「格調高く重厚」「名作の風格」等々、前評判は並々ならぬものがある。早くもアカデミー賞との声も聞く。しかしそうだろうか。
禁酒法時代のアメリカ、ギャング華やかなりし頃、ボスと腹心の殺し屋。そしてそのそれぞれの父子の物語とくれば、それ自体懐かしきアメリカ映画伝統のスタイルであり、自ずと風格をかもし出す。トム・ハンクス扮するマフィアの殺し屋、その息子の回想で始まるこの映画、全体を通す渋いトーン、色調を抑えたカメラワーク、30年代ファッションで身を固めた男たちの美しさ。どこをとってもギャング映画にして一編の叙事詩でもあるかのようなたたずまいを見せ、映画の魅力に溢れている。T・ハンクスとP・ニューマンの顔合わせというのも映画ファンにとってはたまらないし、銀行強盗を繰り返しながら逃避行を続ける父子のドラマはアメリカ映画が得意とするジャンルの極めつけといってよい。映画作りがうまいのだ。映画のノウハウに長けた見事な作りといえるだろう。だが、なにかが引っかかる。それは作品の完成度とは別の次元で、映画そのものの底に流れる基本的な信念のようなものに突き当たるからだ。
この物語に登場する二組の家族に共通する考え方は「他人はいくら死んでも構わない。だが、身内に危害が及ぶのは許さない」というものだ。表現を和らげるなら「身内の命はどんなことをしてでも守る」と言い換えよう。これぞまさしく、アメリカが世界に表明する国家基本の理念に他ならない。アフガンにミサイルを打ち込み、次はイラクを攻撃しようとするアメリカの正義が見えてくる。
こうして醒めた目で見てみると、この映画案外薄っぺらに見えてくるから不思議だ。スローモーションで人が死んでいくシーンにカタルシスを求めるなら、いまどきあまりにも無神経といわざるを得ない。この手法なら、サム・ペキンパーが三十年も前に有無を言わせぬド迫力で観客を圧倒している。貫禄でみせるP・ニューマンの渋い存在感も、どんなバカでも息子はかわいいという腑抜け親父の役柄では拍子抜けだ。雰囲気は確かに格調高く見えるこの映画だが、底の浅さに首をかしげざるを得ないのである。
2002/10