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どこにでもいる化学好き

自分の好きなこと,発信します

ちょっと遅くなりましたが明けましておめでとうございます。

実家から戻ってきました。本年もよろしくお願いします。

 

何事も初めが肝心。正月にやったことは一年続くと言います。

 

 そういうわけで,今日は最初に合成された有機金属錯体の話をしようと思います(強引)。今となっては有機金属錯体といえば化学の重要な研究分野の一つであることは疑いがないと思います。しかし,昔は金属―炭素結合を持つ化合物が存在するかどうかはっきりわかっていませんでした。

 

 そんな中,デンマークのツァイゼという方が有機物を含む金属化合物ができたと報告しました。発見者にちなんでツァイゼ塩と呼ばれるようになったその化合物ですが,実際にどんな構造をしているのかははっきりわかりませんでした。それもそのはず,その合成が報告されたのはなんと1830年。アメリカの大統領はまだ7代目のアンドリュージャクソンで、フランスでは7月革命で王政復古したブルボン朝が倒れ,日本はなんとまだ江戸時代でちょうど吉田松陰が生まれた年,そんな昔の話です。今みたいな分析機器はドラえもんの秘密道具並みに未来の道具でした。

 

 できる限りの分析をしてその構造にエチレン(ポリエチレンの原料に使われているあのエチレンです)が含まれていることはツァイゼさんも予想していたみたいです。ただ,ツァイゼ塩の構造がはっきりとわかったのは単結晶X線構造解析という技術が開発された後で,ツァイゼ塩の構造について論文が出たのがなんと1950年代。ツァイゼさんの報告から100年以上も後になります。そして100年越しに分かったツァイゼ塩の構造がこちらです。

 

 

 化学式で表すとK[Pt(η2-C2H4)Cl3]です。ツァイゼさんの予想通りエチレンを含んだ構造で,金属-炭素結合も存在しています。白金原子には他に3つの塩素原子が結合していて,白金を含むアニオン(陰イオン)の部分とカリウムの陽イオン(カチオン)の対として存在しています。そしてエチレン配位子は金属-炭素結合を形成して配位しています。これは金属-炭素結合ができることの実験的証拠という点で大事です(今でこそ珍しくないですが)。そして,エチレン分子の白金への配位の仕方も当時としては新しい発見でした。白金分子からエチレンの二重結合の真ん中に結合の線が伸びているのは,エチレンの二つの炭素原子の両方で白金に配位していることを示しています(C=C二重結合で白金に配位しているとも言います)。それまでは配位子の原子どれか一つが金属原子と結合するものと考えられていましたが,ツァイゼ塩のエチレン分子のように配位子中の隣り合う複数の原子で金属に配位することも有り得ることが分かったのです。

 

 さて,ツァイゼ塩自体は工業的に利用されたりはしていないのですが,その発見により示唆された概念が後の有機金属錯体という分野の発展に大きく関わってきます。

 

 例えば,ツァイゼはPtCl4とエタノールの反応からツァイゼ塩を作りましたが,そのツァイゼ塩に含まれているのはエタノール分子ではなくエチレン分子です。つまり反応中にエタノールがエチレンに変換されたことを示しています。このことは金属化合物と有機基質を反応させることでその有機基質を別の有機基質に変換することができることを示唆しています。現代では工業的に生産されている多くの有機化合物は金属化合物の試薬や触媒を用いることで作られていますが,金属化合物を使って有機物をより価値ある有機物に変換しようという発想はツァイゼ塩の合成がきっかけだったと思います。

 

 また,金属原子と有機基質が結びつく際には様々な結合の仕方があるということもツァイゼ塩の構造が示しました。ツァイゼ塩の構造が確定するより前に知られていた無機錯体では基本的に「配位子中の1原子が中心金属と結合を形成」していました(高校の教科書に載っている錯イオンとかを想像するといいかと。[Co(NH3)6]3+とか[Fe(CN)6]4-)。一方ツァイゼ塩ではエチレン分子の2つの炭素原子がどちらも中心金属と結合しています。今日では有機分子で二重結合や三重結合をもつ基質(難しい言い方をすればπ結合を持つ有機基質)は複数の原子で同時に金属に配位することが知られていますが,そういうことが知られ始めてたのもツァイゼ塩の構造が決定されてからだと思います。

 

 

 ツァイゼ塩自体は工業的に利用されたりしているわけではありませんが,工業的にも学術的にもその後の化学に大きな影響を与えました。そういった意味で,ツァイゼ塩の発見は今日の私たちの社会の在り方に大きな影響を与えたものだったと思います。ちょっと堅苦しかったかもしれませんが,今回は有機金属錯体がどのように使われているかではなく,どのように有機金属錯体という分野ができたのかという話でした。

 

それでは,また。

 

参考文献

1) L. B. Hunt, Platinum Metals Rev. 1984, 28, 76-83.   

2) J. A. Wunderlich, D. P. Mellor, Acta. Cryst. 1954, 7, 130

3) F. A. Cotton, G. Wilkinson, P. L. Gaus, Basic Inorganic Chemistry, 3rd Ed., 1995, John Wiley &Sons, Inc., 682-690.

 

補足

 ベンゼン環の描き方ですが,下図の2つの描き方はどちらも正しいです。元々炭素の原子価は4(4つの結合を作れる)であることを前提にC6H6の分子式の化合物の構造を考えたときに二重結合を3つ含んだ六角形の構造が一番リーゾナブルだとケクレという人が提唱して,それが受け入れられました。

 しかし,化学が発達して新しい事実が分かってくると,どうもベンゼンは二重結合を3つ持っているのではなく、1.5重結合(とでも言うべきもの)を6つ持っているような描き方の方が現実に即していることが分かりました。難しく言うと,3つの二重結合のπ電子が非局在化した構造です。それを表しているのが六角形の中に丸が描いてある描き方です。時々,ベンゼンの二重結合はすごい速さで単結合と入れ替わっているという説明を聞きますが,それは間違いです。単結合と二重結合だけではベンゼンの結合というのは正確には表現できないのです。ただ,ベンゼンの反応性などを考えるときに二重結合3つの描き方を使って説明した方が分かりやすい場合もあるので,この2つの描き方はどちらも使われています。

 

この2つのベンゼンの描き方はどちらもOK