた。(その後2015年にバン・Eはインタビューにて、ツアーからの離脱はスケジュールやセットリストの長さの意見の食い違いに起因する、ロビン・ザンダーとの不仲によるものであったことを明かしている。)

 

2011年 7月17日、オタワ・ブルースフェスティバル(カナダ)での演奏中、強風のためステージが大崩落する事故が発生。メンバーは怪我を免れ、以降も精力的にツアーを継続する。

 

2012年 8月より、出身地ロックフォードのBurpee自然史博物館にて、リック・ニールセンのテーマ展「Rick’s Picks: A Lifelong Affair With Guitars & Music」開催。コレクターとしても知られるリックの所有する膨大なギターやトムのベースなど、様々な関連資料が展示される。

 

2013年 バン・E・カルロスが、自身がメンバーであるにも関わらず新作のレコーディングへの参加が認められず、得られるはずの報酬も支払われていないとしてバンドを相手取った訴訟を起こす。残るメンバー3人はバン・Eが既にメンバーではないと主張して対抗訴訟を起こすが裁判所はこれを棄却。

同年8月に来日し、10。11日にサマーソニック2013出演。

 

2015年 バン・E・カルロスが起こした訴訟が結審。

2月下旬ロビンから、バン・Eが現在もバンドのメンバーであることを認める一方で、今後ツアーやレコーディングにはバン・Eが参加しない旨がアナウンスされた。

同年12月、ディープ・パープル、シカゴ等とともに、翌2016年付での「ロックの殿堂」(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)入りが発表される。

 

2016年4月8日、ロックの殿堂入りセレモニーにはバン・Eも出席し、6年ぶりの共演を披露している。 

同年、ダックス・ニールセンがレコーディングに参加したニューアルバム『バン・ズーム・クレイジー・ハロー』(Bang, Zoom, Crazy...Hello)をBig Machine Label Groupより発表。全米31位を記録した。

 

 

2017年6月16日、アルバム『We're All Alright!』発売、全米63位。 "Long Time Coming"をシングルカット。

 

 

10月20日、クリスマスアルバム『Christmas Christmas』発売。 

 

2018年10月11日、チープ・トリックの来日40周年を記念した一夜限りの単独公演が東京・Zepp Tokyoにて開催された。

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ロビン・ザンダー」「チープ・トリック」「Robin Zander」(英語版)「Cheap Trick」(英語版)

チープトリック公式サイト

 

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