記憶と向き合う | ヘルメスの丘 ~In Tune with Hermes~

ヘルメスの丘 ~In Tune with Hermes~

伊野華絵(いのはなえ)の世界へようこそ。
ヘルメス(水星)が誘う、人生を楽しむ術。

最近、忙しいせいか、年のせいか、

(理由は前者にしたいところ)、

 

記憶力の低下を感じる時があります。

 

自覚があるので、忘れないように

メモをするのですが

そのメモの置き場所すら忘れてしまうことが 笑い泣き

 

 

仕事のファイリングも

以前よりパフォーマンスが

劣化しているように

思います。

 

仕事量の増大と多忙さのせいです、

はい(キッパリ)。

 

 

記憶といえば、最近体験したことがあります。

 

 

食材の買い出しにあちこち

歩き回り、用を済ませ、帰宅途中に

電車を待っていたときのこと。

 

 

それは、急に脳裏によみがえった記憶。

 

時期は小学生の頃。

体育の授業で校庭に集まり、

先生を待っています。

 

 

彼女がなかなか来ないので

ヒマをもてあましていたのか、

クラスメイトたちと

近くのポールにつかまって、それに

よじ登ろうとしていました。

 

わたしもその仲間の一人。

 

しばらくして、

いきなり背後からやってきた人物に

「平手打ち」されました。

 

一瞬、何が起こったか

わからなかったのですが

突然やってきた襲撃に体が硬直しました。

 

痛さと驚きで振り返ると、担任の先生が

いつもの無表情で仁王立ちしていました。

 

この出来事はいまから四十年以上も前のこと。

 

 

自分で自分にびっくりしました。

 

「なぜいま思い出すん???」

 

 

さらに驚いたのが

 

記憶の蘇りとともにそのときの「感情」が

リアルに身体を突き抜けていったこと。

 

わたしの身体は全身で怒っていました。

 

彼女の顔とフルネームも

にゅっと鮮明によみがえり。

ますます怒りがわいてきました。

 

 

先生には先生の立場と意見があったのでしょう。

でも、いきなり背後から平手打ちを

生徒たちにするのは虐待に近いものがありました。

 

彼女の行為で校庭は

シーン、となりました。

 

 

わたしが小学生の頃は、教師による生徒への体罰や

ペナルティ(廊下に立たせる、トイレ掃除

雑巾がけなど)を課すのはごく普通のことだったと思います。

 

そういえば、授業中の問題に正解を答えられなかっただけで

グラウンドを1周走ってこいという

わけのわからない教師もいました(今なら完全にアウト)。

 

叩かれたわたしは、即、叩かれた自分が悪かったのだ

とオートマティックに受け取りしょんぼりしていました。

 

この体験は親(家族)にも話しませんでした。

(当時はお前がわるいといわれると思ったので)

 

ちなみに、彼女(先生)は

いつも無表情で、出っ歯で、授業も面白みがなく

単におびえさせるだけで、ちっとも好きになれない

人物でした。

 

途中、産休で目の前から消えてゆきましたが

妊娠後におなかが膨らんでゆくにつれ

歩き方さえ仁王のようにみえて

よい思い出が一つもなかっためずらしい教師でした。

 

 

それにしても驚きました。

 

意図せずいきなり蘇るのか、この記憶が。

記憶ってすごい。そして記憶ってこわい。

 

 

何十年たっても、こんな風に全身に記憶が

刻印されているなんて。

 

プラットフォームで電車を待っていたわたしは

どっと疲れが出てきました。

 

 

ところが、しばらくすると心が落ち着いてきました。

かすかに風も吹いてきました。

 

あのとき、彼女(先生)は

ああするしかなかったのかな。

 

そんなことをふっと素直に思いました。

 

そうしたら、身体がすうっと軽くなった

気がしました。

 

同時に気づきました。

 

自分が理不尽だと思った感情は

閉じ込めておくと

いつまでもいつまでも・・・

体中に刻印されて残ることがあるのだ、と。

 

いわゆる「抑圧」というやつですね。

 

本人は望んでいなくても

無意識に大事に保存するものだから

それらはいろんなところで「悪さ」を

することがあります。

 

大事なのはきっと、

その感情をできればその場で

十分に味わい切り、解放することなのだと

思いました。

 

「たしかに先生を待っている時間に

やんちゃをしようとしていた自分たちが

よくなかったと思うけれど、

 

何もいわないて後ろから平手打ちは

どうかと思う

 

こんな風に、せめた誰かに話せたら

こんな何十年も身体に残ることは

なかったかな。

 

と思います。

 

気づきのあと、

彼女(先生)の名前を思い返してみました。

 

前ほど嫌悪感は感じなくなっていました。

 

記憶をやわらかく書き換えられて

よかったなと思います。

 

何がきっかけでどの記憶が

蘇ってくるかコントロールが

効かないですが、

 

蘇ってきたらそのときは

ギフトだと思って

記憶と向き合う必要性を感じました。

 

 

 

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