「なぜ この文字は 名前にふさわしくないのですか?」
生徒(弟子)としてわたしは 先生にとって おそろしく しつこくて 「質問魔」な存在だったろうなと 思います。
そんなわたしの機関銃のような問いに対し、その回答の多くが
「知らん。 だめなものは、ダメ。 それだけ。」
というものでした。
そこには 「自分で調べろ」 か 「自分で感じ取れ」 「経験の中で学べ」 などの 先生なりの意図があったのかもしれません。
占術はとにかく 「吉凶」 というものがはっきりしており 禁忌事項も多い。
『だめなものは、ダメ』 なのです。
こういうときは 自分で納得するまで 調べる か 感じ取る か 経験で学ぶ しかないです。
名前を観て
そのラベルと一体化している その人そのものを観て シルエットを
風景画として 感じ取る。 観賞する。
こんなことしているとですね、 いつの間にか 「文字」 がまるで ナマモノのような エネルギーを発している存在に見えてくるものです。
人は この地上で 名づけられて生きている間は その文字と一体化している。せざるを得ないのです。
この世は コトバで、コトバによるルールで 成り立っているからです。
ヘルメス(=言葉・文字の神)を 軽視することなかれ。
ヘルメスの丘 伊野華絵(いのはなえ)
http://inohanae.world.coocan.jp/