余命、寿命、去り際のこと。 | ヘルメスの丘 ~In Tune with Hermes~

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伊野華絵(いのはなえ)の世界へようこそ。
ヘルメス(水星)が誘う、人生を楽しむ術。

「あ~ これはあともう・・・

三か月もないかもしれないですね」

 

 

わたしがいくら時間をかけても

何もわかるわけがないその映像を観ながら

 

お医者様がそうおっしゃったときは

自分の思考が完全停止したのを

よくおぼえています。

 

身近な人のことで

医師の余命宣告を直接聞いたのは

初めてでした。

 

そして彼はその通りに、旅立ちました。

 

 

あれからだいぶ時が流れています。

 

 

今年はなぜか年始から

 

「死」について

「死後の世界」について

 

考えること、気づくことが多いです。

 

誰もが必ず迎える「死」について

 

私たちは普段、

あまりにも無頓着すぎるのかも

しれません。

 

考えるのを無意識に避けるのか。

 

自分にも確実に起こることなのに

まともに向き合えない

(見ようとしない)ことのひとつが

 

「死」についてかもしれません。

 

自分だけでなく身近な人の余命宣告は

動揺しますし、

つらいことではありますが

 

反面、

 

「そのとき」に向けて

 

心構えができます。

 

 

「有限」だからこそ

 

限られた時を大事に、

抱きしめることができますね。

 

 

自分の余命を知ることは

ある意味いろんな計画ができて

 

残されたときをより一層

充実させることが

できるともいえますね。

 

「すてきな終活」ですね。

 

 

占いの勉強で学びました。

 

「人の死期については占ってはならない」

 

とはいえ、

 

「終わりの点」は

 

熟達者は占えます。

 

伝えないだけです。

 

 

この世はすべてが繋がっていて

 

「誰かの死」が

 

誰かの誕生だったり

 

何かの始まりだったり

 

置き換えが起こります。

 

 

「誰かの死」の事象は、

 

そこにかかわる人たちのエネルギーを

根こそぎ変える力を持っています。

 

 

「寿命」という言葉は

命に寿(ことぶき)と書きますね。

 

 

「死」は忌み嫌うものとして

とらえられていますが

 

(実際わたしも こわいコワイ)

 

死とは次のステージへ進むこと。

 

ならば、進むタイミングは

あらかじめ想定できていたら

(=余命宣告)

 

 

前向きに受け入れられる。

 

それはおめでたい「旅立ち」(=寿命)

 

である。

 

 

去り際はさわやかに

 

「じゃあね!」

 

といえたらいいですね。

 

 

 

いざ自分が

 

「余命宣告」を受けたら

 

どうなるかわかりません(笑)

 

 

うろたえるかな~?

 

「よっしゃ、終活計画書作成だ!」

 

なんて思うかな~?

 

 

 

 

 

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