短歌との出会い(8)土屋文明を読む | akirakunのブログ

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短歌との出会い(8)土屋文明を読む①

 まをとめのただ素直にて行きにしを囚へられ獄に死にき五年がほどに

 こころざしつつたふれし少女よ新しき光の中におきて思はむ

 高き世をただめざす少女等ここに見れば伊藤千代子がことぞかなしき

 土屋文明自選の歌集(岩波文庫)に掲載されている「某日某学園にて」と題する連作6首中の3首である。わたしが、もっとも愛唱する歌の類である。24年前の1988年、土屋文明歌集を読み進めるうちに、思いがけなくも出会った歌である。

 言うまでもなく、文明は、正岡子規、伊藤左千夫の流れを汲む「アララギ」の選者を長くつとめ、1990年100歳と2ヶ月で逝去した現代短歌にもっとも強い影響を与えた歌人の一人である。

 私が文明歌集を読んだときは、腰痛の手術後、短歌を始めたころであり、文明は98歳で存命中であった。

 この歌の初出は1935年「アララギ」11月号であるから、軍国主義のあらしが吹き荒れ、治安維持法によって社会革新の運動は閉塞を余儀なくされていた時期である。ちなみに、山本宣治が右翼の凶刃に倒れたのが、1929年3月5日であり、小林多喜二が検挙、虐殺されたのが1933年2月20日であったから、共産党員であった伊藤千代子が獄死したことを悲しんで歌うなどは、よほどの勇気がないと出来なかったはずである。短歌の世界の中心にこのような歌人がいることに鮮烈な印象をもったが、今もその印象はかわらない。そのころであったか、「赤旗」新聞の文化欄に文明の一文が掲載され顔写真入であったことも印象的であった。

短歌を作り始めて1年ぐらいの1986年12月に、文明の「新短歌入門」を読んでおり、短歌はリアリズム(現実主義)が基本であることを実作の添削を通じて説いていることに、短歌を作る意味と方法を教えられた思いがあった。

また、文明は「入門」において「(短歌は)生活の文学であり、生活即文学である」「生活そのものであるというのが短歌の特色」「短歌というものは、(略)同じ立場に立ち、同じ生活の基盤に立つ勤労者同士の叫びの交換である」と述べている。

当時、私は短歌とは何かについて模索し、啄木や子規の歌集や歌論などを手始めに近藤芳美の「歌い来しかた」「短歌入門」や碓田のぼるの「うたいつがれる歌」などを手当たりしだい読んでいたが、文明の「入門」に出会い、意を強くしていた。そして、「某日某学園」に出会った。確か田中礼先生の指導の下に、秋沼蕉子さんらと京阪短歌会を立ち上げた年であったと思う。

「土屋文明歌集」のうちから抄出する。

「ふゆくさより」

この三朝あさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず

夕ぐるるちまた行く人もの言はずもの言はぬ顔にまなこ光れり

造り岸さむざむ浸しよる潮のかわける道にあふれむとする

どろどろとつながり長き貨車すぎて響はこもる原の大地に

旱つづく朝の曇よ病める児を伴ひていづ鶏卵もとめに

「山谷集より」

うつりはげしき思想につきて進めざりし寂しき心言う時もあらむ

新しき国興るさまをラヂオ伝ふ亡ぶるよりもあはれなるかな

木場すぎて荒き道路は踏み切りゆく貨物専用線又城東電車

小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす

(続く)