イアン・ミッチェル(Ian Mitchell/1958年8月22日~)は、英国出身のミュージシャン。
イギリス・北アイルランド出身。
イアンはアイルランドにて、「Young City Stars」というベイ・シティ・ローラーズのコピーバンドでプレイしていた。
一方、本家のベイ・シティ・ローラーズ(Bay City Rollers)は、
1965年にアラン(B)とデレク(Ds)のロングミュアー兄弟と4人の友人により結成された「サクソンズ」(The Saxons)というバンドを前身にしている。
1968年、タム・ペイトンがマネージャーになり、ベイ・シティ・ローラーズと改名。
1971年夏にシングル「朝まで踊ろう(Keep on Dancing)」でデビューした。
1974年にレスリー・マッコーエン(Vo)、エリック・フォークナー(リードG)、
スチュアート・ウッディ・ウッド(リズムG後にBに転向)、アラン・ロングミュアー(B)、デレク・ロングミュアー(Ds)という5人編成になる。
1975年、アイドルとして爆発的人気を獲得した中、ほぼ全曲をメンバーのオリジナルで固め、ギター・ベース・ドラムのバンド・サウンドを骨格にしたアルバム『青春のアイドル』をリリース。脱アイドルの方向性を打ち出していた。
1975年“バイ・バイ・ベイビー”、1976年“サタデー・ナイト”などのヒット曲を生み出し、ベイ・シティ・ローラーズは本国イギリスを皮切りに、その後アメリカや世界中で人気を博し、日本でも度々公演が行われた。
しかし、音楽的成長を模索するバンドの意向とは裏腹に、オリジナル・メンバーとして、また年長者として他のメンバーからの信頼も厚かったアランが「アイドルとしてトシを取りすぎている」という理由でタム・ペイトンにより実質的に脱退させられ、その穴を埋めるべく、タムはイアン少年を「アイドルとして」バンドに誘い込む。
こうしてキュートなルックスで最年少17歳のイアン・ミッチェルが加入。リズム・ギターを担当することになるが、これによりスチュアート・ウッディ・ウッドがベースに転向する。
1976年10月、イアンが加入して最初のレコーディングをカナダにて行った4thアルバム『青春に捧げるメロディ』(Dedication)を発売、全英4位・全米26位を記録。
アルバムに収録された14曲の中には、全英4位・全米12位を記録した“二人だけのデート”( I Only Want To Be With You)、全米3位・全米9位を記録した“Money Honey”をはじめ、 “ロックン・ロール・ラブレター”(Rock 'N Roll Love Letter)、
ラズベリーズのカバー“レッツ・プリテンド”やビーチボーイズの“ドント・ウォリー・ベイビー”といった彼らの代表作となる名曲が多数収録されている。
なお、“Money Honey”、“ロックン・ロール・ラブレター”など
一部の曲はアラン在籍時のレコーディングである。
新たに参加し瞬く間に人気を獲得したイアンだったが、同じ年の11月には早くも脱退してしまい、在籍期間はわずか半年ほど。イアンが脱退した理由は、一説によると、エリック・フォークナーによるいじめに耐えかねてのことらしい。また、地元に残してきたバンド仲間を忘れなかったためという説もある。
ローラーズの後任ギタリストにはパット・マッグリンが就任した。しかし、パットも短い期間で脱退となり、メンバーチェンジが激しい時期であった。
1978年、ベイ・シティ・ローラーズを脱退したイアンは、以前に在籍していたYoung City Starsのメンバーと再び合流。こうしてギターとキーボードを担当するイアンを中心に結成されたのが、ヴォーカルにデミアン・マッキーを擁する「ロゼッタ・ストーン」(ROSETTA STONE)である。
デビュー・アルバムは『青春の出発』(Rock Pictures)。
ロジャー・グリーナウェイがプロデュースを手掛け、ポップ・センス溢れるサウンドに仕上げている。エーメン・コーナーの名曲をカヴァーしたヒット・シングル“二人のパラダイス”(Half As Nice)、クリームの代表曲のカヴァー“サンシャイン・ラヴ”(Sunshine Of Your Love)の他、キンクスのナンバーのカヴァー“ユー・リアリー・ガット・ミー”(You Realy Got Me)などを収録。
日本盤シングル“ユー・リアリー・ガット・ミー”などでは一部、「イアン・ミッチェルとロゼッタ・ストーン」とクレジットされていた。
1979年、一年ぶりのオリジナル・セカンド・アルバム-『明日への挑戦』(Caught In The Act)をリリース。イアンがギターに専念し、前作よりもロック色が強くなった本作は、プロデューサーに後にイアン・ミッチェル・バンドの作品も手掛けることとなるアラン・ブレイクリーを迎えて制作された。ヒット・シングル“トライ・イット・オン”収録。
しかし、イアンはロゼッタ・ストーンを脱退してしまう。
その後、自身のグループ「イアン・ミッチェル・バンド」(IAN MITCHELL BAND)を率いてリリースしたファースト・アルバムが『青春の誓い』(Suddenly You Love Me)である。
ヒット・シングル“ロンリー・ナイツ”収録。
1980年、イアン・ミッチェル・バンドはセカンドアルバム『青春に夢中』(The ”goin’ Crazy)をリリース。ニュー・ウェイヴからの影響やテクノを意識したルックスなど、それまでと大きく異なる作品で話題となった。ヒット・シングル“テイク・ミー・バック”、“ピーカブー・ラヴ”など収録。
※注:シングル単独が無かったため『青春に夢中』全曲の音声になります。
1983年、イアン・ミッチェル・バンド解散後に新たに結成された「バチェラー・オブ・ハーツ」(BACHELOR OF HEARTS)の唯一のアルバム『青春のポートレイト』(On The Boulevard)。そのラウドなロック・サウンドは過去の作品とは一線を画す魅力に溢れている。旧友パット・マッグリンも全面参加し話題を集めた。ヒット・シングル“涙のジェニー”収録。
また、一時期ポルノ男優になっていた時期もあった。
イアンはまた、Ian Mitchell's Bay City Rollersという名でツアーバンドとして活動。
その後、2004年録音のライブCD『Live in Los Angeles』を発売している。
2016年09月、ヘルニアの手術を受けたが、手術は成功したとのこと。
イアン・ミッチェルは今、アメリカ西海岸に在住しているという。
(参照)
Wikipedia「ベイ・シティ・ローラーズ」
エキサイト ニュース 人物事典「イアン・ミッチェル」
https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/UDAR10208757/
芽瑠璃堂
https://merurido.jp/item.php?pdid=AIRAC1486