先日、8月22日に本ブログで取り上げたばかりだった、

元ベイ・シティ・ローラーズ、元ロゼッタ・ストーン、元イアン・ミッチェル・バンドの

イアン・ミッチェル(Ian Mitchell/1958年8月22日~2020年9月2日)が

9月2日、62歳で逝去したと報じられた。享年62歳

 

BARKS 2020.年9月3日10:17

https://www.barks.jp/news/?id=1000188397

 

 

 

追悼の意を込めて、以下にイアンの回の拙稿を一部加筆して再掲する。

 

BCRとロゼッタストーンで70年代パワーポップの時代を駆け抜けた、イアン・ミッチェル。

 

イアン・ミッチェル(Ian Mitchell/1958年8月22日~2020年9月2日)は、

英国出身のミュージシャン。

 

 

イギリス・北アイルランド出身。

イアンはアイルランドにて、「Young City Stars」というベイ・シティ・ローラーズの

コピーバンドでプレイしていた。

 

一方、本家のベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)は、

1965年にアラン(B)とデレク(Ds)のロングミュアー兄弟と4人の友人により結成された

「サクソンズ」(The Saxons)というバンドを前身にしている。

1968年、タム・ペイトンがマネージャーになり、ベイ・シティ・ローラーズと改名。

1971年夏にシングル「朝まで踊ろう(Keep on Dancing)」でデビューした。

1974年にレスリー・マッコーエン(Vo)、エリック・フォークナー(リードG)、

スチュアート・ウッディ・ウッド(リズムG後にBに転向)、アラン・ロングミュアー(B)、

デレク・ロングミュアー(Ds)という5人編成になる。

 

1975年、アイドルとして爆発的人気を獲得した中、ほぼ全曲をメンバーのオリジナルで固め、ギター・ベース・ドラムのバンド・サウンドを骨格にしたアルバム『青春のアイドル』をリリース。脱アイドルの方向性を打ち出していた。

 

1975年“バイ・バイ・ベイビー”、1976年“サタデー・ナイト”などのヒット曲を生み出し、

ベイ・シティ・ローラーズは本国イギリスを皮切りに、その後アメリカや世界中で人気を博し、

日本でも度々公演が行われた。

 

しかし、音楽的な成長を模索するバンドの意向とは裏腹に、オリジナル・メンバーとして、

また年長者として他のメンバーからの信頼も厚かったアランが、

「アイドルとしてトシを取りすぎている」という理由でタム・ペイトンにより

実質的に脱退させられ、その穴を埋めるべく、タムは

イアン少年を「アイドルとして」ローラーズに誘い込む。

 

こうしてキュートなルックスで最年少17歳のイアン・ミッチェルが加入。

リズム・ギターを担当することになるが、これにより

スチュアート・ウッディ・ウッドがベースに転向する。

 

1976年10月、イアンが参加して初のレコーディングをカナダにて行ったという4thアルバム

『青春に捧げるメロディ』(Dedication)は全英4位・全米26位を記録。

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アルバムに収録された14曲の中には、全英4位・全米12位を記録した

“二人だけのデート”( I Only Want To Be With You)、全米3位・全米9位を記録した

“Money Honey”をはじめ、 “ロックン・ロール・ラブレター”(Rock 'N Roll Love Letter)、

ラズベリーズのカバー“レッツ・プリテンド”やビーチボーイズの“ドント・ウォリー・ベイビー”

といった彼らの代表作となる名曲が多数収録されている。

なお、“Money Honey”、“ロックン・ロール・ラブレター”など

一部の曲はアラン在籍時のレコーディングである。

 

新たに参加し瞬く間に人気を獲得したイアンだったが、同じ年の11月には早くも脱退してしまい、在籍期間はわずか半年ほど。イアンが脱退した理由は、一説によると、エリック・フォークナーによるいじめに耐えかねてのことらしい。また、地元に残してきたバンド仲間を忘れなかったためという説もある。

ローラーズの後任ギタリストにはパット・マッグリンが就任した。しかし、パットも短い期間で脱退となり、メンバーチェンジが激しい時期があった。

 

1978年、ベイ・シティ・ローラーズを脱退したイアンは、以前に在籍していたYoung City Starsのメンバーと再び合流。こうしてギターとキーボードを担当するイアンを中心に結成されたのが、ヴォーカルにデミアン・マッキーを擁する「ロゼッタ・ストーン」(ROSETTA STONE)である。

デビュー・アルバムは『青春の出発』(Rock Pictures)。

Rock Pictures

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ロジャー・グリーナウェイがプロデュースを手掛け、ポップ・センス溢れるサウンドに仕上げている。エーメン・コーナーの名曲をカヴァーしたヒット・シングル“二人のパラダイス”(Half As Nice)、クリームの代表曲のカヴァー“サンシャイン・ラヴ”(Sunshine Of Your Love)のほか、キンクスのナンバーのカヴァー“ユー・リアリー・ガット・ミー”(You Realy Got Me)などを収録。

日本盤シングル“ユー・リアリー・ガット・ミー”などでは一部、「イアン・ミッチェルとロゼッタ・ストーン」とクレジットされていた。

 

1979年、一年ぶりのオリジナル・セカンド・アルバム-『明日への挑戦』(Caught In The Act)をリリース。イアンがギターに専念し、前作よりもロック色が強くなった本作は、プロデューサーに後にイアン・ミッチェル・バンドの作品も手掛けることとなるアラン・ブレイクリーを迎えて制作された。ヒット・シングル“トライ・イット・オン”収録。

Caught In The Act

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しかしイアンはロゼッタ・ストーンを脱退してしまう。

その後、自身のグループ「イアン・ミッチェル・バンド」(IAN MITCHELL BAND)を率いてリリースしたファースト・アルバムが『青春の誓い』(Suddenly You Love Me)である。

ヒット・シングル“ロンリー・ナイツ”収録。

青春の誓い

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1980年、イアン・ミッチェル・バンドはセカンドアルバム『青春に夢中』(The ”goin’ Crazy)をリリース。ニュー・ウェイヴからの影響やテクノを意識したルックスなど、それまでと大きく異なる作品で話題となった。ヒット・シングル“テイク・ミー・バック”、“ピーカブー・ラヴ”など収録。

※注:シングル単独が無かったため『青春に夢中』全曲の音声になります。

青春に夢中

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1983年、イアン・ミッチェル・バンド解散後に新たに結成された「バチェラー・オブ・ハーツ」(BACHELOR OF HEARTS)の唯一のアルバム『青春のポートレイト』(On The Boulevard)。そのラウドなロック・サウンドは過去の作品とは一線を画す魅力に溢れている。旧友パット・マッグリンも全面参加し話題を集めた。ヒット・シングル“涙のジェニー”収録。

On The Boulevard

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その後、一時期ポルノ男優になっていた時期もあった。

 

イアンはその後、Ian Mitchell's Bay City Rollersという名称でツアーグループとして活動。

イアンはまた、2004年録音のライブCD『Live in Los Angeles』をリリースしている。

 

2016年09月、ヘルニアの手術を受けたが、手術は成功したとのこと。

 

2020年9月2日、イアン・ミッチェルの死去が伝えられた。

死因は明らかにされていない。

まだ62歳の若さだった。

 

 

 

このブログを始めた時に、ぜひ取り上げたいと思っていた一人だった

イアン・ミッチェル。

 

余りに早い逝去は残念でならない。

 

 

 

合掌

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ベイ・シティ・ローラーズ」

エキサイト ニュース 人物事典「イアン・ミッチェル」

https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/UDAR10208757/

芽瑠璃堂

https://merurido.jp/item.php?pdid=AIRAC1486