マイケル・マクドナルド(Michael McDonald/1952年2月12日~)は、アメリカ合衆国の

ミュージシャン、シンガーソングライター。ドゥービー・ブラザーズの元メンバー。

 

 

アメリカ合衆国ミズーリ州ファーガソン(Ferguson, Missouri)のセントルイス(St. Louis)郊外で、アイルランド系アメリカ人でカトリックの家庭に生まれた。

 

マクドナルドはマクルーアー高校(McCluer High School)に通い、「マイク&マジェスティックス」、「ジェリージェイ&シェラトン」、「リーブトゥールズ/ヤングブラザーズ」、「ギルド」などの地元バンドで演奏した。

 

1970年、「ブルー」というバンドにいた頃にRCAレコードに見出されて、カリフォルニア州ロサンゼルスに移住、セッションミュージシャンとして活動を始める。

 

1974年、「スティーリー・ダン」にツアーメンバーとして参加、リードヴォーカルとバックヴォーカルを担当した。また、アルバム『うそつきケイティ』(Katy Lied)や『幻想の摩天楼』(The Royal Scam)のレコーディングにも参加し、リード及びバックヴォーカルを務めた。

 

 

1975年、前年にスティーリーダンを辞めドゥ―ビーに加入していたジェフ・バクスターから誘われ、「ドゥービー・ブラザーズ」(The Doobie Brothers)に正式加入、バンドのツアーに同行した。バンドの顔でありヒット作を数多く作曲していたトム・ジョンストンが病気のために一時的にバンドを離れた穴埋めとして声をかけられた形だったが、卓越した歌唱力に加え、スティーリー・ダンで培った作曲能力を持ったマクドナルドが加わったことにより、ドゥービーはそれまでのファンキーなギターロックからソウルフルで都会的で洗練されたAORに音楽性を転換する。

 

1976年、マクドナルドが加入後初となるアルバム『ドゥービー・ストリート』(Takin' It to the Streets)をリリース。アメリカのBillboard 200では8位に達し、本作からのシングル“運命の轍”(Wheels of Fortune)はBillboard Hot 100で87位を記録した。

 

 

 

1977年、『運命の掟』(Livin' on the Fault Line)をリリース。本作はアメリカのBillboard 200で10位に達し、1977年9月にはRIAAによってゴールドディスクに認定された。本作からのシングル“リトル・ダーリン”(Little Darling [I Need You])は全米48位、“エコーズ・オブ・ラヴ”は全米66位に達した。収録曲“ユー・ビロング・トゥ・ミー”はマクドナルドがカーリー・サイモンと共作した曲で、サイモンのアルバム『Boys in the Trees』(1978年)でも歌唱され、サイモンヴァージョンはシングルとして全米6位、『ビルボード』誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートで4位に達する大ヒットとなった。

 

 

 


1978年12月、アルバム『ミニット・バイ・ミニット』(Minute by Minute)を発表、全米1位に達した。マクドナルドの加入以来推し進めてきた、都会的なAOR路線の集大成ともいえる作品で、再結成後も含め現在までで最も大きな商業的成功、評価を獲得したアルバムである。プロデュースはテッド・テンプルマン、エンジニアはドン・ランディー。

 

1979年1月、マクドナルドがケニー・ロギンスと共作したシングル“ホワット・ア・フール・ビリーヴス”(What a Fool Believes)を『ミニット・バイ・ミニット』からカットアウトし、全米1位を獲得。アルバムからのシングルは他に、“ディペンディン・オン・ユー”(Dependin' on You)が全米25位、“ミニット・バイ・ミニット”(Minute by Minute)が全米14位を記録した。

 

 

 

第22回グラミー賞において、“ホワット・ア・フール・ビリーヴス”は最優秀レコード賞と最優秀楽曲(対象はケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルド)の主要2部門を受賞、アルバムタイトル曲“ミニット・バイ・ミニット”は最優秀ポップ・ボーカル(デュオ、グループまたはコーラス部門)賞に輝き、高い人気と評価を確立した。

 

1980年、アルバム『ワン・ステップ・クローサー』(One Step Closer )をリリース、全米3位。本作からの第1弾シングル“リアル・ラヴ”(Real Love)はBillboard Hot 100で5位、『ビルボード』のR&Bシングル・チャートで40位に達した。その後、“ワン・ステップ・クローサー”(全米24位)と“キープ・ディス・トレイン・ローリン”(全米62位)もシングル・カットされている。

 

 

 

 

音楽性の変化に伴いメンバーの変化もあったものの、ジョン・マクフィーやコーネリアス・バンパスといった優れたミュージシャンに支えられ、また、脱退しソロ活動を行っていたトム・ジョンストンの客演や、初期のレパートリーにも抜群のサポートぶりを発揮するマクドナルドの活躍などにより、新旧のファン層に支えられ順調に活躍する。

しかし1980年代に入ると各人のソロ活動が活発化し、この時点で唯一のオリジナル・メンバーとなったリーダーのパトリック・シモンズは活動休止を提案、それに添う形で1982年に初期のメンバーも参加して「フェアウェル・ツアー」と銘打った大規模なライヴを行った後、解散した。

 

1982年、ドゥービー・ブラザーズの活動停止後にソロアルバム『思慕(ワン・ウェイ・ハート)』(If That's What It Takes)を発表、全米6位を記録した。アルバムからは“アイ・キープ・フォーゲッティン”(I Keep Forgettin' [Every Time You're Near])がシングルカットされ、全米4位のヒットとなる。この他、"I Gotta Try"、"Believe In It"をシングルリリースした。

 

 

 

 

1983年に発表されたジェームス・イングラムとのデュエット曲“ヤー・モ・ビー・ゼア”(Yah Mo B There)は、グラミー賞最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞し、ソロ転向後としては初のグラミー受賞を果たした。

 

1984年には、ヴァン・ヘイレンの大ヒットアルバム『1984』収録曲で、シングルカットもされ全米13位になった"I'll Wait"をエディ・ヴァン・ヘイレンらとともに共作した。

 

1985年、セカンドソロアルバム『ノー・ルッキン・バック』(No Lookin' Back)をリリース、全米45位。タイトルナンバー“No Lookin' Back”は全米34位、「Billboard Adult Contemporary」9位、 「Billboard Mainstream Rock」4位を記録した。

 

 

1986年、パティ・ラベルとのデュエット曲“オン・マイ・オウン”(On My Own)を全米1位と大ヒットさせる。個性的ながらソウルフルかつ甘い歌声から、この当時は「女性歌手が最もデュエットしたい男性歌手」といわれる存在であった。1990年代以降もAOR界では大御所として人気を博した。

 

1987年、ベトナム退役軍人援助財団で活動していたクヌーセンの呼びかけで、退役軍人のためのチャリティーコンサートに参加するため一時的にドゥ―ビーの元メンバーが再集結し、マクドナルドも参加。しかし余りに好評のため開催地が増え、コンサートツアーに発展、その後の恒常的な再結成に道筋をつけた。しかしマクドナルドはバンドの新作には加わらなかった。

 

1990年、サードソロアルバム『テイク・イット・トゥ・ハート』(Take It to Heart)をリリース、

 

1993年、4枚目のソロアルバム『ブリンク・オブ・アイ』(Blink of an Eye)をリリース。

 

1995年、ドゥービー・ブラザーズの再結成ツアーに参加。

 

2000年、ソロアルバム『ブルー・オブセッション』(Blue Obsession)リリース。

 

2001年、ソロアルバム『イン・ザ・スピリット』(In the Spirit: A Christmas Album)リリース。

 

2003年、モータウンのヒットナンバーをカヴァーしたアルバム『モータウン』(Motown)を発表し、全米14位・全英29位のヒットとなる。第46回グラミー賞では、本作が最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞にノミネートされ、収録曲「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」は最優秀男性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。

 

 

2004年、モータウンのカヴァーアルバム第二弾『モータウン2』(Motown Two)をリリース。

 

 

2005年、クリスマスアルバム『Through the Many Winters: A Christmas Album』リリース。

 

2008年、ソロアルバム『ソウル・スピーク』(Soul Speak)をリリース、全米12位。

 

 

2010年、ドゥ―ビーのアルバム『ワールド・ゴーン・クレイジー』(World Gone Crazy)で、1曲にゲスト参加。

 

2014年、ドゥ―ビーのアルバム『サウスバウンド』(Southbound)にて、“ホワット・ア・フール・ビリーヴス”のセルフ・カヴァー等にゲスト参加。

 

2017年9月15日、自身17年ぶりとなるオリジナル曲による10枚目のオリジナルアルバム『ワイド・オープン』(Wide Open)を発表した。

 

 

2019年11月18日、ドゥ―ビーのナッシュビルでの公演時、アンコールでマクドナルドがバンドに参加、コンサートの終わりにシモンズが、マクドナルドがバンドに再び参加し、バンドの50周年記念ツアーに参加することを発表した。

 

2020年1月15日、ドゥービーブラザーズは、同年ロックンロールの殿堂入りする6つのグループの1つであると発表。入会には、トム・ジョンストン、パトリック・シモンズ、マイケル・マクドナルド、ジョン・マクフィー、タイラン・ポーター、ジョン・ハートマン、ジェフ・バクスターと、亡くなったドラマー兼ボーカリストのキース・ヌードセンとドラマーのマイケル・ホサックが含まれる。

同年、ドゥ―ビーは結成50周年記念ツアーを実施予定だったが、新型コロナ(COVID-19)禍のために2021年に延長し、そこにマイケル・マクドナルドも参加することを発表した。

 

 

 

 

 

(関連項目)

 

(参照)

Wikipedia「マイケル・マクドナルド (ミュージシャン)」「スティーリー・ダン」「ドゥ―ビー・ブラザース」「Michael McDonald (musician)」(英語版)「The Doobie Brothers」(英語版)

公式サイト